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カクシカおじさん(プレミオおじさん)のブログ一覧

2011年08月14日 イイね!

出雲の日御碕灯台と出雲大社参拝と古代出雲大社の巨大神殿(2012.8.7 加筆)

出雲の日御碕灯台と出雲大社参拝と古代出雲大社の巨大神殿(2012.8.7 加筆) 
 先日2011.8.2、出雲大社の先にある、島根県出雲市大社町にある日御碕灯台(ひのみさきとうだい)へ日帰りで行きました。

 ここに掲載の写真は灯台の全容ですが、残念ながら写真撮影は失敗し、ピザの斜塔のように斜めに写してしまいました → このたび追記するにあたり角度を修正しました。
 

 そして先日2012.8.1の日、CD250Uバイクのオイル油温測定も兼ねて再度ここへ訪れたので、主にシグマのコンデジDP1xで撮影した写真を大幅に追加して、文面を書き換えました。
 
 
  



  
 なんとこの灯台、業務に支障なき時には入場料200円也を受付でお支払いすると、灯台のてっぺんまで登れるという珍しい灯台?で、灯台の中には急傾斜のらせん階段が163段もあります。


(フラッシュも焚かずカメラの感度も上げ損ねたため撮影に失敗した、らせん階段の0段目)


 2012.8.1の訪問時は、バイクのオイル油温測定などを行きの道中に何度もしたため、ここへの到着が閉館時間ギリギリになり、慌ててらせん階段の上り口を撮影したのでフラッシュを焚くのを忘れたうえISO100のままで撮影したため、お恥ずかしながらノイズがいっぱいの撮影写真となっちゃいました。

 しかもこれ1枚しか撮影しなかったので露出を大幅に補正したうえで、仕方なく失敗写真をそのまま掲載です。よって以下のらせん階段の写真はISOを200に変更し、フラッシュを焚いて撮影しました。




      (日御碕灯台の急な163段もあるらせん階段 : 2012.8.1 筆者撮影)



 まず入り口で靴を脱ぎ猛暑のなか、高さにして30何mかのらせん階段を上がると、灯台の電気発光部分の部屋へたどり着きます。昔の建物なので板張りの部屋です。猛暑の中なのでさすがに息切れしましたよ。また夏休み中でもあるので親子連れのご家族の方も多かったです。


         (日御碕灯台の電球発光部分 : 2012.8.1 筆者再撮影)


          (日御碕灯台のレンズ部分 : 2012.8.1 筆者再撮影)

 この日御碕灯台、今から100年以上前の1903年(明治36年)に完成ですでに齢108歳。当時はまだコンクリートは一般的でなかったことから、写真でも判別がつくとは思いますが、すべて石造りで出来ています。そして、わが国ではいまだに灯台の高さの最高値46.65mを誇っています。


 そして、ここ日御碕には“経島”と書いて「ふみしま」と読む、国の天然記念物「経島ウミネコ繁殖地」に指定されている、ごくごく小さな無人島が日御碕の沖合い100mあたりにありまして、数千匹の渡り鳥“ウミネコ”が、初冬から初夏の間までここにいて産卵・繁殖するので有名だそうです。


                     (ウミネコの模型)


                (日没直前の日御碕にある経島)

 ウミネコがいる時期にここへ行きますと、いつもネコさながらにいたるところから鳥が「ニャ~ニャ~」「ニャ~ニャ~」といっているのが聞こえてきます。

  日御碕灯台のご案内は、いちばん下部にある【関連情報URL】に記載しました。
    




        (日御碕灯台から見た日御碕の海 : 2011.8.2 筆者撮影)

 ここに掲載した日御碕灯台から見た日御碕の海の写真は、灯台のてっぺんから写した海岸の写真ですが、じつはこの灯台に興味があったのは、ここの海岸の先の海中にどうやら石造りの古代遺跡が眠っているらしきことが近年分かってきたからです。

 1999年の末頃、たまたま海中に潜ったダイバーによって発見されましたが、どうやら古代ギリシャにも負けないような高度なものが存在するようですが、なぜかいまだに正式に調査は行われていないようです。ここが正式に調査されれば、日本の歴史が大幅に書き換えられることになるかもしれません。


