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野分の藤蔵のブログ一覧

2014年11月16日 イイね!

単なるノスタルジックな存在としての過激派を想う

単なるノスタルジックな存在としての過激派を想うデモ行進の警備に当たっていた警察官に暴行したとして、京都大生ら3人が公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕された事件で、警視庁公安部は13日、京都市左京区にある京都大の学生寮「熊野寮」を家宅捜索した。中核派の機関紙「前進」やUSBメモリーなど計43点を押収したという。




今回、捜査対象になった中核派は「過激派」と呼ばれ、2000年以降も成田空港の拡張に絡み、車や事務所を燃やすゲリラ事件に関与したとされる。今も過激派組織に加わる若者は少なくない。なぜなのか。

西日本の国立大に通う女子学生(21)はこの春、ある過激派組織に加わった。ストレートの黒髪に丁寧な言葉遣い。「自分たちこそ革命ができる」と言った。

サラリーマンの父と主婦の母は「ノンポリ」。テレビ番組はNHKとニュースしか見せず、携帯電話も持たせないほど厳格だった。歴史学者を目指したが志望大学には入れず、別の専攻に。政治や歴史の話をしたかったが、周りは恋愛の話ばかりで物足りなかった。

学生新聞を発行する団体の「委員長」に誘われて新聞作りを手伝うようになった。委員長は過激派の活動家だった。入会の誘いを何度も断ったが根負けした。政治を語り、知的好奇心も満たしてくれた。水商売のアルバイトを始めると親身になって叱ってくれた。

5月、東京都内の集会にヘルメットとマスク姿で参加した。居合わせた別の過激派組織のメンバーから罵声を浴び、顔を殴られた。思わず殴り返した。今では「委員長の命令は絶対」と言い切る。

関東の大学1年の男子学生(20)は父も兄も活動家だ。小さい頃から父に連れられてデモに参加し、過激派は身近だった。浪人中の2月、都知事選のある陣営を手伝ったのをきっかけに過激派組織に加わった。「間違っていることを間違っていると言っているだけ」。ただ、就職で不利に働かないか、逮捕されないか、時々不安になる。

中核派全学連の活動家、坂野陽平さん(26)は中核派の拠点「前進社」(東京都江戸川区)に住み込み、デモや街宣活動、ビラ作りを担当する。東京の有名私立大に通っていたが、学費未納で除籍に。今は毎月、組織から支給される活動費で暮らす。

「若者は孤立し、非正規雇用や失業、過労死が横行しているのに、政治も選挙も機能していない」。活動は退潮傾向だが、「最近は秘密保護法への反対運動を入り口に中核派に入る学生は増えている」という。

多くの過激派はこれまで大学に拠点を置き、自治会の実権を握って自治会予算を資金源にしていた。少子化が進むなかで対策に本腰を入れる大学も増えている。

早稲田大では1990年代後半、大学側が「学園祭実行委員会が特定のセクトに操られてきた」として学園祭を中止した。法政大は2000年代後半以降、過激派系の団体の立て看板を一斉に撤去した。

警察当局によると、過激派はピークだった69年の約5万3500人から、現在は約2万人まで減った。一方で過激派によるとみられる事件が相次ぐ。10月にも埼玉県で金属弾がビルに撃ち込まれ、過激派組織が犯行声明を出した。80年代以降では成田空港建設工事をめぐる千葉県収用委員会の会長襲撃事件や過激派同士の内ゲバ殺人事件も起きている。警察当局は「組織の維持拡大のため、暴力性を隠して大衆運動、労働運動を展開している。暴力で共産主義社会をめざす方針は堅持している」と警戒を緩めていない。

■寮生は屋根に、囲む機動隊

捜査関係者によると、京都大で捜索を受けたのは、逮捕された3人のうち、京都大生の2人が暮らす寮の部屋など。3人は中核派全学連の構成員で、調べに対して黙秘しているという。

3人は2日午後4時ごろ、東京都中央区銀座6丁目の路上で、国鉄職員の解雇撤回などを求めるデモ行進の警備に当たっていた機動隊員3人に体当たりしたり、殴ったりした疑いが持たれている。

熊野寮には13日午後2時20分ごろ、警視庁の捜査員と機動隊員ら計120人が姿を見せた。寮生らは正門前で、「令状を見せろ」「公権力の不当介入だ」などと激しく抗議。敷地内に入ろうとする捜査員らともみ合いになり、周囲は一時騒然となった。

捜査員らは抵抗を振り切って寮内に入り、午後5時ごろまで捜索した。捜索には大学職員が立ち会った。寮生らは寮の屋根に上り、「自由な議論を封じるな」「捜索の理由をしっかり説明しろ」などと拡声機で叫んで抗議。機動隊員らは寮を囲んだ。

熊野寮は1965年4月に学生寄宿舎として開設。定員は約420人。自治会が設けられ、寮生が管理、運営している。90年に京都御所に金属弾が撃ち込まれた事件や、同年に京都府八幡市の派出所が放火された事件に絡み、同府警の捜索を受けた。警視庁公安部は寮が中核派の活動拠点になっているとみているという。

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以上は14日付の朝日新聞の記事である。

それにしても、中核派とは懐かしい響きを感じる。
ヘルメットにマスク姿も、まるで少年時代にタイムスリップしたような不思議な感覚だ。

小生が中学生の頃は学生運動が全盛で、階級闘争至上主義の革マル派と、テロ・ゲリラなどの実力闘争に軸足を置いた中核派が新左翼トロツキスト系の2大勢力であった。

革マル派も中核派も、1962年に革共同全国委からそれぞれ分派した歴史があり、外側から見れば兄弟のような間柄のはず。
しかし1970年を境に、互いの組織壊滅を目的とした壮絶な殺し合いが展開されていく。
いわゆる内ゲバというやつである。

