2013年03月11日
2年前に震災があり、あっと言う間に月日は経つものです。復興から2年と言う人も居ますがね。まあそんなものは言葉遊びですから、私にはどーでも良いことです。
あの時はいろいろありました。私は外に居たんですが、電柱や車が踊り狂い、四方八方から物が壊れる音が聞こえてきました。室内に居た人は家具などに襲われ、怪我をした人も多く、とても大きい揺れでした。今でもようつべなどで動画見ると涙が出るくらい怖い地震です。
高層ビルはメートル単位で揺れ動いたそうで、それでも倒れない日本の建築技術の高さは圧巻ですね。その辺は流石地震国です。
地震の後は物資の取り合いが始まりました。先行きが真っ暗な中、人間がどれだけ自己中になるのかよく分りましたよ・・・。まぁそれが本能だし、それだけ必死だったと言うことでしょうが、もう少し落ち着いてほしかったですね。
慌ててしまった原因の1つに原発があります。福島県とその周辺はデマも含めてかなり「危ない」という話が広まったことでしょうね。私はよく知りませんが(ネットやって動画サイト見て普段どおり生活してましたw)。
水道や電気も止った地域は多く(私の部屋も水道止りました)、みんな福島から出て行ってしまいました。今でも戻ってこない人も多く、もう戻らないつもりの人も居るようです・・・。
私はスタンドマンだったんですが、酷かったです。製油所なども津波でやられ、限り有る燃料を整理券撒いてその分だけ売ったんですが、とにかく燃料入れたいがために屁理屈ごねる人が多く、何回奥歯飛ばしてやろうと思ったことか・・・。渋滞の発生で近所から苦情はくるわ、自分たちが何でこんなにバッシングされるのか理解できませんでした。自分だって実家に帰りたかったし、気になる事がある中それでも出勤して燃料配ったのに・・・。私たちは完全にハイエナやアリに集られる死体同然だったでしょう。緊急車両用に24時間開けていたスタンドは最悪だったそうですから。常駐スタッフは落ち着いて寝ることも出来ず、何時だろうがたたき起こされたそうですからね。もちろん「一般の人」にです。
おそらく今でも「入れてもらえなかった」事を根に持ってる人居るでしょうが、それは逆恨みです。スタンドマンがどれだけ嫌な思いをしたか理解して欲しいです。こーいう時、全員に行渡らせる事なんて不可能なんですから。まー「あるのに隠してる」とか意味不明なこと考えてる人が居て、それが「真実」として広がった所為もあるようですがね。こー言う時ほど噂をうのみにしないで欲しいものです。↑で書いた緊急車両のスタンドは正にこーいう扱いを受け、非難の的にもなったようです。
当時も言われていましたが、ライフラインに関わる仕事をされてる方々はすばらしかったと思います。自分の仕事を投げ出すような人間は居らず、物資の配布に精一杯尽力したことは誇っていい事でしょう。特に運ちゃん関係。休み無かったんだろうな・・・。
今では生活も殆ど元通りになり、私の中では完全に過去になっています。当時も個人的な損害は無く、転倒防止してなかった42のプラズマも無事でした;汗(倒れてはいましたw)
それでも原発関連の問題はまだ終わってないし、除染が終わっても10年単位であーだこーだ言われるでしょう。「除染終わったから帰っていいよー」と言われたところで「どーすんだよ・・・」って人が殆どだし、元の生活に完全に戻れる人はおそらく少ないでしょうね。そんなか、「いい加減な除染」が問題になっていますね。ホント死ねばいいのに。
・・・私の地元もいつになったら避難解除されることやら。それでも制限が無いだけマシですね。行こうと思えばいつでも行けますから。・・・誰も居ないけど。
あんまり死んだ人間どーこー言うのも好きでは無いですが、亡くなった方とそのご遺族には心からお悔やみ申し上げます。
そして復興に尽力した(している)方々に感謝と尊敬の意を送りたいですね。
そして今でもスタンドでギャーギャー騒いだ奴等は半殺しにしたいですね(笑)顔覚えてないけどw
長文最後まで読んで頂いた方にも感謝です^^
Posted at 2013/03/11 14:09:55 | |
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