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Red13のブログ一覧

2019年02月27日 イイね!

2月の読書

2月の読書今年から、この読書感想文の書き方を変えました。
以前は、月末に纏めて一気書きしてましたが、
先月から、一冊読んだ時点で書いて下書き保存してます。

以前よりも記憶がフレッシュな内に書いているので、一冊あたりの感想が長くなってますw
全体が長くなって読む気失せるパターンですねw
It is 書き手の独り善がり!www



























 ウィリアム・アイリッシュ 『幻の女』 (1942)

原題『Phantom Lady』


「夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった」

妻と喧嘩し、宛もなく街をさまよっていた男は、風変わりな帽子を被った見ず知らずの女に出会う。
彼は気晴らしにその女を誘って食事をし、劇場でショーを観て、酒を飲んで別れた。
その後、帰宅した男を待っていたのは、絞殺された妻の死体と刑事たちだった。
女と一緒に居た事を説明し、刑事たちと一緒にバーや劇場を回るが、誰もが女の存在を否定する。男は見たが女は見ていないと。
男は逮捕され、有罪が確定する。
たった一人、彼のアリバイを証明できる “幻の女” はどこにいるのか?



「ミステリの不朽の名作」。
多くの作家・作品に影響を与えた大家の代表作、ということで「読んどかなアカンやろ( ̄▽ ̄)」的な部分もあって(HR/HMで言う、“Smoke On The Water” や “Pain Killer”、“I Want Out” みたいなもんか)読んでみましたが、確かに面白い。

最初に挙げた有名な書き出し一文に代表されるような、独特の詩的で美しい文体が続く。
(同じ “詩的で美しい” 文体でも、テグジュペリのそれはあくまで写実的であるのに対し、こちらは “切り取り方・捉え方” のセンスが美しい)
あたかもセピア色のフィルターを1枚通して語られるような、垢抜けた流麗な世界に惹き込まれる。

“存在否定” ネタも古今東西色々あれど、ハイテク機器の無い時代が舞台なので(80年近くも前の作品というのが意外な感じ)、トリックはアナログで物理的だが、
それゆえに今の時代の物語には無い、叙情的な味わいがある。
その辺り、ワタクシが今まで読んだモノの中で挙げれば『誰がコマドリを殺したか』や『新車の中の女』に通じる、(21世紀のハイテク世界に生きる身としては)何処か牧歌的な安心感も。

どんでん返しのシナリオプロットが面白いのもあるが(「えー、結局そゆこと?」という感もあったけど)、リリカルな文体の美しさも勿論、完全なハッピーエンドではなく、どこか読後に哀愁の余韻が残る部分の上手さ。













 ミラン・クンデラ 『存在の耐えられない軽さ』 (1984)


タイトルからして哲学的、読んで更にsemantic(意味的)。
メタファーのオンパレードで、薄皮を一枚一枚捲るように人間の心理・行動分析を子細に掘り下げる。
誰もが何となく漠然と思っているが具体的にはなかなか説明できない人生の機微や人間関係の本質等を、事細かに丁寧に(時に神経質に)分析して並べていく様は、いかにも東欧的だなぁと思う(笑)。
小説でありながら、心理学や比較文化論、社会学の研究論文のようである。
タイトルは、紀元前6世紀の哲学者・パルメニデスの考えに、ニーチェの “永劫回帰” と、チェコの諺「一度は数に入らない」を重ね、人間の送るたった一度の人生、一度の選択など取るに足りないものという基本的テーマ。


最も重い荷物というのは、同時に最も充実した人生の姿である。
重荷が重いほど、我々の人生は地面に近くなり、いっそう現実味を増して、より真実味を帯びてくる。
それに反して重荷が全く欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、地上の存在から遠ざかり、なかば現実感を失い、その動きは自由であると同時に無意味になる。



浮気性の男と、それに惚れた若い女。
その男の愛人の女性画家、更にその愛人の男。
この四人をサンプルに様々な価値観、考え方、見出だすsemanticを比較する。

この “浮気性の男” という言葉も色んな見方ができ、どういう動機でその行動に至るのかを覗くと、人それぞれ違ったモノが出てくる。
相手に対してただ単純に肉体的な快楽を求めるのか、精神的な充足を求めるのか、或いは相手に何か象徴を重ねているのか、己の内面の探究心や好奇心を刺激する鍵を求めているのか、
端から見たらただ一言 “遊び人” となる者も、その内面は様々なのだろう。

