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かとうのくるまのブログ一覧

2010年01月09日 イイね!

九州歴史探訪 目次&総括

●出発
名門大洋フェリーでどこへ行く?
 フェリーの感想・下船の動画等

●南北朝編
菊池城
北方謙三の「武王の門」という小説に感化されて行った場所。
憧れの人物が日本一の像に。
「稀代の名将菊池武光公、今ここにその勇姿を再現して立つ!」 by 第11代・菊池市長




●古代編
原田常治氏の「古代日本正史」を参考に、古代史巡りをしました。

・プロローグ 古代史の流れをひもとく
 原田さんの本を参考にストーリーを組み立てて旅行に挑みました。
 
狗奴国に行ってきた
邪馬台国の宿敵・狗奴国が熊本の球磨地方にあったという。
つまり、邪馬台国はココから攻めて行ける場所にあるということに。

高千穂を高千穂のカメラで撮る
天孫降臨神話の舞台・高千穂は、実は鹿児島の平地にあった!

可愛山陵 薩摩川内
ニニギの尊の御陵、可愛山陵が鹿児島の川内市にあった。
宮内庁管理。
御陵を守る新田神社は薩摩一宮。

卑弥呼=天照と半ば暴露してる神社
鹿児島の開聞岳をご神体とする枚聞神社。ここも薩摩一宮。
隠し切れなかった記紀編纂者達の陰謀が、祭神名に垣間見える?!

賑わう御陵・吾平山上陵
神武天皇の父・ウガヤフキアエズの尊の御陵が大隈地方のど真ん中に。
伊勢神宮のそっくりさん。
御陵に初詣&夜店&晴着で参拝という、
予想だにしなかった光景に圧倒されました。

柏原 神武天皇が住んでた所
神武天皇が青年期だった頃のウガヤフキアエズ一家の本拠地、柏原(かしわばる)。
神武発航の地でもある。

男はつらいよ、さらば乙姫
日南市油津にある吾平津神社(乙姫神社)。
神武天皇が愛妻・吾平津姫と娘・台与とお別れした地。
男はつらいよ45作目のロケ地。

西都 前夜祭
宮崎県西都市の居酒屋で、西都は皇室の故郷ではないかと思える話が聞けました。

狭野神社 神武天皇の生誕地
宮崎県高原町に、それはあった。

卑弥呼(天照)生誕地 阿波岐原
宮崎シーガイアの隣の阿波岐原原始林に、それはあった。

日本最大の古墳群 西都原
もう何も語るまい・・・・。この規模の大きさは筆舌に表し難し!
やはりココは・・・・。

男狭穂塚 女狭穂塚
西都原古墳群の主とも言える巨大古墳。宮内庁・陵墓参考地。
関西の、良く言えば「禁足の地」である古墳とは、手の掛け方があまりにも違いすぎる。
皇室の始祖が中興の祖が眠っているのか?

都農神社 都萬神社
都農神社は大国主尊を祀る、日向国一宮ではあるのだが・・・・。

美々津浜 神武天皇出航の地
ここから先は日向の外。
2度と日向に帰ることはなかった・・・・。

●帰路
百円で入れる別府温泉
超ロングドライブ!



********************************

この旅のほとんどの地は原田さんの本に載っていた場所です。
原田さんの本の凄いトコロは、散漫な神話を一つの流れにまとめ上げたところだと思います。
この説が本当かどうかは、歴史の勉強なんてしたことのない理系の僕には判りようもありませんが、
今まで見聞きした中では一番スッキリする説です。

さて、この古代日本正史を書くにあたって、
原田さんはいろんな証拠(?)を探し求めて
九州中を車で走り回ったそうです。
毎日7時間くらい。
相当疲れたんじゃないかと思います。
僕の2泊5日の旅で、しかも行き先を決めててナビがあっても、だいぶ疲れましたから。

しかも、本が発売されたのは1976年。
なんと、今から34年も前です。
僕が生まれる前の話ですから推測に過ぎませんが、
当時の車のレベルや道路環境は、今ほど良くはなかったんじゃないでしょうか?

70歳代を迎えた原田さんは、やはり無理がたたって、その翌年に入院されました。
続編の上代日本正史のあとがきには、「病床から書いている」と・・・。
そしてそのままかえらぬ人となる。。。。

まさに命を削って書き上げた本だったのです。
それだけに、原田さんの本には心に響くものがありました。
随分楽しませてもらいました。
感謝致します。


さてさて、この説によくにた話を、
10代の頃に別の何かで読んだような記憶があるのだが・・・・・・。

あっ、アレかっ?!