もっとも、藤蔵少年が紅顔の美少年だった時代は、まさに激動の渦の中

1968年10月、国際反戦デー新宿争乱事件
1970年3月、よど号ハイジャック事件
同年6月、日米安保自動延長
同年11月、三島由紀夫割腹事件
1971年1月、尖閣諸島反日デモ事件
同年6月、沖縄返還協定調印
同年7月、北朝鮮不審船事件
1972年2月、あさま山荘事件
同年4月、川端康成ガス自殺
同年5月、沖縄返還
同年9月、日中国交正常化

etc・・・とまぁ、今考えると何と忙しかったことか。

しかし、頭を冷やしてこれらの事件を振り返ってみるとき、尖閣諸島も北朝鮮による拉致被害も40年以上前からの課題であり、それが現在に繋がっていることがよくわかる。
そして、日米安保に伴う沖縄の基地問題然り、今や軍事大国となった中国との関係もまた然り・・・。

五十年一日(?)の如く、暴力革命によるプロレタリア独裁の樹立を掲げているトロツキスト集団は実に救いがない、一方、40数年もの間、大事な宿題を放りっぱなしにしておいた我が国の政治家・学者・評論家・マスメディアたちも、決してトロツキストの諸君を笑えまい。

トロツキストといえば、大昔の話になるが、中核派の活動家といっしょに風呂に入ったことがあった。
風呂場では、身体の不自由な小生をかいがいしく世話してくれた。
障害者の介護ボランティアをしていたと言っていたが、どうりで手慣れたものだった。
無論その時点では彼がそういった手合いであることを知らず、後になって成田闘争で逮捕された事実を新聞で知るのだが、今後はそのような機会は訪れないだろうから、もっと話をしておけばよかったと大いに悔やんでいる。

彼からしてみれば、身体障害者である小生は被差別者そのものであり、ともに闘う仲間という対象だったのかもしれない。
現に1970~80年当時は、障害者運動の支援者として新左翼の連中が関わっていたと聞く。
果たして、未だ教条主義地獄に陥っているかもしれぬ彼にもう一度会うことがあったなら、このことを是非聞いてみたいものである。無事に生存していればという条件がつく訳だが・・・。

中核派がドグマティズムをセールスポイントにしているのに対し、革マル派のそれは変わり身の早さ・・・というのが小生の独善的な印象だ。
したがって、大企業の幹部社員の中にも革マル派OBが多数生息している模様。
何せ階級闘争はお手の物だから、出世争いには無類の強さを示す。

有名どころでは、亡くなった妻に5000万円の罪を全部なすり付けたオリンピック好きな方も、革マル派の活動家だったはずである。



お話し最初に戻って、警視庁公安部が家宅捜索したのには色々と理由があるのだろう。

ひとつ目は、イスラム国との関連。

ふたつ目は、11月4日に単身京大に潜入捜査していた京都府警の警察官が、学生に吊し上げられ、校内から叩き出された騒動への意趣返し

メンツを重んずるお上だけに大いにあり得ると思う。
京都の仇を東京で・・・。人間臭くて、小生この手の話題は大好物だ。


リベンジといえば、うかつにもオープンの前日に伺い、心ならずもご迷惑をおかけしたアウディ足立のその後が気になっていたので、実は一昨日行ってみたのであった。
正午ちょうどに自宅を出発。

ゴルフTSIの背後に迫る不気味な影・・・。


13時15分、トウチャコである。


しかし、駐車場には小生のS4号のみ。
何となく人の気配が感じられない。
ひょっとして定休日なのだろうか。

やはり電話してから出掛けるのだった・・・と後悔しながら、とりあえずクルマを降り松葉杖を後部座席から取り出していると、小西真奈美を若くしてズッと可愛くしたような女性スタッフの方が駆け寄ってきて下さった。

聞けば正式なオープンは22日の土曜日とのこと。
先日お邪魔したときの翌日のオープンとは、常連客を対象にした内覧会のことを指していたようだ。

キュートな美女にお許しを頂いたので、図々しく店内に侵入してみる。

写真撮影の了承を得、相も変わらず下手なのをパチリ。







小生の後からすぐに2組の来客があり、少しホッとする。















お忙しい中、営業の男性スタッフの方にも与太話を聞いて頂いた。
おふたりに感謝!


15時25分、帰宅。

内ゲバの危機を何度も乗り越えてきた下宿のオバサンと、取り込んだばかりの小生の掛布団に無礼にも乗っかり、大あくびをかましている過激派のタロウが出迎えてくれた。

Posted at 2014/11/16 14:05:07 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ
2014年10月31日 イイね!