 2000年に出雲大社境内で発見された、鎌倉時代に建っていたと思われる当時高さ48mにもなる出雲大社の古代神殿の柱といい、この出雲の地は太古から、なにやら奈良の大和とはまた違った、高度な文明が発達していたのかもしれません。
 
 それにしても今の出雲大社も、現在修復工事中ではありますが、全国の神社の中で最も大きな高さを誇る神殿(24m)なのですが、太古は雲太(うんた)と呼ばれ十六丈=48mの高さだったといい、とにかくこの出雲の地と人々はご祭神の名 「大国主(おおくにぬし)」 という名が示すとおり、とても大きなものがお好きなようです。


 海底遺跡に関するTV,6分17秒-神々の海、日御碕に眠る「海底遺跡」



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 ところで日御碕灯台ですが、受付に簡単なパンフレットが置いてありこれによりますと、明治初頭はやはり外国の技術者に指導してもらって全国各地に灯台を造ったようですが、明治も終わりになると自力でつくらざろう得なかったようです。
 お城にしてもあの大きな石を人力で!うまく運んできて綺麗に積み上げているのですから、灯台建設も可能だったとはいえ、さぞかし大変だったろうと思いますしその技術もあったのでしょうね。
 

 そしてこの灯台と同じ頃に造られた有名な建築物と言えば、鉄道好きな私の場合は真っ先に兵庫県の日本海に面した「餘部鉄橋(あまるべてっきょう)」を思い浮かべます。
 鉄橋の高さは約41m弱もあり古代出雲大社と同じくらいの高さがありますね。そしてつい先ごろ老朽化のため、新品のコンクリート橋に架け替えられました。

 ひと昔前の方ならご存知でしょうが、吉永小百合さん主演のNHKドラマ「夢千代日記」のオープニングが流れているときに出てくるあの高~い高~い鉄橋、それこそ天かける鉄橋です。
 不幸にも昭和の終わり頃、回送列車が転落してその下敷きとなった地元の方がお亡くなりになられました悲しい歴史もあります。

 ちなみに鉄骨を用いた旧餘部鉄橋は一部を除きすでに撤去されたので、下の写真は借用しています。


  (1912年/明治45年に完成した旧余部鉄橋 : ウィキペディアより 2006.3.7撮影)


(新しくコンクリート橋に架け替えられた新余部鉄橋 : ウィキペディアより 2011.8.12撮影)


 明治のころに造った日御碕灯台や餘部鉄橋も100年以上も頑張っていますが(いましたが)、不幸にも鉄橋のほうは列車転落事故 (回送中の客車) が起こってしまいました。

 転落事故は刑事裁判にもなって、現場の人(列車の司令員ほか)が責任追及されたようなのですが、実はどうもあの転落事故の遠因というのが、昭和40年代に行われた鉄橋改修工事にあるのではないか、という説があるのです。


 明治時代に造ったこの餘部鉄橋、非常によく設計されていて、あの風雪強い日本海の海岸のそばで、70年以上も! 列車が一度たりとも落ちたことがなかったのが、太平洋戦争中に十分管理できず、しかも塩分が飛んでくる海の側なので鉄骨が劣化してしまったようなのです。

 そこで戦後の昭和の時代に安易に補強工事と部材の一部取替え工事を行った結果、風が吹くと鉄橋全体が変に振動するようになったらしく、事故当時の写真を見てもなぜかレールが不自然に大きく変形しています。

 旧鉄橋は完全な直線区間なので、もし軽量客車が海からの横風に吹き飛ばされただけなら、レールは大きく変形せずそのまま真っ逆さまに下へ落ちそうな感じなのですが、真相はいまだに闇に閉ざされたままです。


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(江戸中期の1744年に造営された現在の出雲大社本殿:出雲大社のホームページより)


       (高さがなんと48mもあった、木造による古代出雲大社の想像図)

