
今回の九州旅行、2箇所目以降は古代史巡りをしました。
で、どういうストーリーに沿って旅をしたのか、
最初に書いておいた方が書き易いので、
書き留めておきます。
それは、フェリーの中で図書館で借りた本を読み、
頭の中で組み立てたものです。
なので、自分なりの脚色がだいぶ入っていますので、あしからず。
●クニの起こり
それは、出雲の木次事件から起こった。(きすき事件)
古代、日本にはクニという概念がなく、星の数ほどのムラが点在していただけであった。
しかし、特筆すべき地域が3箇所あった。
一箇所目は出雲。
荒波に面してはいるものの、宍道湖という波の立たない天然の良港が備わっていた。
よって、大陸(北方)との交流が進み、文明度が高かった。
そして、武器の鉄化も進んでいた。
二箇所目は日向。
こちらも鹿児島湾という良港を擁しており、暖流に乗って大陸(南方)の文化が入っていた。
しかし、温暖な気候柄か、武器に関しては出雲ほど発達していなかった。
三箇所目は大和。
日本最大の奈良盆地を擁していたため、
日本最大の米の生産地であり、人口も最大であった。
潜在的なポテンシャルが最も高かった地域であった。
ちなみに、この時代の平野は、治水が全く行われていないため、
平野=氾濫時の河川敷、という有様で、全く利用価値の無い危険地帯。
奈良盆地は四方を山で囲まれており、そう大きくない川が
その山々から盆地の真ん中に向けて絶えず流れている。
これが、治水や灌漑の進んでいない古代では、
最も理想的な米所だったわけ。
以前のブログで書きたかったのは、この事です。
上記三箇所のうち、出雲には北方モンゴロイドの血を受け継ぐ一族が住んでいました。
まだ漢民族がそれほど増殖しておらず、冒頓単于の大モンゴル帝国時代の話。
西はトルコまで進出していた民族なわけで、出雲に居ても何の不思議もない。
木次事件は、この出雲のモンゴロイド系一族の長・スサノオと
鉱山を仕切っていた大豪族の長・ヤマタノオロチとの間で起きる。
ヤマタノオロチがスサノオの想い人、稲田姫をさらってしまったことから事件は勃発。。
怒ったスサノオが、父フツの形見である”布都の御霊の剣”を持ち出し、
稲田姫を助けに行く。
そして、布都の御霊の剣でヤマタノオロチを切った。
この事件から、スサノオは出雲の諸豪族の求心力を得て、出雲の王となる。
これが日本におけるクニの起こり。
●高天原侵攻
出雲をまとめ上げたスサノオは、やがて九州に目を向ける。
九州には何と言っても、もう一つの文化地域、日向がある。
ここを抑えれば、残るは米の大産地、大和を残すのみ。
しかも、南方モンゴロイド系の一族の長・イザナキの跡を継いだヒミコが、
そのシャーマン的な能力によって、日向一国をまとめ上げようとしているらしい。
抑えるなら今のうちだ。
そんなわけで、息子の中でも一番の秀才・オオドシを伴って、九州に進発した。
ある程度の抵抗を覚悟しながら上陸したものの、
オオドシの巧みな政治力により、九州北部は無血入城状態。
相当に良政を敷いたらしく、今でも素佐之男と大歳を祀る神社がこの地方には多いらしい。
やがて、ヒミコが治める日向(高天原)に侵攻する。
同じモンゴロイド系とはいえ、日向は温暖な気候柄か、
政治や戦争の面で出雲より遅れをとっていた。
クニの形態を取りつつあるとはいえ、
ヒミコのシャーマン的な能力でまとまっているにすぎない。
そんなクニに鉄器を携えた北方騎馬民族が侵入してきたのである。
同じモンゴロイドの国とはいえど、無血入城となってしまった。
日向でもスサノオとオオドシは良政を敷く。
もちろん重要拠点であるので、スサノオは側近の猿田彦を名代として常駐させ、
九州経営を磐石化した。
ちなみに、スサノオはヒミコと良い関係を築き、
2人の間にはタギリ姫、タギツ姫、サヨリ姫の宗像三神が産まれた。
(*^^*) (*v.v)
●ニギハヤヒ誕生 ~ もう一つの天孫降臨
九州経営が磐石化した頃、スサノオは最大の功労者でもあり、
最も頼もしい息子でもある秀才オオドシにこう告げる。
「オオドシよ、おぬしに豊かな国の輝かしい長に相応しい”ニギハヤヒ”の名を与えよう。」
「父上、豊かな国とは?」
「オオドシよ、いやニギハヤヒよ、豊葦原中国(奈良盆地)へ向かえ。」
いよいよ、日本統一に向けて動き出したのだ。
出雲・日向・大和、この3拠点を押さえれば、あとの地域はいずれ服従してくる。
オオドシ・・・いやニギハヤヒが九州で発揮した政治のノウハウと、
スサノオとヒミコの関係を大和でも再現すれば、
軍勢など要らぬ。
そういうわけで、大和へは天磐船1隻のみでの進発となった。
まず、ニギハヤヒ一行は河内の哮峰(
磐船神社)に降臨。
そこで、大和の情勢を窺う。
大和にはこれといった首長は居ないが、ナガスネヒコという者が最も大きな勢力を有していた。
そこで、ニギハヤヒはナガスネヒコの妹、ミカシギ姫を娶り、大和に婿入りという形を取る作戦に出た。
ナガスネヒコは一行が携えている煌びやかな鉄器に目を奪われながらも、
ニギハヤヒの高度に文化的な立ち居振る舞い・言動・政治力を見逃さなかった。
この男を大和の王として迎え入れることが、自分の定められた運命なのだと感じた。