レクサスとAudiに行く

レクサスとAudiに行く菅義偉官房長官は31日の閣議後の記者会見で、北朝鮮による日本人拉致被害者らの再調査を巡り平壌に派遣した政府代表団の聴取結果を発表した。北朝鮮側が拉致被害者の安否について「個別に入境の有無、経緯、生活環境など調査している」としたうえで、「新たな物証、証人を探す作業を並行している」と説明したことを明らかにした。


菅長官は「調査の信頼性を確保するため客観的、科学的な調査を行い、過去の調査結果にこだわることなく新しい角度からくまなく調査を深めていく方針の説明があった」と述べた。ただ北朝鮮側は「現時点で客観的で明白な資料を発見していない」と伝えてきたという。初回の調査結果の報告時期は「常識的には年内」と期待感を示した。
これに関連し、外務省幹部は今回の協議で日本側から「拉致問題以外で進展があったとしても拉致問題で進展がなければ評価しない」と申し入れ、調査の進捗に応じて随時報告するよう求めたことを明らかにした。

安倍晋三首相は31日午前の衆院地方創生特別委員会で「北朝鮮はゼロベースで調査を始めると理解している」との認識を示した。「行動対行動は基本的原則だ。様々な選択肢を頭に入れながら結果を出していきたい」と、北朝鮮側の対応によっては再制裁を用意する可能性を示唆した。

山谷えり子拉致問題相は閣議後の記者会見で「拉致問題が最重要課題だと特別調査委員会の責任者たちに伝えたことは一定の成果があった」と、訪朝団を評価した。岸田文雄外相は「様々な結果につながっていくことが重要だ」と強調した。

政府代表団は28、29両日、平壌で拉致被害者などの再調査を担う北朝鮮の特別調査委員会の徐大河(ソ・デハ)委員長らと協議し、30日に帰国した。代表団トップの伊原純一外務省アジア大洋州局長は同日夜、首相らに協議内容を報告した。


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以上は本日付の日経新聞の記事だ。

これを読む限り、政府のお歴々がもし本気で言っているとしたら、脳ミソの調子をれこそ本気で心配してあげなければならないだろう。

あの国は独裁国家である。
独裁国家とは、国民一人ひとりの個人情報を把握しているか、あるいは把握することが可能な国のことだ。

したがって、少しでも反体制の臭いがする人間がいれば、即銃殺刑に処せられるのである。
仮に銃殺を免れても、豚小屋のようなところで死ぬまで働かされるのがオチ。
全てキム体制を維持するためだけの所業だ。

そういう国だから、手間暇かけて日本からさらってきた人たちのことを把握していないわけがない。

今さらゼロベースの調査だの一定の成果だのと、幼稚園児じゃあるまいし、そういった世迷言で国民をごまかし支持率を上げようとする政府の心根があさましい

阪神ファンは、行き当たりばったりの作戦で、ここという時に勝負弱いタイガースも全部ひっくるめて受け入れる広い度量をお持ちらしいが、残念ながら小生は巨人ファン(註:但し原はキライ・・・)。
政府には思慮に富み、勝負に強まともな交渉を行ってほしいものだ。



そういえば小生も、下宿のオバサンに無理やり拉致されてだいぶ経つ。

そこで本日は、下宿の将軍様の眼を盗み、束の間の自由を求めてクルマ見物することとした。

9時35分、自宅を出発。
今ではプレミア価格がついているらしいオートザムAZー1の背後に迫る不気味な影・・・。


目指すレクサス店にトウチャコである。



美形の女性スタッフが出迎えて下さる。
ノロノロと店内に入ってみる。




営業のUさんにRC Fを見せてほしいとお願いする。

試乗車を見せて下さる。
案外、肉感的な印象である。
ホイールは純正とのこと。





「ご試乗いかがですか」
と言って下さるが、手動装置がないと運転できない旨伝える。


思った通り、アクセルペダルの形状はオルガン式であった。

お忙しい中、丁寧に応対して下さったUさんに感謝!

区役所に野暮用があったので、一旦帰宅し、電動車椅子Nutron R51LXP号で出発。
早目の昼食を摂る。


午後イチで、新しくオープンしたAudi足立に行ってみる。
身体障害者用駐車スペースに止めさせて頂く。


目の前には、納車式を待ち構えているらしいTTが鎮座していた。


店内に入ってみるが、様子がおかしい・・・

内装業者が作業していて、どう見ても、まだオープン前である。
ウマくない・・・。


受付の女性スタッフにそっと尋ねてみる。

「まだオープンしてないですよね・・・?」

「はい。明日オープンでございます」

「やっぱり・・・・・。でも確か26日だったかと・・・。」



「申し訳ございません。実は明日になりまして・・・。」

「あ、そうなんですか~。色々都合がありますものね。じゃぁ帰りますので、トイレだけ貸してもらえませんか?」

「ただ今、使用できるか確認してまいります。」

「はい。お手数かけます。」


ショールームには、プリズムシルバーのRS7ほか5台の展示車が用意されていて、メカニックの方が作業しておられた。

「お待たせいたしました。どうぞおトイレをお使いください。」

という訳で、身体障害者用トイレをお借りする。返せないが・・・。


トイレを出て礼を述べ帰ろうとすると、先ほどの上品で美形の女性スタッフの方が、

「あの~、Nチーフマネージャーのお客様の藤蔵様でいらっしゃいますよね?」

「はい、藤蔵ですが、どこかでお会いしましたっけ・・・。」

「わたくし、I店におりまして、存じ上げておりました。このたびこちらに異動になりましたので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」

なるほど。そういうことだったのか。
まぁ、松葉杖でやっと歩いて、チビで助平ったらしい顔した薄汚い髭の初老オヤジといえば、印象に残ることは必定。

一方自慢じゃないが小生は、他人の顔と名前を覚えるのが大の苦手である。
もし仮に事件に巻き込まれ、後で警察から
「モンタージュ写真作成にご協力願います!」
などと言われたらどうしようと、年中ビクビクしながら暮らしているのである。

小生のことを覚えていた上品で美形の女性スタッフの方は、わざわざS4号のところまで見送って下さった。

「ヘッドライトの下の赤いライン、素敵ですね。初めて見ました。」

「ありがとうございます。でも、悪趣味だって評判が悪いんですよ・・・。私、クルマに乗り込むのに時間がかかりますから、どうぞお気遣いなく。開店の前日のお忙しいところありがとうございました。」

トイレを貸して頂いたお陰で、帰りの道中は、遠藤周作先生直伝「お猿の駕籠屋」の熱唱をせずに済んだ。

Posted at 2014/11/01 00:52:41 | コメント(4) | トラックバック(0) | クルマ
2014年10月24日 イイね!

