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こまんぴゅーのブログ一覧

2025年11月02日 イイね!

三連休初日はダイハードでした

三連休初日はダイハードでした秋の三連休に突入しました。
三連休突入の前日は仲間と嵐の中で飲み会。

8月から決めていたので荒天でも決行。
こんな天気なので満席だった焼き鳥屋も、早々にタクシーで帰る客が多く、最後まで残っていたのは自分たちだけ。
まぁ、飲み出したら止まらないのが自分たち。
大雨の中、千鳥足で帰宅しました。

で、三連休の初日は二日酔いの頭で、早朝から電車に乗って息子と流山へ。
早く用事を済ませて、午後早い時間に帰宅するつもりでしたが・・・

早朝から稲毛駅での人身事故のおかげで、駅到着から電車の運行時刻が不透明に。
とりあえず影響は千葉駅からの総武快速(内房、外房乗り入れ)なので、予定していた京葉線経由の快速は八幡宿で停車。
発車予定時刻を40分超えても運行時間は未定。





ホームではスマホで連絡する人が増加し、電車を降りて駅から出ていく人も。
房総から鉄道で東京へのアクセスが遮断されたので、連休初日に飛行機や新幹線で移動する人は、きっとパニックだったでしょうね。
でも、今更高速バスへの乗り換えも予約が無理でしょうし、タクシーで京成電鉄の千葉中央駅に行くにも距離がありますが、それが一番ベストだったと思います。

結局58分遅れで出発。
蘇我駅から快速運行を普通に切り替えて無事に流山に予定より2時間遅れで到着しました。



息子は流山の模型屋に鉄道模型の改造依頼に。
私は我孫子駅に用事があったので、息子の用事を済ませてから我孫子へ向かいました。



私の用事は千葉県で唯一のホームにある「駅そば」の「やよい軒」に行くこと。
ここの「駅そば」はあの放浪の画家、山下清氏が働いていたこともある「駅そば」なんです。





頼むのはいつも同じ「かき揚げそば」。
「やよい軒」では「天ぷらそば」です。



いゃあ、ボリュームのある天ぷらが入って410円は安い!。



それとソバが中太でストレートなんだけど、これがまた美味しい!。
今は閉店してしまった立川駅にあった「長田本庄軒」の朝ソバにちょっと似ている感じ。これは好きな駅そばなのでまた食べに来ることになるでしょう。



美味しかった。

そんなこんなでしたが、帰りも千葉の鉄道は混乱を極め、帰りの内房線も25分遅れの上総湊行きに乗ったら、伝説の佐貫行きに途中から変更。



こんな経験も2013年の大雪の時以来久しぶりです。
ちょうど通勤時間帯でもあったことから、鉄道会社や航空会社の社員も影響を受け、大変な状態だったようです。

JR総武快速線の東京〜千葉間が約2時間運転見合わせ、中央・総武線各停にも遅延が発生、同時間内に京葉線でホームから人が転落、外房線では倒木やホーム転落も重なり、混雑が激化、三連休初日だったため、通勤・観光客への影響が大きかったようです。

皆さんも、お出かけには余裕をもって行動しましょう。
Posted at 2025/11/02 09:44:04 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記 | 日記
2025年10月31日 イイね!

レーサーレプリカ時代に咲いた2ストの美学

レーサーレプリカ時代に咲いた2ストの美学レーサーレプリカ時代に咲いた2ストの美学

1980年に登場したヤマハRZは「2ストロークの集大成」として、スポーツバイクの歴史を変える立役者でした。
RZシリーズは、1970年代後半の排ガス規制強化により2ストロークエンジンが逆風に晒される中、「最後に最高の2ストスポーツを作ろう」という技術者たちの熱意から生まれたバイクです。
ヨーロッパでは純粋な2ストスポーツを求める声が根強く、ヤマハは欧州向けに開発を決断して、誇りをかけて「集大成モデルを作る」という強い意志が共有されていました。



