今回、捜査対象になった中核派は「過激派」と呼ばれ、2000年以降も成田空港の拡張に絡み、車や事務所を燃やすゲリラ事件に関与したとされる。今も過激派組織に加わる若者は少なくない。なぜなのか。
西日本の国立大に通う女子学生(21)はこの春、ある過激派組織に加わった。ストレートの黒髪に丁寧な言葉遣い。「自分たちこそ革命ができる」と言った。
サラリーマンの父と主婦の母は「ノンポリ」。テレビ番組はNHKとニュースしか見せず、携帯電話も持たせないほど厳格だった。歴史学者を目指したが志望大学には入れず、別の専攻に。政治や歴史の話をしたかったが、周りは恋愛の話ばかりで物足りなかった。
学生新聞を発行する団体の「委員長」に誘われて新聞作りを手伝うようになった。委員長は過激派の活動家だった。入会の誘いを何度も断ったが根負けした。政治を語り、知的好奇心も満たしてくれた。水商売のアルバイトを始めると親身になって叱ってくれた。
5月、東京都内の集会にヘルメットとマスク姿で参加した。居合わせた別の過激派組織のメンバーから罵声を浴び、顔を殴られた。思わず殴り返した。今では「委員長の命令は絶対」と言い切る。
関東の大学1年の男子学生(20)は父も兄も活動家だ。小さい頃から父に連れられてデモに参加し、過激派は身近だった。浪人中の2月、都知事選のある陣営を手伝ったのをきっかけに過激派組織に加わった。「間違っていることを間違っていると言っているだけ」。ただ、就職で不利に働かないか、逮捕されないか、時々不安になる。
中核派全学連の活動家、坂野陽平さん(26)は中核派の拠点「前進社」(東京都江戸川区)に住み込み、デモや街宣活動、ビラ作りを担当する。東京の有名私立大に通っていたが、学費未納で除籍に。今は毎月、組織から支給される活動費で暮らす。
「若者は孤立し、非正規雇用や失業、過労死が横行しているのに、政治も選挙も機能していない」。活動は退潮傾向だが、「最近は秘密保護法への反対運動を入り口に中核派に入る学生は増えている」という。
多くの過激派はこれまで大学に拠点を置き、自治会の実権を握って自治会予算を資金源にしていた。少子化が進むなかで対策に本腰を入れる大学も増えている。
早稲田大では1990年代後半、大学側が「学園祭実行委員会が特定のセクトに操られてきた」として学園祭を中止した。法政大は2000年代後半以降、過激派系の団体の立て看板を一斉に撤去した。
警察当局によると、過激派はピークだった69年の約5万3500人から、現在は約2万人まで減った。一方で過激派によるとみられる事件が相次ぐ。10月にも埼玉県で金属弾がビルに撃ち込まれ、過激派組織が犯行声明を出した。80年代以降では成田空港建設工事をめぐる千葉県収用委員会の会長襲撃事件や過激派同士の内ゲバ殺人事件も起きている。警察当局は「組織の維持拡大のため、暴力性を隠して大衆運動、労働運動を展開している。暴力で共産主義社会をめざす方針は堅持している」と警戒を緩めていない。
■寮生は屋根に、囲む機動隊
捜査関係者によると、京都大で捜索を受けたのは、逮捕された3人のうち、京都大生の2人が暮らす寮の部屋など。3人は中核派全学連の構成員で、調べに対して黙秘しているという。
3人は2日午後4時ごろ、東京都中央区銀座6丁目の路上で、国鉄職員の解雇撤回などを求めるデモ行進の警備に当たっていた機動隊員3人に体当たりしたり、殴ったりした疑いが持たれている。
熊野寮には13日午後2時20分ごろ、警視庁の捜査員と機動隊員ら計120人が姿を見せた。寮生らは正門前で、「令状を見せろ」「公権力の不当介入だ」などと激しく抗議。敷地内に入ろうとする捜査員らともみ合いになり、周囲は一時騒然となった。
捜査員らは抵抗を振り切って寮内に入り、午後5時ごろまで捜索した。捜索には大学職員が立ち会った。寮生らは寮の屋根に上り、「自由な議論を封じるな」「捜索の理由をしっかり説明しろ」などと拡声機で叫んで抗議。機動隊員らは寮を囲んだ。
熊野寮は1965年4月に学生寄宿舎として開設。定員は約420人。自治会が設けられ、寮生が管理、運営している。90年に京都御所に金属弾が撃ち込まれた事件や、同年に京都府八幡市の派出所が放火された事件に絡み、同府警の捜索を受けた。警視庁公安部は寮が中核派の活動拠点になっているとみているという。
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以上は14日付の朝日新聞の記事である。
それにしても、中核派とは懐かしい響きを感じる。
ヘルメットにマスク姿も、まるで少年時代にタイムスリップしたような不思議な感覚だ。