いろは坂でSMに想いをはせる

いろは坂でSMに想いをはせるその昔、ハウスバーモントカレーのCMに
「秀樹、感激!」というのがあった。

今ならさしずめ、
「小渕、観劇!」
といったところだろう。


観劇ご招待の他にも、似顔絵が描かれたワインの贈答もあったとか。

弁当つきの芝居見物にただ酒とくれば、これがホントの美味しい話

で、そんな美味しい話と一緒くたにされ、団扇を配ったオバサンもついでに辞めさせられて、ご本人は大層怒っていたらしい。

怒った顔がまた素敵で、安倍総理の周囲は、まさに輝く女性だらけだ。


しかし、本来国会は論戦の場。
芝居がどうの、ワインがどうの、団扇がどうのと、敵のエラーをあげつらう場所ではない。

それでなくとも消費税や安全保障の問題など、議論すべきテーマは山ほどある。
福島原発を含めた東日本大震災の復興だって、遅々として進んでいないし、某大国は南シナ海と同様の手口で、大量の漁船団を小笠原に送り込んできている。

そんな国家の大事なときに、下らぬ話はいい加減にせよ・・・と思っていたら、今度ばかりはちょっとそそられる話題である。

以下は日刊ゲンダイの記事より。

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小渕優子前大臣の後任として就任した宮沢洋一経産相の資金管理団体「宮沢会」が広島市内のSMバーに政治活動費を支出していたことが分かった。2010年分の政治資金収支報告書によると、同年9月6日に広島市の繁華街にあるSMバーに1万8230円を支払っていた。

 宮沢大臣は23日午前、「支出をしたのは事実。私は(店に)行ってません」と説明。事務所は「なぜ領収書が紛れ込んだのか、誰が店に行ったのかは現在調査中です」と言う。この店は下着姿の女性をロープで縛り、客もSMショーに参加する形式だった。

 宮沢大臣は広島県選出の参院議員。小渕大臣のあとを受けて21日に就任した。東大法学部を卒業し、ハーバード大学行政学大学院を修了したインテリで、宮沢喜一元首相の甥にあたる。岸田外相とは従弟関係というエリート家系だ。

 東電を所管する経産省トップでありながら、東電株の保有者であることも批判されている宮沢経産相。揚げ句が「SMバー」では、安倍首相の任命責任が問われるのは必至だ。

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自称SM評論家の小生にとっては、実に興味深い話。

というのも、恥ずかしいから小さい声で言うのだが、大学生の時に団鬼六氏の本を読み漁ったからである。

そればかりか、団鬼六氏監修のにっかつロマンポルノも、明大前の駅前にあった昭栄館という、トイレの消毒薬臭い映画館で散々観た。

その頃の宮沢大臣は、ハーバード大学で行政学を学んでいたはず。
一方、小生はといえば、一日の大半をSM学科で学んでいたようなものだから、こと鬼六流のSMの知識に関しては、大臣にもひけは取らないと思う。

ついでに知ったかぶりを言わせてもらうなら、SMバーは、いわゆる一般的な風俗とは明らかに一線を画す
まぁ、大臣ゆかりの店がどういうところかは知らないが、通常はそうしたものである。

そして、これは何事にも当てはまることだが、SMもまたやたらと奥が深い
S・Mの区別なく、学者・弁護士・医師など、比較的知的でステータスの高い職業に就いている者に愛好者が多いのも特徴と言われている。

唐突で恐縮だが、小生、SMこそ究極の愛の形であると認識している。
愛という言葉が嘘臭いなら、信頼と言い換えても差し支えない。

なぜなら、SMは常に身体的な危険が伴うからだ。
蝋燭などはほとんどこけおどしだが、下手な縛りは脱臼や骨折の危険があるし、鞭打ちも内出血が付きまとう。
浣腸にいたっては、混ぜ物次第で死の危険すらある。

だから、一見の客に身を委ねるなどはもってのほか
ここまではOK、ここから先はNGと、事前に十分コミュニケーションを取っておく必要があるし、できれば食事をとりながら互いの趣味を披瀝するなどして、予めオープンな関係を構築しておくことが大切・・・と団鬼六氏は言う。

さて、大臣ゆかりの店は、下着姿の女性をロープで縛り、客もSMショーに参加する形式だったらしい。
小生の好みなどはどうでもよいのだが、敢えて言わせて頂くなら、やはり下着は需品である。
男は概して気弱で不出来な生き物だから、相手が全裸だと怯むことがあるのだ。
即ち、そこに下着の値打ちがある。
下着の下にどのようなものが隠されているか・・・気弱な男はそれを懸命にイメージし、おのれを奮い立たせる。
そうしてようやくことに及ぶ準備ができるのである。

この、男にとって極めてありがたいアイテムである下着は、SMに限って言うなら是非とも襦袢であってほしい。
そして、色は赤にとどめを刺す。




ところで、赤・・・といえば、いろは坂の紅葉は見頃だろうか。

大臣のお陰で、いろは坂に出向く決心がついた。

9時45分、自宅を出発。
ホンダN-ONEボックスの背後に迫る不気味な影・・・。


岩舟JCあたりで事故による大渋滞。追突が原因かガードレールに衝突していた。


日光宇都宮道路へ。




いつもの日光口でトイレ休憩。かなりの混雑ぶりである。


清滝を降りるといつもはガラガラの道が、今日は結構な交通量である。


いろは坂に入る。


黒髪平から大渋滞になる。




小生、耳は遠くなったが、小水は近くなった。突然尿意を催す。
SMに想いをはせるつもりが、何のことはない、一人放尿我慢プレイである。
明智平はまだか!


