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利根川の天然水のブログ一覧

2018年08月27日 イイね!

【コラム】 中国 東北地方の鉄道 「 満鉄 」の生涯

【コラム】 中国 東北地方の鉄道 「 満鉄 」の生涯                                              日本経営管理教育協会が見る中国 第529回 ――坂本晃

◆南満州鉄道の誕生

 1868年(明治元年)の明治維新から、1945年(昭和20年)第2次世界大戦の終戦まで、150年間は江戸時代からの士農工商という遺伝子を継承し、「富国強兵」に代表される日本国の政策は、欧米の植民地支配を見習う形で、工業中心で産業革命により経済を成長させると同時に、軍国主義の時代であった。

 1894年7月(明治27年)には日清戦争、清国と朝鮮を巡って戦争、8カ月後に日本は勝利し、当時のお金で、約3億円の賠償金と遼東半島と、台湾を日本のものにすることになった。

 1904年2月(明治37年)には、日露戦争、当時ロシアが中国東北部を占領し、日本の遼東半島の権益を侵されたのに対抗して開戦、日本海海戦に勝利するなどして、1年半後には終戦し、旅順・大連の租借権、満鉄の基本路線になる長春~大連間などの鉄道経営権、南樺太を日本領にするなどの成果を得た。

 1906年(明治39年)にこの鉄道経営権を母体に、日本の国策会社として南満州鉄道株式会社(満鉄)を設立、鉄道事業を開始した。主な路線である長春~大連間は、ロシアの手ですでに1903年(明治36年)敷設されていた。

 1910年(明治43年)には、日韓併合条約により、朝鮮半島を日本の領土にすることに成功した。

◆満州国建国から第2次世界大戦へ

 1914年(大正3年)に、第1次世界大戦が欧州で起こり、日本も参戦、工業を中心に空前の好景気をもたらした。

 1929年(昭和4年)には世界大恐慌が起こり、世界で多数の失業者が路頭に迷った。日本もその影響を大きく受けた。

 1931年(昭和6年)9月18日には、瀋陽郊外の柳条湖事件から満州事変へ、翌1932年(昭和7年)には、満州国を建国、実質的な役割は満鉄が受け持った。満州は五族協和を旗印に、日本人にとっては優雅な生活と、やりがいのある仕事を進められた。

 満鉄の子会社、撫順炭鉱や昭和製鉄所(現在の鞍山製鋼)の経営、長春、瀋陽、大連などの都市計画が飛躍的に進められた。これらの従業員の日本人社宅は、水洗トイレやペチカ、地域暖房も一部では導入され、日本人の小中学校も当初は、満鉄の実質的経営で開校された。

 1937年(昭和12年)7月7日に起きた、北京郊外の盧溝橋事件から日中戦争となり、日本が中国の主要部を制覇、汪兆銘による南京政府が機能した1940~1945年の間には、1941年(昭和16年)12月8日に、第2次世界大戦で主にアメリカに対して開戦している。

 1942年(昭和17年)11月号、日本の鉄道省編纂時刻表の地図によると中国は、「華北」と「華南」という表現で、北京、上海周辺の鉄道の旅客列車の時刻が掲載されている。当時は日本の領土であった朝鮮を経由して、東京から下関、関釜連絡船を経由し、釜山から満鉄線も経由して北京までの急行列車が2本、「大陸」「興亜」のニックネームで毎日運行されていた。

 満鉄が誇ったアジア号特別急行列車は、1934年(昭和9年)11月1日に運行を開始し、後に大連09.00発~ハルピン22.51着で往復運行されている。蒸気機関車が牽引し、最高時速130km、完全空調設備の客車、ロシア人のウエイトレスも、勤務していた食堂車などを連結、各等の客車、密閉式の1等展望車が自慢であった。戦争の激化に伴い1943年(昭和18年)2月28日で運行を停止した。

 1945年(昭和20年)8月15日に、日本はポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏した。その直前の8月9日、ソ連は満州に侵攻を開始、関東軍の主力は南方へ移動済みで、満州での戦闘は極めて局地的だった。

 終戦当時の、満鉄は空襲などの被害もなく、無傷でソ連軍の大部分は満鉄を活用して、大連へ侵攻したと推測される。

 1945年(昭和20年)9月22日には、中国側の組織「中国長春鉄路」に、満鉄の業務は引き継がれ、満鉄は消滅した。しばらく間は、元満鉄の従業員が運営した。満鉄の日本人従業員は徐々に引き揚げた。その後現在の中国国鉄に吸収され、2018年(平成30年)現在の満鉄路線はそのまま中国国鉄が運営、日本でいう新幹線、高速鉄道は全国に建設され、旅客の移動の多くはそちらを利用し、在来線は貨物輸送が主流と推測される。(写真は、満鉄が誇ったアジア号の機関車=1981年撮影。提供:日本経営管理教育協会)                                     サーチナ     2018-08-22 10:32                                              
Posted at 2018/08/27 08:24:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味
2018年08月27日 イイね!

