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sammy_rufのブログ一覧

2024年11月07日 イイね!

ボクのRUF(本妻と愛人?)

ボクのRUF(本妻と愛人?)クルマは複数所有することで楽しみは何倍にも広がる!だったかな?
徳(大寺)さんが書かれていました、、
これはコレクションという意味ではなく
実際に乗って稼働させている状態の話です~
(勿論、所有し眺めるのも羨ましい🤤)
みん友の方々、、例えば
うんてれがんさんも930にシトロエンというバランスが良いですね♪
shira3948さんも911Sにパンダのゲルマン&ラテンから終のクルマにSLKとのゲルマン兄妹♪
Nuk-Pさんはキャパ的な限界やラインアップ整理といいつつ素敵なカーライフを実践されています♪(とっかえひっかえが老化防止に役立つとは目から鱗でした/笑、、あれっ突然の減車😲?)
クルマの数でいうと、saeponさんはサーキット専用機数台も含めて本当に多種で楽しまれています~ガレージもどんどん増設♪(早くミュージアムを作って下さい👀笑)

そして近隣の(何時も集まる)友人達の現状を見ると、、
ロクハチ爺さんは足車を含めて3台!
O谷さんは奥さんのも含めて6台位!?(最近はトラックディ方向?)
K松さんは昔から2台!
山さんは奥さん子供さんとで3台!
ハラチャンは仕事絡みが有るけどメインは2~3台かな!



そしてボクはというと今は1台のみです👆 が、、
過去は3台目のレオーネを会社で買い取ってもらい公私で使っていた6~7年を除き
定年退職までは、会社のクルマ(普通の乗用車)との2台体制が長かったです。
特に親の介護もあったラスト10年くらいは、これに助けられましたね~
何台乗ったのかは定かでないですが、最後のプリウスが6年間で
レオーネを除くと25~26年位はトヨタのコロナでした。
他の社員は仕事も家庭でも使って距離も多く償却する5年ごとに換えていましたが、
ボクは距離も伸びず4台くらいだったのかな~(以下で書いてます)
途中でディーゼルが1台と最後のプレミオは記憶が有るのですけど、その他が曖昧??
ディーゼルは一度走行中にベルトが切れてブレーキのバキュームが効かなく必死で踏んだのを覚えているのと
プレミオは、ISOの関係で皆プリウスへ変更しているのにボクは田舎へ帰ることが増えそうで(介護)
わがまま云って4WDが有るコロナ・プレミオにして貰ったのですね⛄
因みに退職してオフクロが亡くなるまでの2~3年はカーシェアで乗りきりました🙆

レオーネの頃は自宅も会社の近くで駐車場も別に借りなくて良かった、、
プレミオでは何時も田舎へ帰ってました、、
桜は(うちの田舎の)美波羅川の千本桜!です、、
プリウスはレースのサポートカー?としても使ったり😜





複数台あれば、色々な方向で中途半端にせず目的に有った選択が出来ますよね🙋TPO
人を乗せたり、オープンで走ったり、ダートを走ったり、サーキットを走ったりと、、
ですがボクはというと、なんか一台で全てを賄いたくなるのですよ~
何処へ行くのも何をするのも一緒にいたい😻
(だからレースも自走で行くのですね、、大昔のポルシェのように↓↓)
レオーネの時もですが、以降でも毎日乗りたくて、
個人の車で通勤もですが仕事もしていました~(で社用車の距離は伸びないって訳!)
ビトルボは三菱重工内での写真ですが、21ターボの時も目ざとく見つけた技術の方が集まっていたり「今日はポルシェで来んの?」と言われたりしていました😜


特にクルマに関しては、Evoの愛車プロフィールにも書いた、
以下の逸話が好きだからなのでしょうねぇ~~

「歴史を辿れば、356ポルシェはシュトットガルトからイタリア半島を縦断してシチリア島へ走り、タルガフローリオを走り抜いて、再びシュトットガルトまで戻っていた~🏁」
「Road & Track誌の市販車最速企画でRUF CTRが最高速を出して有名になった時に、他の車両はキャリアカーでの参戦だったが、CTRはナンバー付きのまま自走だった~🚗」




高田純次さんが言われてました、、ナルホド😄面白い
「愛人とベッドと別荘は他人が持ってると羨ましいけど、自分が持つと大変なんだ」
昔のボクは、正妻が家にいて外で遊ぶというドライな性格だと思っていたのですが、
何のことはなく一人に愛情を注ぐという単純な人間でした、、結局は不器用かも
ハマショーが昔、コンサートMCで語られていた、
ただ一人の人を見つけその人と生きて行く~というパターンと同じ
ただ一台と付き合っていきたい人間でした👆
本妻と愛人、、の概念はなかったのかなぁ~一夫多妻は無理だったなぁ~
(小乗と大乗、、にも通じているかも😏こじつけ)

ハマショーのイヴェントも懐かしいです、、
(浜田)省吾さんといえば、純白のメルセデス♪(money)やアメ車(愛の世代の前に=サンダーバード、J.BOY=マスタング)のイメージですが、昔は(カズさんに勧められて⚽)真っ赤なポルシェに乗られていました🚗


ただそーなると元の話に戻って、全てそれぞれを突き詰められない
ある程度は妥協や中途半端にもなるし、
乗る方も我慢とかは必要になってきますね🙄
これもまた中庸、中道ですかね、、、
(例えば車高ひとつとっても悩みます⇒メンテナンス

駐車場にも板を入れてます、、怒られて一筆書かされました💦


因みに元々は、中道が仏教で使われ、中庸は儒教や哲学で使われていたようですが、
その意味合いは微妙に違うと云われています。
漢字だけを見れば、、例えば左右を考えると
中道は中間(真ん中)の道で中庸は(庸は普通なので)左右の間という感じです。
でも仏教では、中庸が左右の真ん中となり
中道は左右の間だけじゃなく左右も含めて一番良い道を表していると!?
これが儒教や哲学だと、中庸は偏らず丁度良い状態を表しているとか!
この、それぞれの考え方自体も、
また中庸、中道ってことかもね、、、いいかげんな奴じゃけぇ♪(笑)