昔、遠藤周作氏のエッセイの中に、少水を我慢する方法というのがあって「お猿のかごや」を歌うと尿意が遠のく・・・と書いてあったのを思い出し実行に移す。
13時40分、ようやく明智平にトウチャコである。


持つべきものは遠藤先生である。事無きを得る。


レストハウスの駐車場は満車で入れなかった。


今日の男体山。


俵万智先生に習った短歌を詠んでみる。


男体山  女体を縛り  鞭で打ち
  あとの払いは  性事資金で


歌の出来があまりに酷く、自己嫌悪を感じたので、帰途に就くことにした。










16時10分、帰宅。

SMはおろか、彼女にも縁がないタロウが出迎えてくれる。
気の毒な気もするが、そのほうがずっと幸せな気もする。


Posted at 2014/10/24 23:19:26 | コメント(8) | トラックバック(0) | 旅行/地域
2014年10月18日 イイね!

将棋大会に出てみる

将棋大会に出てみる 「闘病が僕の将棋を変えた」。東京都八王子市のAさん(29)は、がんと向き合いながら将棋を指し続ける。プロ養成機関の奨励会に十五年在籍しながら夢破れ、アマチュアに転身した。直後に見つかった舌がん、そして肺への転移。次々と襲いかかる困難にも諦めることなく、新たな夢を追う。


10月12日付の東京新聞の記事である。

記事はさらにこう続く。

将来の夢は名人。それも、決して不可能な夢ではないと信じていた。六歳で将棋を始め、羽生善治名人も通った名門「八王子将棋クラブ」で頭角を現した。「天才の再来」と期待され、十歳で奨励会入り。しかし、通過点のはずだった三段リーグで伸び悩んだ。

 奨励会には、二十六歳までにプロ(四段)になれなければ退会、という鉄のおきてがある。思うように白星を挙げられず、焦り、自暴自棄になるうち、年齢制限を迎えていた。青春のすべてを懸けた夢を失い、途方に暮れた。

 すぐに摘出が必要なほど進行した舌がんと宣告されたのは、その一年後。将棋の普及事業を任せてもらえる会社に就職した直後だった。言語障害は残ったが、成功率50%という舌の摘出手術と、過酷な放射線治療を乗り越えた。しかし今年五月下旬、両肺への転移が見つかった。担当医からは「何もしなければ、余命は半年から一年」と宣告された。

 それでも徹底的な闘病を決意し、最新の放射線治療を選択した。頭にあるのは「もう後悔はしたくない」との思いだ。奨励会時代、周囲からもてはやされ、自分の才能を過信した。中二で酒やたばこ、ギャンブルに手を出し、「格下」と思っていた仲間に次々と追い抜かれた。「今度こそベストを尽くそう。負けるのは仕方ない、でも『負け方』が大事なんだ。それは将棋から学んだこと」

 闘病を続けながら、規模の大小を問わず将棋のアマ大会に挑戦している。全国を駆け回り、中規模の大会では優勝も果たした。十一月に開かれるアマ王将戦の全国大会出場も決めた。

 棋風が変わってきたと感じている。奨励会時代は諦めの早い将棋だった。「無駄なあがき」は見苦しい、そんな美学があった。だが今は、劣勢でも粘り強く指し続ける。「最近、ますます将棋が好きになってきたんです。そうすると、もっと指したい、生きたいと思える。いま僕は、いい方向を向いている」

 新しい夢は、将棋を多くの人に知ってもらうこと。今年二月にはアマ団体を設立し、約四十人の生徒を教えている。この夏には、手弁当で将棋大会を二度開催した。「名人にはなれなかったけど、普及の日本一にはなれるかも」。将棋は多くのものを奪ったが、それ以上のものを与えてくれた。その恩返しだ。

<奨励会> 正式には新進棋士奨励会。全国から集まった三段~6級の会員で構成され、現在は約150人が在籍。二段までは関東と関西に分かれ、月数回の対戦で所定の成績を挙げれば昇段・昇級する。三段に上がると「三段リーグ」に参加。約40人が半年で18戦を行い、上位2人が四段に昇段し、プロ棋士となる。26歳までに四段になれないと退会となる。


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この記事を読み、何としてもAさん将棋を指したいと思った。

命を懸けた対局の凄味・・・。それを肌身で感じたいのだ。

Aさんは、規模の大小を問わずアマチュア大会に挑戦している由。
舌を切除した関係で、恐らく身体障害者手帳を有しているだろうから、全国障害者将棋大会に出場してくる可能性は高い。

そんな目論見もあって、本日、第27回全国障害者将棋大会に出場した。

7時5分、自宅を出発。
日産ノートの背後に迫る不気味な影・・・。


8時ジャストに、会場である北とぴあトウチャコ。
8時15分に駐車場が開くのを待って、身障者用駐車スペースに止めさせて頂く。


14階の会場から見る景色


参加者は計64名。
青森、兵庫、広島各県からの参加もあった。

参加者名簿を覗くと、小生が参加した13名のクラスの中に、確かにAさんの名前があるではないか・・・。

1回戦で当たれば幸運だが、Aさんは勝ち続けるに違いない。
故に初戦で対戦できなければ、小生も勝ち続ける以外に道はないのだ。

しかし、勝ち続ける自信など全くない。
このような全国規模の大会は十数年振りだし、第一、実力の低下は本人が一番自しているところだ。
しかも、慣れないチェスクロックを使用しての対局。
持ち時間は一人20分で、それを使い切ると1手30秒である。