それに惚れた若い女も、その恋のスイッチは、6つの偶然と象徴的なメタファーの重なり。人はそれを安直に運命と呼ぶ。
運命の巡り合せと呼んでいるモノを一つ一つ解体していけば、なんて事はない偶然の積み重ねでしかない。

また
同じ物、同じ場面を見ても、同じ行動をしても、そこに見いだすsemantic(意味)は人それぞれ違う。
同じ言葉を引いても、辞書(人)が違えばその意味は違う。

…という感じで、コ難しい理屈っぽい話が続きますが、哲学的な物思いが好きだったり、愛というモノに対してシニカルな想いを抱く人(w)は絶体好きだと思う。


Red13指定 必読図書













 アーシュラ・K・ル・グィン 『闇の左手』 (1969)

原題『The Left Hand of Darkness』


日本では『ゲド戦記』で有名な作家。
それよりも前に発表された “ハイニッシュ・ユニバース” シリーズの1冊。


遥かな過去、超高度な文明を持つ惑星ハインの人々が、数多くの居住可能な惑星に人間型生命の種を蒔いた。やがてハイン文明の衰退と共に植民地も忘れ去られるが、再興を遂げたハイン文明は(テラ=地球を含む)かつての植民星を次々と再発見していき、80にも及ぶ惑星は連合を組み、それぞれの文化や技術を共有した。

そんな植民星の中でも最果てに位置する惑星ゲセン。“冬” の意味で呼ばれるこの星ではかつてハイン文明による遺伝子操作実験が行われ、ゲセンの人類は両性具有であった。
惑星連合からの使節としてゲセンに単身降り立ったゲンリー・アイが、ゲセンの二大国の政治に翻弄されながら、現地人の一人と共に、ゲセンの連合加入への道筋を模索する。



極寒の惑星、その二つの大国、都市の街並み、気候、社会文化、慣習、神話。文化人類学的な切り口で語られるそういった背景描写が非常に緻密で重厚で、一つの世界が確かな質感を持って存在する。

タイトルの闇の左手という言葉には続きがあり、
「光は闇の左手、闇は光の右手。二つは一つ」と本文中で語られ、本書の大きなテーマの一つである “二元論” を象徴する。
光と闇、生と死、太陽と影、男と女、恐怖と勇気、背信と忠誠、といった対立するモノのイメージ。
その内の一つ、男と女という性の双極に対して両性具有という思考実験的な大きなテーマを持ち込んでいる。
しかし、この二元論的な切り口は(それこそ一冊前の中で触れたパルメニデスの言うような)絶対的な極論ではなく、陰陽の如く、お互いがお互いを受け容れ、必要とし、活かし合う関係として描く。


別にこの作品・作家に限らずSF全てに言える事だが、
“人類 (や、それに準ずる存在)” を用いて世界観を構築する以上、そして著者自身が地球人類である以上、想像力の限界がある。
惑星の設定だって、そんなに都合よく地球にそっくりの環境ある?とか、太陽と月が当然のように存在したり。
距離や温度の単位も結局、マイルで語られたり、気温に関してはゲセン人は華氏で地球人は摂氏で言ったりと差異は演出してあるが、結局それも “我々の世界” のモノ。
更に作中に二つの大国が出てくるが、これも(時代背景もあると思うが)資本主義的なものと社会主義的なものの対比になっているように思う。
“リアル” ということに対して人それぞれ求めるモノは違えど、せっかく世界観を丁寧に深く作り込んでいるのに勿体ないなとも思う。
(それならばいっそ、グレッグ・イーガンの『ワンの絨毯』のような、人類世界とは全く異なる顕微鏡レベルの異星生命世界を描いてくれる方が “リアル” に感じる)

その辺りの作り込みが素晴らしい作品として、PS1時代のゲームであるが『ゼノギアス』を特筆したい。
長さを表す単位シャール、速さの単位レプソル等、細かい世界観もオタク趣味的な仕事で作り込み、作中世界の歴史も勿論しっかりと描く。ネタバレになるが、シナリオも数千年に渡る輪廻転生の神話から、人間の高次元への進化のようなもの。実際ゼノギアスには、様々なSF著名作へのオマージュが多々散りばめられていて、愛情とも取れる拘りによる、過剰なまでの作り込みが架空の世界に血を通わすのだろう。
ゲームという枠組みを超えても、そういった世界観設定の深さでゼノギアスを超えるモノには未だ出会わない。














