ブルームバーグより
スズキは24日、40年以上にわたって経営トップを務めてきた鈴木修会長(91)が会長を退任し、相談役に就任すると発表した。2026年3月までの5年間の新中期経営計画を策定し、会社の中長期的な経営の方向が定まったためとしている。
スズキの発表資料によると、鈴木会長は6月開催予定の株主総会で退任する見通し。原山保人副会長兼会長補佐も同時に退任して相談役となる予定。同社は24日午後6時から新たな中期計画などについて会見を開く予定で鈴木会長や鈴木俊宏社長も出席する。
鈴木会長は1930年1月30日生まれ。中央大学卒業後に銀行勤務を経て、2代目社長の鈴木俊三氏の娘婿となり、58年に当時の鈴木自動車工業に入社。78年に社長に就任した。
国内で軽自動車事業の強化を進めた一方、80年代前半から海外展開も本格化。インドにいち早く目を付けて82年にインド政府と四輪車の合弁生産で基本合意し、83年には地場メーカーのマルチが現地でスズキ車の生産を開始。現在は同国でのシェアでは圧倒的首位の座を維持しており、81年に約5000億円だった連結売上高を3兆円を超える規模まで拡大させた。
激動の自動車業界にあって比較的規模が小さいスズキとして生き残りを図るため、同業他社とのパートナー探しにも奔走。一時は米ゼネラル・モーターズ(GM)や独フォルクスワーゲン(VW)と資本提携関係を結んだこともあった。VWとは関係が悪化し、スズキがVWにスズキ株の返還を求めて国際仲裁裁判所に提訴。 同裁判所は15年に包括契約の解除と株返還を認める判断を下した。
その後、トヨタ自動車と提携関係を結び、19年には相互出資も発表。電動化や自動運転など新技術の台頭で「100年に1度」とも表現されるほどの大変革が進む自動車業界を勝ち抜くべく、自らの手で布石を打っていた。
・・・思えば、アルトが産声を上げた頃からスズキのトップとして会社を引っ張ってきたわけですが、気が付くと御年91歳であらせられるわけで、通常であればとうの昔に勇退して悠々自適な生活を送っていてもおかしくない年齢。
しかし、高齢になってもなお、全国津々良浦のスズキ自販や協力店、整備工場を精力的に駆け回っては真摯に耳を傾ける一方で、インドへは200回以上行っているにもかかわらず、只の一度も観光をしたことがない(というか、忙しくてそれどころじゃない)という硬派でもあります。
そして何より、対談時点で90前というご年齢でありながら、記憶力が凄い点は常人の域をとうに上回っていると思うんですね。。
てなわけで、トヨタイムズにおける豊田章男氏との対談をご覧ください。
彼がどのぐらい凄いかがよくわかります。
これを観て思うことは、スズキの合理的経営って
「修氏の性格そのもの」なんだろうなということ。
いいものはドンドン伸ばす、ダメなものは身体を張ってでも否定する。
99%の人がダメだと言っても、んなの1%の可能性に賭けてみなけりゃわからんだろ・・的な人なんだと思うんです(もちろん、いい意味で)。
そういう人だからこそ
「金は現場に落ちている」
「トップダウンとはトップの号令で動くことではなく、トップが現場に降りること」
という名言通りにずっと業界をリードしてこられたんだと思います。
また、軽自動車の増税の話が出るたびに国に刃向かう姿勢を見せ、庶民の味方であり付けた張本人でもありますし、ワゴンRのヒットに甘んじることなくハスラーやスイフト等のヒット作を放出して、歩みを止めることなく現在まで引っ張ってこられたことは周知の事実でもあります。
インド進出の構想を持ちかけた時、社員で賛成する人はほぼ皆無だったと言いますし、夢物語だと思っていた人が殆どだったそうです。
しかし、修氏は
「インド市場はこれから伸びる」
という信念を胸に、インド政府とともにマルチウドヨグを立ち上げ、マルチ800を最量販国民車にまでのし上げ、インド社会に多大な好影響を及ぼしました。
その後、会社もマルチスズキに変更するほどインドとスズキは切っても切り離せない確固たるものとなっているのは皆様ご承知の通りです。
自身が社長を降りた後、戸田氏や津田氏などが社長に就いた時期もありましたが、志半ばで他界されたり体調を崩されたりして後継経営者が中々育たない不安などもありましたが、長男・俊宏氏という頼もしい後継者が現れ、今は彼がCEOを担い、自身は会長職に退きました。
そして今、会長職を離れるということはコメント中の
「自身の役目は終わった。これからは若い力でスズキを盛り上げていってほしい」
という思いのほか
「VWとの闘い(清算)、トヨタとの業務提携で頑張れるところまで頑張ったからもう疲れた」
という思いもあるような気がします。
だって、御年91歳ですよ?
普通の91歳だと歩くことはおろか、話すことさえままならない人のほうが多いはずです。
しかし、修氏は自分の意見もハッキリ言うし、過去の記憶もリビングの棚から取り出すようにポンポン出てくるわけですから、もはや御大もレジェンドも通り越し、神のような存在なわけです。
社員の皆さん、販売店、協力店の皆さんとしても「出来る限り看守っていてほしい」と思う半面「もうそろそろ休まれたほうが」という気持ちはずっとあったと思うんです。
でも、彼の性格ゆえ、休む暇があるぐらいなら現場を回り続けるほうが彼にとって健康の秘訣だったと思うんですね。
それが「鈴木修」であり、「スズキ」でもあったと思うんです。
第一線から退くことは本人からすると凄くエネルギーを使う決断だったと思いますし、そのぐらいドえらい仕事を今までされてきたとも思うんです。
これからは俊宏氏が修イズムの継承者となるわけですが、今回の修氏の「事実上勇退」という決断を無碍にするようなことだけは何としてでも避けてもらいたいものです。
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Posted at
2021/02/24 23:59:01