ただ正直、トラックディ🏁特にレースの場合は(遠足と同じく)帰るまでが重要です
本当はキャリアカーでの参戦が安心ですね、、ボクも過去に
サーキットでシフトが逝った時は他のショップの方に助けてもらい
帰途でエアバルブが折れた時はO谷さんにタイヤを届けてもらい
スローパンクチャーの時はJAFのお世話になりクルマと一緒に帰れました🚚
ただ唯一、エンジンが逝った時のみ、
クルマは京都へ直行となり応援に来ていたK松ちゃんに乗せてもらい帰りましたねぇ~
丈夫なEVOとフック船長、そして友人や仲間たちに助けられてのトラックディだったのは幸運だったかもです🙏

RCTの頃に、チャレンジカップへ出られていた知り合いから964カップカーを買わないかという話が有りました🏎
「サミーさん、サーキットならカップカーが面白いよ♪」
ボクがサーキットへよく一緒に行っていたからですが、
フック船長は「サミーは、そーゆーのとは違うんよ」と言ってくれたとか😙
純粋にレースをするなら例えばイコールコンディションなどの規制が必要で
特にJAF戦はそうですが、ボクはもう少し自由な方が好きなのですよ~
(964RSに対するRSアメリカの立ち位置とも似ています/笑)
なのでストリートカーで楽しむレース形式の走行会を走っていました🏁
勿論周りがサーキット専用みたいにクルマを作ると上位は苦しくなりますが、
ボクには高速道路も街中もデートだってEVOと一緒なんだよという感じですね、、
(前回書いたスケボーの堀米さんがストリートを忘れてないのも好印象です😻
パークやサーキット場だけではない背徳感もあるかな?👍ロックだぁ)

当時はまだRCTの後ろのCUPカーですねぇ~ビッグスロットルだったかな?


そう~スポーツカーに関して有名な言葉が有りますけれど、
逆にこの、いかにも曖昧なところがボクにフィットしているのかもですね!?
(例えばスポーツ出来ればどんなクルマでも?とか
乗用車という定義は何?なんて細かいツッコミは置いといて/笑)

「スポーツカーは乗用車の終わるところで始まり、
レーシングカーの始まるところで終わる」

最初に徳さんの複数所有の話を書きましたが、松任谷さんとの対談で
二人共に二台派、実用車とスポーツカーという要求を満たす為に車は2台必要と、、
(だがその時には、2台までが丁度良いとも話されていました、、)
そーいや松任谷さんは、初めてアウディ100を買った時ユーミンに100万借金し、それ以来どんな車を買っても「1/3は私のもんだ」と言われるそーです👛爆

スポーツカーと乗用車は走るというコトは同じでも別のモノという考えのように、
正妻と愛人は、結局は相容れないものですよね~何故なら
正妻は愛人ではない、愛人も正妻ではないというところ、そのものが魅力なのかも!?
そう~阿修羅王と帝釈天の戦いにも似て(あはは、違うかな🙄?)
最強の軍団と絶対に負けない軍団の戦い、永遠に終わらないという、、

ところで、愛車・愛犬・愛妻はそのままなのに、愛人となると正妻以外の方ですね〜
韓国では愛人は恋人だし中国も愛する人の意味で、日本的な愛人は情人だそうです。
昔は日本でも西郷隆盛の座右の銘である「敬天愛人」のように単に人を愛することで
二次大戦前は愛妾と言ってたのが太宰治のせいで以後は愛人になったとか、、へぇ?


タイトル画像はアステールプラザですが、アステールとは星(ギリシャ語)のコトですね〜昔プラトンにはアステールという名の愛人(少年)が居たそうで「君は星」とか言ってたとか🌟数多の星があるようにヒトは一人では満足出来ないのかも🤗
自分にとっての中道(中庸?)に思われるベストなクルマ一台派のボクですが、
複数のクルマを所有されている皆さんは、多分ボクの何倍も楽しい人生を送られているのでしょうねぇ(ある意味、酒池肉林?あはは)

因みに、40〜50代のアンケートで、新車を買いドライブに行きたい人は「妻」(55.6%)でクルマは「セダン」(59.1%)だったそうです。そして「恋人・愛人」と答えた人は「スポーツカー」を選ぶ男性が目立ったそう(笑)
旦那さんが「セダンが欲しい」と言い出したら『妻を愛している』という思いの表れかもしれませんね〜って、じゃあスポーツカーが欲しいあなたは??うひひ
(島田)紳助さんも何処かで言われていました、、
「男性にとっては『車=女の子』なんですよ。だから何台も持つ人は、女の子何人も欲しいんですよ。スポーツカーとかフェラーリとか欲しい人は、使いにくかっても見た目かっこいい女とつきあいたいんですよ。中身はどうでもええから。そして1台の車を5年も10年も長く乗って自分でちゃんと磨いている人は、一人の女性をちゃんと愛する男なんですよ。」
う~ん、30年乗ってますが自分で磨く!ってところは違ってるボクですねぇ(苦笑)
免許の更新へ行ってきました、、、あと何年乗れるかなぁ😏


Posted at 2024/11/07 11:00:14 | コメント(2) | トラックバック(0) | RUF | クルマ
2024年10月17日 イイね!

ツーリングも様変わり、、宴のころ

ツーリングも様変わり、、宴のころ前回、ツーリングについて書きましたが、
あえて中抜けにしていました、、
そう、スバルの後からポルシェでサーキットへ嵌まる間の頃ですね~
丁度、人生も賑やかだった頃かも!?
えっ今ですか、、もう枯れ葉ですな🍂
(もみじマーク=四つ葉マークも近い、、)

スバルの頃は友人と少人数で走りに行って
ラテンのクルマでは皆でワイワイ走りに行き
ポルシェになっても最初は同じようにワイワイだったと記憶していますが、
RUFとなりサーキットが増えた事も有り、また少人数となってきたかなぁ~
(まぁ皆さんの家族構成の変化も大きいかも!?ボクは変わらず/淋)

クルマのお国柄に合っていたようにも見えますが、
逆に当時の性格や環境がクルマを選んでいたのかも知れませんね!?
さて、、初めてRCTにして、皆でお披露目ミニツーリングをした時に
ボクのコトを見て、ハラチャンは思ったそうです、、
「うわぁ~イタリア人じゃあ!?」(どんなんじゃあ?苦笑)

そして美祢サーキット走行会でコース脇に停まっているハラチャンを見て
(タイトル画像の993turbo/ホントによく一緒に走った🏎993 💨 🚗EVO💦)
横にちょっと止め大丈夫か?とジェスチャーで話しかけているボクを見た時
「やっぱり~このヒトはイタリア人じゃあ!」
とまた思ったと笑いながら話していました~ははは
まぁイタリア人の手の動きは、会話や電話や独り言でも半端ないといいますが👋笑

