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トナカイとキマロキ編成
今回の北海道ツーリングは大当たりで、天候にずーっと恵まれてました。しかし、この日だけは天気がイマイチとわかっていたので早めの移動で。
2024年4月30日(火)曇のち雨!
部屋から見る稚内の景色は鈍よりしておりました。
どうも稚内は天候に恵まれえることが少ないなぁ~いつか礼文島と利尻島をバイクで走り回りたいと思っております。
でもそれは当分先になりそうだなぁ。。。
ドーミーイン稚内
ホテル名:ドーミーイン稚内
ここは朝食と大浴場が決め手となっております。朝食は充実しているけど、以前より豪華さが欠ける気がしているのはワタシだけなのかな?前にもお伝えしましたが、どうもドーミーイングループのホテル運営の考え方がはワタシ的に好みではないので、選択肢がない時に利用させていただいております。
それにしてもドーミーイン稚内の朝食は素晴らしい。イクラ丼がうんめー!
小鉢もありがたいねぇ~
パンを食べましたが、コレも美味しかったなぁ。稚内に来るんであればこのホテルになるかなぁ・・・たまには違うホテルも気になるけど。。。
稚内港北防波堤ドーム
施設名:稚内港北防波堤ドーム
北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたとき、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、昭和6年(1931)から昭和11年(1936)にかけ建設された防波堤です。
樺太へと渡る人々で賑った頃のシンボルでもあり、古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は、世界でも類のない建築物として内外の注目をあびています。
半世紀を経て老朽化が著しかったため、昭和53年(1978)から3年間、全面的に改修工事が行われ、昭和55年(1980)にその独特の景観がよみがえり、高さ13.6m、柱の内側から壁までが8m、総延長427m、柱の総数70本、半アーチ式の構造形式です。~HPより~
大昔はここでテント張って寝泊まりしている人もいたようですが、今はNGなのかな?!
ゆめ地創館
施設名:ゆめ地創館
本当は隣のトナカイ牧場へ行こうと思ったのですが、早くて開いていなかったので、コチラに立ち寄って見学されて頂くことに。
原子力発電所で使用された燃料は、再処理を行うことで約95%が再利用できるようになります。一方、残りの約5%は再利用できない燃えカスで、高レベル放射性廃棄物と呼ばれるものになります。
幌延深地層研究センターでは、高レベル放射性廃棄物の地層処分技術に関する研究開発を行っており、併設されているゆめ地創館では、一般の方にもご理解いただけるよう、研究内容を分かりやすい説明と展示方法でご紹介しています。(※放射性廃棄物を持ち込むことや使用することはしていません)
また、館内に設置しておりますリアルタイムモニタにて、地下施設の現在の整備の様子をご覧いただけます。~HPより~
福島へ行った時に『東京電力廃炉資料館』を拝見させて頂き、原発事故の恐ろしさを感じました。
町は13年経過しても、時計が止まっているかのように感じました。一方で怖いとはわかっているけど、このエネルギー問題はずーっとついて回るので、解決策も必要なんだと改めて感じたりもしましたね。。。
今回のこの施設では、核燃料の処分にフォーカスを当てた研究がなされているわけですが、核燃料の廃棄処分をどのように進めるかなんて、あまり考えたりしたことなかったですが、この施設で改めて学ぶことが出来ました。今回も勉強になりました。。。
トナカイ観光牧場
施設名:トナカイ観光牧場
もっと立派な角を想像していたけど、結構優しそうな角でしたね(笑)
雄信内駅
駅名は(おのっぷない)と読むそうです。宗谷本線の駅です。
電車は1日3本くらいですね。
奇跡が起きました!1日3本の列車を偶然遭遇することができました\(^o^)/
さよなら!!!
天塩中川駅
新千歳空港まで9,260円ってマジですか!!!
駅舎の雰囲気・・・
それでは行きましょうかぁ~
音威子府村の皆さま おじゃましま~す!!!
道の駅 おといねっぷ
音威子府駅
鉄分撮り過ぎ注意だそうですよ~撮り鉄の皆さま!!!
駅構内はご覧の通り
昔の弁当売り・・・大昔子供の頃親にこの手の弁当買ってもらったことがあって、それがメチャクチャ嬉しかったんですよね。
あと冷凍みかんセットで(笑)
有名な音威子府の蕎麦屋さんは閉店されてましたね。。。
次へ行こう!