 上の挿絵は、季刊大林と私の手元にもある学生社から刊行されている「古代出雲大社の復元」という本の表紙にも掲載しています、古代出雲大社の神殿の想像図なのですが、諏訪大社の御柱祭のときに柱を立てるやり方、つまり掘立柱(ほったてばしら)という工法で建てられたようなのです。


(学生社刊 古代出雲大社の復元 : 筆者の手持本の表紙を撮影)


 掲載した本を読みますと、またNHKでも「巨大神殿は実在したのか~古代出雲大社のナゾ」という番組で2001年のお正月に放送されましたが、大林組の方が現代の建築基準法で解析計算すると、木造ということもあり震度7以上の地震にも耐えうる構造なのだそうです。

 今から900年前の平安・鎌倉時代に、それだけの知識と技術を持った素晴らしい宮大工たちがいて、あのような木造構造物を人力で造ったのですからすごいことです。もう人間技ではないですね、きっと。

 それでも海の側で地盤があまり強固でもなく、しかも神殿に昇る階段の長さが100mちょいあったといいますから、この長い階段が徐々に沈下したりして、それに引きずられて本殿が幾度も転倒したらしいです。

 はっきりした原因は未だ不明?なようですが、頭でっかちの神殿や超長い階段が風にあおられるためなのか、もしくは100mもの長い階段が徐々に沈下してきて本殿が引きずられたためなのか、あるいは木造なので木も腐ってくるためなのか、
 何回もこの出雲の巨大な木造本殿が転倒してはその都度再建していたといいますから、古代出雲の人々が大社に寄せる思いは並大抵のことではなかったはずです。


      (当時は海に面していたと思われる古代出雲大社の想像図 : 島根県)


            (古代出雲大社の模型 : 写真はウィキペディアより)

 上の古代神殿の模型は確か10分の1の模型だったと記憶していますが、出雲大社の東横にあります古代出雲歴史博物館の展示品だと思われます。
 そしてちなみにここは、一昔前までは出雲大社とは言わず「杵築大社(きづきおおやしろ)」と呼ばれていました。


 エジプトの有名なクフ王のピラミッドも、最近の研究によりますと決して奴隷が嫌々ながら造ったのではなく、現代で言う不況克服を兼ねた公共事業で行われたことが判明しているようですが、それと同じなのかもしれません。

          (エジプトの三大ピラミッド : 壁紙Linkさんの画像より)


       【2013.7.19 追記】
 最近話題になりましたが、「ピラミッド5000年の嘘」という映画が世に出ました。
 私はこの映画を見たわけではありませんが聞くところによると、

       ピラミッド、
 この場合はエジプトのギザにある巨大でとかく有名な “クフ王のピラミッド”  のことを指すものと思われますが、今までの考古学者の通説では、クフ王の時代に20年かけて造られた…ということになっています。

 ところが近年、この通説に疑問を持った人が幾人か出てきまして、エドカー・ケイシーのリーディングではありませんが、どうやら今から12000年ぐらい前に200年ぐらいかけて造られたのではないかという説です(これはケイシーのリーディングによる説です)。


 200万個もの精密に切られた石を、重機も無い時代にわずか20年の期間で建造できないだろう、というのが、この、「ピラミッド5000年の嘘」の映画で力説されているみたいです。

      その公式サイトのリンクは こちら です。リンクを貼りました。


 まあ、現代人が考えているよりもはるかに古代人はものすごい技術を持った人もいて、この映画の紹介サイトでは、現代の建築技術をもってしても、あのような精密でかつ精巧な物はなかなか造れない、との結論ですね。


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 さて、ここからは2012.8.1の晴天の平日の人の気配が少なくなった夕方6:00すぎに私が訪れた時の、現代の出雲大社を参拝した時の様子をご紹介していきましょう。


 なお恥ずかしながらここからの掲載写真、露出補正をなぜか+2.0前後で撮ってしまっていたため特に白い雲部分の白飛びが激しく、RAW現像に際し極力修正してみたものの限界があり、雲が変になっている写真ばかりでお見苦しくて申し訳ございません。