中国人と違う日本の 遺伝子を、生むこととなった 天武天皇が行った 2つの「大事」 =中国メディア

中国人と違う日本の 遺伝子を、生むこととなった 天武天皇が行った 2つの「大事」 =中国メディア 古代中国よりさまざまな、文化や制度を取り入れてきた日本だが、全てのものをすんなりと受け入れた訳ではない。宦官制度はその代表例と言えるだろう。そして、中国渡来の文化を受け入れる一方で、中国大陸とは異なる日本独自の制度や習慣を培ってきたのである。

 中国メディア・今日頭条は24日、「日本の天武天皇による政策が、日本人の遺伝子を変えた」とする記事を掲載した。記事は、第40代天皇である天武天皇について、「文武両道を極め、才徳を兼備し、天文学や占星術にも精通していた」と日本の史書に記載されていると紹介。7世紀後半における同天皇の執政期間中に、日本の中央集権体制が確立されるとともに、「日本に大きな影響を与える2つの大事が行われた」とした。

 1つ目は、「現在にまでつながる、天皇制度の開始」だ。同天皇以前の日本は中国の君臣制度に学んだ政治制度を採用しており、臣下が常に大王(おおきみ)の、政策決定に影響を与えてきたと紹介。それが同天皇によって専制政治が行われ、中央集権体制が確立するとともに、天皇の称号が用いられるようになったと説明した。

 2つ目は、675年に「 肉食禁止令 」を出したことである。記事は、仏教を信奉していた同天皇が肉食禁止令を出し、肉食や殺生を禁じたと紹介。日本ではこれ以後1200年にわたって、肉を食べない歴史が始まったとしたほか、「これにより日本人の栄養は著しく不足し、平均身長が低くなり、名実ともに、『小日本』になったのである」と伝えている。

 さらに、明治に入って西洋人との体格差を、痛感した政府が肉食を解禁したものの、1世代で国民の身長は高くなるはずもなく、「抗日戦争期まで、日本の兵士の平均身長は、中国兵士より10センチメートル低かった」と解説した。

 最後の解説は大きなお世話、といったところである。そして、全ての日本人が1200年間全く獣肉を食べなかった訳ではない。ただ、肉食が宗教的なタブーとして、日本人の精神に深く根差し、肉食を目的とした家畜の飼育が、明治時代まで発展しなかったことは間違いなさそうだ。同天皇が出した禁令は確かに、家畜業が非常に盛んで大いに豚などの肉が、食されてきた中国大陸とは異なる道を歩むきっかけになったと言えそうだ。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)    サーチナ                         2016-12-28 14:12
Posted at 2018/08/27 06:22:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味
2018年08月27日 イイね!

同じ儒家思想の、影響を受けた 日本人と中国人 どうしてこんなに 行動が違うの? =中国メディア

同じ儒家思想の、影響を受けた 日本人と中国人 どうしてこんなに 行動が違うの? =中国メディア  日本は、古代の中国から様々な文化を学び、吸収してきた。それらを長い年月をかけて消化し、自国の社会や風土、習慣にあうよう変化させることで、中国本土にはない日本独特な文化が生まれていった。中国から伝わったものの1つに儒教があるが、日本では神道、仏教と融合することにより、やはり日本独特の儒教精神が培われたのである。

 中国メディア・今日頭条は17日、「同じ儒家思想の影響を受けながら、日本人のこれらの行為は、どうして中国人と相反するのか」とする記事を掲載した。記事は、同じ儒家文化の影響を深く受けている日本と中国は、実際のところ「やや似ている隣人」に過ぎないと説明。しかし、両国民の思想観念、行動方式、家庭倫理、道徳規範には明らかに差があり、相反することすらあるとした。

 日本人と中国人で、大きく異なる観念を3つ挙げている。1つ目は、夫の浮気に対する妻の態度だ。中国の女性はこの問題に対して「議論の余地なしという姿勢をとり、血なまぐさい事件が起きる可能性すらある」とした。一方日本では、夫が夜酒を飲んだり女遊びをするのは一般的な行為であり、半ばオープンになっていると説明。しかも、このような遊興費が家計から出されているとし、「最も理解に苦しむ」と伝えている。

 2つ目は、「仁」に対する解釈。中国では、「仁」は封建社会の倫理体系における、最高の指導原則であり、中華文化の産出に極めて大きな影響を与えたと紹介。一方日本では、「仁」は階級制度を重んじる日本の倫理道徳体系から排斥され、非合法な行為、懲罰を受けるべき行為とみなされるようになったとした。

 最後の3つ目は、日本人は冷たいものを好み、中国人は温かいものを好む点だ。これがどのように儒家思想と結びつくのかよく分からないが、記事は「中国人はお湯を飲むのが好きであり、日本人はお冷が好きだ」と説明。さらに、日本の女性は「世界で最も寒さに強い生物」であり、冬でも生足を露出して美しく笑っていられると伝えた。

 西洋人には体型や顔つきは、全く同じに見える日本人と中国人だが、西洋人だって互いの性質をちょっと知ればそれが、「似て非なるもの」であるとの認識を持つことだろう。それほど日本人と中国人との間には微妙に異なる点、全く異なる点が多いのである。そして、日中両国の国民どうしがその違いをしっかり認識することも、互いにうまくやっていく上では必要なのだ。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)                                            サーチナ                                         2016-12-20 11:12  
Posted at 2018/08/27 05:59:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味
2018年08月27日 イイね!

