ホテルから駅まで歩いてみました。
多分、ツウか、絶対、こういうことはもう二度とないから。
(もし…もしも、次、泊まるなら車にします)
スタッフ曰く15分から20分ですが、実際は25分かかるのはよくあること。
山形行きの列車に乗車

過去乗っているはずだけど、全然思い出せませんね。
当初の予定は、山寺駅で降りて
立石寺に行って
過去、自分がたどった足跡を探そうと思ったけど
パス。
学生時代の自分と当時の自分では…ね

ある意味登山。
よく当時上ったなぁ。
その代わり、山形駅付近を散策することにしました。
駅降りたら、目の前に巡回バスがあったので乗車。
車窓から歴史を感じる建物を見かけたので下車。
文翔館というんですね。開くまで20分ありましたので周辺を散策。
そしたら、また歴史のありそうな建物を見つけてしまいました。
山形県立博物館教育資料館です
現役の高校に併設というか、旧建物を使っていると思うのですが、
窓の外を見ると、現役の高校生が授業を受けている。

なんか不思議な感じです。
授業終了のチャイムが懐かしい。
重厚な建物の中に寺子屋時代から今に至るまでの展示があります。
特に、戦時中の展示がすごく貴重
工場で働くだけではない。
一家の大黒柱が出征した家に、学生が家事援助を行っていたんですね。
そのようなことがあったとは全然知りませんでした。
色を一切つけず、事実だけをしっかりと伝える展示。改めて貴重です。
結局、文翔館は見ずに帰途につきました。
適当に駅まで歩いて。
山形に宿取ってじっくりと見てみるのもありだなぁ。
仙台へ仙山線で移動。山の中。ほんと山の中。
それから電車が見事につながるので昼を食べる余裕なしのまま常磐線です。
津波を避けるために移設されて新しい高架橋になった区間
そして、いよいよ
あの区間に電車は進みます。
目の前にある現実

この写真、まだまだヌルい。もっと衝撃的な風景が車窓に。
それまで見かけた作物が植えられていない、しかしぼうぼうの荒れ放題でない畑
津波で海水をかぶったからでしょう。
草ぼうぼうでないところへ、まだ負けないぞ。っという気力を感じます。
あの区間に近づくにつれ、
それに加えて道路をふさぐバリケード、草に埋もれた家が車窓に現れてきます。
窓の障子は破れ落ち。いや、窓すらないものも。
道路を走るのは、ほぼすべてがダンプカーと営業車
途中下車して、何か食事でもと思ったけど甘かった。
復興どころか、まだまだその準備さえもできていないことを見せつけられます。
だから反対だとか、短絡的なことを言うつもりは全くありません。
反対するだけでは何も進まない。これが現実なんです。
テレビ等の報道を何度見ても、この1回の体験には及ばないと思う。
自分が何できるか?というと正直思いつきません。
ただ、そこで働いている人たちに対する敬意を忘れず、
報道や目先の情報だけで、短絡的・感情的に動いてはいけないこと。
そして、風化させてはいけないことだけは感じました。
Posted at 2020/08/05 13:41:34 | |
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