小生が中学生の頃は学生運動が全盛で、階級闘争至上主義の革マル派と、テロ・ゲリラなどの実力闘争に軸足を置いた中核派が新左翼トロツキスト系の2大勢力であった。
革マル派も中核派も、1962年に革共同全国委からそれぞれ分派した歴史があり、外側から見れば兄弟のような間柄のはず。
しかし1970年を境に、互いの組織壊滅を目的とした壮絶な殺し合いが展開されていく。
いわゆる内ゲバというやつである。
もっとも、藤蔵少年が紅顔の美少年だった時代は、まさに激動の渦の中。
1968年10月、国際反戦デー新宿争乱事件
1970年3月、よど号ハイジャック事件
同年6月、日米安保自動延長
同年11月、三島由紀夫割腹事件
1971年1月、尖閣諸島反日デモ事件
同年6月、沖縄返還協定調印
同年7月、北朝鮮不審船事件
1972年2月、あさま山荘事件
同年4月、川端康成ガス自殺
同年5月、沖縄返還
同年9月、日中国交正常化
etc・・・とまぁ、今考えると何と忙しかったことか。
しかし、頭を冷やしてこれらの事件を振り返ってみるとき、尖閣諸島も北朝鮮による拉致被害も40年以上前からの課題であり、それが現在に繋がっていることがよくわかる。
そして、日米安保に伴う沖縄の基地問題然り、今や軍事大国となった中国との関係もまた然り・・・。
五十年一日(?)の如く、暴力革命によるプロレタリア独裁の樹立を掲げているトロツキスト集団は実に救いがないが、一方、40数年もの間、大事な宿題を放りっぱなしにしておいた我が国の政治家・学者・評論家・マスメディアたちも、決してトロツキストの諸君を笑えまい。
トロツキストといえば、大昔の話になるが、中核派の活動家といっしょに風呂に入ったことがあった。
風呂場では、身体の不自由な小生をかいがいしく世話してくれた。
障害者の介護ボランティアをしていたと言っていたが、どうりで手慣れたものだった。
無論その時点では彼がそういった手合いであることを知らず、後になって成田闘争で逮捕された事実を新聞で知るのだが、今後はそのような機会は訪れないだろうから、もっと話をしておけばよかったと大いに悔やんでいる。
彼からしてみれば、身体障害者である小生は被差別者そのものであり、ともに闘う仲間という対象だったのかもしれない。
現に1970~80年当時は、障害者運動の支援者として新左翼の連中が関わっていたと聞く。
果たして、未だ教条主義地獄に陥っているかもしれぬ彼にもう一度会うことがあったなら、このことを是非聞いてみたいものである。無事に生存していればという条件がつく訳だが・・・。
中核派がドグマティズムをセールスポイントにしているのに対し、革マル派のそれは変わり身の早さ・・・というのが小生の独善的な印象だ。
したがって、大企業の幹部社員の中にも革マル派OBが多数生息している模様。
何せ階級闘争はお手の物だから、出世争いには無類の強さを示す。
有名どころでは、亡くなった妻に5000万円の罪を全部なすり付けたオリンピック好きな方も、革マル派の活動家だったはずである。
お話し最初に戻って、警視庁公安部が家宅捜索したのには色々と理由があるのだろう。
ひとつ目は、イスラム国との関連。
ふたつ目は、11月4日に単身京大に潜入捜査していた京都府警の警察官が、学生に吊し上げられ、校内から叩き出された騒動への意趣返し。
メンツを重んずるお上だけに大いにあり得ると思う。
京都の仇を東京で・・・。人間臭くて、小生この手の話題は大好物だ。
リベンジといえば、うかつにもオープンの前日に伺い、心ならずもご迷惑をおかけしたアウディ足立のその後が気になっていたので、実は一昨日行ってみたのであった。
正午ちょうどに自宅を出発。
ゴルフTSIの背後に迫る不気味な影・・・。
13時15分、トウチャコである。
しかし、駐車場には小生のS4号のみ。
何となく人の気配が感じられない。
ひょっとして定休日なのだろうか。
やはり電話してから出掛けるのだった・・・と後悔しながら、とりあえずクルマを降り松葉杖を後部座席から取り出していると、小西真奈美を若くしてズッと可愛くしたような女性スタッフの方が駆け寄ってきて下さった。
聞けば正式なオープンは22日の土曜日とのこと。
先日お邪魔したときの翌日のオープンとは、常連客を対象にした内覧会のことを指していたようだ。
キュートな美女にお許しを頂いたので、図々しく店内に侵入してみる。
写真撮影の了承を得、相も変わらず下手なのをパチリ。
小生の後からすぐに2組の来客があり、少しホッとする。
お忙しい中、営業の男性スタッフの方にも与太話を聞いて頂いた。
おふたりに感謝!