10時10分、手合いがつく。
初戦の相手は残念ながらAさんではなかったが、Aさんの次に対局したかった女性のTさんだった。
Tさんは将棋界では有名人で、女流プロともほぼ互角に戦っている実力者である。

Tさんは升田式石田流から、急戦を仕掛けてきた。
鋭い攻めで苦戦の連続だったが、終盤相手が緩んでくれてやっと勝つ。
噂通りの強さで、次回対戦したらボコボコにされるだろう。

(10月22日  追記)
先手 Tさん    後手 藤蔵
▲7六歩 △3四歩 ▲7五歩 △6二銀 ▲7八飛 △6四歩 ▲4八玉 △6三銀 ▲3八玉 
△4二玉 ▲7六飛 △8八角成 ▲同銀 △3二銀 ▲2八玉 △3三銀 ▲3八銀 △3二玉 
▲1六歩 △1四歩 ▲7八金 △5二金右 ▲7七銀 △8四歩 ▲6六銀 △8五歩 ▲7七桂 △9四歩 ▲9六歩 △2二玉 ▲5五銀 △3二金 ▲6六歩 △4四歩 ▲6五歩 △同歩 
▲同桂 △4三角 ▲6六飛 △6四歩 ▲7九角 △6五歩 ▲8二角成 △6六歩 ▲8一馬 
△6九飛 ▲7九飛 △同飛成 ▲同金 △7六角 ▲6四歩 △5四銀 ▲同銀 △同歩 
▲6三歩成 △4二金右 ▲6二飛 △4九角成 ▲同銀 △5一飛 ▲3八銀打 △5二金 
▲7六角 △6七桂 ▲5四角 △4九金 ▲5三と △4八金 ▲4九桂 △3九銀 ▲1八玉 
△3八金 ▲4二と △1七銀 ▲同玉 △2八銀不成 ▲2六玉 △3五銀  

まで78手で藤蔵の勝ち
 
 



二回戦の相手は兵庫のIさんだった。
Iさんの三間飛車に対し、小生は昔懐かしいミレニアム囲いを採用。
小生は決してMなんかではなく、明らかにSだと自分では思っているのだが、こと将棋に関しては何故か受け身に回ることが多い。
この将棋も猛攻を受け、万事休すかと覚悟したのだが、粘りに粘って逆転した。
勝因は、ただただ運があったこと。

(10月22日 追記)
先手 藤蔵   後手 Iさん
▲7六歩 △3四歩 ▲4八銀 △4四歩 ▲2六歩 △3二飛 ▲2五歩 △3三角 ▲3六歩 
△4二銀 ▲6八玉 △6二玉 ▲7八玉 △7二玉 ▲5六歩 △5四歩 ▲9六歩 △9四歩
▲5八金右 △8二玉 ▲6六角 △7二銀 ▲7七桂 △5二金左 ▲3七桂 △6四歩 ▲5七角 △2二飛 ▲6六歩 △6三金 ▲6七金 △7四歩 ▲8九玉 △7三桂 ▲7八金 △8四歩 
▲1六歩 △1四歩 ▲5九銀  △5五歩 ▲同歩 △4五歩 ▲5六金 △1五歩 ▲4五桂 
△4四角 ▲1五歩 △7五歩 ▲同歩 △1五香 ▲同香 △7六歩 ▲6八銀右 △7七歩成 
▲同銀 △1七角成 ▲6八飛 △4四桂 ▲4六金 △2六馬 ▲1一香成 △3三桂 ▲同桂成 △同銀 ▲8六歩 △6五桂打 ▲同歩 △同桂 ▲4八角 △7七桂不成 ▲同金 △4八馬 
▲同飛 △5九角 ▲6八飛 △同角成 ▲同銀 △2九飛 ▲7九香 △2八飛成 ▲6九歩 
△7三歩 ▲4三角 △2九龍 ▲8七角成 △5八銀 ▲7八角 △2四歩 ▲5四歩 △4二銀 ▲5五桂 △6二金引 ▲4五桂 △2三飛 ▲5三歩成 △同銀 ▲5九歩 △同銀不成 ▲同銀 △同龍 ▲6八銀 △2九龍 ▲5九歩 △5八歩 ▲同歩 △5二歩 ▲4三桂成 △1三飛 
▲5三桂成 △同歩 ▲4四成桂 △1九飛成 ▲4五桂 △6五桂 ▲6七金 △7七銀 ▲同銀 △同桂成 ▲同金 △6八銀 ▲8八銀 △6九銀成 ▲同角 △同龍 ▲同馬 △同龍 ▲7八銀 △4九龍 ▲5三桂成 △同金 ▲同成桂 △5八龍 ▲6二銀 △6五桂 ▲7四桂 △同歩 
▲7三金 △9三玉 ▲6一銀不成 △7七桂不成 ▲同銀左 △7三銀 ▲7二銀不成 △8二金 ▲9五歩 △8五歩 ▲9四歩

まで147手で藤蔵の勝ち
 



昼食休憩の後の三回戦目は、埼玉のYさん。
同県人だが初対面である。
13人で行うスイス式トーナメントだから、この対局に幸いすれば、決勝戦で念願のAさんと将棋が指せるのだ。