大昔(社内旅行)のローマのスペイン広場かな、、今は寛げないのですよね~確か🍦?
イタリア人には見えないなぁ~👀笑


ポルシェと会う前、ラテンのクルマの頃は本当によくツーリングしてました😊
むかし書いたblogへ登場した友人達と、、
BMW525からルノー21turboとクワドラからクリオのREDZONE吉坊(以降アウディ)
ゴルフからプジョー405Mi16と605や306S16や106S16からインテグラーレの陳さん
パイクカー?日産Be-1やプジョー309やジャガーやアルピナや928やアルファやマセラッティ222?や968やベンツや諸々のSIZU君
スカイラインやBMW320のえびっちゃん
Te71レビンやベレットやアスカやシャレードからプジョー205GTIや405SRIの石〇君
メルセデスSLKのババーラさん
う~ん、、あとは誰が居たか🙄
以下は懐かしい写真ですが、みんな元気でいるのかな~とんと御無沙汰♪
「とんと御無沙汰 どうしてました?
 気にはしてても ついつい気後れ 臆病風 ♪」(拓郎さん)









あの頃は色々と遊びに行っていたし、なによりよく飲んでいた🍻
なんか一時期はヒトを集めるのが好きで、よく宴をしていたのですねぇ~しかも長い⌛
誰かが結婚するとか仕事を辞めるとか誕生日とか
もちろん新年会とか忘年会とか花見とか納涼会とか旅行のお疲れ会とか
知り合いのイタ飯屋から良い牡蠣が入ったからシャンパンとどう!と誘われたり
田舎へ帰ると松茸を渡されたので何処かの店へ持ち込み皆を呼んだり
取引先が三陸から秋刀魚の初物を送ってくれたので行きつけの店へ皆を集めてとか
やたら友人の友人とか知らないどうしも呼んでワイワイと、、
みんなもフットワークが軽かったし、ずっと呑気な毎日が続くと思っていたのか?
「人生って不思議だな、昔は時間が永遠にあったのに気がつけば50歳」(アメリ🎬)
(やっぱりオイラたちも、うんてれがんだったかも??爆)
そーいや、イタリア長介!なんてblogも書いていたし、、
やはりイタリア人だったのかな~あはは

当時は当然カメラ付き携帯電話も無く、何故か酔っぱらって写ルンです!を買い
むやみにシャッターを押していました、、何時も同じような写真ばかりを📷苦笑
以前にもバブルに絡めて少しupしましたが、再度🍻
(※上記も含め、アップの写真とかは出してませんが問題あれば連絡ください🙇)
以下は懐かしい写真ですが、みんな元気でいるよな~とんと御無沙汰♪♪
「とんと御無沙汰 こちらの方は
 運動不足 もともと生来 横着者 ♪」(拓郎さん)











昔からよく云われる話が有ります、、
半分残っているワインを見て
あと半分しかないと思うか、まだ半分も残っていると思うか!?
後者が前向きでイタリア(ラテン?)的思考と言われてきました。
あと半分も楽しめると思えれば良いと思うのですが、
ボクは半分しかないなぁ~と淋しく考えてしまいます、、いやしいだけかも
んん、やはりイタリア人では無かったかな~たはは

今年のパリ五輪は時差の関係でLIVEでの決勝は殆ど観ませんでしたが
最初の頃見たスケートボードのストリートが一番感激しましたね🛹
女子のふんわりお互いリスペクトする競技姿勢や男子の堀米さんの一発逆転のラスト!
そのトリックだけならあっという間ですが、ランから順番に見ていくと
ウルトラマンがスペシウム光線を最初から使わないとか水戸黄門が印籠を最初から出さないとか(違うか😁)
盛り上がってからの必殺ワザ=トリックで決まるのが良かった👏
って話はそこじゃなく、堀米さんがXで記した「1%も可能性があるなら」の言葉、、
「しか」でなく「も」と可能性を信じて最後に神がかり的なトリックを決め7位からの金メダルが凄い✨
(ドリカムだと10000回だめでも10001回目に何か変わるかもしれない!と信じる心ですね/何度でも♪)
そーいや、堀米さんはテスラを買われたと出ていましたが今もかな?
大谷さんも昔はテスラでしたが、今はポルシェのオオタニさぁ~んですね👍(日替わりポルシェ?)

イタリア人が見る日本人は、コーヒーと猫が好きだそうですねぇ
そういうイタリア人にもカフェ=コーヒーがかかせないとか!?
ボクはコーヒーを飲まないし猫も嫌いじゃないが同居はしていません、、
料理をしてくれたら考えますけどね~FBより😸爆


そして、イタリア人と言えば、、(あくまでイメージです)
良い事は自分のおかげ、悪い事は人のせい、誉め言葉やおだてに弱い、
言い訳上手、責任回避はお手のもの!なぁ~んて云われていますが、
流石に、ほとんどは(笑/半分位は)当てはまりませんよ~えへへ😋
そして、、(勿論イメージです)
ドタキャン、待ち合わせに来ない、一時間以上の遅刻が当たり前との評判ですね~
うちの親父は約束時間の二時間前位には用意を済ませ、周りをせかしてました💦
どーもボクは間の余ってる時間が勿体ない気がしていて駄目なのですよね~
ロクハチ爺さんには、サミーは約束時間から見てギリギリで動く、
(ロクハチ爺さんは早目に到着しコーヒーで寛ぎ皆を待っているタイプです)
特にクルマの待ち合わせはEVOで時間調整(辻褄合せ)してると言われてました!?
でも、これって(上に出てきた)ハラチャンにも当てはまるのですよね👆
きっと、あなたもイタリア人だな~ぃゃイタリアはお釣りが適当と言いますから、
キッチリ清算!(EVOのブースト計照明の細工もしてくれました👀細かい👏)
そして濃い性格?(顔?)を考えると、スペイン人かも~いひひ

ハラチャンには撮影を色々としてもらいました(感謝)
撮影ポイント巡りがレーシングカーより速く回っているとの都市伝説が有ります(爆)


