■2009年7月15日(水)
いよいよ
黒部ルート見学会のメイン・イベントである関西電力黒部専用鉄道(上部軌道)に乗車です。

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黒四発電所での昼食と休憩のあと、発電所前駅に待機していた列車に乗り込みました。
バッテリー機関車に牽引されているのは貨車1両と客車5両。後の客車3両が見学会参加者用で、前の2両には工事関係者が乗っていました。
1両に10人ずつで中は窮屈です。よーのすけは最後尾車輌に乗りました。
(どの車輌に乗車するかは自由ではなく、指定されます。)

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これから通る上部軌道(6.5Km)は大正~昭和初期に計画・施工された欅平~仙人谷間のトンネルで、途中にいわゆる「高熱隧道」区間を通ります。このため、客車は完全密閉型で窓には内側から操作する手動のワイパーが装備されていました。

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走り出してすぐに仙人谷にかかる鉄橋の上で停車、客車の外へ出て景色を見せてくれました。
目の前にせまる仙人谷ダム。このダムを建設するための資材搬送路がこれから通る上部軌道だったわけです。

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黒四発電所前では時間が無くて前のほうの機関車を見に行くことが出来なかったので、参加者が渓谷の景色をみている間に列車の前のほうを見に行ってきました。
客車と機関車の間に貨車が1両連結されているのはこのときに気がつきました。
客車に比べ、背が高くけっこう大きなものを運べそうです。

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先頭のバッテリー機関車です。
仙人谷を出発して再びトンネルに入ると、硫黄の臭いとともに車内の温度が上がり始めます。今はトンネルの脇に導水管を通してトンネルを冷やしているので、トンネル内の気温は30度ちょっとだと言うことですが、掘削当時は岩盤の温度は最高165℃を記録するほどで、ダイナマイトが自然発火する事故も起こる過酷な工事だったところです。
ガイドさんが客車のドアを開けて岩盤の様子を見せてくれましたが、硫黄がこびりついた岩肌の写真は上手く撮れませんでしたm(_ _)m
列車は真っ暗なトンネル(硫黄のために金属が腐食してしまうため、照明設備を付けられない)の中をしばらく走り続けますが、途中に阿曽原、折尾、志合という駅(駅といってもホームなどは無いのですが。)があって作業員が乗ったり降りたりしているようでした。それらはいずれも吉村昭『高熱隧道』に出てくる地名なので、感慨深いものがあります。
終点近くには、工事の殉職者の慰霊のために地蔵尊が祀られてありました。

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約30分で上部軌道は終わり、終点の欅平上部駅に到着。

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竪坑エレベーターの脇を通って、いったん外の景色を見せてくれるようです。

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ここからは白馬岳が見えるはずなのですが、だいぶ雲が出はじめてあまりよくは見えませんでした。

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竪坑エレベーターのほうへ戻ります。
奥には予備の客車が充電中とのことでした。(車内照明用のバッテリーの、と言うことかなと思いましたが確認していません。)

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竪坑エレベーターは中にレールが引き込まれていて、貨車や客車を載せることが出来るようになっています。
奥に見えているのは先ほど乗って来た列車のバッテリー機関車です。

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エレベーター内部。30人の参加者でぎゅうぎゅうです。
高低差200mを約2分で下降します。

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竪坑下部駅に到着。

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エレベーターの脇に標高600mという表示。実は上の7番の写真もよく見るとエレベーターの脇に標高800mという表示があります。

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ここから黒部峡谷鉄道の欅平駅まで500mほどを乗るための列車が待機していました。
このトンネルの中に1箇所スイッチバックがありました。

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トンネルから出たところが欅平駅です。2年ぶりに訪れました。
ここでヘルメットを脱いで、黒部ルート見学会は解散です。
トンネルの中を次々といろいろな乗り物を乗り継いでここまでやってきましたが、いやあすごかったです。参加してよかったと思いました。
(エピローグ編につづく)
Posted at 2009/07/19 10:54:32 | |
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知られざる鉄道 | 日記