戦型は相矢倉模様になった。

「相矢倉(あいやぐら)  どこか似ている  バイアグラ

などと、くだらぬ句をひねっている余裕はない。
今度こそは勢いを大切にしようと思ったので、先攻した。
そのままリードし終盤の入口を迎えたと思ったが、実際の局面は難しかったようだ。
指し手が進むうちに不利を自覚。が、「不利な時は勝負手を指せ」が鉄則である。
時間に追われたYさんが受けを間違い、即詰みに討ち取る。

(10月22日 追記)
先手 Yさん  後手 藤蔵
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △5二金右 ▲5六歩 △4三金 ▲5八金右 △5四歩 ▲2五歩 △3三角 ▲7八銀 △3二金 ▲6六歩 △6二銀 ▲6七金 △5三銀
▲7七銀 △4一玉 ▲7九角 △2二銀 ▲7八金 △3一玉 ▲6九玉 △7四歩 ▲2四歩 
△同歩 ▲同角 △同角 ▲同飛 △4五歩 ▲3六歩 △4四銀 ▲2八飛 △3三桂 ▲6八金寄△3五歩 ▲同歩 △7三角 ▲5五歩 △同角 ▲3七角 △2七歩 ▲5五角 △同歩 ▲3八飛 △2八角 ▲3七角 △同角成 ▲同銀 △3六歩 ▲同銀 △2八角 ▲3四歩 △1九角成 
▲3三歩成 △同銀上 ▲7八玉 △2八歩成 ▲5八飛 △2九と ▲3五銀 △同銀 ▲7一角 △7二飛 ▲3五角成 △4四銀打 ▲2六馬 △4六歩 ▲同歩 △同馬 ▲2五桂 △5一香 
▲3三桂成 △同銀 ▲5七金上 △4五馬 ▲4八飛 △4四歩 ▲4六金 △1二馬 ▲3四歩 
△同銀 ▲5七歩 △7五歩 ▲同歩 △4五桂 ▲同金 △同銀 ▲2四桂 △2三馬 ▲3二桂成△同飛 ▲3五金 △5六歩 ▲2四歩 △同馬 ▲同金 △3九飛成 ▲4九歩 △5七歩成 
▲3三歩 △6七と ▲同玉 △5六銀

まで106手で藤蔵の勝ち






いよいよAさんとの対局である。

決勝戦なので、記録係がつき棋譜をとることになった。
将棋関係の雑誌にでも棋譜が載るのだろうか・・・。
無様な将棋は指せない

Aさんは四間飛車穴熊。小生は再度ミレニアムを採用。

小生の銀が放れ駒になった瞬間、Aさんは仕掛けてきた。
駒損の攻めなので若干無理に思ったが、玉の堅さが違うので仕掛けは成立するようだ。
徹底抗戦し持ち直したと思った瞬間、飛車を捨てた手が決め手だった。

さすがは天才が命を懸けた駒捌き。
将棋盤を挟んで伝わってくる気迫は、一生忘れないだろう

(10月22日 追記)
先手 藤蔵   後手 Aさん
▲7六歩 △3四歩 ▲4八銀 △4四歩 ▲2六歩 △4二飛 ▲2五歩 △3三角▲6八玉 
△6二玉 ▲7八玉 △7二玉 ▲5六歩 △8二玉 ▲9六歩 △3二銀 ▲5八金右 △9二香 ▲3六歩 △9一玉 ▲6六角 △4三銀 ▲7七桂 △8二銀 ▲3七桂 △5四銀 ▲8八銀 
△7一金 ▲5七角 △5二金 ▲6六歩 △6四歩 ▲6七金 △7四歩 ▲8九玉 △4五歩 
▲7八金 △6三銀 ▲1六歩 △5四歩 ▲2七飛 △6二金寄 ▲5九銀 △5五歩 ▲同歩 
△同角 ▲5六金 △5二飛 ▲5五金 △同飛 ▲5八歩 △7五歩 ▲2二角 △5七飛成 
▲同歩 △7六歩 ▲8五桂 △7七金 ▲6八銀 △7八金 ▲同玉 △3八角 ▲1七飛 
△4九角成 ▲6七金 △2七金 ▲同飛 △同馬 ▲4五桂 △4九馬 ▲4四角成 △4八飛 
▲4一飛 △7四銀 ▲2一飛成 △8五銀 ▲7五金 △6八飛成! ▲同金 △7七銀 ▲同銀   △同歩成 ▲同玉 △7六歩

まで84手でAさんの勝ち  










賞状・楯・賞品の扇子を貰い、17時50分帰宅。

「将棋大会の賞品って、使い物にならないのよねェ~・・・
と言いながら、こちらはいつも気迫に満ち満ちている下宿のオバサンが出迎えてくれる。




(10月22日 追記)

四苦八苦しながら、対局した四局の指し手を思い出したので、備忘録を兼ね棋譜をアップする。
多少の手順前後はあるかもしれないが、全体の指し手は間違いないと思う。

若い頃なら、対局から3か月経った後でもスラスラと指し手を並べられたのだが・・・。
Posted at 2014/10/18 23:56:32 | コメント(8) | トラックバック(0) | 趣味
2014年10月14日 イイね!