そーいえば以前にも書いてますけど、姪っ子(姉の娘)がスペインの方と結婚して
海外生活を続けていたが(カナダ5年にスペイン20年)数年前に姉の田舎へ移住し
(故郷、三次の)移住コーディネーターなんてしているそうなんですね。
この旦那さんは頑固だけど(日本男児と違い)何事も女性を立ててくれ(姉の印象)
食に拘り、ヨーロッパ人らしく頭の毛が少ないそう~(ハラチャンも御注意を🤭)
そして今は大学の関係で旦那さんと娘はスペインに帰り別居生活とか、、
実はこの姪っ子の兄弟達も別居婚状態が多いみたいなのですよ(沖縄とか四国とか)
羨ましいなぁ~人生の殆どを独り暮らしのボクは、今更ヒトとの同居はしんどい
誰か別居婚してくれる奇特な方は居られませんかね😜(慎ましい資産付きよ/苦笑)
って、、やはりボクは家族を大切にするイタリア人ではないな~とほほ
「独りでいるということは旅をしているということ」(永六輔さん)

そうそう、イタリアとスペインの注意点をひとつ、、
距離感が近く積極的なスキンシップの多いラテンのお国柄ですが、
挨拶のキスがイタリアでは「左!右!」スペインでは「右!左!」だそう~
ごっちゃになるとマウストゥマウスになっちゃうので大変とか~うふふ😘

ローマのカフェグレコ前ですが、どーみても日本人の観光客ですなぁ~👀爆
ゲーテ・アンデルセン・ワーグナー・ダンテも訪れていたそうですので、
ボクもエスプレッソを頂きましたよ☕普段は飲めないのに(笑)


あるイタリア人の日本人評なんですが、、
「日本人はインモビリスタが多いね。特に、ここ数年はその傾向が顕著」
インモビリリズモ=退嬰主義=しりごみして引きこもる事。
つまり、進んで新しいことに取り込もうとする意欲に欠けるヒト
やっぱりボクは典型的な日本人ですな完璧に~てへっ(納得😏)

2018年頃までトラックディを楽しんでいたボクにハラチャンは、
「今でもサーキットを走っているのはサミーだけじゃけぇのぉ~」
と嬉しそうに言ってくれてましたが、その後、、
「サミー、たまにゃあ~走らせんといけんじゃろぉーがぁ~」
と月一くらいに周辺を流すだけの現状を見てアイロニカルな小言を😜
いかん、そろそろ動かねば、、、


Posted at 2024/10/17 11:00:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | ポルシェ | クルマ
2024年10月03日 イイね!

ツーリングも様変わり、、

ツーリングも様変わり、、島根県の三瓶山ですね〜
中国地方に二つしかない活火山の一つです🌋
(昔は休火山と言っていましたよねぇ🙄?後は山口の阿武!)
ここに来ると小学生の時に免許を取るのが遅かった親父(教習所でケンカして/当時のあるある😄)の友人のブルーバード(日産党の隅谷さん?笑)に家族で乗せて貰い来たのを思い出します、、酷い車酔いでゲロゲロ🙊

さて近年はオンロードばかり走っていますが
むかしのボクは(1980年代?)スバルレオーネで林道を走りに行っていました🚗💦
勿論オフロードばかりじゃなかったが👉blog「ギャラリー」参照🚗 💨
林道はレオーネのパワーが無かったし、何より走ってるクルマが殆ど居ないしお巡りさんに捕まることも無かったからです👮
良く行っていたのは、十方山林道でしたね~
十方山は広島で三番目に高い山で十方眺められるという景色の良い山です⛰
大昔は広島のラリーでも使われていましたが
ボクが走っていた頃はホントに偶にオフロードバイク位しか会うことは無かったです。
後は山へ仕事に来られた地主の木こりの方とかと話してました、、
稀に友人を連れてBBQとかもしましたが、運転が怖くて女子を泣かせたことが有ったのも懐かしい思い出かな~ドリフトさせてたら崖から落ちたと思ったらしい💥ゴメンY子ちゃん(因みに二台目のレオーネで崖から落っこちたのは別の場所です、、涙)




今なら猿やシカや何より熊と会うのが怖いでしょうね~🐵🦌
愛想よく挨拶されても困りますし、、🐻よぉ


レオーネの後、インテグラーレを買ってから流石にダートは走りませんでした🙅
地上高も有りますが、小石の飛び跳ねや小枝がバラバラ当たるのは辛いですもんねぇ~
今のポルシェダカールでダートを走るヒトも居ないでしょうし、、三千万👛笑
ルーフRODEOというのも有りますが、、)
因みに、その後何年か経った後にサーキットへ嵌まっていたのも、
クルマが同じ方向へ走っているし(高齢者逆走も見たこと無い👴)
やはり何よりお巡りさんに捕まることが無いってのは大きな要因だったかもです、、
そうストレートでスピード違反も無いし、コーナー回った処で飲酒検問も無い😋
もちろん一番はクルマも自分も限界まで楽しめる(苦しめる?)からですが、、✌

さて思い返せば、実は半世紀位前の学生時代の懐かしい頃も、
友人と軽自動車で、車中泊しながら九州や四国へ行ったり、
キャンプをしながら中国地方を廻ったりしていました~キャンプだホイ♪
今みたくオシャレじゃない古の三角テントは借りたものですが、
なんとこの時は支柱が一本足りてなかったのですよ(苦笑/石とかで調節💦)
Chihiro君は当時から料理が得意でしたねぇ~🍳


これは(勿論)社会人になってからですが、
このスバルレオーネでは色々廻りましたね~ここは九州かな👀
この時、気に入ったそうで一緒に行った〇西のアニキは同じレオーネRXを手に入れ以降はスバリスト👏


その後、デルタでもルノーでもビトルボでもテーマでもアルピーヌでも
そして、もちろん今のクルマでも、
友人達や一人でも色んな処へ走りに行ってました🚗~~
大昔の懐かしい、こんな本が出てきました、、『これがビッグドライブだ』
藤原審爾さんという作家は、藤真利子さんのお父さんですね
いやぁ~当時(1980)の本は面白いなぁ😊
結構、無茶苦茶な事が書かれていますよぉ~ある意味、痛快?