 なにせこのDP1x、カメラ背面の液晶画面の画質が極端に劣悪で、撮影の際に全く気づかずに露出オーバーなまま撮影してしまいました。新しくなったDPメリルシリーズでも露出補正のボタンの位置が悪く、知らないままに露出補正がかかっていてビックリすること度々です。また機会があれは撮影しなおすつもりです。



 まず出雲大社の参道のいちばん最初の入口です。




 ひと気のない落ち着いた雰囲気のなか、なが~い なが~い参道をゆっくりと歩いていきます。











 そして左側にお手水があり前を見ますと、60年に一度行われます平成25式年遷宮のご案内板と出雲大社の神紋が入ったちょうちんが両脇にあり、質素な鳥居をくぐると現在は仮本殿へと出ます。




               (出雲大社の神紋 二重亀甲に剣花角)







             (出雲大社 仮本殿 : 2012.8.1 筆者撮影)


 現在は60年に一度のご本殿の修復中のため(2012年度)、ここの奥にあります本殿は現在閉鎖中でご神体はこの仮本殿(拝殿)の中にございます。
 
 また、ご神体を仮本殿に移設したあとのわずかな期間でしたが、この本殿の修復工事にかかる前にご本殿の見学が許されまして、これは60年に一度しかないチャンスだそうですが、私はなんとか2008.8.17の本殿公開最終日の日、ぎりぎりの日にこの本殿に参拝することが出来ました。

 残念といいますが当然といいますか、写真撮影は一切禁止でしたので本殿内の撮影写真は1枚もございません。


 ただしNHKのハイビジョンTVカメラが、ご神体移設の式典を収録・放送した際に、このご本殿内部も撮影し放送していましたので、本殿の天井に描かれています美しい7つのヘビといいますか龍のような天井画も撮影されていましたので、私は見逃さず録画しておきました。
 
 たとえ本殿が修復されましても、ここの中への参拝は神職の方以外は、たとえ天皇家の方でさえ古来からの慣わしとして本殿内への参拝はまず許可されないそうなので、私が訪れたときはセミがみ~み~と鳴いていた真夏の最も暑い時期でしたが、本当に貴重な体験ができました。




            (巨大な出雲大社名物の1.5トンもあるしめなわ)

左隣にある神楽殿のしめなわは長さ13m・重さ5トンで日本一だそうですが、こちら仮本殿(拝殿)のしめなわも少し小ぶりとなるけれど、それでも長さ6m、重さは1.5トンにもなるそうです。







             (修復中の本殿2枚 : 2012.8.1 筆者撮影)



      (本殿修復前の出雲大社 : 2006.12.22撮影 ウィキペディアより)


   こちらの写真は修復工事終了後の2013.7.22に訪問したときのもの。
   この写真のみ新しいDP3メリルでの撮影です。

     (2013.7.22  60年ぶりにきれいに修復された出雲大社のご本殿)



 ちなみに現在の出雲大社ご本殿は江戸中期の1744年(延享元年)に造営されています。
    高さは8丈 24mだそうですが、それでも神社建築の中ではいちばん大きいそうです。
 ただお寺まで含めますと東大寺大仏殿とか法隆寺の五重の塔などがあり、
    現代の出雲大社の本殿では最も高いとはいえませんね。


         (出雲大社境内にて掲示されている古代神殿の説明看板)


       (発見された古代神殿の3本の木を束ねた心御柱の実物大の模型)


  (2000年に地下祭礼室工事中に発見された、1248年のものと思われる心御柱)


 この心御柱の発見により、今まではあくまで伝承の域を出なかった16丈48mの巨大神殿が、実際に建っていたことがほぼ実証されまして、地下祭礼室の工事は中止されて元に埋め戻されまして、その柱があった位置には現在それを示すマークが専用タイルによって示されています。




   (発見された心御柱の位置に、実物大の柱の位置を示すタイルのマークがある)




  そして国旗とか旗をかかげるこの高いポールは、
     当時の古代神殿に敬意を払って高さを1m低くした47mのポールだそうです。
     これは私が以前に神社の方に聞いて確認しました。

  そしてこのポールの真下にくれば、平安・鎌倉時代初期の人ならず、
     現代人でも当時の出雲大社の神殿の巨大さには驚かざろう得ないですよね。
 
 
Posted at 2011/08/14 17:40:55 | コメント(2) | トラックバック(0) | 神社仏閣 参詣 | 旅行/地域
2011年06月11日 イイね!