エンジンは市販レーサーTZ250/350譲りの水冷2ストローク並列2気筒。
RZ250は35ps、RZ350は45psを誇る当時最強のエンジン。
RD400比でエンジン12%、フレーム20%の軽量化を達成。樹脂素材を多用し、車体全体で軽快さを追求しています。
ロードスポーツ初のモノクロス(リアサス)を採用。
GKインダストリアルデザイン研究所による流麗なスタイリング。
1979年東京モーターショーでプロトタイプが公開され、ブースはファンで溢れかえりました。
1980年8月にRZ250が発売されると、予約が殺到して納車まで数ヶ月待ちの状況に。
翌年1981年にはRZ350が登場しシリーズとして大ヒット。
累計販売台数は10万台以上に達しています。



そんなヤマハRZシリーズは1980年代初頭、2ストロークスポーツバイクの革新をもたらし、バイク業界に「走り屋文化」や軽量高性能路線の流れを生み出し、その後のレーサーレプリカブームの発端となります。
また、みごとに2ストロークスポーツの復権をさせてしまいました。
水冷2スト並列2気筒エンジンと軽量な車体で、当時の750ccクラスに匹敵する加速性能を実現したRZ350は「ナナハンキラー」、RZ250は「ヨンヒャクキラー」と呼ばれました。
特にRZ250は価格が安く、性能は大型バイク並み。若者層を中心に爆発的な人気を集め、峠道での「走り屋文化」の火付け役となり、スポーツバイクの新たな潮流を生みました。
その後、順調にRZ-Rへのマイナーチェンジを果たすのですが、1980年代はバイク業界の技術革新が急速に進み、1年で型落ちとされるほどのスピード感でした。
RZ-Rの主なライバルは、1980年代前半に登場したホンダMVX250F/NS250R、スズキRG250Γ、カワサキKR250などの2ストロークスポーツモデルです。これらはレーサーレプリカ路線を強く打ち出し、RZ-Rとは異なる方向性で人気を集めます。



また、、ホンダCBX、カワサキZ400FX、スズキGSX-Rなどの4ストローク4気筒モデルが人気を集めており、2ストロークのRZ-Rは「古臭い」「時代遅れ」と見なされることもありました。RZ-Rは1983年に登場しましたが、1985年にはフルカウル&アルミフレームのTZR250が登場し、注目が一気にそちらに移ってしまいました。
RZ-Rが不人気とされた主な理由は、「時代の流れに乗り切れなかったこと」と「TZR250の登場による影響」です。性能面では優れていたにもかかわらず、注目されにくい立ち位置に置かれてしまいました。性能は決して悪くなかったのですが、初代RZのようなネイキッドスタイルでもなく、レーサーレプリカでもないRZ-Rは、見た目のインパクトに欠けたことが不人気へと繋がりました。
レーサー直系の技術を持ちながらも、街乗りやツーリングにも適した設計。フルカウル化やアルミフレーム化はされず、あくまで「ピュアスポーツ」としての立ち位置を守りましたRZ-Rは不運なRZだったとも言えます。

RZ-Rに続き2ストの王として君臨したのがRZV500Rです。
ホンダNS400R、スズキRG500Γと並び、GP500レプリカ三強の一角として登場しました。
ヤマハは唯一500ccにこだわり、400cc版を出さなかったことが「矜持」として語り継がれています。



500ccの2ストV4は、低速では穏やかでも、YPVSが開く高回転域では一気にパワーが炸裂して、戦闘機のスクランブル発進のようなGの加速をします。。
見た目のコンパクトさ通りでコーナリングは軽快そのもの。軽量な車体と高剛性フレームで切り返しは鋭いものの、パワーバンドが狭く、ピーキーなエンジンの扱いには慣れが必要でした。
チャンバーから放たれる乾いた排気音と、2ストオイルの香りが、乗る者をレーサー気分にさせるのがRZV500R。
RZV500Rに乗ることは「バイク乗りのステータス」でもあった時代でした。



RZの登場がなければ、きっとバイクブームは違う形で起きていたかも知れません。
2ストが早々に消えていたら、4ストレプリカがブーム中心になっていたのかな。
何にせよヤマハのRZが登場した意味はとても大きかったということです。



こういう動画観ていると若かったあの頃を思い出します。
今考えると無謀というか恐怖心がなかったんだなって。
Posted at 2025/10/31 07:08:50 | コメント(6) | トラックバック(0) | オートバイ | 趣味
2025年10月30日 イイね!