ビッグドライブとは違っているかもですが、
CGやNAVIや諸々の本でグランドツーリング!というテーマで特集していた時には楽しく拝見させて貰いました、、
徳(大寺)さんも、こんな本を出されていましたね📖
ボク的には、ポルシェ911はGTカーというよりもスポーツカーのイメージで、
昔の928なんかがグランドツーリングカーっぽかったです!
ただ911もターボとなると、この言葉が何か似合いますよね~
(大排気量かターボが有ると高速道路が楽ちんですもんね😽)

「ポルシェって、絵に描いたようなグランドツアラーをつくる名人だと思います」(徳さん)


以前(吉田)拓郎さんのクルマ遍歴(16台)話題を書きましたが、
「色々な車を愛して楽しんだが関西・四国まで遠乗りした事があるのがBMW320iのオ-プンカ-、ポルシェ924、ベンツ・ゲレンデバ-ゲンである。BMWではツア-先の四国までドライブ、ポルシェとゲレンデでは大阪に2度ドライブした。東名高速を大好きなアメリカンオ-ルディ-ズや愛するマウイを思い出してハワイアンミュ-ジックを聴きながら走るのは最高の楽しみで途中のサ-ビスエリアに立ち寄って軽食したり飲み物を買ったり楽しんでいた」
なぁ~んて最近のblogへ書かれていました、、現在は車との付き合いを卒業されています(「あーハンドル握りたいなあ!」と時々思うとも😄)

映画『ドライブマイカー』は何故赤いサーブなのかと思いながら観ていましたが、
後半に広島から北海道まで行き(グランドツーリングだなぁ~)
雪の中の車を見た時に合点がいきました👀!
原作は(村上春樹さんの趣味で)黄色のカブリオレだったそうですが、
雪では赤い車が映えるし、なによりタイヤ交換なしでも雪道に強いサーブ✊
むかし雪道に強いのはスバルといわれサーブに似ているとの評判でした⛄
(因みに、このスバル独特のダートや雪道用?足回りのセッティングはレガシィ初期まで続き、黒沢元さんはサーキットでクラッシュ💥懐)
両社、航空機メーカーからというのも似ていますよね~
同時代の雪に強い車ならアウディ80クワトロとかも有りましたが、
4ドアでなくサーブ900の2ドアというところが主人公の生き方を表していて良いし!
それに『PERFECT DAYS』のハイゼットと同じくカセットテープのこだわりも!
アウディなら名前の由来のオーディオ(聞く)も最新となりそう?(は無いか😜笑)

さて、Mark0924さんも北海道へロングなツーリングが素晴らしい🚗♪
アル君さんは仲間達と色々謳歌されていて羨ましい🚗🚙♪
ホント、みんカラで拝見する方々はグランドツーリングを楽しまれていますねぇ👏
そんな長距離ではない近年のボクのツーリングです、、、

2021年初秋、うんてれがんさんに誘われて3台で、、どんぐり村
少人数の近場は良いですね~走ることがメインで昼には帰って一杯でした🍺




2021年秋、懐かしいロータスクラブの方に誘われて大勢で、、三瓶山
ロースピードでツイスティな道が続くと疲れる齢だなぁと実感(苦笑)
良い季節の山は人も車も多くて大変ですね~ハンバーガーを頂きました🍔




2022年春、うんてれがんさんに誘われて皆さんで、、津和野
やはり桜の季節に大人数は大変ですね~迷子になりそうでした😅
元学校のお蕎麦屋さんは美味しかったです(龍の里 やどみ






因みに、近年2022年後半から2023年は体調の問題で静かにしておりました🏥
(僕エリさんも苦しまれていた件の手術や、他にも色々と大変でしたよ、、トホホ)
更に、その後というか同時にEVOのエアコンが壊れてしまい(整備手帳👀)
益々ステアリングを握る気分も失せてしまって、、😢
いかん、そろそろ動かねば、、、

「結局、男って、人生がグランド・ツーリングなんですね。
いくつもの分岐点が有って、いつも決断を迫られて、ことによるとストンと崖から落っこちるかもしれないのに、ただひた走りに走る。それが男というものですよ」(徳さん📖上記)


Posted at 2024/10/03 11:00:51 | コメント(3) | トラックバック(0) | ポルシェ | クルマ
2024年09月05日 イイね!

ボクのRUF(シングルターボの軌跡)

ボクのRUF(シングルターボの軌跡)ボクのクルマはRCTevoと言います、、
RUFのセミコンプリートカーですね😊
RCTという964コンバージョンがヒットして
RUFは次に、本国でTurboRと言いましたが、
そのままだとTRなのにTHRという993コンバージョンを出しました。
これは「Turbo H Ruf」の略で、HはABCの8番目=RUF8番目のターボ車を表していると聞きましたが、以下かな!?
「930がCTRとBTR、964がBRとBTRとRCT、993がBTRとCTRとTHR」

この中で、CTRとTHRはツインターボ車ですから(以降の水冷も)🐌🐌
我がRCT以外のシングルターボはBTR/BRということになります🐌
特にコンプリートカーはそうですね~
このBTR/BRとRCTについて見ていきたいと思います、、

ただ、ポルシェと違い資料が無いのですよね~持ってないだけでしょうが?
(フック船長も古い資料は始末したとか言うし😢)
それに何より元がワンオフ的なクルマですので数値が其々なところが有ります。
例えばボクのEVOの公称性能は以下と出ていますが
「0-100km:約3.9sec、0-200km:約12.9sec、最高速:320km/h」(RTCサイト)
これは車重やタイヤ等や何よりミッション(ギヤ)で全然変わってきますから!?

<930>
(1977~)
BTR「NATO」PROTO=実験車(~最終仕様374ps)
(1978)
BTR(3.3ターボボディのみ)330ps、5速、日本未入荷
(1983~)イシダエンジニアリング創業で日本上陸!
BTRⅠ(3.4)374ps、49kg、圧縮比7.0、0.85ber、280k/h(雑誌テスト297k/h)
※ 以下のⅡとⅢはずっと後期(90年代)に930コンバージョンとして出ているから
コンプリートカーも有ったのかな?
※ 当時はブーストコントローラー付属で1~1.1barにて425psの記述も有り?
BTRⅡ(3.4)400ps、Kジェトロニック、タービン大径化
BTRⅢ(3.4)408ps、モトロニック、1bar
CRT(BTR3.4カレラボディ)408ps、300k/hオーバー

<964>
(1991)
BR2/4(3.3)360ps、48.5kg、圧縮比7.0、0.85bar、KEジェトロニック、BR2=2680万
同コンバージョンキット(3.3)360ps、49kg、圧縮比7.0、ベース964ターボ
(1992)
BTR2/4(3.8)415ps、56.0kg、圧縮比8.5、0.79bar、DMEモトロニック、965BTR呼称も

<993>
(1994)
BTR2/4(3.6)425ps、59.2kg、圧縮比8.5、0.9bar、BTR2=2700万
同コンバージョンキット(3.6)420ps、59kg、圧縮比8.4、ベース993NA

<964コンバージョン>ボクのRUF!です🥰(ベース964NA)
(1996)RCT(3.6)380ps、56.1kg、圧縮比8.4、0.8bar
(2000)RCTevo(3.6)425ps、58.2kg、圧縮比9.0、1bar

懐かしいUCCのNATOと930BTR3.3と RCTです、、(食玩)


NATOですが、ドライオリーブドラブ色でそう呼ばれていました(シャーシは75年930ターボベース)
BTRのテスト車で色んなEgが載せられており(4Lエンジンとかツインターボも)
最終的に石田エンジニアリングが日本へ持って帰り最終仕様で374psでした
その後オールドボーイさんでO/Hしていたとか聞きましたが今はどうなのでしょう?


