先日手に入れた一眼レフの交換レンズを使ってみたくて,ちょっと行ってきた。
甲斐の猿橋。
両岸から梁を迫り出して架けた橋。
昭和9年まで現役で使われていたそうだが,今でも橋としてちゃんと渡れる。
転居して山梨県が近くなったので,気軽に行ける距離になった。
それでも70kmほどの行程だ。
時間はあるので,高速道は使わずに下道だけで向かった。
山中湖をかすめる道には,まだ雪の溶け残りが泥まみれで残っていた。
そういえばこの冬はまとまった雪に触れていないのかも。
道の駅:富士吉田で昼食を食べた。
暖かい蕎麦。
白いキノコが沢山入って旨かった。
隣のおじさんがピンク色の蕎麦を食べていた。
桜の花を練り込んだ桜蕎麦だって。
あれにすればよかったかな。
この道の駅では,富士山を濾過して湧き出た水が人気で,沢山の人がポリタンクで水を汲んでいた。
注意書きによると,お一人様18リットル缶三つまでとし,それ以上汲む方は列の最後に回れとある。
一人で18リットルを3つ(計54リットル)を持てるのか?
手ぶらで来た人には,2リットルの空ペットボトルが100円で売られていた。
空のボトルに100円はたけぇだろ。
猿橋は言わずと知れた日本三奇橋のひとつだ。
しかしこの三奇橋,三つに留まらないのだ。
甲斐:猿橋(さるはし)
日光:神橋(しんきょう)
岐阜:桟(かけはし)
祖谷:葛橋(かずらばし)
黒部:愛本刎橋(あいもとはねばし)
山口:錦帯橋(きんたいきょう)
と,実に6つも挙げられているのだ。
三つに絞れないなら,「三」に拘る必要も無かろうに。
岐阜の桟と黒部の愛本刎橋はすでに存在しない。
私は黒部以外は全部観てきたし,渡れる橋は渡ってきた。
岐阜のは跡しか無かったけど。
猿橋はその昔猿が藤蔓を伝って渡ったのが始まりらしいが,喜永四年(1851年)に今の形で架けられ,江戸時代もこの姿・規模は変わっていないとのこと。
橋を見ていた老夫婦が話していたことが耳に入ってきた。
「子供のころは蔓の吊り橋だったのよ」
「おお,そうだな,憶えとるよ」
この二人,いったい何歳なのだ?
Posted at 2007/04/21 18:33:30 | |
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