 アレイスター・クロウリー 『黒魔術の娘』 (1913)

原題『At The Fork of The Roads』


自称 “20世紀最大の魔術師” たる著者の短編集。
《黄金の夜明け団》在籍の過去や、その後自ら魔術結社《銀の星》を組織したり、自宅にテンプル(祈祷室)を構えて骸骨を置いていたり、自身は転生を繰り返しており誰これの生まれ変りだと主張したり、
…どこまで本気なのかどこまで冗談なのか…
しかし、これについては作中の一文が正に的確な回答になっている。


芸術は、芸術もそれ以外のものも《高等魔術》であると思って貰いたいが、とにかくそれら芸術というものは聖なる絵文字の体系なのだ。芸術家すなわち秘儀参入者は自己の密儀を組み立てるのである。
取り残された世間の連中は、咳払いするか、理解しようと試みるか、理解した振りをするかだ。真理を得るものは殆どいない。
芸術家の技術的能力は言語の明晰性にかかっている。啓発の度合いは関係無い。



確かにな、と。
ガチなのかポーズなのかは所詮他人があーだこーだ詮索した所で答は出ず、本人の頭の中にのみ答がある。
(本人も解っていないという事例もあるだろうがw)
ある意味、そこはどっちだろうが構わないし、それで良いと思う。
要は受け取る側がそこに何を見出だすかの問題であり、全ての宗教はそれで説明がつく。
(ブログというモノもそういう一面があるしねw)

そしてクロウリーは、ジミー・ペイジ、リッチー・ブラックモア、オジー・オズボーンらを始めとするHRミュージシャンらを中心に多くの人々にその “影響” を与えた。
当然そこからブラックメタルに繋がっていくわけだし、そこでより強くクロウリーの世界観が引き継がれている。


短編10作、中編2作からなる本書だが、前半に並ぶ短編の中には、正直悪趣味なだけで面白いと思えないものも有り。
だが後半のやや頁数の多い話になるとダークファンタジーの魅力が溢れていて、どこかハーラン・エリスンにも似た、理不尽やアイロニーから来る美意識も感じる。
読了後にもう一度序盤の短編を読んだらまた印象が変わる気もする。


なるほど、芸術も魔術の一つであるとすれば、この世はファンタジーに満ち溢れているし、概ね誰もが魔術師たり得る。
一理あるし、その “魔術” になら掛かってみよう。
1947年に没したクロウリー、その次の転生した姿はデーモン小暮閣下なんじゃないか?ww













 ティムール・ヴェルメシュ 『帰ってきたヒトラー』 (2012)


再読。
前回のはこちら
機会があって、映画版をレンタルして観てみたので。





どんなものでも、小説版と映画版を比べると、映像化された方は中身が薄くなるのは常ですが、残念ながらこれも例に漏れず。
小説でこれでもかというくらいに盛り込まれた、“史実に基づくパロディ” や 徹底したシミュレーションによる “ヒトラー的思考回路” ネタの半分以上が流れてしまっていて、(仕方ない事とはいえ)より大衆受けを意識したマイルドな表現に落ち着いてしまっている。
また小説版と映画版の最大の違いは、小説では最後までヒトラーがヒーロー的に受け取られるように描いているが、映画版では一片の陰が射す。
活字を読むよりもライトな層が視聴する可能性が高い以上、読み込まないとわからないブラックユーモアよりも、視覚的にわかりやすい投げ掛けを入れないといけないというのも映像作品ならではですね。
…というか、単に、世間体的な大人の事情か
やはり原作の小説で読まないと、正解の無い問題提起のメッセージ性は伝わらないかと。
作中でヒトラーが発する毒舌の数々は、決して間違っていない。





「悪いことばかりではなかった」









Posted at 2019/02/27 17:00:12 | コメント(1) | トラックバック(0) | 活字部 | 日記
2019年02月24日 イイね!