❹北関東・東北ドライブ2日目 その②  月山・湯殿山神社と塩釜・松島を訪ねる

❹北関東・東北ドライブ2日目 その②  月山・湯殿山神社と塩釜・松島を訪ねる 
激しい雨の降りしきる中、上杉家御廟所参拝後、
 米沢市を後にして国道13号線を北上。

途中で先ほどの雨がうそのようにやみ、
 山形市内に入ると雲もほとんどない晴天となったところで、

山形上山インターから高速へ流入、
 山形道に入って月山方面へ向かいました。



国道112号線の月山道路に入り、
そして生まれて初めて月山が見えたところでとりあえず撮影したのが、タイトル写真です。


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  その後、月山・湯殿山のふもとにある湯殿山神社へと参拝。



         (湯殿山神社案内板 : 2011.6.11 2枚とも筆者撮影)


     なお、ここの神社内は写真撮影が禁止とのことですので、
     残念ながら内部の写真は1枚もございません。


ただ出羽三山神社の公式ホームページを拝見いたしますと、神社のご案内として内部の写真が一部分のみご紹介されていましたので、不鮮明ながらここから写真を拡大して当ブログへ掲載しました。


   さすがにご神体の部分だけは掲載されていませんでしたが、
   温泉が湧き出ている大きな岩(霊厳 : 読み=れいがん)がご神体のようです。



       (湯殿山神社 山開き写真2枚:出羽三山神社のホームページより)





       (湯殿山から月山への尾根道 : 2010.4.8撮影・ウィキペディアより)


         (月山山頂と月山神社 : 2010.9.5撮影・ウィキペディアより)


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          湯殿山神社を参拝後、帰りの山形道の月山湖PAで撮った写真が、
          この下で掲載している写真2枚です。月山が背景にバッチシ写っています。
       


        (R112の月山湖PAにて : 2011.6.11 2枚とも筆者撮影)


そして、このみちのくの地での月山と共に写った我がコンテ号の写真がとても気に入ったので、一部修正のうえ関西人だけれども愛車プロフィールの写真としました。


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    それからまだ日没まで何時間もありましたので、
    ETCをフル活用して仙台塩釜の先にある松島へと向かいました。


地元の人に展望所はないかと聞き、お聞きした双観山展望台を地図で確認してから、松島全体が見渡せるところへ行きました。その後松島町にも入って、松島湾の先端の仙随付近にも行き翁島も見ました。

  まだこの頃はDP1x導入直前で、
  携帯カメラの撮影のため画質が良くなかったのが悔やまれます。

        (松島の桂島 : 2011.6.11 双観山展望台より筆者撮影)


        (松島の翁島 : 2011.6.11 松島町仙随付近より筆者撮影)



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 その後日没となり二日目の旅行は終了です。第三日目のその①へと続きます。
Posted at 2011/06/27 18:59:30 | コメント(1) | トラックバック(0) | 神社仏閣 参詣 | 旅行/地域
2011年06月10日 イイね!

➋北関東・東北ドライブ1日目 その②  榛名神社と榛名山を訪ねる

➋北関東・東北ドライブ1日目 その②  榛名神社と榛名山を訪ねるとにかく山奥にあり霧深く神秘的だった
   三峯神社(みつみね)の参拝の後、

近くの大滝温泉で温泉に入って温まり、
  次に榛名山も見たくてそちらへ移動、
  榛名湖や榛名神社(はるな)へと立ち寄りました。
    

 ちなみにここのタイトル写真の榛名湖と榛名山は、
 後日2012.8.22に撮影したものを使用しました。


 この2011年 6月の旅行時はまだシグマのコンデジのDP1x導入前で、自分のガラパゴス携帯の松下P-01Aの付属カメラでの撮影でした。そのため適切な露出がとれず完全に露出オーバーな写真ぱかりだったので、後日2012.8.22の日に再度訪れた際に撮影した写真に一部を差し替えました。