そして、次から次へと興味が募り、
週末の巣ごもり生活が早々と終了した・・・。


歴史探訪 続く (まだまだ)
Posted at 2010/03/07 01:32:18 | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史 | 旅行/地域
2010年01月08日 イイね!

100円で入れる別府温泉 市営・浜田温泉

非常に有意義だった九州旅行、遂に最後の目的地・美々津浜まで辿り着き、幕を閉じつつあるのですが、
さて、どう帰りましょう??
フェリーで帰るにしても、ここは宮崎県日向市。
宮崎港にも大分港遠いし、確実に出航時間に間に合わない。

選択肢としては、

①自走
②もう一泊してフェリー。
③ついでに出雲まで行っとく?


③は大寒波の真っ只中だから無理だろうなぁ。
②も今回は無理。翌日の夕方、和歌山で待ち合わせがあるので。
てことで、自走で帰ることに。(^^;

ここから小倉まで、ほとんど下道なんですよねー・・・。

てことで、別府で温泉に入って、疲れを癒しながら帰ることにしました。

入ったのは、浜田温泉。
市営だそうで、なんと100円で入れます。

ええ湯でした。
(^_^)

疲れを取った後は、ご飯屋さん探し。
ところが、なかなかお手頃なお店が無い。

そういえば、JOYFULLって大分出身だったなと思い、
ジョイフルに入りました。

さすがは地元。
22時台だったのに、ほぼ満席。
みんな楽しそうでした。
車社会の若者の心理をよく分かってるお店です。

栄養補給も済んだところで、再び走行です。

ちょうど日付が変わるころに小倉南インターに入りました。
夜景のキレイな関門大橋を越え、本州に無事帰還しました。
って、ココからが長いんですが。

こまめに休憩&仮眠を取りながら、福山SAまで頑張ります。
お目当ては福山ラーメン!
広島ラーメンと言えば、尾道ラーメンと福山ラーメン。
福山ラーメンはまだ食べたことが無かったので、是非食べてみたかったんです。

ところが、、、、、福山SAには尾道ラーメンしか無かった。。。。

しかし、美味しかったです。本場の尾道ラーメンにもひけを取りません。
→2006年11月の広島旅行(この頃は写真がヤバいくらいショボい・・・・)

福山SAの尾道ラーメン、この旅で食べたラーメンの中では一番美味しかったです。(^。^;)


そんな感じでゆっくりゆっくり移動し、正午頃にようやく帰宅。
仮眠を取ったあと、和歌山に向けて再度運転です。
この日はだいぶ走っちゃいましたね。(^_^)

ちなみに、この旅の平均燃費は満タン法で13.98km/Lでした(カタログは15.0)。
正直もうちょい伸びると思ったんですが、
九州の県境越えのアップダウンに阻まれた感じです。


今回の冬休みは、年末の瀬戸内旅行、年始の九州旅行と
旅行を立て続けに2つも入れてしまいました。

随分充実した冬休みになりましたが、
しっぺ返しもくらいました。

カードの請求額が・・・・28万8千円也  ΣΣ┏(|||`□´|||;;)┓

もちろん、現金で払ってる分もあるわけで、
いったいこの一ヶ月、幾ら使ったんだろう???

・・・・考えないことにしよう。
Posted at 2010/02/22 21:27:49 | コメント(2) | トラックバック(0) | 温泉 | 旅行/地域
2010年01月08日 イイね!

美々津浜 神武天皇出航の地

(このブログは、古代史の流れを紐解く、を先に読んで頂いた方が
分かり易いと思われます)


都農神社の後は、美々津浜へ。


ここは、都農神社に祀られている大国主に大和行きの報告を済ませた神武天皇が、
いよいよ日向国を出て出航していった場所です。

ちょっと分かりにくい場所にありそうだったんですが、
ナビが無くても辿り着ける標識が出てました。

何も言わんでも、この写真だけで分かるだろ?ってな感じですね。
確かに分かり易い。

美々津浜。

神武の船団は、この島と島の間を通って出航しました。
そして、家族のいる日向へは2度と帰って来なかった・・・・というわけで、
今でも美々津の人は、よほどの急用でないかぎり、この島と島の間を避けて出航しているそうです。

美々津港は、海辺ではなく、広くて深い河口を少し遡ったところにあります。
昔はこういう所じゃないと、港にならなかったんでしょうね。

なので、神武天皇もこの辺りから乗船したんだと思います。

ところで、だいぶコジツケな理由で、ココは日本海軍発祥の地とされてます。


日本海軍発祥の碑。

デカい・・・・。それに、旭日旗! 滅多に見ないですよね。

米内総理の字のようです。


デカい錨も。


この錨は、↓な経緯でココにあるそうです。(^^;