マイホーム事情

マイホーム事情賃貸が良いのか、持ち家が良いのかは、独身か既婚者、家族構成、ライフスタイルによって善し悪しがあります。
我が家は猫を飼っているので、ペット可の賃貸だと3LDK以上必要なので、持ち家の方がメリットがあります。

そんなマイホームですが、15年もすると毎年のようにお金が出ています。
たぶん10年~15年は機器更新があるためですが、賃貸に関しては貸主が負担するので、こういう出費は抑えられます。

で、今回はそろそろ寿命を迎えつつある浴室換気扇。
一時はモーター音が煩くなったりしたのですが、掃除したりグリスアップして気にならなくなったものの、そろそろ寿命を迎えつつあります。
ちょうどメーカーの保守部品もなくなり、修理サポートも切れることもあって、同メーカーの次期新製品を10年保証付きで予約購入しました。

同じメーカーの継続使用の場合、工事費込みでかなりお得になります。
ホームセンターやハウスメーカーより安かったので決めました。
しかし、いろいろと手がかかることが多いのも事実。
マイホームは自己責任ですから、寿命や故障になると急な出費になりますから大変と言えば大変。

でも賃貸では小さな庭と4LDK、そして2台分の駐車場を借りるには、今払っているの住宅ローンの金額では到底無理な話。
そう考えると仕方がない気もしますね。

昨夜、嫁との会話の中で、これからの人生はお互いに、「それぞれの人生を楽しんで行こう」と、好きな趣味や楽しいことを堪能して、悔いのない人生にすることを話しました。
旅好きな私は旅を満喫。
嫁はゲームと海外ドラマを観ることで合意。
貧乏だけど、お互いに少ない稼ぎの中で、好きなことをやって楽しむことにしました。

来年は車中泊と鉄道をミックスした旅もやれそうです。
岩手の三陸鉄道に乗りたいと思っているのですが、嫁の許可は出ているので、あとは軍資金の捻出だけ。
でも来年はN-BOXの車検が年明け早々で、フリードは5月・・・同じ年に車検なので辛い年なんですね。
Posted at 2025/10/30 21:36:36 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記 | 日記
2025年10月29日 イイね!

バイク夜話 昔に憧れたバイク達

バイク夜話 昔に憧れたバイク達寒さが本格的になり本格的に防寒しないと寒く感じるようになりました。
いよいよ通勤は冬シーズンに突入する気配。
今年も懐が寒いし、ヘルメットを新調したのでウエアは諦めます。

連投しているバイク夜話。
今週ラストは欲しかったけれど、買うことも乗ることもなかった憧れたバイクの話です。
16歳になり原付免許を取った時、最初に乗りたいと思ったのはこのバイク。
ホンダのMB-5でした。
1980年にされた原付でしたが、本格的なロードスポーツスタイルと原付に見えない大柄なサイズ。2ストで当時7PSの馬力は、メーター読みで90kmを超える原付最速とまで言われていました。

それまでの原付はスズキRG50(6.3PS)と、ヤマハのRD50SP(6.3PS)だったので、MB-5の7PSは圧倒的。コムスターホイールと、フレームはX型バックボーンフレーム(1本のフレームにエンジンを吊り下げている)のデザインは、今までとは全く斬新なイメージを持っていました。



小学校の同級生が通学用に買ったのを自慢していましたが、原付とはいえ高校生でおいそれとは買える代物ではありません。
そのうちにスズキのRG50E(7.2PS)が登場すると、カワサキのAR50(7.2PS)、ヤマハRZ50(7.2PS)が発売されMB-5は独特のデザインも相俟って、一気に人気に陰りをみせ後継のMBX50にバトンタッチします。
3ナイ運動が関係なかった高専は、MB-5に乗る高校生が多く見かけました。
低いハンドル位置に対してステップが前過ぎて、少し窮屈な姿勢になるので、長距離はしんどかったようです。



