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こまんぴゅーのブログ一覧

2025年10月31日 イイね!

レーサーレプリカ時代に咲いた2ストの美学

レーサーレプリカ時代に咲いた2ストの美学レーサーレプリカ時代に咲いた2ストの美学

1980年に登場したヤマハRZは「2ストロークの集大成」として、スポーツバイクの歴史を変える立役者でした。
RZシリーズは、1970年代後半の排ガス規制強化により2ストロークエンジンが逆風に晒される中、「最後に最高の2ストスポーツを作ろう」という技術者たちの熱意から生まれたバイクです。
ヨーロッパでは純粋な2ストスポーツを求める声が根強く、ヤマハは欧州向けに開発を決断して、誇りをかけて「集大成モデルを作る」という強い意志が共有されていました。



エンジンは市販レーサーTZ250/350譲りの水冷2ストローク並列2気筒。
RZ250は35ps、RZ350は45psを誇る当時最強のエンジン。
RD400比でエンジン12%、フレーム20%の軽量化を達成。樹脂素材を多用し、車体全体で軽快さを追求しています。
ロードスポーツ初のモノクロス(リアサス)を採用。
GKインダストリアルデザイン研究所による流麗なスタイリング。
1979年東京モーターショーでプロトタイプが公開され、ブースはファンで溢れかえりました。
1980年8月にRZ250が発売されると、予約が殺到して納車まで数ヶ月待ちの状況に。
翌年1981年にはRZ350が登場しシリーズとして大ヒット。
累計販売台数は10万台以上に達しています。



そんなヤマハRZシリーズは1980年代初頭、2ストロークスポーツバイクの革新をもたらし、バイク業界に「走り屋文化」や軽量高性能路線の流れを生み出し、その後のレーサーレプリカブームの発端となります。
また、みごとに2ストロークスポーツの復権をさせてしまいました。
水冷2スト並列2気筒エンジンと軽量な車体で、当時の750ccクラスに匹敵する加速性能を実現したRZ350は「ナナハンキラー」、RZ250は「ヨンヒャクキラー」と呼ばれました。
特にRZ250は価格が安く、性能は大型バイク並み。若者層を中心に爆発的な人気を集め、峠道での「走り屋文化」の火付け役となり、スポーツバイクの新たな潮流を生みました。
その後、順調にRZ-Rへのマイナーチェンジを果たすのですが、1980年代はバイク業界の技術革新が急速に進み、1年で型落ちとされるほどのスピード感でした。
RZ-Rの主なライバルは、1980年代前半に登場したホンダMVX250F/NS250R、スズキRG250Γ、カワサキKR250などの2ストロークスポーツモデルです。これらはレーサーレプリカ路線を強く打ち出し、RZ-Rとは異なる方向性で人気を集めます。



また、、ホンダCBX、カワサキZ400FX、スズキGSX-Rなどの4ストローク4気筒モデルが人気を集めており、2ストロークのRZ-Rは「古臭い」「時代遅れ」と見なされることもありました。RZ-Rは1983年に登場しましたが、1985年にはフルカウル&アルミフレームのTZR250が登場し、注目が一気にそちらに移ってしまいました。
RZ-Rが不人気とされた主な理由は、「時代の流れに乗り切れなかったこと」と「TZR250の登場による影響」です。性能面では優れていたにもかかわらず、注目されにくい立ち位置に置かれてしまいました。性能は決して悪くなかったのですが、初代RZのようなネイキッドスタイルでもなく、レーサーレプリカでもないRZ-Rは、見た目のインパクトに欠けたことが不人気へと繋がりました。
レーサー直系の技術を持ちながらも、街乗りやツーリングにも適した設計。フルカウル化やアルミフレーム化はされず、あくまで「ピュアスポーツ」としての立ち位置を守りましたRZ-Rは不運なRZだったとも言えます。

RZ-Rに続き2ストの王として君臨したのがRZV500Rです。
ホンダNS400R、スズキRG500Γと並び、GP500レプリカ三強の一角として登場しました。
ヤマハは唯一500ccにこだわり、400cc版を出さなかったことが「矜持」として語り継がれています。