零戦が作られた年なんですね。
話が逸れますが、零戦のゼロの意味を知った時は、結構驚きました。
皇紀2600年型→零式艦上戦闘機→零戦。
陸軍の方はそれまで下二桁で来てたから(2598年型→九八式とか)、
2600年型は百式って言ってたらしいです。
百式っていったら、金色なイメージが・・・・・。


話を元に戻しまして、美々津港には立磐神社という神社があります。

神武天皇が航海の安全を祈願した場所だそうです。
ご祭神は住吉三神。

神武天皇が腰掛けたという岩。

ブロック塀で囲まれていたのですが、どうもこの岩がソレだと確信できないのか、
境内の腰を掛けれそうな岩には全部注連縄が巻いてありました。
(^^;

この美々津は、凧揚げ発祥の地でもあるらしい。


さて、写真を見てもらってて分かるとおり、
もうだいぶ暗くなってきました。

名残惜しいのですが、古代史巡りはココが最終です。
でも、暗くなる直前にキリの良い場所まで来れたのは、
なんだかご縁を感じました。(^_^)
Posted at 2010/02/20 20:07:05 | コメント(2) | トラックバック(1) | 神社 | 旅行/地域
2010年01月08日 イイね!

都農・都萬神社

(このブログは、古代史の流れを紐解く、を先に読んで頂いた方が
分かり易いと思われます)



西都原散策が終わり、西都原台地を降りると、先ほどのラジオで出てきた都萬神社がありました。



ここは、コノハナサクヤ姫を祀っているとのことです。

↑のようないきさつから、清酒発祥の地とされているようです。


清酒って、もっと新しいものだと思ってました。
鴻池に関するエピソード

原田常治さんは、やはりこの神社のご祭神もコノハナサクヤ姫ではないはずだと書いています。
地理的な理由からも。


都萬神社の神様は妻神と言われてますので、スサノオの妻のヒミコ(天照)か、大国主の妻のタギリ姫を祀ってたんじゃないかと書いてます。

ところで、西都市は合併前の妻町という町が中心になってるみたいです。
JR妻線とかもあったみたいで、交差点にも妻の名が・・・・・

ナビに出てくる妻って交差点、御船って名前に変わってました。
なんで???

謎が解けた↓

↑はコノハナサクヤヒメ伝説地のハイキングコースの看板。
この御船塚にちなんで、交差点の名も変えたみたいです。
何が何でもコノハナサクヤ姫に結び付けたいという強い意気込みを感じますね。

ちなみに、
「ニニギノミコトが高千穂岳にご降臨され、御一行は治める地を求めて、都万神社の西にある笠狭の岬(西都では到着されたところが”御船塚”と伝わっている)に到着します。」という伝説があるみたいです。
笠狭の岬って薩摩地方なんだけど・・・・。↓


ていうか、その前に、西都に岬って・・・・海からだいぶ離れてるしなぁ。。。
川を遡ってきたとか??



ここで、西都とお別れです。
随分楽しかった。
またいつか来ます。来る理由ができたので。



お次は、FMで話題に挙がっていたもう一つの神社、都農神社へ。


鳥居がデカい!!


ここは日向国一宮。ちなみに、さっきの都萬神社は二宮です。夫婦でワン・ツー・フィニッシュ??

創建の理由が興味深いですね。

大国主だけを祀ってる神社は、実はここだけとか。

やはり大国主は日向で息を引き取ったのでしょうか??

それにしても、真新しいんですが、式年遷宮したばかりなのかな?


式年遷宮用に場所を空けてるのかもしれませんが、
広い敷地にこの本殿だけポツり・・・・。

しかも、その敷地は柵やら、↑の写真の本殿後ろに見える土塁のような堤で囲まれてて、
なんだか封じ込められ感があります・・・・。

ものすごーーーーーーーく、寂しい雰囲気の神社でした。
ホントに日向国一宮??
なんか、ワケアリなんじゃないでしょうか。

格が高いから無視はできないけど、やっぱ大国主は日向では余所者だったということでしょうか。。。

Posted at 2010/02/20 00:25:04 | コメント(2) | トラックバック(0) | 神社 | 旅行/地域
2010年01月08日 イイね!