日本の清潔さは きれいに並んだ バイクからも見て取れる! =中国メディア

日本の清潔さは きれいに並んだ バイクからも見て取れる! =中国メディア                                               中国メディア・今日頭条は14日、「日本はどれだけ清潔なのか? きれいに並んだ、バイクを見ればすぐ分かる」とする記事を掲載した。

 記事はまず、日本のバイク事情について紹介。「わが国はバイク大国で、大小さまざまな企業がいろいろなバイクを製造しているが、決してバイク強国ではない。かたや日本のバイク産業は、自動車産業と同様に発展しており、とっくにバイク強国の仲間入りをしている」とした。

 また、日本のバイクはハイエンド・ミドルエンド・ローエンド、すべての領域で優位性を持っており、技術や研究開発力も強いとし、国産はもちろんのこと輸入バイクを含む、様々な種類のバイクを至る所で見かけることができると説明した。一方、中国のような電動スクーターは極めて少なく、あったとしてもリチウム電池が利用されており、環境汚染のもととなる、鉛蓄電池が使われることはないとしている。

 そのうえで、日本の街に存在するバイク駐輪場の様子を紹介。スクーターや小型バイクがきれいに並んで駐輪されている様子に、「日本の秩序正しさが、ここにも体現されている・・・」とした。また「東京の人口密度はわが国よりはるかに高く、バイク等の置き場も大きな問題になる。しかし、バイクや自転車の駐輪場では、無秩序に置かれている現象を、見かけることはとても少ないのだ」と説明した。

 記事はさらに、駐輪マナーのみならず、バイクの運転マナーもしっかりしており、「他人に迷惑を掛けない」というのが運転者の守るべきルールの1つになっていると紹介。その一方で、夜間に出現する暴走族も有名であることを伝えている。

 中国のネットユーザーからは、記事に賛同する感想が多く寄せられた。また「運転した後でもタイヤはきれいなまま。わが国ではありえない」といった主旨の意見もあった。バイクからは日本の道路が中国に比べて清潔であることも分かる、ということのようだ。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)                                                      サーチナ                                        2017-05-17 09:42
Posted at 2018/08/27 05:51:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味
2018年08月27日 イイね!

唐の名残は日本に、明は朝鮮半島に、民国は台湾にあり! 今の中国には、昔の面影なし!

唐の名残は日本に、明は朝鮮半島に、民国は台湾にあり! 今の中国には、昔の面影なし!  近ごろ、中国の伝統文化を、日本が受け継いで発展させている、中国の古都の面影が日本に残されている、といった話題が中国のネット上で目立つ。場合によっては、「京都の街並みは唐から盗んだもの」といういささか、乱暴な「褒め言葉」も見られる。

 中国メディア・今日頭条は21日、「日本を初めて訪れて、わが国の唐朝のように感じた」とする写真記事を掲載した。記事は全部で12枚の写真を掲載、一般的な日本の戸建て民家、木材が多く使われたインテリア、大阪の繁華街、高台から見下ろす川の眺め、日光江戸村、伊豆、人力車夫といった様子が紹介されている。

 記事では、唐の都・長安の面影を残すとされる、京都の写真は1枚も紹介されていない。京都のみならず日本の様々な部分に、古代中国のエッセンスが残っているということなのだろうか。写真を見た中国のネットユーザーからは、日本の清潔感や静かさを、評価する声が少なからず寄せられた。「実際に行って見てみたい」、「見終わって、国内では見られないことに心が痛んだ」との感想もあった。

 また、印象的なのは「盛唐を見るなら日本に行け、民国時代を見るなら台湾に行け」、「唐は日本にあり、明は南北朝鮮にあり」といったコメントだ。中国は過去の王朝が残してきたものを、現代に伝えられなかったことを、皮肉めいて表現したものと思われる。「中国の今の都市発展はまともでない。2000年の歴史を持つ、古代国家の特徴がほとんどない」との意見が見られることからもその嘆きっぷりが伺える。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:(C)chatmali/123RF)         サーチナ             2016-12-25 13:12
Posted at 2018/08/27 05:40:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味

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「発車3分前の列車でも余裕で乗れる日本の鉄道、中国じゃ絶対あり得ない! =中国メディア http://cvw.jp/b/1528111/42009436/
何シテル?   09/30 18:04
「利根川の天然水」です。よろしくお願いします。                                          座右の銘、 『鈍刀を磨く』 ・...
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