
② ブランドとしての誇り
これは逆に言えば、安くそして内容的にもすぐれた日本車(今は韓国車などもそうなんでしょうが)が出てきたことで、彼らがしがみついた要素なのかもしれませんが、そういった新しいメーカーに対抗しうるもの(というかそういうメーカーには決してまねできないもの)として、多くの外国メーカーがこの点に力をそそいできたことは、これも良くも悪くも日本車とは違う点なのでしょう。正直言うと僕にとって外車は、このことが鼻につく存在でもありました。ブランドであるということだけで、多くのペイを要求することに納得できなかったし、そのブランドをひけらかすためにその車を選ぶという選択方法も、納得できませんでした。(今でもせこい僕は、ペイした分だけの満足度を車に求めます。その視野に立ってみると、その要求にこたえられる車は、たとえ外車であろうとも、いや、むしろ外車だからこそ、それほど多くはないと思っています。無尽蔵にお金が使える人ならいざ知らず、こちとら頑張って出せる虎の子は限られているわけですから。)
このように鼻持ちならないこの「ブランド意識」ですが、しかしこれを維持するために、彼らがそれ相応の努力をしていることもまた確かなのだと思います。このところの各社の個性的な顔つきへの転換などは、ある意味リスキーで、日本メーカーも、やりかけては何度も失敗を繰り返してきたことです。BMWにしろ、アウディにしろ、最近のプジョーにしろ、一歩間違えれば会社そのものがひっくり返るほどの賭けです。その賭けをさせるほどのブランド意識というのは、確かにこれはこれで認められるべきことでしょう。また、ブランドというのは見た目だけで作られるものではありません。例えばBMWといえばFRという記号、彼らはかたくなにこの記号にこだわっています。パッケージやコストといったことは無視しても。逆に言えばこのような記号がわれわれユーザーにとっても意味のあるものになった時、これらのものが何ものにも替えがたい存在になるのです。ここにコストをかけることにユーザー側も納得するのでしょう。国産メーカーが、なかなか真似できない点もここにあります。
(写真はAUDI A6。最初このシングルフレームを見たときは、「なんじゃこりゃ!」と思ったことを覚えています。今では「AUDIはこれでしょう!」と思う自分がいます。)
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自動車 | クルマ
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2006/03/24 22:09:16