500ccの2ストV4は、低速では穏やかでも、YPVSが開く高回転域では一気にパワーが炸裂して、戦闘機のスクランブル発進のようなGの加速をします。。
見た目のコンパクトさ通りでコーナリングは軽快そのもの。軽量な車体と高剛性フレームで切り返しは鋭いものの、パワーバンドが狭く、ピーキーなエンジンの扱いには慣れが必要でした。
チャンバーから放たれる乾いた排気音と、2ストオイルの香りが、乗る者をレーサー気分にさせるのがRZV500R。
RZV500Rに乗ることは「バイク乗りのステータス」でもあった時代でした。



RZの登場がなければ、きっとバイクブームは違う形で起きていたかも知れません。
2ストが早々に消えていたら、4ストレプリカがブーム中心になっていたのかな。
何にせよヤマハのRZが登場した意味はとても大きかったということです。



こういう動画観ていると若かったあの頃を思い出します。
今考えると無謀というか恐怖心がなかったんだなって。
Posted at 2025/10/31 07:08:50 | コメント(6) | トラックバック(0) | オートバイ | 趣味
2025年10月29日 イイね!

バイク夜話 昔に憧れたバイク達

バイク夜話 昔に憧れたバイク達寒さが本格的になり本格的に防寒しないと寒く感じるようになりました。
いよいよ通勤は冬シーズンに突入する気配。
今年も懐が寒いし、ヘルメットを新調したのでウエアは諦めます。

連投しているバイク夜話。
今週ラストは欲しかったけれど、買うことも乗ることもなかった憧れたバイクの話です。
16歳になり原付免許を取った時、最初に乗りたいと思ったのはこのバイク。
ホンダのMB-5でした。
1980年にされた原付でしたが、本格的なロードスポーツスタイルと原付に見えない大柄なサイズ。2ストで当時7PSの馬力は、メーター読みで90kmを超える原付最速とまで言われていました。

それまでの原付はスズキRG50(6.3PS)と、ヤマハのRD50SP(6.3PS)だったので、MB-5の7PSは圧倒的。コムスターホイールと、フレームはX型バックボーンフレーム(1本のフレームにエンジンを吊り下げている)のデザインは、今までとは全く斬新なイメージを持っていました。



小学校の同級生が通学用に買ったのを自慢していましたが、原付とはいえ高校生でおいそれとは買える代物ではありません。
そのうちにスズキのRG50E(7.2PS)が登場すると、カワサキのAR50(7.2PS)、ヤマハRZ50(7.2PS)が発売されMB-5は独特のデザインも相俟って、一気に人気に陰りをみせ後継のMBX50にバトンタッチします。
3ナイ運動が関係なかった高専は、MB-5に乗る高校生が多く見かけました。
低いハンドル位置に対してステップが前過ぎて、少し窮屈な姿勢になるので、長距離はしんどかったようです。



次はRZ250に勝つにはこのバイクしかないと言われたスズキRG250Eです。
当時のGPレーサーRGB500の技術を反映したモデルで、30PS / 8000rpmに、最大トルクは2.9kgfm / 7000rpm
ちなみにヤマハ RZ250の最大トルクは 2.4kgfm/ 8,000rpm
RG250EはRZ250より低い回転数(7,000rpm)で最大トルクを発生するから、扱いやすく加速しやすいうえに、トルクが強いのでダッシュで勝ちます。
峠では高回転域の伸びよりも、トルクと扱いやすさを重視すれば腕さえ鍛えればRZ250に負けない戦闘力を持っていました。
これは当時の250の中でもバランスもよく高性能なマシンで、プロダクションレースでもRG250Eは大活躍していました。
レプリカ全盛期前のモデルなのに、つくばサーキットではレプリカ勢より速かったこともあります。
ブレーキ性能がやはり古いシステムなので不安があったのと、簡単にフロントが浮く加速をすることもRG250Eらしさでした。



それでもピーキーさがそれほど強くないので、乗り手を選ばずに走れる2ストとして隠れた人気のモデルでもありました。
私も白のRG250Eが欲しかったのですが、新車価格で在庫処分のKH400の方が安かったのでKH400を買ってしまいました。

でもRG250Eを買っていたら、その後のRG250γを買わなかったかも知れません。
それはレプリカに対抗できるRG250Eだけに、腕を磨いてRG250γに負けない走りをしていたと思います。KH400の重さとエンジン回転の頭打ちに、RG250γへの欲望は起きなかったはずですから。

そう考えると1980年代はバイクは選び放題。
選んだバイクによって人生が変わっていたかも知れないというのも、面白いかも知れないな。
※画像はAIで作成しています
Posted at 2025/10/29 21:21:07 | コメント(2) | トラックバック(0) | オートバイ | 趣味
2025年10月28日 イイね!

