*注*暇にあかせた長文なので別に読まれることを想定してません(笑)自分の想いをぶつけてるだけの駄文ですのでまとまりなんて有りません、以上よろしくお願いします。(爆)*注*
今回のクズどもの事件から私は一つの教訓が得られると思います。
勿論、騙したクズどもが一番悪い。
悪いのですが、
単に対策を考えておかないと、空き巣被害を繰り返される家の様な事になりかねませんし、実はもうそうなっているフシまで感じます(^_^;)。
これまでの事で
得れられる教訓はたった一つ。
「マスメディアが提供する報道上の話(ストーリー)は無視する。」
って事です。
良く番組宣伝に
こんなコピーが使われる事があります・・・
「困難に立ち向かい掴みとる、実話に基づく感動ストーリー!」
みたいな感じで(笑)。
こうしたドキュメンタリーは山ほど流されますが、
こうした情報には価値が無い
と言う事実に果たしてどれだけの人が気が付いているのか?私は時々疑問に感じるんです(^_^;)。
誤解していただきたく無いのですが、
困難に立ち向かい、克服したり、悲しみを乗り越えたりする物語そのものに意味がないとか、価値がないとか言う事ではありません。
自分と
違った立場の人間の悲しみや苦しみを知り、感動したり共感したり、心を動かされるのは大切な事ですし、そうした事を知るのは重要な事です。
そうではなく、
「マスメディアと言う受動的な情報源から、何かのストーリーを受け入れるのは価値がない上に意味も無いから止めよう」
って事なのです。
こうしたマスメディアからの
無価値な情報を無批判に受け取ってしまう事で発生したのが、今回のクズどもの事件なんです。
私達は繰り返し
何度もこうした無価値情報に振り回され、騙されて来ました。
もうそろそろ気が付きましょうって事ですよ。
では、ではこれら
マスゴミ情報が如何に価値が無いか、検証してみます(笑)。
一般的に
物の価値とは、その希少性で決まります。
希少な商品がヤフーオークションで高騰したりするのを見る事で、誰でも体感する事が出来ますが、
極論して分かりやすく客観視すればそうなってしまうんです。
マスメディアは「こんな感動話がある!これは泣ける!凄い!」
と、
情報の希少価値をアピールし、
受け手側も「それは凄い!」と、
情報価値に共感する訳です。
しかしその情報、全く希少性がないとしたら?(^_^;)。
「台所にイスとテーブルがある」
程度の情報だとしたら?
誰も気にしませんよね(^_^;)、当たり前だと思うだけです。
「困難に立ち向かい掴みとる、実話に基づく感動ストーリー!」
は、
その位当たり前に存在する情報なんですよ(^_^;)、
わざわざ電波塔から国家予算を数千億円もかけた設備を使って大発信する様な希少価値のある代物では無いんです。
それは
「日常」と言う事に過ぎません。
「そりゃ、お前は病気だし、入院してるから日常だろ!!」
って思われるかもしれませんが、
病院も生活の中の施設である以上、それは日常なんです。
ただ、
病院は人々の人生が接近している場所なので、人々の「日常」が
解りやすい空間である事は事実ですね。
13年ほど病院で入退院を繰り返し、
色々な「日常」を拝見しましたが、
「困難に立ち向かい掴みとる、実話に基づく感動ストーリー!」
が、
「台所にイスとテーブルがある」
と言う情報と同程度の希少性しかないと言う事を実感出来るかな?と言う
話と、③では数値的な検証をご紹介しますね。
実話は長いので、数値検証だけ選ぶならリンクからどうぞ。
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<別に信じてもらわなくても良いですが、以下は全て実話です。>
日常の実例1
「その○○○○○○は何の為?」
ある
冬の日の夜、同時私は入院先の病院のロビーの
公衆電話からかみさんに電話かけてました。
携帯電話有害論が騒がしかった時代で、勿論
院内は携帯電話禁止だったので、テレカ式の
灰色公衆電話です。
台数も少なくて、灰色公衆は
病棟(フロア)に1台しかなく、しかも
奥の単独で設置してあった変なエレベーターの前にあり、
目立たない上にナースステーションからも見えないと言う絶好のポイントにあったものですから、私は
消灯時間(21時(^_^;))以降にかみさんへのラブコールするのに毎日使っていたんですね(笑)。
その日も
「もうすぐ退院だね~」
なんて、
平和な話題を笑いながらしていたと記憶しています。
その時、消灯後の真っ暗な
廊下の向こうからこっちに早足で近づいて来る足音が!
