2024年03月29日
自動車資料保存委員会 編
三樹書房
冒頭48頁まではカラーで当時のカタログを見ることができる。
古い車のカタログは機能やメカニズムに関する記載が多いので面白い。
あまりに情報量が多いため、興味のある部分のみ抜粋して読んだ。
しかし、その内容一つ一つは当たり障りのない程度のものであり、例えばカプチーノに関していえば目新しい情報はなかった。
特定車種(例えばジムニー)のマニアにとっては物足りない内容であろうと思う。
また、当然だがスズキ以外の情報がほぼ無いため、当時の他メーカー競合車をある程度知っていないと深く理解ができない。
一番の読みどころは、スズライト/フロンテTLA/フロンテFEAの章だ。
スズキ本社に隣接するスズキ歴史館にひときわ特別感を持って展示されているスズライトは、ドイツのロイトLP400を範としている。
面白いのは、この時代のスズキは当時画期的だったFF方式を採用していたが、RR方式のライバル車に比べ重く、価格も高かったため商売としては失敗であったということだ。
赤字は二輪部門が埋めていたらしい。
「軽自動車のスズキ」となるのは後継のフロンテLC10が登場してから。
FF方式を捨てたLC10は大ヒットだったが、それもホンダN360の登場で一気に古臭くなってしまうのはなんとも皮肉である。
スズキが、安さだけでない本当の人気を得たのは、1993年のワゴンR登場以降ではないかと思う。
日本国内では、スズキにはどうしても「安かろう悪かろう」のイメージが付き纏う。
旧いスズキ車の生存率は(ジムニーを除いて)低い。
FF方式や3気筒など革新的なメカを誇りながら、初期に成功した2ストロークエンジンを使い続けたことも良くなかったかと思う。
80年代生まれである私のような人間にとっては、それも強烈な個性になるのだが。
Posted at 2024/03/29 11:21:28 | |
読書録 | 日記
2024年03月28日
鈴木 孝 著
グランプリ出版
鈴木博士は自動車殿堂入りもされている高名な先生だが、その文章は非常に柔らかく読みやすい。
挿絵の手書き図説はわかりやすく、美しく、タッチに味があり、ユーモアも感じられる。
時折あらわれる文学的表現にも氏の教養の高さとセンスの良さを感じる。
第1章は二輪馬車チャリオットから始まり、第2章キュニョーの蒸気自動車と続く。
私のような機械の素人でも読みやすく、どんどんと引き込まれる。
ジェームズ・ワットの蒸気エンジンよりも以前に作られたキュニョーの蒸気自動車は、クランク機構を用いずどうやって車輪を回したのか?
戦時中の日本でよく走っていた木炭自動車は、蒸気自動車となにが違うのか?
成功した空冷エンジンの設計にはどんな秘密があったのか?
埋もれてしまった過去の技術を、筆者が一つ一つ紐解いていく。
82頁に興味深い記述がある。
1902年のニューヨーク自動車ショーに展示された展示車の内訳は、蒸気自動車58台、電気自動車23台、ガソリン自動車58台だったそうだ。
どちらが優れているとか、新しいから優れているとか、そういう単純な話ではないのだ。
現在解決困難な問題を解くカギは、過去に捨て去ったものの中にあるかもしれない。
自動車や産業機械の博物館へ行ってみたくなる一冊だった。
Posted at 2024/03/28 14:47:34 | |
読書録 | 日記
2024年03月15日
飯島洋治 著
日刊工業新聞社
タイトル通り、あくまでも基礎知識レベル。
これまでうろ覚えだった言葉を再確認するのに良い本だと思う。
セミトレーリングアーム式のセミとは何を意味するのか。
キャスター角とセルフアライニングトルクの関係。
アッカーマンジオメトリーがなぜ必要なのか。
この本を読めば、何故カプチーノのステアリング機構が前引きなのかといったことも順序立てて理解できる。
また、自分でサスペンションセッティングを弄る際のヒントも載っている。
例えば、なぜストラット式はダブルウィッシュボーン式に比べネガティブキャンバー角をつけるのか、図を用いて説明されている。
重心とロールセンターの項目に関しては、私の中で朧気だったものがスッキリした。
図が明瞭で分かりやすい。
前半部は教科書的だが、旧い車種のサスペンションの図説は見ているだけで面白い。
筆者も述べているが、現代ではそのような個性的なサスペンションが少なくなってしまった。