カーグラの夢をみる

カーグラの夢をみるインターホンのチャイムがけたたましく鳴った。
こんなに朝早く、いったい誰なんだろう。
全く以て迷惑な話だ。
急いでベッドを抜け出し玄関のドアを開けると、黄色いカーディガンを腰に巻いた、愛想のいい40がらみの男が立っていた。



「おはようございます。私、BS朝日のチーフプロデューサーで中野と申します。突然で恐縮ですが、田辺さんの代わりにカーグラフィックTVにご出演頂けないでしょうか・・・?」

「あの~・・・。なんで私が?  それに手動装置がないと運転できないんですよ。」

「どうぞご心配なく。藤蔵さんのお車で構いません。というより貴方の車がいいんです。」

「何なんですか、それ・・・」

「いや実はですね、松任谷さんがAudi  S4の特集をやりたいって言ってまして。それも、ヘッドライトの下を赤くラッピングしているような悪趣味なクルマを取り上げてみたいと言ってるんですよ。」

「動機が随分いい加減ですね・・・。」

「はい。元々がいい加減な番組なんです。」


次の瞬間、気がつくと私はシートベルトをしていた。
そして助手席には、クラブマスターのサングラスをした松任谷正隆氏が鎮座していた。

松任谷「ボクが音楽プロデューサーであり、自動車評論家であり、元俳優でもあった才能の塊りと言われている松任谷です。じゃあ早速走りましょうか。」

藤蔵「あの~・・・。走るって、もしかしていつもの所に行くんですか?」

松任谷「当然でしょ。」

という訳で、8時55分、行きがかり上仕方なく自宅を出発する。
クラウンスーパーデラックスのタクシーの背後に迫る不気味な影・・・。


松任谷「貴方は年がら年中同じような内容をブログにアップしてるけれど、虚しく感じることはないの?」

藤蔵「水戸黄門も桃太郎侍も、毎回同じ結末ですから、特に問題なと思いますけど・・・。」

松任谷「なるほどね。じゃあこのあたりでドライブセレクトをダイナミックにしてみて下さい。」

そんな会話をしているうちに、富士山くっきりの海老名SAである。


身障者用駐車スペースに止めさせて頂く。


藤蔵「今日は田辺さんがいないんですよね。最近ばかに老けたなと感じてたんですけど、やはり体調の関係でお休みですか?」

松任谷「いや。ここだけの話だけど、何やら免停食らったみたいですよ(笑)・・・。」

藤蔵「それに引き換え、松任谷さんはお若いですよね。30年前とほとんど変わらないじゃないですか。やはり奥方がガッポリ稼いでいるから、心配事もストレスもないんでしょうねぇ。」

松任谷「無職の貴方にそんなこと言われる筋合いはないですよ。」

車内は険悪な雰囲気に包まれるも、11時ジャストにいつもの場所へ。


いつの間にか、ネーミングライツがTOYOタイヤからMAZDAに変わっていた。

松任谷「実はボクね、1台のクルマでセダンでもありスポーツカーでもあるという意味で、Audi S4は結構理想に近いと思っているんだけど・・・。」

 

藤蔵「そう言って頂けるのは有難いんですが、1年ちょっと乗ると、ウィークポイントも見えてきますよ。」



松任谷「ほう・・・。具体的にはどんなところ?」

藤蔵「先程スポーツカーっておっしゃったけど、ジャガーFタイプには東北道でぶっちぎられたし、BMWのMにもAMGのCにも勝てる気がしないんですよ。故にもっと馬力がほしい。」

松任谷「貴方は今度捕まったら、それこそ免停でしょうが。そんなことばかり言ってると、ドライブセレクトを効率にしちゃいますよ!」

藤蔵「ターンパイクまで来て、効率とは殺生な・・・。」



藤蔵「2番目はカックンブレーキブレーキダストですね。なのでパッドをISWEEPに替えてもらいました。」

松任谷「まあ、ドイツ車にはありがちなことでしょう。」



藤蔵「3番目は、何といってもナビ。今どきアイウエオ順で検索ですからね~。タクシーだってタッチパネルのご時世なのに・・・。」

松任谷「それはむしろ、輸入代理店の問題なのかな。」





あっという間にスカイラウンジにトウチャコである。








大観山のきょうのわんこ


藤蔵「それでは、S4の印象といいますか、総評のようなものをお願いします。」

松任谷「ボクは、フェイスリフト後のS4に乗るのは実は初めてなんだけれど、熟成されたな・・というのが第1印象ですね。それからやはり、S4だったらドライブセレクトはダイナミック。間違っても効率にしてはいけません。あとミスマッチかと思ったんだけど、ワインディングなんか走ってると藤圭子の楽曲が意外とS4に合うんですね。京都から博多までとか・・・。新しい発見でした。」


はい!  カット~!
篠崎さんというディレクターの一発OKが出た。

放送は12月上旬予定とのことだった。



松任谷氏は、ユーミンの実家に用事があるから八王子まで送ってほしいと私に言った。

少々遠回りになるが、圏央道で行けばどうということはない。

トンネルに入った。


何の前触れもなしに、猛烈な眠気が私を襲ってきた。
ああ、まずい。
だんだん意識が遠のいていく・・・


トンネルを出た途端、ハッと我に返った


幸運なことに、どうやら事故には遭遇せずに済んだらしい。

助手席を見たら、松任谷氏はいなかった。



そうか、やはり夢だったのか・・・。
いや、本当は夢と思っていることが現実で、現実だと思っていることが夢なのかもしれない。




藤蔵、白日夢の一席。
お粗末!
Posted at 2014/10/14 22:54:56 | コメント(10) | トラックバック(0) | 旅行/地域

プロフィール

野分の藤蔵と申します。 還暦+4歳の偏屈オヤジです。 家族は下宿のオバサンと二人暮らし。他人様に言えない稼業で、何とか糊口を凌いでおります。 趣味...
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