直ちに、哮峰から自身の勢力地に迎え入れた。
その婿入り街道は、今でも磐船街道と呼ばれている。
●国譲り神話
出雲・日向連合王国の長、スサノオがこの世を去った。
跡取りは、末子のスセリ姫の婿・ナムチが継いだ。
昔のモンゴロイドは末子相続が基本であり、末子が女性の場合は、その婿が継ぐという決まりだった。
ナムチは出雲・日向連合王国の長となった。
地理的に遠く、秀才ニギハヤヒが治めていたため放ったらかしだったが、
大和も形式上はナムチの支配下であった。
よって、ナムチは大国主尊と呼ばれた。
大国主が亡くなった後、出雲・日向連合王国の長は、
大国主とスセリ姫の末子・タケミナカタが継ぐ ・・・・と出雲族は思っていた。
ここで、出雲族にとっては、超ありえない話が浮上した。
大国主もスサノオと同じく、日向にも出張していた。
そして、スサノオとヒミコの間に生まれたタギリ姫と、良い仲になっていたのだ。
そして、やはり子が何人かいた。
末子は事代主。
タケミナカタより後に産まれていた。
なので、日向族が「大国主の末子は事代主だ!よって、出雲の長も事代主である!」と言い出したのだ。
タケミナカタ側は激昂。
「事代主だと??誰じゃそれは?? 婿のナムチが勝手に日向でこしらえた、ただの隠し子ちゃうんかい!!」
しかし日向族も黙ってはいない。
晩年の大国主は日向にいることが長かったし、息を引き取ったのも日向。
これまで大国の王として敬ってきたし、死後も丁重に葬り、神社まで建てた。
その本当の末子の相続権を無視するとは、けしからん!
軍勢を整え、強硬に国譲りを迫る。
対する出雲族は意見が割れてしまった。
タケミナカタが相続するのは、末子相続に違反すると考える人も多かった。
良識派であり、スサノオ時代からの重臣である猿田彦までもが、事代主派に回ってしまった。
タケミナカタも頑強に抵抗したが、信州の諏訪まで追い詰められ、
諏訪の地を出ないことを条件に命を助けられる、という結末となった。
日向族(高天原)の勝利である。
●女王ヒミコ誕生
晴れて日本の王となった事代主であったが、まだ幼少であった。
成人するまで代理を立てねばならない。
誰が言うとも無く、シャーマン的な能力を持ち、スサノオの政治を隣で見てきた、祖母ヒミコが担がれた。
女王ヒミコの誕生である。
●神武東征
さて、地理的に遠いとはいえ、ヒミコとしても大和は無視できない。
秀才ニギハヤヒがしっかり治めていたこともあり、大国主時代は放ったらかしだったが、
米の収穫量と、それに伴う人口の多さは、魅力的でもあり、不気味だ。
手を打たねば・・・・と思っていた矢先に、ニギハヤヒがどうも亡くなったらしい、との情報が入った。
大和の人達は、ニギハヤヒを慕い、彼が愛した三輪山を御陵とし、大神神社を建て、大物主尊やら
天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊と尊称して祀っているという。
跡継ぎは末子のイスケヨリ姫。
まだ婿はいないため、長兄のウマシマチが政治を代行していた。
・・・・これは、またしてもチャンスではないか??
ちょうどそのころ、日向族のブレーン(それが誰かは、いつか書きます)は
出雲を完全に抑え込んだこともあり、相続権を大国主系統にする必要が無いのではないか?と考えていた。
もう日向族の中で決めればいいじゃないかと画策していた。
その方が自分にとっても都合が良いから(その理由は、またいつか書きます)。
日向族もやはりモンゴロイド系であるため、末子相続の伝統がある。
そうすると、ヒミコの末子の末子、”サヌ”にスポットが当たる。
某ブレーンは考えた。
サヌをニギハヤヒの末子・イスケヨリ姫の婿として大和入りさせよう。
そして、これを機に、潜在的ポテンシャルの高い大和を、日本の首都にしよう。
つまり、サヌを日本の大王にしよう、と。
日向族の全国制覇構想である。
早速、とんでもない土産付きで、使者を送り込む。
使者も大物である。
大国主とタギリ姫の長男、アジスキタカヒコネ(=ヤタガラス)である。
タカヒコネは、イスケヨリ姫の長兄であり政治を代行しているウマシマチと会見した。
某ブレーンに指示された通り、まず土産物を恭しく差し出した。
「ウマシマチ殿、これは出雲族の長の証、”布都の御霊の剣”です。
出雲・日向連合国はヒミコが治めることになったため、
フツの血を引く者が治めないことになってしまいました。
本来お持ちであるべき方の下へ返上致します。」
(この剣は、ウマシマチの子孫が、現在も石上神宮のご神体として守っている)
「それは遠路はるばる、かたじけない。」
などと、のん気な事を言うウマシマチでは無い。
ニギハヤヒの長男だけあって、やはりキレ者。
その言葉の裏の恐ろしい陰謀を瞬時に読み取った。
一応、ヒミコが代行しているとはいえ、
出雲・日向は事代主が治めているはずである。
事代主はスサノオやフツの血を母のタギリ姫から受け継いでいる。
つまり、布都の御霊の剣を継承する資格があるハズ。
それを返上しにきたということは・・・・。
事代主は既に王では無く、ヒミコの後は日向系の末子を王に立てるという宣言か??