やまさんの930turbo(BTR改RUF6速)、初めて試乗した時には感激しましたね~
上記の964BRの3.3Egを3.4Lにupしフック船長が色々と手を入れて、
一時期1bar掛け400ps近く出ていたと思うのですが、
更にモトロニックへ載せ替えれば408ps仕様になるのかな!?
(因みにポルシェがモトロニックになるのは993から)
この頃の本家930turboは、74年発表の3L(IC無し)で260ps、35kg、圧縮比6.5
78年3.3Lでインタークーラーが付き300ps、42kg、圧縮比7.0
84年にトルクが43.8kgになりますが、87年まで4速のままでした(RUFは5速)
そして89年に5速ミッションです、、がRUFは964から6速になります!


当時、フック船長が300k/hオーバーは400psないと無理だと言われていましたが
上記CRT(紛らわしい名前)は、その速度域で効くカレラボディにしたものですね。

RUFでは930迄ホワイトボディで受け取っていましたが
964からボディ補強が必要で無いと判断されたので(コストダウンも有ったか?)
完成車をコンバートしています🔨

T-DAYSさんの964BR2です~RUSH耐久にて、、


これは964BR2販売当時の公式資料ですね、、(フック船長が残してた)


964BTRで3.8LにまでなったEgですが(DMEのホットフィルム)
吹け上がりやレスポンスは3.4Lが良かったそうで(更に耐久性の面でもと京都で👂)
993BTRでは、3.6Lとなっていましたね。
この頃の本家964turboは、90年3.3Lで320ps45.9kg(圧縮比7.0、0.7bar)
93年3.6Lで360ps53kg(圧縮比7.5、0.7bar)でした。

クラブFlat6(46-jpさん)の993BTR2です~TipoOHM2014へ応援に来て頂いた時、、


近年のネットではBTR=GrB Turbo RufでCTR=GrC Turbo Rufと出てきますが
レギュレーションのグループアルファベットは1981年ですから、ちょっと??
(それまでは数字でした、、Gr.4のストラトスみたいに)
当時は、BTR=Big Turbo Rufの略といわれており(CTR=Carrera Turbo Ruf)
単純にタービンをポルシェのK26からK27へ大きくしたからだと思っていました。
では、BRはどうなのでしょう?
930時代のBTRはターボボディでカレラボディはわざわざCRTという名前で出てきたし
T=ターボボディの事かと思い、
964でBRが出て来た時はカレラボディだったのでTが付いていないんだと思ったら
ターボボディも有るし(上記)その後のBTRにもカレラボディが有ったような?
では、ポルシェに対する排気量ですかね~
ポルシェターボが930で3Lの時に3.3Lで、3.3Lになると3.4LでBTR
964でポルシェと同じ3.3LはBR、3.6Lになると3.8LでBTR
993では同じ3.6LでBTRですが、後に出たポルシェはツインターボになりましたから
Big Turboはタービン、排気量、ボディ、、んん~~よく判らない、誰か教えて👂

ボクのRCTはRufCarreraTurboの略です、、NAカレラのターボVer!
当時のRCTとRCTevoの記事を、、今回はGENROQより📖



RUF社は、メーカーとモディファイ(チューンド)メーカーの両面が面白いかと!?
通常のメーカー(例えばポルシェ)は、未来(新モデル)方向しか進めませんが、
上記ラインナップにあるように、RUFは例えば930や964のコンバージョンに
そのモデル以降の最新の技術を投入し発表できるところですね~燃料制御とか!
(また詳細は書く予定ですが、愛車紹介に有るようにボクのEVOは964でも中身は993や水冷等のパーツがてんこ盛りです😉)



RUFのシングルターボ車は、
同社初のカタログモデルと云われたBTRが1977年に開発され(1978年発表)
コンプリートでは1994年、コンバージョンでは2000年まで存在しました。
こうして見てくると、
993BTRと964RCTevoはRUF空冷シングルターボの究極といって良いのかもですね、、
そして、一応2000年にトリを飾ったのはRCTevoだったのです😄
と、悦に入って自己満足しておりますがぁ~~(あははは)

※ 尚、公称されている馬力はRUFパワーと呼ばれているように、
いかなる条件下でも保証される出力とされています。
雪の家!ことヒマラヤではどうか知りませんが⛰(笑)
シャシダイ実測で10%up、だいたい50psプラスですね😏
(EVOで公称425ps⇒実測470psあたりです!)


Posted at 2024/09/05 11:11:51 | コメント(2) | トラックバック(0) | RUF | クルマ
2024年08月07日 イイね!

プレイバックPart2(のパート3)

プレイバックPart2(のパート3)このシリーズも三作目となりました、、✍️
大学の頃にスター誕生!を観に行って
写した百恵ちゃんの写真にプラスして
街?で有った有名人を書いたblogですが、
流石にネタ切れですね~案の定😂
でも笑い転げている百恵ちゃんは可愛かったなぁ(以前にも出した写真です📷)

いまプレイバックと言えばスバルかもですが
(って、そりゃレイバック😜)
あの、真っ赤なポルシェ♪ってフレーズは、
ORANGE RANGEの「Great Escape」って歌にも出てきますし、
ポルシェ自体は、あべりょうの「光速で逃げ切れ」なんて歌やHey Porscheなんてそのままの歌も有ります、、
でも、有名になったのは1978年の百恵ちゃんのこの歌以降ですねぇ~
紅白歌合戦の最年少トリ(19歳)で歌い、例の「ポルシェ⇒クルマ!」で話題になりました(今は昔だなぁ/懐)

真っ赤なポルシェはAUDIかVW系のポルシェでは!と宇崎竜童さんの言葉でしたので
ボクは924かなぁ~と思っていましたが、914っていう線も有るのですかね?
と思ったら、ふと見返した昔の本にこんなのが出ていました、、(1992/6 チャージ)




この検証では、、
912は1960年代に消えてるのでパス、914は真っ赤のボディカラーが存在しなくパス、
944は1980年代登場で問題外、928は1977年本国登場で可能性低くデカすぎでパス、
924はもし百恵ちゃんの車と考えると貧乏くさいので可能性は薄い😂
やはり911(当時200ps)という結論になっていました。
更に、百恵ちゃんは忙しく遠出はしないので事故現場は神宮外苑辺りで、
(以前のblogパート1では湘南の交差点との記事を引用しましたが色んな考察が/笑)
擦ったミラーの修理費は25240円と結構リーズナブル👛
当時のスキャンダルもスクープ無かったから、その場で示談が成立したのだろうと、、
って、この歌は百恵ちゃん自身の話だったのかいぃ😅!?

