《プロローグ》
さて桜島を1周したあともう一度元に戻って、垂水市→霧島市→姶良市(あいらし)→鹿児島市→指宿市(いぶすきし)と、
陸続きにぐるっと鹿児島湾=錦江湾(きんこうわん)を半周して指宿へ行くのは、時間とガソリン代の無駄なので、桜島の西の端から海で短絡してフェリーで鹿児島市内へ一気に出ました。
軽四のフェリー代は1070円、乗車時間は30分にも満たなかったと思います。大隅半島はほとんど高速はないので2時間以上節約できたことでしょう。
実は5月のゴールデンウィーク時と、諸般の事情により後日にもう一度鹿児島を訪れたので、ここからの中篇と後編の掲載写真はいろいろな空模様の写真が入り混じっておりますが、ここのブログでは一体として扱っています。
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ところで今回、鹿児島の風景を写真に収めながら改めて思ったことですが、
日本のいたるところで同様なのが、
とにかく殺風景な電柱と電線が林立して見苦しいこと。
とにかくこれだけは腹が立って腹が立って仕方なかったですよ。
日本を観光立国にする…とか、政府のお偉いさんたちが雄叫びを上げているけれど、霧島にしても桜島にしても、これからご紹介していく開聞岳(かいもんだけ)にしても、とにかくどこへ行っても見苦しいのがこの電柱と電線です。
しかも政治家も票にならない電線の地中化など見向きもせず力も入れない人ばかりで、ダムとか箱物とかばかりに力を入れる前に、地震の時には危険でもあるし、
せめて観光地の電線ぐらいは地中化しろよ…
と叫びたくなりますね。
どうも戦後の弊害のひとつである公害は、社会運動が功を奏して高度成長期と比べてかなり改善されたけれども、電線の地中化は人体に直接影響しないことがたたって、先進国では恥ずかしいかな、日本ではごく一部を除き未だ改善されないままですね。
政府も発電と送電の分離などの検討することなんかより、まず先に景気対策も兼ねて日銀にお金を刷らせてもよいから、これをまずなんとかしろよ… と言いたくなります。
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で、話は元へ戻りまして桜島フェリーの鹿児島港を降りて、今回の最も行きたいところの一つであった薩摩半島の南端の指宿市(いぶすきし)にある 「知林ヶ島」 へと車のハンドルを向けました。
(知林ヶ島の航空写真 : ウィキペディアに掲載の1974年撮影 国土航空写真より)
(砂州のつながった状態の知林ヶ島 : 鹿児島県 環境林務部のホームページより)
下記関連情報URLにも載せていますが、
知林ヶ島(ちりんがしま)は、普通は薩摩半島から沖合800mにある周囲3kmの小さな無人島なのですが、一定の条件が重なると上の写真のように砂州(読み:さす,砂の道)が現れて、本土から歩いて島へ渡れるという、なんとも摩訶不思議な地形を持った島なのです。
ちなみに、ここの冒頭の小さなタイトル写真のほうは、まだ砂州がつなかっていない状態の普通の知林ヶ島の写真です。
今回は砂州の出現時間(春から秋時の干潮時刻)に合わせて、まずそこから行くことにしました。
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鹿児島港でフェリーを降りて地元の方の車の流れをみますと、道路事情のあまり良くない鹿児島市内の国道225号線よりも、多数車線もある道幅の広い鹿児島県道の217&219号線の産業道路を皆さん走られているようです。
こういう場合私はあまりナビを当てにせずに、持参していたライトマップル鹿児島県道路地図帳で念のため確認しながら、海岸沿いの広い産業道路をずっと南下、広い道が終わったところで国道226号線に合流です。
海岸線に沿って国道226号線をひたすら南下していき、JR九州の指宿枕崎線(いぶすき まくらざきせん)の前之浜駅(まえのはまえき)の少し先にあるPスペースまで来ますと、ようやく知林ヶ島がはっきりと見えるようになり、まず写真撮影しました。