「やべ!ナースに見つかったみたい!怒られる!」
「やだ、早く切って部屋戻りなよ!」
私は
何時も厳しい婦長が、体が手術から回復し、
毎日毎晩病院内をうろうろした上に、消灯時間以降もロビーで大声で電話したり、カップラーメンをすすってカロリー管理を台無しにしたりして、怒られてばかりいた私(笑)に、
遂にぶちギレて首根っこ押さえに来たか!?って、思いました。
その位に切迫した足音だったんです(^_^;)。
やべー!って思いながら、
受話器だけフックしたんですか、ナースから
逃げようにも、そこは廊下の突き当たり(^_^;)、奥には変な
何時も使って無い様な「開かずのエレベーター」が有るだけです。
「\(^o^)/オワタ」
私は
婦長にこっぴどく怒られることを覚悟して、カード抜いて
覚悟を決めて固まってました。
ところが・・・
足音は一つだけじゃないんです・・・
何人もの足音が聞こえてきて・・・
更に、
ガーーーーッと言う何かを転がす音・・・
そして、
そこに「すすり泣き」が混ざり始めました・・・
思わず
私は見た。
真っ暗な廊下の奥からベッドが現れて、その周囲を沢山の人が取り囲みながら早足で歩き、こちらにドンドン近づいてくるのを。
慌てて私は視線を前に戻し、受話器をフックした体制のまま・・・
石になりました。
すすり泣きに混じって
声が・・・
「お父さん!」
「お父さぁん!」
「ううう・・・」
「お父さん・・・」
ベッドは私の真後ろで止まりました。
妙に使いやすい電話空間・・・それは
実はエレベーター乗降のためのベッドの待機場所だったのです。
だれも・・・
誰も私を咎めません・・・
視線も感じません・・・
ただ、すすり泣きと呼びかける声が真後ろでするだけです。
「俺は石だ、俺は石だ、俺は石だ・・・」
微動だに出来ず、
私は心の中で繰り返しましたね・・・。
永遠とも思える時間が流れた後、
突然エレベーターが到着し、ドアが開いて辺りがエレベーターの中からの光で明るくなりました。
ガラガラと
ベッドがエレベーターの中に進み・・・
私は視線を向けました・・・
こんな顔してたと思います・・・
医師一人、看護師一人、その他に
4人の女性が泣きながら顔に手をやり、ベッドの周囲に立っていました。
と!
いきなり、一番年上だと思われる女性がベッドに突っ伏すように崩れ落ちました。
「あっ!」
見ていた
私も含め、エレベーターの中の全員が声を出してしまい、
助け起こそうと手を伸ばし、
一瞬視線が集中、
看護師はエレベーターの操作盤から離れてしまったのを私は鮮明に覚えてます。
それからその
女性は・・・
「お父さん、やっと、やっと休めたね・・・おやすみ、おやすみなさ・・・」
ガーーーーッ
そこで
エレベーターのドアが閉まりました・・・
呆然とドアを見つけていた私は、フト気がついて
階数表示の電光掲示板を見て・・・
5階を過ぎ・・・
3階を過ぎ・・・
1階を過ぎ・・・
その先は・・・・
・・・
部屋に戻った
私はまんじりとも出来なかったのを覚えています、次の日に
婦長に怒られるか・・・なんて思ったのですが、
厳しい婦長が何も言わず・・・
その日以降、私は消灯後のラブコールは止めました。
暗い病室で、「ひまわり文庫」の文庫本でもベッドライトで読んでたほうがマシ。
この
病院の10階はホスピスになっているのです・・・つまりあのエレベーターは・・・
闘い終わった人達が、人生の最後に通るトンネルだったのです。
何人もの人生が、電話で馬鹿話をしている私の横を通りすぎて行ったのです。
今思えば、
公衆電話も何か意図的な物があって設置されていたとしか思えません・・・。
そう考えると、何と私はバカだったのか・・・申し訳ないような気持ちになるばかりです。
「やっと休めた・・・おやすみなさい」
あの家族、
患者さんと奥さんと3人の娘さんは