男狭穂塚、女狭穂塚 皇室の始祖か中興の祖

(このブログは、古代史の流れを紐解く、を先に読んで頂いた方が
分かり易いと思われます)


西都原古墳群の続きです。


西都原古墳群には、九州1位と2位の大きさを誇る古墳が隣り合って存在しています。

左が女狭穂塚(めさほ塚)、右が男狭穂塚(おさほ塚)


どれだけ大きいかは↓の動画を見て頂けると分かりやすいかと。
左手に見えてる森が男狭穂塚、女狭穂塚です。

女狭穂塚→男狭穂塚の順です。


「はなまる」の奥さんの話によれば、今上の天皇皇后両陛下や紀宮様が
ご結婚のご報告にお越しのようですので、
皇族のご先祖様の御陵なのは間違いなさそうです。

神武天皇御東遷記念碑。
神武天皇も、ここで辞令を受けて、大和に向かったんでしょうか。


男狭穂塚、女狭穂塚は物凄く手入れされてます。

女狭穂塚

古墳と言えば、こういうイメージだったんですがね・・・。
(崇神天皇陵 090419撮影

良く言えば禁足の地。悪く言えば、ほったらかし。

それに、凄い人手を掛けて整備してます。
西都原にいると、必ず制服を着た人が視界に入ります。
歩いてたり、車運転してたり、芝刈りしてたり・・・・。
数十人体制で管理・監視しているものと思われます。

つまりは、全国に星の数ほどある古墳の中で、
最も重要視されてるのが、ここ西都原ではないか?ということ。

その中でも、宮内庁が陵墓参考地に指定してる男狭穂塚、女狭穂塚の被葬者は
ただの皇室のご先祖さまではないハズ。
天皇家の始祖か中興の祖かもしれません。


監視の目を縫って不敬を働いた輩がいるようです。



男狭穂塚と女狭穂塚の間。
右が男狭穂塚、左が女狭穂塚。

この写真では分かりませんが、女狭穂塚の柵には白いワイヤーに沿って有刺鉄線が張られてます。
宮内庁としては、どちらかというと女狭穂塚の方を重視しているようです。

女狭穂塚の方は、方墳の陪塚があるそうです。

方墳は出雲に多くみられるようですので、この辺がヒントになるやもしれませんね。
女狭穂塚の被葬者は、出雲に縁のある家族が居る人物なのかも。
誰??誰???
「さあ、みんなで、考えよう~!」
この女狭穂塚の被葬者が、天皇家の始祖か中興の祖のように感じます。


男狭穂塚がニニギ尊、女狭穂塚が妃・コノハナサクヤ姫の御陵とよく言われてるみたいですが、
このお二人の御陵は鹿児島の薩摩川内市にありました
薩摩川内は宮内庁がニニギ尊の御陵と看板に書いてましたが、
男狭穂塚、女狭穂塚は「陵墓参考地」。


それと、かつてはこの2つの古墳は、セットもんだとか、地下で繋がっているとかいう説があったみたいですが、
近年レーダーで調査してみたところ、

ということが明らかになったようです。
まあ、形も全然違いますしねー。

これらの状況からして、ニニギ尊ご夫妻の御陵とは違いそうですね。

原田常治さんは、男狭穂塚がヒミコ(アマテラス)、女狭穂塚がトヨ(豊受姫)の御陵だと推定されてます。
ここがもし邪馬台国なら、この2人の墓なんでしょうね、きっと。

アマテラスなら、出雲のスサノオと関係がありますから、方墳の陪塚の件も説明がつきます。


もし、被葬者がアマテラス&豊受姫だとすると、なぜ隠す必要があるというのでしょう?
このお二方は伊勢神宮の神様として大々的に祀られてますからね・・・。
神代の英雄が、実は古墳時代の人だった、と思われるのが嫌だとか??


最後に、面白い古墳を発見。
こちら↓は鬼の窟古墳という別の古墳なんですが、


シャンプーハットのような形をしてます。


こちらの方が分かりやすいかな? (^^;


で、この鬼の窟古墳、西都原の最後の首長墓だそうです。
詳細はこちら。
6-7世紀というと、華の飛鳥時代。
古墳としては、結構新しい方ですよね?
鬼の窟古墳の被葬者、分かると思いますがね。
それにつられるようにして、男狭穂塚、女狭穂塚の被葬者も誰か分かりそうなものですが・・・。
特に、男狭穂塚と鬼の窟古墳、形が似てるようにも見えますし。

あ、陵墓参考地だから、皇室・宮内庁は知ってるんでしたね。
言わないだけね。(^^;

やはり、神代の人物が古墳時代の人だったと知られたくない、というのがホントのところでしょうか。
おとぎ話が通用する時代じゃないんだし、そろそろ真実を明かしても良いのでは??
Posted at 2010/02/18 23:34:23 | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史 | 旅行/地域

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