15時25分、帰宅。
内ゲバの危機を何度も乗り越えてきた下宿のオバサンと、取り込んだばかりの小生の掛布団に無礼にも乗っかり、大あくびをかましている過激派のタロウが出迎えてくれた。
政府代表団は28、29両日、平壌で拉致被害者などの再調査を担う北朝鮮の特別調査委員会の徐大河(ソ・デハ)委員長らと協議し、30日に帰国した。代表団トップの伊原純一外務省アジア大洋州局長は同日夜、首相らに協議内容を報告した。
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以上は本日付の日経新聞の記事だ。
これを読む限り、政府のお歴々がもし本気で言っているとしたら、脳ミソの調子をそれこそ本気で心配してあげなければならないだろう。
あの国は独裁国家である。
独裁国家とは、国民一人ひとりの個人情報を把握しているか、あるいは把握することが可能な国のことだ。
したがって、少しでも反体制の臭いがする人間がいれば、即銃殺刑に処せられるのである。
仮に銃殺を免れても、豚小屋のようなところで死ぬまで働かされるのがオチ。
全てキム体制を維持するためだけの所業だ。
そういう国だから、手間暇かけて日本からさらってきた人たちのことを把握していないわけがない。
今さらゼロベースの調査だの一定の成果だのと、幼稚園児じゃあるまいし、そういった世迷言で国民をごまかし支持率を上げようとする政府の心根があさましい。
阪神ファンは、行き当たりばったりの作戦で、ここという時に勝負弱いタイガースも全部ひっくるめて受け入れる広い度量をお持ちらしいが、残念ながら小生は巨人ファン(註:但し原はキライ・・・)。
政府には思慮に富み、勝負に強いまともな交渉を行ってほしいものだ。
そういえば小生も、下宿のオバサンに無理やり拉致されてだいぶ経つ。
そこで本日は、下宿の将軍様の眼を盗み、束の間の自由を求めてクルマ見物することとした。
9時35分、自宅を出発。
今ではプレミア価格がついているらしいオートザムAZー1の背後に迫る不気味な影・・・。
目指すレクサス店にトウチャコである。
美形の女性スタッフが出迎えて下さる。
ノロノロと店内に入ってみる。
営業のUさんにRC Fを見せてほしいとお願いする。
試乗車を見せて下さる。
案外、肉感的な印象である。
ホイールは純正とのこと。
「ご試乗いかがですか」
と言って下さるが、手動装置がないと運転できない旨伝える。
思った通り、アクセルペダルの形状はオルガン式であった。
お忙しい中、丁寧に応対して下さったUさんに感謝!