許しがたし!!
では、あの出雲の国譲り騒動はなんだったのか?? 国盗りの方便か??
ウマシマチが口を開きかけた時、タカヒコネがすかさず口を挟んだ。
「話は変わりますが、日向にはヒミコの末子の末子、サヌという王子がおります。
ヒミコは、サヌとイスケヨリ姫様との縁談を進めたいと望んでいるのですが、いかがでしょう?」
開いた口が塞がらないウマシマチであった・・・。
なんと巧妙な戦略か。。。。
しかも、大和の胸中も見透かしている。
確かに、イスケヨリ姫には婿がまだいない。
というよりは、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊の跡継ぎに相応しい男がいないのである。
そんな中で、サヌのような素性の男が婿入りするのは、出雲族が健在であれば喜ばしいことである。
しかし、今や憎き日向族の跡取りである。
大和まで国盗りに来たか!という思いが、まず先行する。
ウマシマチは悩みに悩んだ。
しかし、あまり悩む時間は与えられなかった。
「ウマシマチ殿、とにかくサヌはもう大和に向かっておりますゆえ、よしなに。」
これは緊急事態である。
さっそく、まだ健在のナガスネヒコに相談した。
ナガスネヒコは激昂した。
「一度は大物主の軍門に下った臣下の孫でありながら、大和の跡取りになろうとは、けしからん!
この大和は兵の数では負けはせん!徹底抗戦じゃ!」
ウマシマチの考えもろくに聞かず、
実際にサヌの軍勢を河内との国境で撃退してしまった。
ウマシマチはまだ迷っていた。
けっして優柔不断なわけではない。
事はそう簡単ではないのだ。
確かに、大和の兵力はズバ抜けている。
しかし、日向・出雲連合国には鉄製の武器と騎馬隊がある。
これに対抗できるだろうか?
対抗できたとしても、背後が心配だ。
大和の東と南には、どこまで続くとも分からぬ、蝦夷の地、日高見の世界が広がっている。
下手をすると、西・東・南から同時に攻め込まれる可能性もある。
しばらくして、ウマシマチの不安は的中した。
使者のアジスキタカヒコネ(=ヤタガラス)が、サヌの軍勢を熊野→吉野→宇陀のルートで通したのだ。
しかも、山の民の支援を取り付けながら。
もう我慢の限界である。
西・東・南の三方から攻め立てられ、滅ぼされる事態が現実味を帯びてきた。
この期に及んで、まだナガスネヒコは徹底抗戦の構えを取っている。
かくなるうえは・・・・・。
ウマシマチは遂にナガスネヒコを斬った。
そして、サヌをイスケヨリ姫の婿として、
すなわち、大和の王、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊の跡継ぎとして迎え入れた。
サヌは磐余(いわれ)の地に居を構え、名をイワレヒコと改めた。
神武天皇である。ここに神武東征が完了した。
尚、何かと騒動を起こした末子相続であるが、
神武天皇からマイナーチェンジが施され、
男子に限られることとなった。
女系になると、王朝が交替してしまう。
極めて短期間に2度も大事件が起きてしまった教訓を経た結果である。
男系限定としたおかげで、万世一系となり、今日まで日本が日本であり続けることができた。
偶然か何かわかりませんが、男系限定としたおかげで、
生物学的にも今上天皇まで神武天皇のY染色体が受け継がれており、
その正統性が科学的にも証明できる(DNAさえ手に入れば)。
(Y染色体は父から息子に受け継がれる)
ちなみに、仁徳天皇の即位の際に、儒教の考えが強く入り込み、
末弟相続から長兄相続へと切り替わった。
●邪馬台国 台与
一方、日向ではヒミコが亡くなり、その跡を神武天皇の日向での末子・豊受姫が継いだ。
しかし、神武天皇の孫の代になって、大和朝廷の力が強まり、
九州も大和が直接支配することとなった。
長くなりましたが、このようなストーリーを頭の中で立てて、九州旅行に挑みました。
(^_^)