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 駐車場に車を置いて、参道を上るとまず「榛名神社」と彫られた石板と鳥居がございます。
 ここの写真は訪問当時のものを、あえて差し替えずにそのまま使用しています。

             (榛名神社鳥居 : 2011.6.10 筆者撮影)


       
                   (榛名神社ご由緒板 : 2012.8.22 筆者撮影)


 ここからご本殿までは登りばかりの参道を550mほど行くのですが、このときに訪れた時の参道写真は1枚も撮影していなかったのでここでも省略します。再度ここへ訪れた際のブログには詳細に載せるつもりです。




   そして長い参道を歩き本殿に到着しますと、
   他の神社では全く見られない岩の中に本殿が食い込んでいるという、
        なんとも摩訶不思議な光景を目にします。
 

   もちろんなにがしかの深い意味があるのでしょう。

           (榛名神社本殿 正面より : 2012.8.22 筆者撮影)


       



 (岩の中へ本殿が食い込んでいる榛名神社本殿 横から : 2012.8.22 筆者撮影)



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 そして「榛名」といえば太平洋戦争の時に「戦艦榛名」というのがいて、
 ここ榛名神社のご神体を戴いていました。


       (旧日本海軍の戦艦榛名 1935年ごろの撮影 : ウィキペディア)



 ところが他の戦艦が米軍にどんどん撃沈されていくなかで、この戦艦榛名だけはなぜか不思議とやられなかったのです。でも広島県の呉海軍工廠に修理停泊中、榛名神社のご神体を戦艦から降ろした直後に米軍に空爆でやられたことで有名な戦艦ですね。

 でも聞くところによりますと戦艦榛名の艦長さん、修理停泊中の空爆撃沈だったため乗組員の犠牲がなかったとのことで、戦後に榛名神社へお礼参りしたとか (関連情報URL)。
 

    (呉で1945年7月28日米軍の攻撃を受けている戦艦榛名 : ウィキペディア)


        (大破着底した榛名 :1945年 10月 8日撮影 ウィキペディア)



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 その後、榛名湖へ移動してそこで撮った写真がこれです。
 残念ながら日程の都合上、ここでゆっくりとボートに乗ったり山の上へ行くことはかなわず、
     ちょっとだけ散策してここを後にしました。
 

            (榛名湖と榛名山 : 2011.6.10 筆者撮影)



 そして初日の予定終了後、どう東北道へ入ろうかと土地勘の全くない当方が考えましたが、やはり伊香保(いかほ)経由で関越道の渋川インターへ出て、関越道から北関東自動車道へ出て、未開通部分は下道を走ればいいかと思いましたが、カロの楽ナビで調べると北関東道がいつのまにか全通しているのではありませんか。

 ひよこ.com さんに教えてもらって後で知りましたが、北関東道ですが全通してまだ何ヶ月かしか経っていなかったようですね。 


 この旅行時に持参していた2009年度版の群馬県の地図は、太田桐生までしか関東道が開通しておらずここで途切れていましたが、いつのまにか東北道へとつながっていました。

 結局、そのルートで東北道に入って初日のドライブは終了です。

Posted at 2011/06/27 15:25:26 | コメント(2) | トラックバック(0) | 神社仏閣 参詣 | 旅行/地域
2011年06月09日 イイね!