プレイバックは、百恵ちゃんの歌でpart1と2が有り、阿木燿子さんの本にはPart3も有るようです📖
まぁポルシェが出てくるのはPart2だけですが、、
歌詞の「馬鹿にしないでよ」は、前夜のH?後の喧嘩でイラつき事故ったからではなく
プロデューサーに一晩で作ってといわれ阿木さんが頭にきた事だったとか、、へぇ🙄


だいぶ昔のblogへも書きましたが、P3 HIROSHIMA というのが有りまして、
広島の三大プロのことです、、カープとサンフレッチェと広島交響楽団のコト⚾⚽🎼
一応は写真が、前々回と前回のblogからの三部作?となっています📷
友人が広響でバイオリンを弾いており🎻(スバル好き🚗
ずっと第一バイオリンで指揮者やゲストの後ろにデカい顔で居ましたが、
今は齢で?第二バイオリンとなり後ろへ、、が今も目立っています(顔がデカい?笑)
30年目のEVOと33年目の広島アステールプラザ(広響の拠点)です🎶




さて、以下はたわいもない思い出話を例によって長々と呟いていますので
すっ飛ばしてもらってOKですので、、、🙈
このシリーズ?は、むかし写していた有名人?の写真をネタに書いていましたが
前述の如く豊富にある訳無いし、さらに広島だとチャンスも減りますし、
何より昔は携帯端末にカメラ無く(携帯自体無い📱)即応的に写せなかった📷
因みに広島市へは帰ったのではなく新たに初めて住んだのです
故郷は県北の田舎でしたから(現三次市)、、

取り敢えず、その広島市内へ住む4年前の話から始めましょう~
大学生になり始めて近隣の駅(家から10km)より出発の時でした
芸備線の甲立という駅へ行くと、なんか幟を持った人がカメラマンに写されています
よく見ると「胡浜(えびすはま)三郎、故郷へ帰る!」だったか錦を飾るだったか、、
始めて見た有名人だったのかな~半世紀くらい前の話です😲
この方は歌謡選手権か何かの初代10週勝ち抜きチャンピオンでデビューされて
一曲目「女のまごころ」はそこそこ売れたらしいですが、勿論存じ上げませんでした
と思ったら田舎に有った演歌のLPレコードの中で『港町ブルース』を歌われていた!
そう森進一さんと声がそっくりですね~歌は此方の方が上手いと評判だったそうです
似てたせいかその後は鳴かず飛ばずで、後年は森進五と改名されモノマネの道へ~
と、、地味な話から始めました(って、胡浜さんゴメンナサイ🙇)
これが、実家の川内で畑仕事をしている蓼丸綾(綾瀬はるか)さんとか
同じく庄原駅(県北)で園田淳(JUJU)さんと出逢っている話題ならウケるのかな😋



それから大学の頃の話は以前パート1パート2へ長々と書いています、、
そーいや就職試験の時かなぁ~広島そごうの前を通り掛かると映画の宣伝をしていて
『野生の証明』の角川春樹さんと薬師丸ひろ子さんが自衛隊軍団?を引き連れて現れ
ホントに目の前で見ましたが可愛かったなぁ~あの頃は(って失礼、、ロリコン👧)

前述のように広島へ住んでからは、流石に街中で有名人に会うこともめったに無いし
まぁ会うとしても、地元のアナウンサーや地場の歌手?やカープ選手くらいですね、、
(モニタリング!にも遭遇したことないし~📺)
ただ吉田拓郎さんのコンサートへ行った後、街へ出て食事をして外に出ると
前から拓郎さんが来られたのはビックリしましたね~同級生と飲みに出られたと🍻

さて、広島でサミットが開催されて一年以上経ちます。
首脳陣が訪れた平和記念資料館の東館ですが資料館になったのは1994年です。
ボクがポルシェを買った年ですね~
それまで(最初)は平和記念館と呼ばれていました。
ここの集会場で(吉田)拓郎さんは大学最初のバンドであるザ・バチェラーズでリサイタルをしたのです(1965年)
広島の象徴の場所で若者達の新しい音楽を慰霊追悼と希望の為に演奏しようと🎸
(座席を取っ払い入場料100円で2回公演700人、、)
以降は出禁になり(笑)ここはエレキギター禁止になったそーです😅あはは
アジアの片隅のヒロシマは、有名な四人組のリバプールとはならなかったのかな!?



まぁ当時は
「焼けつきた都市から 確かな愛が聞こえる~♪」(いつも見ていたヒロシマ)
なんて、当然歌われていませんでしたから、、
平和公園の前身は有数の繁華街(中島地区)で、摂氏4000度で焼かれた屍が地下に一杯眠っており、公園が出来た時に「頭を踏んでいるようで、、」と
被爆者の方々が言われていたのは凄くインパクト有りましたね🙏

当時はドラムスでした、、blogから借用


拓郎さんは後に愛奴というグループをバックにツアーを回られましたが、
青山徹さんと町支寛二さんのツインギターが良かった~ドラムの浜田省吾さんはイマイチかも😜(スティックを投げてた/笑)
こんな↓コラボは大変 🎸🎶🎸(FBより)もう一人、北の方がドラムスだったり😱


コンサートは拓郎さんのへ沢山行ってますが、次は浜田省吾さんかなぁ~
後は松任谷(荒井)由実さん、杏里さん、水越恵子さん、小山卓治さんとか、、
ジャズフェスティバルも何回か覗いてました、、
渡辺貞夫さん、しばたはつみさん、中本マリさんとかだったかな!?