オカモトセルフ名寄
SL排雪列車「キマロキ」編成
施設名:SL排雪列車「キマロキ」編成
HPはこちら(
SL排雪列車「キマロキ」編成)
北海道の開拓が始まり、明治33年には名寄にも開拓の鍬が入れられ、明治36年9月3日に現在の宗谷本線が名寄まで開通しました。そして、機関区をはじめ保線区や車掌区、電務区などの関係機関が次つぎと開設されました。名寄市は鉄道の発達とともに歩んできたまちで、宗谷本線と、今は廃線となった名寄本線・深名線の分岐点として、道北の交通、文化、産業の中心都市として発展を続けてきました。
時代の移り変わりとともに、昭和50年の12月で全国からSLの姿が消えましたが、名寄に配置されていて、道北の厳しい寒さと風雪を克服して活躍してきたSLを、国鉄当局(現在のJR)から、当時の排雪列車編成のまま貸与を受けることができました。
昭和51年10月末に、その雄姿を再現して名寄公園の高台に展示保存をし、市民をはじめ広く皆様に親しまれてきました。その後、平成元年4月に名寄本線が廃線となり、その跡地を含めた地区に博物館の建設計画が進められました。これに合わせて平成5年6月に、博物館前の旧名寄本線の線路上に移設展示をし、すぐ近くの宗谷本線を走る列車の中からでも、見ることができるようになりました。~HPより~
「キマロキ」編成とは、機関車の(キ)、マックレー車の(マ)、ロータリー車の(ロ)、機関車の(キ)の順に連結された、排雪用編成列車のかしら文字をとって、名づけられたものです。
雪の多い北海道や東北・北陸地方では、普通はラッセル式という逆V字型の羽根で、雪を両側にはねて線路の除雪をしますが、だんだんレールの両側に高い雪の壁ができて、ラッセル式では除雪が困難となり、列車の運行に支障をきたすようになります。そのような状態になったとき「キマロキ」編成の排雪用列車を出動させました。
これには、機関区員や保線区員など数十名が分乗し、一致協力のもとに作業に当たりました。先頭の機関車が両側の雪の壁をくずしてかき集めるマックレー車を引き、その集めた雪を、ロータリー車が回転する羽根で遠くへ吹き飛ばし、そのロータリー車を、機関車が後押しをするという一連の作業できれいに除排雪をしたのです。
「キマロキ」は1回出動すると1週間から10日くらい運転をしましたが、少しでも早く、不通となっている列車の運行をはかるため、厚く固い雪の壁との戦いは大変なものでした。
その当時は、冬の道路の除雪が行われていなかったり、道路の状態も悪く自動車も少なかったので、生活の足は鉄道に頼っている時代ですから、この偉大な機械力に、鉄道関係者にはもちろん、沿線住民の信頼を受け、賞賛されていたものです。~HPより~
最後に記念写真をパシャリ!
比布町の皆さま 肩凝ってないですか?おじゃましま~す!!!
雨脚が激しくなってきて・・・
上川町の皆さま おじゃましま~す!!!
少し早めにホテル到着!!!
ホテル大雪
以前、ここへ宿泊したことあるのですが、とにかく食事とサービスがピカイチだったので再訪しました。
小腹がすいたのでセイコマートの山わさびラーメンを頂きます。
コレがメチャクチャむせるラーメンでした(笑)
館内の様子
このチニタの湯はこじんまりとしてましたが、メチャクチャいい温泉でした。。。
夕食ですが、どれもこれもうんめー!!!
このウニのバター和えパスタがメチャクチャうんめー!!!
こんな一人ジンギスカンもできるんですよw
最後はデザートまで。やっぱ最高に美味しい食事だなぁ。。。
名寄ツーリング
走行距離:287.2km
燃費:23.9km/L
これにて名寄ツーリングは終了です。
しかし、翌日の本当の北海道の恐ろしさを知ることになろうとは、この時夢にも思っておりませんでした。。。
最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。m(_ _)m
Posted at 2024/05/22 08:19:30 | |
北海道ツーリング | 旅行/地域