➊北関東・東北ドライブ1日目 その①  三峯神社を訪ねる

➊北関東・東北ドライブ1日目 その①  三峯神社を訪ねる
 東日本大震災のため仕方ないことだけれども、

 とうとうETC上限1000円制度も終了とのことで、今まで全く行った事がなく、かねがね行きたいと思っておりました北関東地区と、東北の磐梯・米沢・月山・松島などを3日間でドライブに行ってきました。
 
 


 それとここのブログの日付が2011.6.9となっていますが、
 元々は次項の榛名山の訪問ブログと同一にしていたのを、後日2012.8.23に再び三峯神社(みつみね)を訪ねたときに撮影した写真を、それぞれのブログに追加掲載するため前後2分割にしましたので、ブログの文面と設定の日付が合わず変になっています。
 



 2011(H23).6.10は金曜日の平日なのでETCの深夜5割引をフル活用すべく、前日の夜中前に早々と自宅を出発です。休息しながら中央道の名古屋の先の中津川インターまで高速利用、降りたところでセルフスタンドを見つけ早速給油です。

 正確を期すためいつもの通りコンテの給油口ギリギリまで給油したところ、燃費記録のところで記載した372.2kmに対し18.29L入り、20.35km/Lという今までの燃費の最高記録が出ました。

 まだこの時期ですのでエアコンを使うこともなしに、高速道路をまったりと走ったので20km台が出ましたが、20km台は2回目でもう一回も広島・呉の大和ミュージアムにいった帰りに、混んでいたため上り山陽道をマッタリと帰宅したときに出ました。こちらは昨年の8月でエアコンはガンガン使用していたときでした。

 中津川から北部は郡部だからスムーズに走れると踏んで高速を降り、平日なので高速代を節約したつもりでしたが、結局国道19号線は大型車多くJR中央西線と同様の山岳路線なのでスムーズに走れず、塩尻に出るのに2時間もかかってしまいました。


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 そこから甲府市に出てから、ひたすら雁坂みち(かりさかみち)の愛称がつけられた国道140号を登っていきます。かなり急な坂がえんえんと続きます。猿の飛びだし注意!看板もありますね。野生のサルでも出てくるのでしょうか。


    なお、ここでの道中写真ですが、
      これまでの旅行ブログと比べ非常に鮮明な写真になっています。
    これは後日の2012.8.23 にここを再度通ったときに、
      シグマ コンデジのDP1x にて撮影し、ここに追記したことによります。





          (国道140号線 雁坂みち : 2012.8.23 筆者撮影)



さらにさらに山梨・埼玉県境へ向かって登っていくと、ようやく雁坂トンネルの料金所へ到着です。

        (雁坂トンネル有料道路料金所 : 2012.8.23 筆者撮影)







        (国道140号線 雁坂トンネル : 2012.8.23 筆者撮影)



 一般道では日本一らしい長さを誇るらしい全長6625mもある雁坂トンネルを通って秩父方面へトンネルを抜けると、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」 ならぬ「山奥であった」、ともいえる埼玉県の山奥深い秩父山系です。そしてしばらく走るうちに滝沢ダムへと到着。




       (滝沢ダムとループ橋の彩甲斐街道 : 2012.8.23 筆者撮影)



 国道140号線をさらに東へ向かっていきますと大滝まで出て、三峯神社へ行くにはここの交差点をまっすぐ走って旧道の秩父往還ほうへ入ります(↓写真)。ちなみにここを左折しますと秩父市街へと出ます。



     (国道140号線の秩父市大滝にある三差路 : 2012.8.23 筆者撮影)


大滝の三差路より秩父往還に入りますが、
三峯神社まではここからさらに14kmもあるようで、ますます山奥深く入っていきます。

        (国道140号線 秩父往還走行中 : 2012.8.23 筆者撮影)



そして旧道をしばらく走ると↓写真のような、車が1台通れるぐらいのトンネルが出現!
後日調べましたところ駒ヶ滝トンネルというそうです。






     (二瀬ダム入口の直前にある駒ヶ滝トンネル : 2012.8.23 筆者撮影)
 
 赤信号の時には残り時間を示す丸の表示器が信号の横に取り付けられていますが、とにかく三方向から同時に車が進入しないようにトンネル信号が設けられているので、いちど赤になりますと待ち時間がむちゃくちゃ長いです。



  そしてようやく信号が青になったからと狭いトンネルへ入って行きますと、
  なんとトンネル内で分岐があって道路看板の通り三峯方面は左折です。

           (駒ヶ滝トンネル内の分岐 : 2012.8.23 筆者撮影)