“お山の走り屋運動会” 的なアレ 臨時総会 2019.2

“お山の走り屋運動会” 的なアレ 臨時総会 2019.2前回に続いて、またまた参加。
楓さんの地元のお山コミュニティの走行会。

例年だと、夏(6月)と冬(12月)の2回だけど、
今回なぜか2月に追加公演が決定。
いつもより参加台数は少ないものの、走る側にとっては好都合♪( ☆∀☆)










GH8仲間の BigRedMachine さんが遊びに来てくれました♪(°∀°)







去年1年丸々お会いしていないので、1年半か2年近くぶりです。
今年の夏はまたアソコでアレします?( ̄▽ ̄)























さて、今回、参加はしたものの、
1週間前にタイヤを組み替えた直後からホイールトラブルが…



一昨年の秋に筑波のグラベルに突っ込んだアレの時に発生したと思われる、リムの歪みが原因っぽいエア漏れ。











・荷重掛けると空気漏れる
・漏れるというか、一気にボフッと抜ける
・バルブも変になって、エアの注入は出来るが内圧測れず
・注入すると、リムの歪みの部分からシューーと漏れてる
・そのまま注入し続けて内圧高くなると抜けない、バルブも正常に戻る
・シーリングしてみる
・空気多めに張って街乗りレベルなら全く問題なし
・内圧低めで荷重掛かるとボフッと抜ける
・多めに張っていても、スポーツ走行すると徐々に抜けて最後はボフッと抜ける





…という、よくわからん症状。
でもさー、ぶっちゃけさー、
この程度の歪みでそんなに抜ける?













こんなエグれてるホイールでもちゃんと走れんのにwww
と、なると、



昨日1日サーキット走り続けて、何度もエア抜けして何度も注入してトライ・アンド・エラーし、他の方々のご意見も頂戴した結果。←
リムの内側に小石とかタイヤカスとかシーリング痕とかタイヤのヒゲとか、なんしかそういう小さいゴミが咬んでるんじゃ…?
という、結論に近い仮説に至りました。



だって、リアだけじゃなくてフロントも発生したしwww
一度、ホイールを徹底的にお掃除してみようと思った。(・ε・` )





まー、ホイールがそんな状態だったので、行く前から「ちゃんと走れへんやろなー…」と思っていたし、
いつ抜けるかビクビクしながら走ってたのでなかなか気疲れしましたが。( ̄▽ ̄;)
お陰で、抜けた瞬間すぐ分かるようになったし、
クルマから伝わってくる情報により敏感になったと思う。
怪我の功名? 色々勉強にもなりますた。










ソンナコンナデ










左のタイヤは空気パンパンに張って、
右のタイヤはふつーにサーキット空気圧で、
という妙なセッティングで走りまして。
右コーナー(左荷重)が2回しかないモーターランドだからなんとかなる話。
それでもやっぱりその2回の右コーナーがめっさ苦しい。( ̄▽ ̄;)
せっかくタイヤのランク上げて挑んだのに、
不完全燃焼でしょぼーん。(´・ω・`)
万全だったらもっとタイムアップしただろーになー。
それでもGRB(知らない人)にコンマ6逃げ切ったから良しw←





以下の走行写真は全て BigRedMachine さんより





































ところで。





実は今回、
ワタクシ史上初の試みが勃発。

BigRedMachineさんがウチのクルマに何やら取り付けて、
車載動画を録ってしまいました!(笑)(;゜Д゜)

恥ずかちいぃぃ!(。>д<)←
…って、ミラーにぶら下げるタイプだから脚さばき手さばきバレてへんけどね。(°∀°)←











午前のラスト、3枠目の一部始終です。
一応、カメラを意識して色んなクルマの後ろを走ってみた(笑)。

何が恥ずかしいって、シートベルト警告音鳴りっぱなしなんが恥ずかしいwwwww
でもコレ、個人的には「最低でもコレ鳴ってる間はちゃんとタイヤ温めなさいよ」のタイマーとして丁度良いと思ってるんですけどどうでしょう?w( ̄▽ ̄)←

最後の方、VABの後ろを走ってるラップのどっちか(ヲイ)が
この日のベスト 48.027 です。
自己ベストを僅かに更新。





タイヤが前回の 07R から 07RR にアップしているものの、
ホイールのアレで空気圧がデタラメなのと、気温も前回の方が低かったハズ。
せめてホイールの不具合が無ければ…orz
しかも真っ昼間にベストってw














でっかい拾い物…

























ソンナコンナデ





常にエアゲージとにらめっこでどうなることかと思ったけど、
終わってみれば全枠完走。( ̄▽ ̄;)
我ながらなかなかアホだ。
しかし、ホイールは早い内に原因究明しないと。
クリーニングして解決すればいいけど。(・ε・` )





今回も1日お疲れ様でした。
また次回オナシャス!