バイク夜話 頑固なホンダがマジメに造ったHAWKⅢ

バイク夜話 頑固なホンダがマジメに造ったHAWKⅢすっかりと秋の気配が近づいた感じです。
残暑が長すぎたのかイキナリの気温変化に、バイクウェアの衣替えもバタバタです。
それでも暑すぎた夏のおかげで、これぐらいの気温がとても気持ち良い気がします。

さて、今回はホンダがまだ4気筒よりも2気筒に情熱を注いでいた頃の話です。
1980年代ホンダはCB400T、CB400Nを発売しました。
愛称はHAWKでCB400TはHAWKⅡ、CB400NはHAWKⅢ。
どちらも教習所の中型免許教習車両として馴染の深いバイクでした。



1975年の免許制度改正により、400cc以下の中型限定免許が新設されたことで、ホンダは408ccのCB400FOURに代わる新たな中型バイクとしてHAWKⅡを開発します。
ホンダは高回転型の2気筒で軽快なハンドリングと乗りやすさの両立を押し出しました。

私も半年ほどHAWKⅢに乗ったのですが、低速からトルクフルで確かに乗りやすいと感じました。実はCB250Nを友人が乗っていて、乗り比べしたこともありますが400の車体に250のPOWERでは軽快さがスポイルされた感じでした。
たぶんより高回転に回さないと走れないジレンマですね。
当時の250の多くは専用設計ではなく、400の車体と共通だったので維持費を選ぶか、性能を選ぶかの二択。
どちらかといえば維持費の掛からない250の方が売れていましたね。



振動も少なく加速もすこぶる良かったのですが、世の中はすでに4ストは4気筒の時代。
加速は負けるけれど高回転まで回り、気持ちの良いサウンドを響かせるカワサキのZ400FXには人気は遠く及ばず。
CB750Fのスタイルも2気筒だっただけに、それほど効果はなかったようです。
ホントに扱いやすいバイクだったのに時代が悪かった。
ヨーロピアンスタイルも世のFX人気には勝てませんでした。



鼬の最後っ屁ではありませんが、SUPER HAWKⅢとして豪華バージョンを登場させて、ホンダのツインの歴史は終わり、4気筒のCBX400Fに引き継がれます。
性能も扱いやすく悪くはないバイクだったのに、レプリカブームの突入と共に消え去る運命だったHAWKⅢ。

嫁さんも教習車はHAWKⅢだったとか。
CB1000Fのように、こっちもCB400Nとしてリバイバルは・・・ないだろうな。
Posted at 2025/10/28 21:31:43 | コメント(4) | トラックバック(0) | オートバイ | 趣味
2025年10月27日 イイね!

バイク夜話 レーサーレプリカの夜明けRG250γ

バイク夜話 レーサーレプリカの夜明けRG250γバイクの思い出を振り返ると、忘れられないのがこのバイク。
1983年に登場したスズキRG250γ(GJ21A)の発売は、これまでのバイクの世界を塗り替えるほど衝撃的でした。
世界初の本格レーサーレプリカ市販車として登場し、バイク界に革命を起こしたモデルとなります。

1980年に登場してバイクブームの起爆剤となった、人気2ストモデルのヤマハRZ250を一気に陳腐化させるほどのものでした。



1982年にホンダからVT250Fが発売され、250ccバイクの人気が高まった頃に250γは満を期して発売されたのです。



3年前に登場したRZ250は35PS/8,000rpmで重量は139kg。
カウル付のRG250γは45PS/8,500rpmで重量は131kg。
格段に見た目も性能も向上していました。
当時はケニーロバーツ、フレディスペンサーのGP500が人気で、ちょうど1983年は漫画「バリバリ伝説」が連載開始。一気にバイクブームを後押しする時代に突入しました。