今までどんな闘いをして来たのでしょう、そしてこれから
どんな困難に打ち勝っていかなければならないのでしょう・・・
「困難に立ち向かい掴みとる、実話に基づく感動ストーリー!」
テレビの番組宣伝コピーが何と軽いことか・・・
そんな事は日常的に繰り返されている事なのです。
専用エレベーターが有るんですから。
10階はホスピス、その他の病棟には数百人の患者が居て、
日々此処を通るのです。
闘いは・・・実は毎日の事でしか無かったのです・・・・。
日常の実例2
「見上げる男」
その日、
私は久しぶりの外出許可を取って、
病院から脱出出来る事にウキウキしていました。
脱出と言っても、
たったの2時間です(^_^;)、つまり病院の前の
床屋に行って散髪する為の外出なんですよね。
それでも
数週間ぶりの外出は、本当に嬉しいモノで、床屋に一番近い
救急搬送用の出口から外に出た時には本当に深呼吸しました。
「やれやれ、やっと外に出れた・・・」
ホッとして床屋に向かって歩き出しました、救急出入口は自動ドアが2箇所と保安要員の控室が在るくらい広い場所で、病院の裏口っぽくなってます。
前は身障者用の駐車場になっていて、結構車が並んでいました。
私は広い
緊急出入口を右から左に横切るように歩き始めたんですね。
その時、
駐車場側に立って、病院の壁を見つめている柔道家のような立派な体格の背広姿の30代位の人に気が付きました。
こんな所で
何してるんだろう?とは思いましたが、最初は気に留めなかったのです。
私が
前を通り過ぎる丁度その時、その体格の立派な人は
視線を病院の壁に向けたまま、ガラケーを取り出し電話をかけ、て
開口一番。
「あ、俺、
今オヤジが死んだ」
丁度横で聞いている形になった私は
びっくりして思わずその人の顔を見てしまいました。
午前10時頃で表通りを車が通る音しかしない静かな朝だったので、
電話から何か相手が色々と言ってる声はチラッと聞こえましたが、その
男性は黙って聞いてました。
私は思わず
立ち止まってしまい、まじまじと見てしまったんですね。
ま、数秒ですが・・・。
ほとんど
目の前に私は立ってたんですが、その人は
電話を耳に当てたまま病院の壁を見上げているので、もしかしたら
私の事が見えなかったのかもしれません。
別に
病院の外壁に何か書いてあるわけじゃなく、ただ見ているんです。
私は直ぐに歩き過ぎてその人の前から移動しました。
彼は顔を真赤にして上を見ていたからです・・・。
そして
背後から彼の声が聞こえました。
「頑張ったんだけどね・・・・」
私はもう
振り返らず、そのまま床屋に向かいました。
此処でも一つ、戦いが終わったのです。
頑張った人が確実に一人居たのです。
これもまた、
日常の風景でしか無いのです。
日常の実例3
「文字ボード」
今回、
私は病状が大変に悪化して殆ど身動きが取れず、病院に担ぎ込まれた時は
ぐったりと横になるしか無い状態でした。
緊急入院でベッドも開いてないので、
当初は重症患者の面会謝絶の部屋の空きベッドに入れられたんです。
まともに動けないので、
体中に心電図用電極と血中酸素センサーを取り付けられて、モニターに繋がれ、
便所に行くのにも同じ部屋の中にある簡易ナースステーションの看護師さんに頼んで車椅子です(^_^;)。
初日は本当に余裕がなかったのですが、
緊急治療を行うと何とか体調も回復傾向になり、
周囲を見渡す余裕ができてきました。
私の担ぎ込まれた
病室には二人の先客が居ました。
この
お二人の病状が半端ではなく・・・一般病室に移るまで、私は大変に申し訳ないような気持ちになったんですよね。
お一人は初老の男性でした、もう一方は30代くらいの女性です。
この初老の
男性は全く身動きどころか言葉すら発することが出来なかったのですが、そこで