区役所に野暮用があったので、一旦帰宅し、電動車椅子Nutron R51LXP号で出発。
早目の昼食を摂る。
午後イチで、新しくオープンしたAudi足立に行ってみる。
身体障害者用駐車スペースに止めさせて頂く。
目の前には、納車式を待ち構えているらしいTTが鎮座していた。
店内に入ってみるが、様子がおかしい・・・。
内装業者が作業していて、どう見ても、まだオープン前である。
ウマくない・・・。
受付の女性スタッフにそっと尋ねてみる。
「まだオープンしてないですよね・・・?」
「はい。明日オープンでございます」
「やっぱり・・・・・。でも確か26日だったかと・・・。」
「申し訳ございません。実は明日になりまして・・・。」
「あ、そうなんですか~。色々都合がありますものね。じゃぁ帰りますので、トイレだけ貸してもらえませんか?」
「ただ今、使用できるか確認してまいります。」
「はい。お手数かけます。」
ショールームには、プリズムシルバーのRS7ほか5台の展示車が用意されていて、メカニックの方が作業しておられた。
「お待たせいたしました。どうぞおトイレをお使いください。」
という訳で、身体障害者用トイレをお借りする。返せないが・・・。
トイレを出て礼を述べ帰ろうとすると、先ほどの上品で美形の女性スタッフの方が、
「あの~、Nチーフマネージャーのお客様の藤蔵様でいらっしゃいますよね?」
「はい、藤蔵ですが、どこかでお会いしましたっけ・・・。」
「わたくし、I店におりまして、存じ上げておりました。このたびこちらに異動になりましたので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」
なるほど。そういうことだったのか。
まぁ、松葉杖でやっと歩いて、チビで助平ったらしい顔した薄汚い髭の初老オヤジといえば、印象に残ることは必定。
一方自慢じゃないが小生は、他人の顔と名前を覚えるのが大の苦手である。
もし仮に事件に巻き込まれ、後で警察から
「モンタージュ写真作成にご協力願います!」
などと言われたらどうしようと、年中ビクビクしながら暮らしているのである。
小生のことを覚えていた上品で美形の女性スタッフの方は、わざわざS4号のところまで見送って下さった。
「ヘッドライトの下の赤いライン、素敵ですね。初めて見ました。」
「ありがとうございます。でも、悪趣味だって評判が悪いんですよ・・・。私、クルマに乗り込むのに時間がかかりますから、どうぞお気遣いなく。開店の前日のお忙しいところありがとうございました。」
トイレを貸して頂いたお陰で、帰りの道中は、遠藤周作先生直伝「お猿の駕籠屋」の熱唱をせずに済んだ。
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自称SM評論家の小生にとっては、実に興味深い話。
というのも、恥ずかしいから小さい声で言うのだが、大学生の時に団鬼六氏の本を読み漁ったからである。
そればかりか、団鬼六氏監修のにっかつロマンポルノも、明大前の駅前にあった昭栄館という、トイレの消毒薬臭い映画館で散々観た。
その頃の宮沢大臣は、ハーバード大学で行政学を学んでいたはず。
一方、小生はといえば、一日の大半をSM学科で学んでいたようなものだから、こと鬼六流のSMの知識に関しては、大臣にもひけは取らないと思う。
ついでに知ったかぶりを言わせてもらうなら、SMバーは、いわゆる一般的な風俗とは明らかに一線を画す。
まぁ、大臣ゆかりの店がどういうところかは知らないが、通常はそうしたものである。
そして、これは何事にも当てはまることだが、SMもまたやたらと奥が深い。
S・Mの区別なく、学者・弁護士・医師など、比較的知的でステータスの高い職業に就いている者に愛好者が多いのも特徴と言われている。
唐突で恐縮だが、小生、SMこそ究極の愛の形であると認識している。
愛という言葉が嘘臭いなら、信頼と言い換えても差し支えない。
なぜなら、SMは常に身体的な危険が伴うからだ。
蝋燭などはほとんどこけおどしだが、下手な縛りは脱臼や骨折の危険があるし、鞭打ちも内出血が付きまとう。
浣腸にいたっては、混ぜ物次第で死の危険すらある。
だから、一見の客に身を委ねるなどはもってのほか。
ここまではOK、ここから先はNGと、事前に十分コミュニケーションを取っておく必要があるし、できれば食事をとりながら互いの趣味を披瀝するなどして、予めオープンな関係を構築しておくことが大切・・・と団鬼六氏は言う。
さて、大臣ゆかりの店は、下着姿の女性をロープで縛り、客もSMショーに参加する形式だったらしい。
小生の好みなどはどうでもよいのだが、敢えて言わせて頂くなら、やはり下着は必需品である。
男は概して気弱で不出来な生き物だから、相手が全裸だと怯むことがあるのだ。
即ち、そこに下着の値打ちがある。
下着の下にどのようなものが隠されているか・・・気弱な男はそれを懸命にイメージし、おのれを奮い立たせる。
そうしてようやくことに及ぶ準備ができるのである。
この、男にとって極めてありがたいアイテムである下着は、SMに限って言うなら是非とも襦袢であってほしい。
そして、色は赤にとどめを刺す。
ところで、赤・・・といえば、いろは坂の紅葉は見頃だろうか。
大臣のお陰で、いろは坂に出向く決心がついた。
9時45分、自宅を出発。
ホンダN-ONEボックスの背後に迫る不気味な影・・・。
岩舟JCあたりで事故による大渋滞。追突が原因かガードレールに衝突していた。
日光宇都宮道路へ。
いつもの日光口でトイレ休憩。かなりの混雑ぶりである。
清滝を降りるといつもはガラガラの道が、今日は結構な交通量である。
いろは坂に入る。
黒髪平から大渋滞になる。
小生、耳は遠くなったが、小水は近くなった。突然尿意を催す。
SMに想いをはせるつもりが、何のことはない、一人放尿我慢プレイである。
明智平はまだか!