水越恵子さんのLiveで貰ったサイン🖊


一緒に出て来た小室友里さんのサイン、、実はファンでも無いし会ったことも無いのですが、レンタルビデオ時代最後のAVアイドルだそうですね👩
(知り合いがAVメーカー/アトラスへ勤めててキャンペーンで広島へ連れて来られた時に一緒に飲もうと云ったらそれは無理だとサインを渡された😅)


小山卓治さんのライブは、近年OTIS!という平和公園前の小さなライブハウスです🎶
エレベーターのオーティスさんかと思ったら(思わんか😋)オーティス・レディングに由来するのかな(ソウルシンガー)
爆心地に一番近いライブハウスだそうです(家から徒歩5分あまり)


広島ではGWにフラワーフェスティバルという祭りがあり
うちの会社の目の前でやっていたのですが、
当時は5月4日も出社だったので仕事の合間に会社の連中と観て回ってましたね~
榊原郁恵ちゃん、早見優ちゃん、鈴木亜美ちゃん、あと誰だっけ??
会社の連中が、横にいたボクが居なくなったと思ったら、
早見優ちゃんの前で「恋かな~イエス!」と手を振っていたと笑ってました(あはは)

百メートル道路の道沿いに会社は有りました、、この真ん中辺り(勝丸さんblog)


会社といえば一階のうどん屋さんに篠原涼子さんが旦那さんと一緒に居られたり👀
行きつけのお好み焼き屋さん(八昌)はミュージシャンが壁にサインしていました
有名人の団体が来ると一般人?は入れないのですが、ボクは入れて貰えて
店前にたむろしているファンから「なんで入れるん」と文句が出てました
チャゲアスやダイアモンドユカイがメンバースタッフと居られました
一緒に行った友人がバンドの方に「ええ革ジャンですねぇ」と酔って絡んでました
(この友人はバイトで浜省へカレーを持っていったら、サングラスをしたまま食べていたと笑ってたなぁ)
一緒に飲んだことが有るのは西城秀樹さんって話は以前書きましたし~合掌
東京ではガソリンスタンドで梅宮辰夫さんに遭遇しましたが~合掌
こちらでたまに行くショットバーの奥ではKANさんが飲んでいましたね~合掌

八昌のトイレには閣下のサインも(10万61歳の長生き)、、ネット👀


クラブではカープの北別府さんが居られサインをコースターへ貰ったなぁ~合掌
江夏豊さんも何処かのスタンドへ向かわれているのへ出くわしました
市内のライブハウス前を歩いていたら、聖飢魔Ⅱの方々が後ろに同じペイント(こっちが素顔?)をした信者の団体を引き連れて前から来られたのも笑いましたね👿
あと近所の居酒屋にはサンフレッチェ森崎選手がご家族と居られましたし
寿司屋の前では佐藤選手が奥様と前から来られました(ハイタッチしそこねた)
新サッカー場も一度は行きたいなぁ、、


近年は、ジャニーズ問題などと云われていましたが
リアルタイムに北公次さんの本を読んでいたので、なにを今更という感じでした
その頃も、ハリウッドのジェームスディーンの話とかを知っていましたので
そうなんだろうなぁ~程度の感想しか無かったです
(ディーンが仕事を貰おうとプロデューサーのオッサンといっぱい寝てたのは有名🛏)


因みに、ボクはジャニーズが二番目に嫌いでした(キンキキッズは良い😁拓郎さん)
一番は韓流系です(なんか韓国は性格的に駄目、、だからLINEもしていません)
三番目はお笑い系ですね~お笑い自体は好きなのですが、
コメンテイターとか司会やひな壇に座り喋っているのが嫌なのです。
特に無理やりなテンションの盛り上げやわざとらしい感動の押し売り!?
たけしさんもさんまちゃんもとんねるずもウンナンもダウンタウンもそこまで好きではないし、押しつけがましい冠番組は殆ど観ていませんでした🙅
話題の松っちゃん問題にしても、普通にそういう方だろうと思ってましたがねぇ~
(なお一番好きな漫才師はいとしこいし師匠で近年はこだまひびきやミルクボーイ)

韓国は、コロコロ変わる主張や泣き屋や竹島や慰安婦や徴用工とか駄目ですね~
中国もですが、約束や信頼という言葉が無縁な国、、
何でも右に倣えの団体主義とか、、宗教とか流行りそう(って流行ってる!)
同じような顔で同じパフォーマンスの男女アイドルグループも食傷気味、、
(これは日本でも同じですが、学芸会みたいなのはもういいや!?)
儒教の影響が大きい国ですが、良い面も悪い面も多々あるかと、、いじめなんかも
(日本でも為政者のコントロールに良かったからか推奨されましたねぇ)
それから、なにより感情を露わにするのがボクは苦手なのですよ、、
あと竹島は、とっとと核関連の貯蔵庫にしておけばよかったのにと思っていました、、
慰安婦像は米兵の装甲車M88事故の中学生シムミソンの為に作った像が使えなくなり、それを流用した時点で何なのかと、、
ありゃ、嫌韓について書くと、えなり(かずき)さんみたいに干されてしまうかも~
ただでさえ友人の娘は韓国ファンで冷たい目で見られているのに(とほほ)
それに拓郎さんも、遅れてきた韓流ブーム!に嵌まっているそうですし(ビックリ)
なにより友人も凄く楽しいヤツだし(上記ヴァイオリニストも在日の方!)



ん~~なんかどうでもよい方向へ話がいってしまいましたがm(__)m
世の潮流に合わなくなっているボクの方がズレているのでしょうねぇ😢
なんとなく思っていたことをプレイバックしてしまいました(強引に繋げたか/爆)
そんな訳でバラエティや歌番組を見なくなったボクのゴールデンタイムですが、
観たいスポーツ関連が無い時は、録画しておいたWOWOWやスターチャンネルの映画やBSの懐かしい2時間ドラマを酔っ払って観ている毎日です📺

いかん、この言葉を胸にとどめておかなくては、、(映画監督/小津安二郎さん)

  「どうでもいいことは流行にしたがい
   重大なことは道徳にしたがい
   芸術のことは自分にしたがう」

(フィルムガール/小山卓治)
デヴュー曲ですね、中森明菜さんをモデルにしたと云われています!


Posted at 2024/08/07 11:11:28 | コメント(1) | トラックバック(0) | ポルシェ | クルマ

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「ボクのRUF(Gr.Bマシンの幻影と夢想) http://cvw.jp/b/1803110/48469228/
何シテル?   06/05 11:05
sammy_ruf です、、 よろしくお願い致します m(__)m mixiとかでは、クルマに引っ掛けて、 「EVOの証人」などとも云っちゃってます ...
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