私は発売日に現車を見て触れて予約購入、しかし、予約殺到で手元に来るまでに数か月を要しました。それでも街で見る頻度は少なく入手は早い方だったかと。

最初に乗って感じたのは軽いの一言。
とても250ccとは思えない軽快さでした。今ではそうでもありませんが、戦闘的なポジション。ハンドルからステップまでの姿勢が、少し前傾気味になるのも新鮮な感じで、まさに保安部品を付けた市販レーサーに乗る気持ちになりました。
その後のホンダNSR250RやヤマハのTZ250に比べれば、全然劣りますが当時はそれぐらいのインパクトだったのです。



私が一番気に入ったのは前後ディスクで、トリプルになっていること。
それとメーター周りがレーサーそのもので好きでしたね。
フルフローターのリアサスとの相性も悪くなかったのですが、フロントのAFDNがイマイチ沈み込みにくいのが厄介でした。
16インチのタイヤが倒れこみやすいから、ANDFがあったのだろうけど不自然感が否めない感じでした。



アルミフレームの剛性はしっかりしていて、タンデムで飛ばしても全然問題なし。
エアプレーン式のタンクキャップ、3,000rpm以下を表示しないメーターも話題になりましたが、軽量で高回転からの加速とマッチした特性が大好きでした。

この時代はバイクもクルマもモデルチェンジ(マイナーチェンジ)も早く、翌年には2型が登場。愛称デカピストンと呼ばれる、フロントに対向4ポットキャリパーをダブル装着、リヤには対向2ポットキャリパーがフローティングマウントされ、全て合わせて10ポットが装着され話題になるものの、初代に比べれば人気は控えめ。
レースチームカラーのHBで2型を判別した記憶があります。



実は大垂水峠でKH400で走っていると、RZ250やRG250Eにやすやすとインやアウトからパスされていたので、RG250γは喉から手が出るほど欲しかったのも本音。
いゃあ、バイク変わるとこうも違うのかというぐらい軽いのなんの。
加速もいいし、ブレーキも良く効くから、思いっきり突っ込んで走るのでホント走ることが楽しかった記憶しかありません。
高速走行もカウルのおかげでRZやVTより安定しました。
さすがに最高速はマルチ400には負けましたが加速だけは負けなし。
正直今でも二輪に乗ることが楽しいと思うのはRG250γと過ごした期間があったから。
まずRG250γに乗っていなければ、今の結婚生活はないですから。

たまたまバイク雑誌のイベントでFISCO(富士スピードウェイ)に行ったら、偶然同じRG250γに乗っているから話かけられたのがキッカケ。
同郷だったこともあり、嫁のバイト先で偶然再会したことも運命を感じたものです。

ちなみに嫁は私ほど速く250γ走らせるのを見たことなかったので、そこが最初惹かれたって言ってました。まるでスキーが上手い人がスキー場でモテルのと同じ効果だったとは(泣)。

そんなRG250γは二度盗難に遭いました。
パーツ盗難は頻繁に遭いましたが車両盗難は正直許せません。
2回ともに社宅の駐輪場で盗難されました。
RG250γは戻ったのではなく、数年後に今も付き合いのあるバイク屋で中古を購入しました。パーツも残っているし乗り慣れたRG250γは底値で安かったのもあります。
こっちはカウルを外して、POSHのバーハンドルマウントを付け、丸型ライトを入れてネイキッド風に改造。
この改造車も1年後に盗難されて未だに戻って来ません。

当時はまだバイク盗難も多かった時代。
バラシてパーツにされたら戻ることはないですし、アルミフレームは高価で買われたことでしょう。



実は数年前から近所に嫁が乗っていた赤のRG250γがあります。
懐かしいゲロゲロ音を聞いて窓の外を見たら、赤いRG250γが走っていて驚きました。
数件先にバイクを数台置いてある家があるので、そこの若者が乗っているようです。

RG250γも販売からすでに42年です。
年月から考えれば旧車扱いですが、私の中では未だに時が止まったままのバイクです。
まぁPCX150にしても12年目のスクーター。

時が流れる時間と歳をとるのが早い気がしますね。
※画像は生成AIで作成しました
Posted at 2025/10/27 22:39:51 | コメント(4) | トラックバック(0) | オートバイ | 趣味
2025年10月23日 イイね!

