
「金曜の午後になると、おたくは
妙にソワソワするわねぇ」
とは、下宿のオバサンの弁である。
心当たりがない訳でもない。
というのも、午後4時にはコンビニの店先にズラリと競馬新聞が並ぶのだが、それが妙に
待ち遠しいのだ。
競馬は勝負事だから、負けるのは当たり前。
とは言え、ここのところ負けっぱなしである。
それならいっそのこと止めてしまえばいいのだが、そんなことができるくらいなら
誰も苦労はしない。
もし当たったなら、下宿のオバサンにあれを買ってやろう・・・
タロウには最高級の缶詰をおごってやろう・・・
などと
夢想するのは、結構楽しいものだ。
そして何より、競馬新聞を見ながら予想するときの
ワクワク感がたまらない。
レース展開・血統・調教・コース形態・騎手との相性・枠順・天候・その他諸々のデータをもとに推理し、自分の信じる結論を導き出す
プロセスこそが、楽しさの全てといっても過言ではない。
それにしても、人間はつくづく
罪深い生き物だと断言できる。
なぜなら、馬の尻を思い切りムチで叩き、競争させ、それにカネを賭けているのだから・・・。
そして、こんなことに30年以上も夢中になっている小生は、自宅の壁に
馬鹿オヤジと落書きされても仕方ないとさえ思う。
落書きといえば、例の騒動のおかげで
ママ友カーストという言葉を初めて知った。
Wikipediaによれば、
母親であることを共通とした友達付き合いにおいて見られる
序列のことを、身分制度になぞらえて呼んだ表現・・・。
のことだそうだ。
これも受売りだが、この
序列化の要素には、自身が身につけている服やバッグ等に加えて、子どもの学力、習い事の進歩の度合い、子どもの外見(男子の場合は背丈)や夫の学歴・職業・収入などがあるらしい。
さらには、引っ越してきた家庭があると、そこに子どもを遊びに行かせ、どのような家庭環境で職業は何かを調べ、仲間に入れるべきでないと判断したなら、グループから
排除するということが行われている由。
白河桃子氏の分析によれば、現代は不況であり、自身が下流に転落するという危機感を常に抱いている。そこで、他の家庭と比較することで、自身はまだ中流にいるという
安心感を得たいがための行為・・・と見ているようだ。
何かの本で読んだのだが、
児童虐待の過半数は実母によるものらしい。
その動機となるのは、
子育て不安が最も多いとのこと。
昔は
姑と同居する家庭がほとんどだったから、子育てでわからないことも聞けただろうが、核家族化の現代ではあり得ない話。
だからこそ姑に代わる存在として、お互いの立場がよくわかり、子育ての悩みなども
相談しやすいママ友が貴重になる訳だが、そこが
罪深い生き物である人間の悲しさ。
こんなところにも、しっかりと序列があることを知る。
無知蒙昧な小生などが言うまでもなく、児童虐待は大人によって引き起こされる。
そして、虐待を受けた子どもが負う
心理的ダメージは、とてつもなく深く大きい。
ママ友カースト制が存在する限り、地域の保育士や教師、保健師、児童相談所の職員など、
子どもたちを取り巻く職業に就かれておられる方のご苦労はまだまだ続くに違いない。
そんな知ったかぶりなことを言っている小生の母親は、時に優しく、時に厳しく接してくれた。
障害者と母親の
関係性は、とてもひと口で説明できるものではないが、子どもの頃はまさに小生に付きっきりだったから、5歳上の兄は母を独占され、さぞかし不満だったろう。
障害者と母親といえば、事故で手足の自由を失い、口に筆をくわえて絵を描く
星野富弘氏も、たいそう関係性が深かったと本で読んだことがある。
脇腹の痛みもほとんどなくなったので、そこで昨日、
富弘美術館に行ってみた。
8時45分、自宅を出発。
スズキMRワゴンWITの背後に迫る不気味な影・・・。