珍しい車種を見かけたら、ぜひしゃがみこんで眺めてみたい。
Posted at 2024/03/15 14:15:01 | |
読書録 | 日記
2024年03月08日
島田裕巳 著
講談社現代新書
歴史に登場したさまざまな帝国が、その発展のため宗教をいかに利用してきたか。
逆に、宗教がその発展のため、いかに帝国を利用してきたかを追っていくという内容。
各論は
第2章 ローマ帝国とキリスト教
第3章 中華帝国
第4章 イスラームとモンゴル帝国
第5章 ローマとコンスタンティノープル
第6章 オスマン帝国とムガル帝国
第7章 海の帝国から帝国主義へ
となり、地域別に進むため非常に理解しやすい。
イスラームについては前回の本で触れたので、今回は中華帝国、そしてその影響を強く受けた日本について少し書きたいと思う。
中国について論じる時、中華思想と儒教は避けて通れない。
この「中華」の定義する地理的範囲は時代によって異なるが、中国の歴代王朝はこの思想を以て、周辺国を朝貢というシステムによって緩やかな連合体を形成した。
朝貢は、中華王朝よりむしろ周辺国にとって経済的にメリットがあるもので、一方的な支配体制ではない。
中華の皇帝は、その「徳」の高さを周囲に知らしめ、その文明を広めていくことが責務だと考えられていた。
この「徳」という考え方こそが儒教である。
孔子が説いた相手は一般大衆ではなく、為政者だった。
儒教の面白いところは、死後については一切語らず、あくまで現実世界での問題にのみ集中している点である。
為政者が徳を失った時、地上を支配する「天」は易姓革命によってその地位を奪う。
だから皇帝を支える官僚たちは、科挙によって儒学的教養を極めた者が選ばれた。
日本でも、江戸時代に入ると儒学のなかでも身分や上下関係を重視する朱子学が幕府によって盛んに広められる。
現代イメージされる日本人像は、この時期に出来上がったといえる。
漢字、仏教、律令制、貨幣など、日本は中国や朝鮮からの影響を絶えず受け続け、文化を形成してきた。
これに反発したのが、本居宣長らの国学だ。
その柱は、天皇と神道である。
『現在でこそ神道は宗教の一つとされていますが、第二次世界大戦前の日本では神道は「国家の宗祀」と位置づけられ、宗教の枠からは外されていました。(中略)神道は宗教の枠から外されることで国民道徳として強制されました。』(211頁より)
なぜ海外にも多く存在した神社はほとんど廃れたのか。
なぜ神道の信仰は中国、朝鮮、台湾、東南アジアに根付かなかったのか。
それは、神道とは創始者も明確な教義も無い、儀礼だけの宗教だからだ。
自発的にせよ強制的にせよ、神社に参拝することで神秘的な感覚を味わうことはあっても、神道にはもとからの信仰を捨て去せるほどの説得力は無く、人の内面を変えるまでには至らないということだ。
昨今、「伝統」という言葉が溢れ、さまざまなことに合理性をもたせる説明に使用されている。
だが、そこには本当に歴史的裏付けがあるのか?
それは理論立てて説明ができるのか?
皆さんご自身で、よくよく吟味していただきたい。
Posted at 2024/03/08 22:38:51 | |
読書録 | 日記
2024年03月01日
宮田律著 PHP新書
著者は国際政治やイスラーム研究の専門家ということでこの本をチョイス。
タイトルに世界史とあるが、歴史を語るのは前半部。
近世までは世界史の授業の軽い復習だが、近代にくると一気に面白くなる。
日本には仏教、キリスト教に関する書物は多いが、イスラームについてはそうではない。
中世イスラーム帝国の躍進は、イスラームが本来もつ寛容性が、さまざまな土地の人、文化、学問を吸収し、多様性を認めた社会であったからこそもたらされた繁栄だった。
報道にみる現代のイスラームの過激なイメージとはかけ離れている。
イスラエルのパレスチナ侵攻と、それを支えるアメリカ。
現在起こっているこの複雑な問題にある背景は、古代から歴史を振り返らなければ理解できない。
われわれ日本人は宗教に特に無関心であるがゆえに、宗教を理由に人々が争っていることが今ひとつ理解できない。
だが、本当に宗教だけが原因なのか。
深い信仰心が無いからこそ、さまざまな宗教を広く浅く学び、そしてその背景にある歴史を学ぶことが出来るのではないかと私は思う。
Posted at 2024/03/01 09:41:58 | |
読書録 | 日記