私が見たのは一見信じられない光景でした。
ALSと選挙違反で話題になった病院王の徳○虎○って言う人が、こんな事してましたが・・・
要するに進行性の病気で体どころか声まで出せず、
コミュニケーションするのに文字の書いてあるボードを見て、相手に
視線でどの文字を見ているか判断してもらい、
言葉を伝える・・・
って事をしている訳です。
私はこの事について
大いなる誤解をしていました。
この方は
物凄い大金持ちなのでこんな専門的で限定的なコミュニケーション方法が取れるんじゃないかとか思ってたわけです(^_^;)。
ところが・・・・
その私と
同室の初老の男性は、まさにこれをリアルでやってたのですね。
それで看護師に意志を伝えているわけですよ。
ナースコールは押せるので、呼ばれると
うら若きナースたちが何とか患者の期待に答えようと、一生懸命この方法でコミュニケーションを取ろうとする訳です。
もうこんな感じなわけです。
患者に対し二人のナースが協力しながら・・・
「えっと、何?体が痛いんですか?」
「NO」<Yes、NOは何かで伝えられるらしい。
「 ええと、いま<さ行>みてた?さむい?」
「NO」
「<た行>じゃない?た・・・ち?」
「Yes」
「ち・・・よ・・・あ、<ちょっと>?」
「Yes」
「いま<か>見た?あっ<ちょっとかゆい>!?」
「NO」
「ちょっと・・・あ、<あ行>だ!あつい!!」
「Yes」
「ちょっと暑いのね?」
「Yes」
「じゃ、エアコンの設定温度下げますね~1度位下げるからいい?」
「Yes」
全コミュニケーションこんな感じですよ!?
長い時は15分位かけて
必死に看護師さんが何とか理解しようとクイズのような伝言ゲームを真剣にやってるんです・・・
私は唖然としましたよ。
医療関係者の献身と、患者たちの必死の闘いに感動したんです。
身動き取れないんですから、
他の事も看護師たちがサポートするわけです。
私なんて横になって尿瓶使う事すら出来ないんですよ。
寝転がって小便、出来ませんから(^_^;)、如何に難しいか、やってみると面白いです。
この様に
単に寝ているだけ・・・なんて思う人が多いと思いますが、
それだけですら
物凄く沢山の事との闘いであったりするんです。
さて、同室になった部屋には
殆ど同じ状況ですが、手が動かせる状態の女性も一緒でした。
この方は声が出せない代わりに、
子供用の文字学習で使う「電子文字ボード」を持ち込んでいて、それで
看護師の皆さんとコミュニケーションしていましたね。
つまり、
ご家庭とお子さんを持ってる女性だったんですね。
ある日、その女性の洗髪をしてあげていた
看護師さんとの「会話」が聞こえてきたのです。
「へぇ~そうだったんだ、ところでXXさんはスポーツとかやってたの?」
「・・・」
「えっ?スノーボード!?」
「・・・」
「あ、サーフィンとか?すごーい!」
って、感じで
楽しそうな会話でした。
個人的には、
そんなアクティブな人が・・・殆ど身動きも取れない状況になってしまってさぞ辛いだろう・・・とか思ってしまったのです。
ところが・・・
私が一般病室に移り、「
日の出拝み隊」が集まる
窓から外を眺めていたら、
その女性が看護師の押す
車椅子に乗って窓の方に近づいてくるじゃないですか!!!
しかも看護師と「話」をしながら!!
私は
素直に驚きましたよ!あんなに
身動き取れないような病状だったのに、
にこやかに笑いながら看護師と談笑して座った状態で私の方に近づいてきた姿にびっくりしたんです。
「こんにちわ!お久しぶりですね!」
「・・こんにちわ・・・」
「
凄い!随分回復されたんですね、
見違えてしまいました!」
「・・・ええ、まだちょっと・・・ですけど」
「そう言えば、
日本!スノーボードで銀メダル銅メダル取りましたよね!見てました?
