事件はダッカ中心部で、商業施設や高級住宅地、各国大使館、外資系企業のオフィスも多いグルシャン地区で発生した。犯行グループは8人前後とされ、外交官ら外国人も頻繁に利用する飲食店「ホーリー・アルティザン・ベーカリー」に立て籠もった。
地元警察は犯行グループに説得を試みたが、交渉は決裂に終わった。現地メディアは突入作戦が完了し、警察官2人に加えて5人が死亡、18人が救出されたと報じた。死亡者が人質かテロリストかは報じていない。国籍も不明だ。
犯人像ははっきりしていない。ロイター通信によると、IS系のメディア「アマク通信」は、バングラデシュのIS系武装勢力が今回の襲撃で20人以上を殺害したと主張している。だが、米CNNテレビはISではなくアルカイダ系組織がこの事件を指揮したという米高官の分析を伝えた。
人質は外国人が多く含まれているもようで、イタリア公共放送のRAIはイタリア人が店内に残っていると報じた。ジェンティローニ外相はツイッターで「人質にイタリア人が含まれており心配している」と投稿した。
バングラデシュでは昨年9月、IS系の過激派組織による銃撃でイタリア人が死亡。翌10月には同じくISの銃撃で日本人1人も殺害された。バングラ政府はこれまで、国内にISもアルカイダも存在しないと主張してきたが、治安は著しく悪化している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もはや、日本人がいつテロに巻き込まれても不思議ではない時代になった。
実際にもイスラム国やアルカイダは、断食月のラマダンが始まる前に、
「西側の権益や敵を攻撃しろ・・・!」
と呼びかけていたのである。
このところのテロ事件の一大特徴は、外国人が多く集まる場所を標的にしている点。
テロリストはどうしたら世界中にインパクトを与え、自分たちの力を誇示できるのかをシミュレーションしてから実行に移しているに違いない。
それも、イスラム国が直接手を下すのではなく、彼らに共鳴した者たちが実行犯になっているのが実に厄介だ。
バングラデシュは人口約1億6100万人の9割がイスラム教徒。パキスタンの一部(東パキスタン)だったが1971年に独立した。
パキスタン支配への民衆の不満を背景に、独立戦争を主導したのが、インドとの関係が深く、現与党でイスラム世俗派のアワミ連盟(AL)。
そのアワミ連盟から徹底的に弾圧を受けているのが、イスラム協会と関係が深いとされるイスラム過激派組織「ジャマトル・ムジャヒディン・バングラデシュ」(JMB)だ。
ちなみに、日本人男性が射殺された2015年10月の事件や、過激思想に反対するブロガーを殺害したのもJMBといわれている。
当局は今年6月、約100人のJMB関係者を含む約1万人を拘束したらしいが、こうした徹底した取り締まりへの反発で今回のテロが起きた可能性もある。
いずれにせよ、今回のような武装集団との人質解放交渉には、常に人道的配慮とモラルハザードとの狭間で具体的な政治決定を下さねばならない。
決してあってほしくはないが、中東・アフリカはもとより、アジア各地で活躍する日本人がテロの標的にさらされることは十分に予想される。
それどころか、オリンピック・パラリンピックの次期開催国である我が国の施設そのものがこれ以上ないターゲットであることを鑑みれば、テロに関する平素からの官民連携、情報の共有化やイスラム文化・言語の専門家の育成などは喫緊の課題であろう。全く以てグローバル化とは迷惑な代物である。
さて、世迷言はこのくらいにして、一昨日の7月1日に埼玉県立近代美術館に行ってみた。
早目に昼食を済ませ、11時45分に輸送機で自宅を出発。
12時35分、トウチャコである。
紫陽花が美しい身障者用スペースに止めさせて頂く。
MOMASコレクション第1期と題し、印象派の有名どころが展示されていた。
館内に入り受付を済ませ、目指すは1階にある展示室A。
ドラクロア・モネ・ルノアール・ドニ・ルオー・ピカソ・ユトリロ・シャガールなどの作品が、こじんまりとした明るい部屋に整然と並ぶ。
やはりモネの「ジヴェルニーの積みわら・夕日」と、ルノワールの「3人の浴女」が目を引く。
それでは、ご迷惑でしょうがモネの知ったかぶりうんちくを一席・・・。
貧乏画家のモネは、カミーユと恋に落ち子どもができた。
養うカネもないモネはセーヌ川に身を投げるが、死にきれない。
その後、モネとカミーユと長男のジャンはつましいながらも幸せな日々を送っていた。
ところが、最愛の妻カミーユが次男を出産した後、結核でこの世を去ってしまう。
さらに、印象派もモネ・ルノアールとドガが対立し、ギクシャクするようになった。モネとルノワールは、印象派展をボイコットした。
1883年、モネはパリから北西70キロのジヴェルニーに2エーカーの土地を借り移り住む。
そして、一つのテーマを異なる光のもとで描く「連作」を制作するようになる。
1888年からは、30点以上の連作「積みわら」を描き始める。
1891年のデュラン・リュリエ画廊での個展をきっかけに名声の高まったモネは、経済的にも余裕ができ、ジヴェルニーの土地を買い取るまでになる。
この個展では15点の「積みわら」を展示した。
1898年からロンドンで連作「国会議事堂」、「チャリング・クロス橋」、「ウォータールー橋」を制作。画家として高く評価されるようになる。
1899年から連作「睡蓮」を制作。その作品は200点に及び、死ぬまで描き続けた。
1926年、肺がんのため86歳で死去。
さてさて、当日モネの作品に詳しい方に伺ったところ、
➀実物の積みわらの大きさは約4メートル
②積みわらには小麦を蓄えていた
③積みわらの所有者はケレルさんという名前の人
とのことであった。勉強になりました。
ルノワールの「3人の浴女」がまたいい。
これがですね・・・午前1時を過ぎて少々眠たくなってきたので、知ったかぶりはまた別の機会に。
でも、六本木のルノワール展には是非行ってみたいものである。
隣の部屋では有名作品のパロディが多数展示されていて、これもなかなか楽しめた。
庭をぶらぶらしてみる。
美術館は実にいいところだ。
小生のようなすっとこどっこいでも、何となく感受性や創造力が豊かになったような錯覚をさせてくれるのである。
16時5分、帰宅。
下宿のオバサンがロースかつの下ごしらえをしていた。
![]() |
トヨタ エスクァイア 2016年1月17日付の拙ブログに購入経過を記しておきましたので、興味のある方はご参照下 ... |
![]() |
輸入車その他 ???? 買い物、通院等に使用。 最高速度時速6・5キロ。 エスクァイア号のドライバーズシートとし ... |
![]() |
輸入車その他 ???? 買い物、通院等に使用。 最高速度時速6キロ。 約3時間の充電で20キロ程度の距離はこなし ... |
![]() |
スバル レガシィツーリングワゴン 14年間お疲れ様。 よく頑張ってくれました。 鳥取までの遠征・・・懐かしいなぁ。 次の ... |