東北道から北関東自動車道を経て、楽しい峠道の122号に出る。
途中、童謡「うさぎとかめ」の音楽が聞こえてくる。
メロディラインと呼ばれていて、道路に溝が掘ってあり、走行音でメロディが奏でられるしくみらしい。
10時35分、トウチャコである。
富弘美術館は草木ダムの湖畔にあった。
身障者用駐車スペースに止めさせて頂く。
美術館の周辺は、自然を模した前庭と湖面の景色を楽しめるよう整備されている。
エントランス
リーフレットに基き、星野富弘氏のプロフィールを紹介しておく。
1946年 群馬県勢多郡東村に生まれる
1970年 群馬大学卒業後、中学校の教諭になるが、クラブ活動の指導中に頸
椎を損傷し手足の自由を失う
1972年 群馬大学病院入院中、口に筆をくわえ文字や絵を書き始める
1974年 病室でキリスト教の洗礼を受ける
1979年 入院中、前橋で最初の作品展を開催。退院
1981年 結婚。雑誌や新聞に詩画作品やエッセイを連載
1982年 高崎で「花の詩画展」。以後全国各地で開催
1991年 群馬県勢多郡東村に村立富弘美術館開館
ブラジルの各都市で「花の詩画展」、現在も継続中
1994年 ニューヨークで「花の詩画展」
1997~2000年 ホノルルで「花の詩画展」
2001年 サンフランシスコ、ロスアンゼルスで「花の詩画展」
2004年 ワルシャワ国立博物館「バリアフリーアート展」に招待出品
2005年 4月、富弘美術館新館開館
2006年 5月、熊本県芦北町に芦北町立星野富弘美術館開館
6月、群馬県名誉県民となる
2010年 富弘美術館入館者600万人を超える
2011年 第1回群馬大学特別栄誉賞受賞
現在も詩画やエッセイの創作活動を継続中
エントランスから館内に入場すると、その
ユニークなつくりにまず驚く。
ロビーをはじめ展示室や各コーナーが、全て
円の形で統一されているのだ。
柱もなければ廊下もない。
作品が展示されている部屋は、小部屋を含め6室で構成されている。
ロビー前室から、
東京競馬場と同じ左回りでサークルを回っていく。
すると、展示室1→展示室2→小展示室1→展示室3→展示室4→小展示室2といった具合に、全部の作品が
流れるように楽しめる趣向である。
まさに、円と円との連続が、
縁に繋がっているようだ。
作品それ自体は、真摯な眼差しで見た故郷の自然を通した星野氏の
哲学そのものである。
しかも、
恐ろしく静かであり、どこにも力が入っていない。
しかし、力が入っていないのに、なぜか力強い。
何よりも、絵の優しいタッチと、素朴だが哲学的な詩との
調和が絶妙である。
洒落を題材にした、ユーモアあふれる作品も数点あったし、事故に遭ったときに履いていたシューズも展示されていた。
これらもきっと、星野氏の
人生観からくるものだろうと思った。
そして、最も気になっていた
母をテーマにした作品にも出会えた。
星野氏を絶望の淵から救ったのは、ある時は信仰の力であり、ある時は詩人の言葉であった訳だが、母親の
献身的な介護と愛情なくしては今日の作品は成立し得ない・・・。
そのことを確信した瞬間だった。
確信した途端、空腹に襲われた。
いわゆる
孤独のグルメ状態に陥ったので、カフェに入ってみる。
くるみ入りライ麦パンとコーヒーのセットを頂く。自家製のパンが温かく美味である。
ミュージアムショップで土産を買い、13時40分、富弘美術館をあとにする。
下りも楽しみにしていたメロディラインだったが、とうとう音楽は聞こえず・・・。
どうやら、
上りだけのようである。
15時30分、帰宅。
土産の有田焼を下宿のオバサンに贈呈する。
僕にはないの・・・? と面白くなさそうである。
タロウよ、
次の競馬開催日を楽しみに待っておれ。