
科学とは、実験や計測データーを元にして展開される法則の発見や理論である。
だから理論による再現性が非常に重要であり、元になるデーターは一度測っただけではなく、継続的な観測こそがデーターとして価値が見出される。
火星人は科学の成果
かつて観測が元で「火星に生物がいる」という科学的な情報がもたらされた。
何度もの観測結果、火星には模様が多数あり、その模様の翻訳が運河と訳されてしまった。ならば、それは火星全土に水をもたらす為の運河であるだろう。これだけの大規模土木工事を行える生物は、人類より発達した科学力をもった知的生命体に違いないと。。。。
科学者スキャパレリの観測結果の誤訳と科学者ローウェルの火星人存在説が合体したことで、火星に知的生命体の存在の可能性が濃厚になってしまった。
これは、今日では、どんなにおかしい結論にみえたとしても、科学の範疇である。
間違った観測、間違った翻訳の結果ではあるが、少なくとも両者は科学者として継続的観測をしていっての結論であるし、当時の観測機器での観測結果であるのだから、そのような発表がなされたのである。
この後、追観測をいろいろな科学者が行ったが、誰も運河にみえるものは観測出来なかったし、ローウェルの描いた幾何学模様も観測することは出来なかった。
つまり、観測においての再現はなされなかったのである。
そして、火星人はいなくなったのだ。これが科学というものである。
ついに火星人来襲!!
一方、それから随分と年月が流れて1938年にもなって、火星からの侵略者がアメリカのラジオに登場する。
かの有名な「宇宙戦争」である。
これは、ウェルズが先の火星観測の経緯から書き上げたSF小説が原作のもので、この小説自体は1898年に発表されたものだ。
ニュース報道の形式で放送されたラジオドラマは、ニュージャージに現れた火星人侵略兵器の件で大パニックをひき起こした。
このニュースドラマ形式は、その11年後にもエクアドルで21名もの死者をだしてしまう。
「火星人が、隕石に混じって地球侵略にやったきた」
いくらニュース形式のドラマとはいえ、ここだけ読むと、これだけ荒唐無稽なことに何故に死者まで出す羽目になってしまったのかと疑問を持たれる方も多いだろう。
しかし、これこそが「サイエンス・フィクション」であり、「空想科学物語」というものだ。
いわゆるサイエンス・フィクションの方の「SF」とは、科学によって裏打ちされている空想の物語である。
宇宙戦争は、19世紀末の最新の科学に裏打ちされていた「ありえるかもしれない物語」である。
そして、火星人がいるかも知れないという衝撃的な研究のことを知っていた人達も多かっただろう。
勿論、火星の運河は見間違いだったことも大部分の20世紀初頭の人達は知っていただろうし、火星人は恐らくいないだろうという知識はあったはずだ。
だが、ほんの少し「いや、もしかしたら・・・?!」という気持ちがあった人達も多くいたに違いない。
その人達が、何も意識しないで高視聴率・大人気の歌謡番組を見ていて、全然人気がない歌手が出てきたのでチャンネルを回す。
回していると、ニュースで何やら喚いているのが流れてくる。
ふと、チャンネルから手を離して、よくニユースの内容を聞いてみる。
ニュージャージに落下した金属の円筒が陸軍と交戦中らしい。
戦車が全く歯がたたない?
家屋より巨大な三本脚のものが歩いている?
火星人だといっている!! 火星人!! 大変だ!! どうすればいいんだ!?
そう。まるで、現在、ネットで地震と原発を中心とした破滅のシナリオを読んでしまい、右往左往する我々の様なものだ。
SF日本半分沈没のシナリオ
これは昨今、賑わしている東北関東大震災に起因する原発の事故の話題と一致する部分が多いように思う。
原子力発電所、原子炉は純粋に人類の科学の発達の過程で生まれてきたものである。
抑制方法を見出したことによって、核分裂の技術は兵器としてではなく人類の新しい「火」として使用可能となった。
日本は、核爆弾が二発落とされている過去をもっている。その為、放射性物質を使用するものについては非常に神経質であり、またそれが当然であると思う。
平和利用とはいえ、強力な放射性物質を使うことに対して「原子炉とはどんなものか?」を調べ、安全性等についてよく考察する人達がいるのも至極、当然のことである。
その考察の中で、耐震について原発は、どの程度考慮にいれた設計となっているのか。
海岸に隣接された施設は、どの程度の津波を想定しているのか。
地震と津波が同時に起こった場合、どの位の規模が原発を襲うと設備として危機的状況になるのかを導き出すのは、そんな高い思考のハードルではない。
そして、設計あるいは想定限界を超えた規模の災害が襲った時に、どこがどの様に危険なことになるのか?(規模の程度問題はあるが)がある程度導き出される。
ここまでは、科学的推察といえるものであり、災害への対策も色々なデーターから、この様な思考実験を行い設計に織り込まれていくものである。
逆にいってしまうと、ある程度、原発問題に関わり学習している者ならば、今回の福島第一原発の被った津波が給水設備や冷却設備を破壊してしまった時点で、水素爆発から水蒸気爆発までのシナリオというのは規定の話であり、原子炉事故想定の定番でもある。
それらの意味において、ここまでは「科学」の話であり、現実になりうる予想であった。
、ここまでのことをネットで想定(実際には、明確な水蒸気爆発は確認されていないが)し、露出していると、ここから先は、「宇宙戦争」と比較してみると、なかなか興味深いことになる。
ネット上で水蒸気爆発までの規定のシナリオで公開していると、実際のニュースは後を追うことになる。
問題は、ここから先のことについてである。
大災害時に冷却機能が失われた原子炉が水蒸気爆発を起こすまで発展する危険性があるので、それを避けるために色々な設備や対策がとられることになっている。
それに、水蒸気爆発を起こした後のことについては、原子炉の状態や原子炉施設内の使用済み燃料も含めた状態がどの様になっているのかが、千差万別であるため想定しきれない。
だから、いくつかの方向性は提示できても、ある一つの特定のシナリオというものには絞りきれないものなのだ。
すなわち、ここから先を「こうなる」というのは、まずフィクションであることを書き手は宣言しなくてはならない。
これは絶対的条件である。
(つづく)