(沖合いに見える2つの島のうち大きなほうが知林ヶ島です。ちいさなほうは「小島」です)
そしてここは錦江湾と崖に挟まれた狭いところに国道と線路の両方が通っているところで、知林ヶ島を撮影中に踏切の鳴る音がしたので、急いで国道をまたいで速攻でカメラを線路のほうへ向けました。そうするとまもなくJR九州の新型気動車キハ200形 2両がやって来て通過していきました。
(JR九州設計の新型気動車 キハ200形)
(旧国鉄設計の気動車 キハ47系)
どうやらここ前之浜駅で上下列車が行違いをしたようなのですが、JRの時刻表までは持参しておらず、ここで行違いするとは分からなかったので、慌てて撮影した下り列車のキハ47系のほうはあまりうまく撮影できなかったです。
それとここへ写真を掲載するべく編集していたときに初めて気が付いたのですが、鉄道の気動車(ディーゼルカー)の写真の3枚目に写っています、ホンダの黒色の箱バンのバモスワゴンらしき車の運転席の窓から、後ろ向きにピースサインをしている人の手が写っているではありませんか。
いちおうここへ記載するにあたり読み取れる範囲の車のナンバーはすべて消しましたが、なんともナウイことをする人もいるものだと、今頃になって気が付きました。
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そして知林ヶ島へと近づくべく国道226号、南薩摩路を南下。宮ヶ浜駅(みやがはまえき)の少し先にある何の変哲もない、案内看板すらなかった?大園原交差点を左折します。実は少し行き過ぎまして速攻でUターンしたことはナイショです。
鹿児島市方面から知林ヶ島へ行くにはこの鹿児島県道238号線を走ります。
しばらく走ると鹿児島湾(錦江湾)が見えてきますが、ここで写真を1枚パシャと撮りました。
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そしていよいよ待ちに待った知林ヶ島へと到着しました。
ここへ来ただけでも鹿児島へ来た甲斐があったというものですが、
慌てずまず手前の魚見港の防波堤の先端から知林ヶ島を撮影です。
このとき写真をみても分かりますがすごい白波が立っていますけれども、
この時のこの場所だけ!ものすごい風が吹いてきてとても面白かったのと、
強烈な風がかえって気持ちよかったですね。
それから我がコンテ号を駐車場に移動して、
防水長靴に履き替えたりして渡島の用意をし、早速知林ヶ島へと渡り始めました。
(知林ヶ島の説明看板)
砂州は全長800mほどだそうですが早速歩き始めます。
下の写真へ行くほど徐々に知林ヶ島へと近づいてきます。
やっとこさ陸続きになっていた知林ヶ島へと自らの足で渡ることができ、無事上陸です。
でも時間の都合上、今回は長時間の滞在はかなわず、
島の灯台とかにも全く行く余裕もないため周りを撮影していましたが、
そうしているうちにうちに潮が満ち始めてきたので、速攻で薩摩半島側へと戻ります。
(満潮になりかけ、砂州が徐々に消滅しかかっている知林ヶ島の砂のかけはし)
最後の写真ですが右側に知林ヶ島、左側の沖に写っています高い山が桜島になります。
なお、この日は天候が安定せず晴れたり曇ったりの不安定な天気のせいで、知林ヶ島の往復時の撮影写真の色相が合わず、ここへの掲載にあたって修正で極力合わせようとしたものの、それでもなお色がズレているのは、もう素人写真のせいだと思って下さいね。
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これで、「鹿児島の名勝散策(中編) 知林ヶ島への砂州渡り」は終了です。
次は、いよいよ鹿児島旅行の終盤
「鹿児島の名勝散策(後編) 薩摩富士と呼ばれる開聞岳・牧聞神社・池田湖への訪問」です。
なお、下記関連情報URLには、指宿市役所 産業振興部 観光課のホームページ
「砂州ってこんな感じだよ!」 をご案内しております。
また同ホームページ内には、砂州出現情報として
潮の干潮時刻とともに渡島の適否と砂州出現予測時間も掲示しています。