さて最近見かけたデボネアなのですが~
3000ECIのギャラクシーホワイトさすがにグレードまでは…
ここまで綺麗に生き残ったのでこれからも大事にして頂きたいですね、、、
ところでデボネアV、ディアマンテの登場にて2000は縮小され3000メインの車種構成に
3000DOHCが6グレード
3000SOHCも6グレード
2000SOHCは2グレード
3000DOHCの最上級ロイヤルエクストラとロイヤルは本革・電制サス
スーパーエクシードとエクシードの差はリヤスポ・運転席P/Wシート・クルコン
アクアスキュータムはカジュアルなロイヤル
AMGは言わずもがな
これ以上は大変なので、前回の主要装備品のところを~
それと2000は全色オプション…
ということは、どれを買うにも追金!?
と思ったのですが、注文生産車だからですかね、、、
3000でも注文生産車はオプションの表記でしたので
自分が買うなら、AMGかロイヤルエクストラ
でも、現実に戻すとスーパーエクシードでしょうか、そしてフルエアロにして~
大穴は、こんな感じ!?
45000kmで88万!!
ウィンザーレッドフルエアロ渋いかも~
でもサンルーフ設定が無いので・・・ToT
1986年8月登場。22年ぶりのモデルチェンジが行われた。この2代目モデルのみ、「デボネアV」の名称となるが「V」には後述するV6エンジンや「VIP」など様々な意味を込めている。
発売の10年ぐらい前から計画しては頓挫という繰り返しだった。当初FRとして企画されていたが、Σと同様のFFに変更されたのは5年ほど前。
エンジンはV6横置きしか選択がなく、タイムリーにクライスラーから打診が入り、結果的に他社との競合の末に年間45万台をクライスラーへという大規模な契約ができ、これが、デボネアVが世に出る一番のキッカケとなった。
もう一つのキッカケは、当時三菱と提携関係にあったヒュンダイの「1988年のソウルオリンピックまでに、自国製の高級車が欲しい」というものであった。
共同開発とは言っても、実際の開発はほぼ三菱側が行ったと思われる。
要約すると「高級車のモデルチェンジを企図した三菱、高級車を作りたかったヒュンダイ、(アメリカ市場では比較的小型となる)V型6気筒エンジンが欲しかったクライスラー」の利害が一致した結果である。
後に150馬力までパワーアップした2,000cc「スーパーチャージャー」(1987年~1989年)と200馬力<1991年に210馬力にパワーアップ>の3,000ccDOHC24バルブ(1989-92年)が追加された。
3LのDOHCは、89年4月の税制改正によって、3Lエンジングレードの需要拡大に対応する必要があったことから、クラウンやルーチェ等に倣って追加されたものである。
開発コストの制約から、セダンボディしか用意できず、細部のデザインもパーソナルな雰囲気を狙っていた(バンパーやモール類、サイドのプレスラインなどにも初代ソアラの影響が感じられた)ところが、その一方でフォーマルユースを満たすためには、同時に後席居住性も重視しなければならなかった。
そこで、リヤシートのタイヤハウスの出っ張りを排除するため、リヤのオーバーハングを短く(=フロントのオーバーハングを長く)したため、かつての(アグリー)レオーネなどと同様、ダックスフントのような不格好なスタイルとなってしまった。
もちろん、三菱としても、拡販策として、西ドイツのチューナー、「AMG」社に監修を依頼し、デボネアAMGを用意していたし、後にイギリスの高級アパレルメーカーに内装を依頼したデボネア・アクアスキュータムを設定した。
さて、ギャラン・パジェロ・デボネアを掘り下げたわけですが~
次回はその通り!!
何でしょう!?ww
Posted at 2019/05/26 12:59:27 | |
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