バイク夜話 スクーターも楽しいよ

バイク夜話 スクーターも楽しいよ明日からまた天気はぐずつくようで、女心と秋の空のことわざ通り、コロコロと天気が変わりそうです。

バイク乗りにスクーターは敬遠されがちですが、乗ってみるとこれほど楽な二輪はありません。クルマのオートマと一緒ですが、アクセルとブレーキ操作だけで走る、止まるができます。バイクはギアチェンジこそが至高の楽しみだと思っていた私も、今はPCXで満足してしまうほどスクーター贔屓です。

でもPCXが秀作で、PCXに乗ったからスクーターにハマったわけではありません。
実はそれよりもずっと前に、RZV500Rのサブとして手に入れた、スズキのStreetMagicⅡで下地ができていました。



ストリートマジックIIは、スクーターの手軽さとスポーツバイクの走行性能を融合した革新的なモデルでした。決して売れたわけではありませんが、オフロードスタイルとツインチューブの高剛性フレームが特徴、気軽に乗るにはホント良いマシンでした。
ちなみにバンク角が深いので、意外にスポーティな走りも可能で、ハンドリングはバイクそのものでした。
ストリートマジックに興味を持ったのは、イタリアのジレらDNA180というオートマチックバイクの存在を知ったこともあります。



スクーターの利便性とスポーツバイクの見た目を両立させた、まさに変わりモノ好き「変態御用達」とも言える一台。
インプレを読んだら結構楽しめるみたいなので、バイクとスクーターの混血に興味があったのも選択の一つでした。

私も事故に遭って両手の握力が落ちてしまい、頭に浮かんだのはクラッチ付バイクに乗ることよりも、ストマジのようなスクーターに乗ることでした。
事故後にKS-Ⅱに乗っていましたが、やはり長時間のクラッチ操作は指が固まり、痛みが出るので通勤の往復しか楽しめませんでした。
結局、エンジントラブルからホンダLead110を買いますが、思った以上にLead110が走るのでスクーターも馬鹿にできないと感心。



その後PCXが発売され、こりゃ売れるだろうなと思ったら大ヒット。
でもPCX125は良くできていましたが、原付二種には魅力を感じず、物欲には至りませんでした。
そう原付二種ならLead110から乗り換える理由もなかったというのもあります。

それからマイナーチェンジでPCX150が登場。
これは正直買っても良いスクーターとして頭に入れました。
事故から10年目に嫁が人生最後に好きなバイクを買うように言われ、悩むかと思ったのですがすんなりPCX150が頭に浮かび購入。
嫁から

「なんでスクーターなの?」

と、不思議そうに言われましたが、1台をずっと長く乗り続けることを考えたら、選択支は必然と。実際レンタルバイクでNinga400も乗ってみましたが、買っていたらPCX150のようにオールマイティには使えず、結果的にはバイクをリタイアした可能性もあります。
その選択の根幹にはストマジに乗った経験は大きいのかなって。



スーパーカブ系が人気な理由も、手軽で下駄のように構えずに乗る落さと楽しさがあるのだと感じます。そういうのがとても心地よい歳になってしまったのも理由かな。

好きな時に、自由に、下駄のように気楽に乗る。
それが一番かな。

ちなみに嫁にも実はスクーター買ってあげたことがあります。
ヤマハのミント、原チャリです。



スーパーの買い物用にと思ったのですが、脚を揃えて乗るのと、小径タイヤによる不安定さから振動でお尻が痛いとも言われ、義妹にあげちゃいました。
この時のスクーターのイメージが強いのかも知れません。

※画像はAIで作成しました
※明日から福島へ出張しますので週明けまで書き込みしませんので('ω')
Posted at 2025/10/23 20:41:52 | コメント(7) | トラックバック(0) | オートバイ | 趣味

プロフィール

「長野で昼呑み」
何シテル?   09/01 13:17
中年オヤジのポンコツ自動車生活。好きなクルマに乗るがモットー。気軽に「あしあと」残してください<(_ _)>。
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