年明けから、仕事がめちゃくちゃ忙しくなったので、せっかくのお休みの日だと言うのに出掛ける気分になれず,、大阪のアパートでぐうたらに過ごしております。
この時間を利用して、またまただいぶ時間がたってしまいましたが、昨年の12月6日~7日の土日を利用して、熊野古道・伊勢路の総仕上げを行ってきましたので、その報告をいたします。
よーのすけは、かれこれ20年ほど前から、年に数回和歌山を訪れて、熊野古道を歩くということをやってきました。
はじめは、「中辺路(なかへじ)」といって、田辺から本宮へ到る道(図の黄色い線)を歩き、ついで本宮から那智へ到る大雲取り、小雲取り越え(これも図の黄色い線で、今では大雲取り、小雲取り越えは「中辺路」の一部という位置づけになったようです。)を歩きました。
それが終わると、田辺から海岸線沿いに串本を回って勝浦、新宮へ到る「大辺路(おおへじ=緑の線)」にとりかかり、それが終わりそうになると、高野山から本宮へ向かう「小辺路(こへじ=赤の線)」をやりました。その間、大阪の天満橋近くの八軒屋浜旧地から和歌山を越えて田辺へ到る「紀伊路(=水色の線)」を歩き、それも終わりそうになって、伊勢神宮から本宮へ向かう「伊勢路(=青の線)」をやってきたという具合です。
さらにいえば、この図にはないのですが、吉野から本宮に到る「大嶺奥駆け道」と言うのがもうひとつあるのですが、これは修験道の道であり険しすぎてよーのすけの年齢ではチャレンジするのに遅すぎたということもあって、除外してあります。
20年ほど前に、仕事の関係で和歌山に赴任したのがそもそもの始まりでしたが、当時の部下だった関係者と今でも親しくさせていただいており、熊野古道を歩くのを口実に彼らと美味しいものを食べ、美味しい酒を飲むのが本筋だったのかもしれません。前の晩に酒を飲みすぎてしまい、翌日の古道歩きが二日酔いのために中止になってしまうこともしばしばで、そんなことがなければ、20年もかからずに踏破できたであろうこともたしかです。
この長きに渡り、文献調査や事前の現地調査をしてよーのすけを先導するとともに、宿の手配までを引き受けてくれたY田クンに深甚からの感謝を申し上げます。
また、自らは歩かずにサポートカーを出してくれ、ポイント、ポイントで我々をピックアップしてくれたY野さんにも、深く深く感謝を申し上げます。
さらに、厳格な親分として我々の精神的な支柱となってくださったK本さん。このほかにもたくさんの仲間たちに囲まれて、熊野古道を踏破してきたのですが、今回伊勢路を歩き終えたことで、めでたく「完結」とさせていただくことにしました。
伊勢路の最後の様子はフォトギャラリーをご覧ください。
2014年12月6日
志古~本宮大社(その1)
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志古~本宮大社(その2)
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志古~本宮大社(その3)
2014年12月7日
志古~本宮大社(その4)
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志古~本宮大社(その5)
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志古~本宮大社(その6)
Posted at 2015/01/12 17:22:35 | |
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山歩き | 日記