BigRedMachineさんも1日ありがとうございました。
GH8用ジール車高調の第2号いかがですか?w











ちなみに









晩飯は勿論(?)彩華♪(°∀°)ダハハハ













Posted at 2019/02/24 18:00:15 | コメント(3) | サーキット | 日記
2019年02月16日 イイね!

個性の無い現代にドロップキック

少し前、トヨタが出したキャッチコピーに嘲笑した覚えがある。

「プリウスに個性を」

無個性を体現するプリウスに個性てw
(というかトヨタ自体が無個性)
まぁ、純正オプションパーツのアピールが目的だったっぽいですけど。
クルマに個性を求める人はプリウスなんか乗らんから。





「楽しいクルマが無い」「欲しいクルマが無い」
という声が多く聞こえるようになって既に久しいですが、
それはもしかしたら「個性的なクルマが無い」ということではないか。
キャラが濃い、ハッキリしている、トンガっている、割り切っている。
そういうクルマが減っている。



それでなければならない理由が無いものばかり。



最大公約数的な一般ウケを狙うと、無難で平均点(中央値というより平均偏差)的な所になってしまうのは当然の帰結。
これは致し方無い、真理。
商業としては正しい。

しかし、クルマには同時に嗜好品としての側面もある。
嗜好品には “それを選ぶ理由” が有る。
が、個性的なトンガったモノは数のニーズは望めない。
ニッチな市場になり、その中で利益を出すという難しい(ある意味矛盾した)世界。











…という話が、クルマの世界だけではないようで。










ワタクシ、ここ1年半ほど、楓さんと一緒に服を見に行ったりして、
それまで全く興味も知識も無かったアパレルの世界を眺めていて、素人なりに色々と思うことあり。











メンズ市場にはあまり当てはまらないようですが、
レディースはここ半年ほどで、正にさっき述べたような
個性的なブランドが淘汰され、無難でどこにでもあるようなものばかりになっています。





(興味無い話な人が殆どと思いますがw)
ワタクシが見学し始めてからの短期間だけでも、
ネイティブアメリカンテイストでメンズも有る
ちょい派手小悪魔、いわゆる渋谷系の
ちょいゴージャスキレイ系の
が立て続けに店舗撤退でネット通販のみに。

それより前にも幾つかのブランドが同様の流れとのこと。











ギャルっぽ系の衰退は時代の流れもあるとは思うんですが、
Gなんかは正に個性的且つ品質も良いブランドで、一般ウケはしないけど一定の需要は確実にありそうなモノ。

更に、ワタクシが勝手に “キレイ系 3リ”(笑) と名付けている
リ○○○○ リ○○○○○○ リ○○○
ぶっちゃけワタクシからしたらどれも似たようなもんなんですがw
何度も見ているとそれなりに違いが有ることに気付く。


この(ワタクシからしたらw) “どれもまぁ似たようなもん” の中で、(今のところ)同カテゴリー内で(僅かな差ながら)より個性が強く価格帯も高いモノが脱落。
だし、生き残っているブランドも前はもう少し冒険していたように思う。

↑この分析は楓先生にレクチャーを受けたわけではなく、ワタクシが自分で見て感じたモノですが、楓先生に言ったら「合ってる」そうですw





楓先生や、レディースにも詳しい某メンズの店員氏も「良いと思う服が無くなっていってる」とのご意見ですし、ワタクシの目で見ても同感。
ここ半年くらいで「おっ」と思うモノが激減し、「それ、隣の店にも同じのあるやん」的なモノばかり。





実際、アパレル業界(特にレディース)は右肩下がりでどんどん落ちてるそうで、


 数が売れない個性的なモノは採算取れないので廃止。
 無難なモノで最低限の売り上げを確保したい。



という動きを業界全体がしているので、どこもつまらないモノばかり並んでどれも同じ。
それで更に誰も何も買わなくなる。
某ゾ○TOWNの某社長の「業績不振で遊んでられなくなった」発言も、いよいよ業界全体の袋小路感を示しているように思う。(※後記)