私なんて興奮して夜中にガッツポーズしちゃいましたよ!」
「(笑)・・・そうですね・・・」
「スノーボードやってたんでしょう?」
「えっ?どうして知ってるんですか?」
「看護師さんとの
<会話>が聞こえちゃいまして(^^ゞ・・・」
「・・・ああ、
なるほどぉ(笑)、
凄かったです、ハーフパイプ」
「 若い子が活躍しているああ言うの見ると、
元気でますよね!!」
「
・・・ええ(笑)」
そこで、
看護師さんが笑顔ながら話を切り上げて欲しそうにしていたので・・・(^_^;)。
「良くなってるようで、ほんと良かったですね、
頑張って下さいね」
「・・・ええ、どうも(^_^)」
看護師さんに押されて、また
廊下を戻り始めた車椅子を私は見送りました。
この行動もリハビリの一環だったみたいなんですね。
その後、ロビーで家族の皆さんと談笑する彼女を度々見かけたりしました。
まだまだ大変なんでしょうけど・・・
何か希望を感じる良い風景だなぁなんて思ってしまったりしていたのです。
この様に・・・
闘っている人達は、実は今街に居て生活している人達なんです。
そこにこそ本当の真実が有るんですよね。
こうした
実話や困難に立ち向かう人達の話は、それぞれの人の人生の中の話ですから、私の様に野次馬が紹介したりしない限り、その
本人たちは余り表立って話したりすることは有りません。
「それじゃ、やっぱりマスコミに調べてもらって知らせてもらわないと、こうした話に触れられないじゃないか!」
と、思う人達は居るかもしれませんが、
現在はインターネットが有ります。
誰でも匿名で自分のプライバシーをある程度コントロールした状態で体験談や実話などをパーソナルメディアで公開することが出来る世の中になりました。
つまり
Google先生で調べれば、幾らでもこうした話には出会えるのです。
ネットの中に在る
パーソナル情報は、個人発信なので実は「嘘」がつきにくいんですよね、私は
自分が経験した以上の事は想像力だけで補完できるか?と言うとかなり難しいと思ってます。
更に、話題になった体験談や事件は
ネット側から「本当か?」と言う反論や別意見が出る場合があり、
完全に偽りであれば相当に叩かれます。
つまり
ネットとは自然発生的な審査機能も持っているわけです。
こうした事は
常にネットの中に転がっている事であり、当ブログもその一つです。
その証拠に
私のブログタイトルの中で常にPVトップに来るのは「突発性難聴」になった時の体験談だったりするのです(^_^;)。
つまり、
実話や体験談なんてテレビで電波塔から大放送して、芸能人が云々なんてやらなくても巷に溢れてるんですよ。
情報の希少性から言ったら、
如何にテレビの情報が価値がないか、お分かり頂けると思います。
芸能人だから病気と戦って偉いとか有名人だから怪我と戦って凄いとかはあり得ないんです。
なぜなら、
一般の人々だって仕事や家庭を持ちながら闘っているからです。
芸能人と全く変わりません(^_^;)、しかも
芸能人なんて経済的にはよっぽど恵まれてるんですから、
むしろ何の参考にもならないし
知っても意味が無いんですよ、その上何度も何度も使い古された「ガン」だの「不治の病」だの「大怪我」だの、
ネタ的にも飽き飽きする様なものばかり、ほんとに
見る価値がないんです。
深イイ話なんてそこら中にゴロゴロしてるんです。
人間の人生ってその位誰でもが貴重なんですよね。
公園で笑いながら遊んでいる母と子が、
ショッピングセンターで仲良く手を繋いで歩いている親子連れが、
みんな
「困難に立ち向かい掴みとる、実話に基づく感動ストーリー!」
を持っているのです。
感動的な体験談や実話や他人の苦しみや悲しみを知ることは重要ですが、「それそのものはありふれた物である」と言う事実を忘れて特定の事象を特別視してはいけないと私は考えています。
こうした病気や困難に対するストーリーに限らず、
グルメ情報や旅情報もマスメディアが流す時点では既にネットで共有されており、
現状殆ど意味が無いんです。
だから、マスメディアが流す情報には
価値がない
んですよ(^_^;)。
(リンクはニコニコ動画です(^_^;)。)
<ゴーストライター募集中です!!><リンクはニコニコです。
③に続く(^_^;)。
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Posted at
2014/02/28 07:50:13