 感度を上げ損ねたのもありますが、暗部の撮影のためきれいには撮れなかったけれど、強力にノイズ除去処理をしたうえで掲載です。
 狭いトンネル内の分岐の様子はなんとなく分かると思います。またトンネル内の交差点の角度の関係から、秩父側からしか!三峯方面へは行けないようですよ。

 

そして超せま~いトンネルを出ると二瀬ダムになり、このダムの上を県道が走っていますね。

    (二瀬ダムの上を走る埼玉県道278号線 : 2009.11.13撮影 ウィキより)



      (山奥深い三峯へ行く埼玉県道278号線 : 2012.8.23 筆者撮影)



それからひたすら埼玉県道278号線を登っていきますと、
大きな駐車場に着いたところでやっと到着です。兵庫県からでは非常に長かったドライブでした。

           (秩父市営の三峰駐車場 : 2012.8.23 筆者撮影)



そしてタイトル写真に写っている秩父の山奥深くにある三峯神社へと早速参拝です。

         (三峯神社の入口にある三ツ鳥居 : 2011.6.10 筆者撮影)


  ここの狛犬は狛犬ならぬオオカミなので、狛オオカミと言ったほうがよいのでしょうか。
  三峯神社のご眷属(けんぞく)のお犬様ですね。



そしてダムを渡った時点では霧など全くなかったのに、
  終点の三峯の駐車場へたどり着いた頃には
  周りの山々が全く見えないほど急激に濃い霧に覆われまして、ひたすらビックリしました。

          (三峯神社本殿 正面より : 2007.10.6撮影 ウィキより)


 私がここへ訪ねる直前から、いちばん上のタイトル写真でも少し白っぽくなっているけれど、とにかく急に霧がもくもくと湧き出て、そのあまりのすごさにもうおかしくて、おかしくて面白くて、つい笑ってしまいました。
 そして長い参道を歩いて三峯神社の本殿に着いたころには、すっかり深い霧に覆われてしまったので携帯からの写真だし、あえて撮影せずに後日、本殿の写真はウィキペディアから借りています。


   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 しばしひと気のなかった神秘的な三峯神社に滞在した後、名残惜しみながらもと来た道を走って例の駒ヶ滝トンネルの信号で停止です。もちろんダムの通行部分も1車線幅しかないので、これの通行待ちも含めて長い~信号待ちです。


            (三峯側のトンネル信号 : 2012.8.23 筆者撮影)


 それから秩父市街へと出るべく大滝三差路まで戻って今度は右折、国道140号線 愛称が「彩甲斐街道(さいかいかいどう)」を少し走りますと、これが(↓写真)目に入りさっそく道の駅の大滝温泉へと向かいました。






 そしていくら支払ったのかすっかり忘れたけど、温泉に入って温まってからここを後にしました。


  (道の駅に併設されている大滝温泉 : 写真は後日の 2012.8.23撮影のもの)


                                    その➋へつづく

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


  なお、ここと次の榛名山のブログですが、
     道中の掲載写真のほとんどすべてが後日の2012.8.22日と23日に
     再度訪問した時のものを使用しました。

 2011年の6月に北関東および東北へ旅行した時には、私はまだみんカラをやっていなかったので、これらの旅行記をブログにするなどつゆにも思っておらず、道中写真は一切撮影していなかったのでこのたび道中写真を大量に追加しました。


   三峯神社と榛名神社の参道や境内の様子は、
   後日アップした 「2012年 夏の旅行/その⑨⑪」 編で詳しく掲載しました。
Posted at 2012/08/28 21:33:38 | コメント(1) | トラックバック(0) | 神社仏閣 参詣 | 旅行/地域

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CVTは3~4万kmでのフルード交換ぐらいしかメンテはしてませんでしたが、左端の円形のマグネットにヘドロがこびりついている以外はきれいでした。

当然、新品のストレーナ・マグネット・ガスケットへと交換。」
何シテル?   10/26 21:55
カクシカおじさんです。 ニックネームの由来は、我が愛馬コンテカスタムRSの別称、ダイハツの『カクカクシカジカ』と現在の年齢がおじさんになっているところから...
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