レディースは基本的に1シーズン使い捨て前提で(そもそもそれが問題あるやろ、とおっちゃん的には思うワケですがw)元々単価が安いので、開発費を掛けられない。
コストがそれなりということは、デザイン的に凝ったモノというのはなかなか厳しい。





メンズは、単価が高いが、複数シーズン使い続ける前提でしっかり作ってあるモノが多いし、デザイン的にも凝ったモノが多い。
ワタクシ自身が楓さんと一緒にブラブラしていて気付いた事として、
レディースでは絶対に出てこないが、メンズでは当たり前に聞かれるセールストークに「ずっと何年も着れますよ」というのがある。
それに、メンズブランドの方が店員の社員率も高く、セールストークにも幅がある。
レディースブランドは半分以上バイト店員だし、セールストークもマニュアルそのまま画一的で「もうちょっと頭使えよ」という思いを禁じ得ない。
つまりあらゆる意味で低コストの世界。
レディース店員の失笑迷言集もありますが、それはまたの機会にw










話が長くなってボヤケてしまいましたが。










全てに於いて色んな分野で、個性的なモノが減って、同じような無難なモノばかりな時代になってきている。
日本だけの面もあるし、全世界的な面もある。

こういう場合、守りに入るより、敢えて突き抜けて特化した方向に行く方が良いと思うんですがね。
多少値段がしても納得のいくモノを買いたいという人が多いと思うんやけど。

クルマも服も、実用品でありながら嗜好品である。
その “嗜好” の部分をどんどん削られ、“実用” の部分しか残らなかったらどーしますよ。
既に今、世の中全体が “トヨタ的な” モノばかりになってきている。
その先に見えるのは、無感情な灰色無個性の地平線ですよ。





クルマにしてもさ、
全メーカーがセグメント毎に大中小をフルラインナップして、どこ行っても同じような物が並んでいて、メーカーの個性がわかりにくくなって。
「とりあえず揃えとかないとカッコつかないし、他所に置いていかれると嫌だから」というつまらない発想に思える。
(そういう意味では “スライドドアミニバンに手を出さなかった” という点に関してだけはSUBARUを評価する)
ワタクシが子供の頃はポルシェは(良い意味で)911しかなかったような印象ですが、そのポルシェがカイエンを出した時のあのなんとも言えない残念感。更に追い討ちでマカンを出した時の脱力感。
レクサスのフルライン化も最早開いた口が塞がらない。



個人的に、クルマの世界に於いて突き抜けた価値観で評価されているモノパガーニではないかと思うけど、
まぁ、あそこまでのモノはひじょーに限られた需要しかないから我々一般ぴーぽーには全く以て無関係な世界ですが、
だが、1億円クラスの芸術品ハイパーカーが商業的に成立しているという事実。
ゾンダにしろウアイラにしろ、スペックだけ見れば “似たようなもん” は他にもある。
パガーニをパガーニたらしめているのは、その芸術的価値観・デザイン哲学・貫かれている拘りだろう。
スケールは違えど、そういうビジネスモデルというか気概が大事なんじゃないかと思う、今の世の中には。






「高いモノに価値がある」ワケでは無い。
それでなければならないことに価値がある。
ポルシェ911は、高級スポーツカーだから売れるワケでは無い。
唯一無二だから愛される。





日本を代表する業界トップ企業が、
FT86にしろ、新型90スープラにしろ、
他所から貰ったクルマの味付けだけで「トヨタ伝統の~」とか言ってるようじゃあ難しいでしょうけどね。










※追記
某ゾ○TOWN失墜の件についてはどうやら違う背景があったようで。
月額500円のゾ○会員に登録すると、更に10~30%程の割引が受けられるそうで、セールと合わせれば正規店よりも安く買える。
となると、客を取られるわ商品価値を下げられるわ、出店料払ってる上に月額500はゾ○に入るわで、好き放題されて怒ったメーカーが軒並みゾ○から撤退してる、という事だそうです。



まー…



…敢えて言おう。











Posted at 2019/02/16 15:00:16 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思う事 | 日記

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「@あすきー 別に昨今のインバウンドに始まった話ではなく、私がチビッコの頃でも珍しく光景ではなかったです。伊丹空港&新大阪が近い土地柄もあったかもですけど?」
何シテル?   09/25 19:16
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