昔、遠藤周作氏のエッセイの中に、少水を我慢する方法というのがあって、「お猿のかごや」を歌うと尿意が遠のく・・・と書いてあったのを思い出し実行に移す。
13時40分、ようやく明智平にトウチャコである。
持つべきものは遠藤先生である。事無きを得る。
レストハウスの駐車場は満車で入れなかった。
今日の男体山。
俵万智先生に習った短歌を詠んでみる。
男体山 女体を縛り 鞭で打ち
あとの払いは 性事資金で
歌の出来があまりに酷く、自己嫌悪を感じたので、帰途に就くことにした。
16時10分、帰宅。
SMはおろか、彼女にも縁がないタロウが出迎えてくれる。
気の毒な気もするが、そのほうがずっと幸せな気もする。
奨励会には、二十六歳までにプロ(四段)になれなければ退会、という鉄のおきてがある。思うように白星を挙げられず、焦り、自暴自棄になるうち、年齢制限を迎えていた。青春のすべてを懸けた夢を失い、途方に暮れた。
すぐに摘出が必要なほど進行した舌がんと宣告されたのは、その一年後。将棋の普及事業を任せてもらえる会社に就職した直後だった。言語障害は残ったが、成功率50%という舌の摘出手術と、過酷な放射線治療を乗り越えた。しかし今年五月下旬、両肺への転移が見つかった。担当医からは「何もしなければ、余命は半年から一年」と宣告された。
それでも徹底的な闘病を決意し、最新の放射線治療を選択した。頭にあるのは「もう後悔はしたくない」との思いだ。奨励会時代、周囲からもてはやされ、自分の才能を過信した。中二で酒やたばこ、ギャンブルに手を出し、「格下」と思っていた仲間に次々と追い抜かれた。「今度こそベストを尽くそう。負けるのは仕方ない、でも『負け方』が大事なんだ。それは将棋から学んだこと」
闘病を続けながら、規模の大小を問わず将棋のアマ大会に挑戦している。全国を駆け回り、中規模の大会では優勝も果たした。十一月に開かれるアマ王将戦の全国大会出場も決めた。
棋風が変わってきたと感じている。奨励会時代は諦めの早い将棋だった。「無駄なあがき」は見苦しい、そんな美学があった。だが今は、劣勢でも粘り強く指し続ける。「最近、ますます将棋が好きになってきたんです。そうすると、もっと指したい、生きたいと思える。いま僕は、いい方向を向いている」
新しい夢は、将棋を多くの人に知ってもらうこと。今年二月にはアマ団体を設立し、約四十人の生徒を教えている。この夏には、手弁当で将棋大会を二度開催した。「名人にはなれなかったけど、普及の日本一にはなれるかも」。将棋は多くのものを奪ったが、それ以上のものを与えてくれた。その恩返しだ。
<奨励会> 正式には新進棋士奨励会。全国から集まった三段~6級の会員で構成され、現在は約150人が在籍。二段までは関東と関西に分かれ、月数回の対戦で所定の成績を挙げれば昇段・昇級する。三段に上がると「三段リーグ」に参加。約40人が半年で18戦を行い、上位2人が四段に昇段し、プロ棋士となる。26歳までに四段になれないと退会となる。
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