次はRZ250に勝つにはこのバイクしかないと言われたスズキRG250Eです。
当時のGPレーサーRGB500の技術を反映したモデルで、30PS / 8000rpmに、最大トルクは2.9kgfm / 7000rpm
ちなみにヤマハ RZ250の最大トルクは 2.4kgfm/ 8,000rpm
RG250EはRZ250より低い回転数(7,000rpm)で最大トルクを発生するから、扱いやすく加速しやすいうえに、トルクが強いのでダッシュで勝ちます。
峠では高回転域の伸びよりも、トルクと扱いやすさを重視すれば腕さえ鍛えればRZ250に負けない戦闘力を持っていました。
これは当時の250の中でもバランスもよく高性能なマシンで、プロダクションレースでもRG250Eは大活躍していました。
レプリカ全盛期前のモデルなのに、つくばサーキットではレプリカ勢より速かったこともあります。
ブレーキ性能がやはり古いシステムなので不安があったのと、簡単にフロントが浮く加速をすることもRG250Eらしさでした。



それでもピーキーさがそれほど強くないので、乗り手を選ばずに走れる2ストとして隠れた人気のモデルでもありました。
私も白のRG250Eが欲しかったのですが、新車価格で在庫処分のKH400の方が安かったのでKH400を買ってしまいました。

でもRG250Eを買っていたら、その後のRG250γを買わなかったかも知れません。
それはレプリカに対抗できるRG250Eだけに、腕を磨いてRG250γに負けない走りをしていたと思います。KH400の重さとエンジン回転の頭打ちに、RG250γへの欲望は起きなかったはずですから。

そう考えると1980年代はバイクは選び放題。
選んだバイクによって人生が変わっていたかも知れないというのも、面白いかも知れないな。
※画像はAIで作成しています
Posted at 2025/10/29 21:21:07 | コメント(2) | トラックバック(0) | オートバイ | 趣味
2025年10月28日 イイね!

バイク夜話 頑固なホンダがマジメに造ったHAWKⅢ

バイク夜話 頑固なホンダがマジメに造ったHAWKⅢすっかりと秋の気配が近づいた感じです。
残暑が長すぎたのかイキナリの気温変化に、バイクウェアの衣替えもバタバタです。
それでも暑すぎた夏のおかげで、これぐらいの気温がとても気持ち良い気がします。

さて、今回はホンダがまだ4気筒よりも2気筒に情熱を注いでいた頃の話です。
1980年代ホンダはCB400T、CB400Nを発売しました。
愛称はHAWKでCB400TはHAWKⅡ、CB400NはHAWKⅢ。
どちらも教習所の中型免許教習車両として馴染の深いバイクでした。



1975年の免許制度改正により、400cc以下の中型限定免許が新設されたことで、ホンダは408ccのCB400FOURに代わる新たな中型バイクとしてHAWKⅡを開発します。
ホンダは高回転型の2気筒で軽快なハンドリングと乗りやすさの両立を押し出しました。

私も半年ほどHAWKⅢに乗ったのですが、低速からトルクフルで確かに乗りやすいと感じました。実はCB250Nを友人が乗っていて、乗り比べしたこともありますが400の車体に250のPOWERでは軽快さがスポイルされた感じでした。
たぶんより高回転に回さないと走れないジレンマですね。
当時の250の多くは専用設計ではなく、400の車体と共通だったので維持費を選ぶか、性能を選ぶかの二択。
どちらかといえば維持費の掛からない250の方が売れていましたね。



振動も少なく加速もすこぶる良かったのですが、世の中はすでに4ストは4気筒の時代。
加速は負けるけれど高回転まで回り、気持ちの良いサウンドを響かせるカワサキのZ400FXには人気は遠く及ばず。
CB750Fのスタイルも2気筒だっただけに、それほど効果はなかったようです。
ホントに扱いやすいバイクだったのに時代が悪かった。
ヨーロピアンスタイルも世のFX人気には勝てませんでした。



鼬の最後っ屁ではありませんが、SUPER HAWKⅢとして豪華バージョンを登場させて、ホンダのツインの歴史は終わり、4気筒のCBX400Fに引き継がれます。
性能も扱いやすく悪くはないバイクだったのに、レプリカブームの突入と共に消え去る運命だったHAWKⅢ。

嫁さんも教習車はHAWKⅢだったとか。
CB1000Fのように、こっちもCB400Nとしてリバイバルは・・・ないだろうな。
Posted at 2025/10/28 21:31:43 | コメント(4) | トラックバック(0) | オートバイ | 趣味

プロフィール

「長野で昼呑み」
何シテル?   09/01 13:17
中年オヤジのポンコツ自動車生活。好きなクルマに乗るがモットー。気軽に「あしあと」残してください<(_ _)>。
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