
シリア問題、北朝鮮問題、森友学園問題、豊洲市場移転問題・・・と、それぞれ書きたいことはあるのだが、本日は
どーでもいい小生の体調問題についてひと言。
2か月前に
3度目の成人式を迎えて以来、どうも右耳の聴こえが悪くなった気がする。
耳鼻咽喉科で診てもらったのだが、特に異常は見当たらないという。しかし本人がそう言うのだからまず間違いない。
例えば、下宿のオバサンが食後の皿洗いをしていて、水道の水をジャージャーと出しっ放しにされてしまうと、もうテレビの音はほとんど聴こえない。
小生がテレビを観るときは、ほとんどがプロ野球か邦画なのだが、野球は音声が聴こえなくても全く問題がない。それどころか、むしろ
音を消して観戦したいほど今の実況放送は酷いありさまである。
NHKはまだましなほうで、日テレもテレ朝もTBSもフジも、よくもまぁこんな低レベルな放送をして恥ずかしくないもんだと感心してしまう。
それもこれも、
アナウンサーの勉強不足が原因だ。
大声を上げなければスポーツ実況にあらず・・・とでも思っているのか、どう見てもフツーのプレイなのについ悪い癖が出て絶叫してしまう日テレのE原アナ。
なおこのE原アナには、解説者の山本浩二を必ず「ヤマモトコージさん」と実況中ずっとフルネームで呼ぶ習性がある。
山本昌と二人で解説しているのなら、山本姓の識別のためということで理解できるのだが、江川と二人で解説している時も「ヤマモトコージさん」なのである。
かと言って、江川のことは決して「エガワスグルさん」とは呼ばないのだ。
こういつもいつも「ヤマモトコージさん」を連発されると、ひょっとして
自民党から参議院に立候補するのかなと勘繰りたくもなる。
もう一人は、解説者の話をうまく引き出すのがアナウンサーの本来の役目なのにもかかわらず、解説者を差し置き、自分が仕入れてきたどうでもよい情報をとうとうと述べ、自らの実況に酔っているとしか思えない日テレのK村アナ。
俺の実況は日本一だろう・・・というオーラに満ち満ちていて、
鼻持ちならぬことこの上ない。
リオ五輪の際は女子レスリングの実況を担当していて、とてもイヤな予感がしていたのだが、案の定吉田沙保里のお父さんがどーのこーの言い出した途端、逆転されてしまった。実況がK村じゃなかったら、吉田選手は金メダルを取っていたといまだに確信している。
この二人以外にも、肝心なところで致命的な間違いを犯す常習犯のTBSのH田。
放送の最後の最後で「今日の解説は関根潤三さんでした」と言わなければならないところを、「今日の解説は
関根勤さんでした」と言って笑わせてくれたフジのK田。
昨年、阪神の藤波投手が送りバントを失敗した際、
「WBCで藤波がエースとして活躍するためにも送りバントは大切ですよね!」と発言し、「
WBCはDH制なんだから、そんなもん関係なし」と解説の水野に呆れられた日テレのT岡。
こう見てみると、
プロ野球を舐めているアナウンサーのいかに多いことか。
ただし、この現象は放送局だけでなく現場の解説者にも責任の一端があると思う。
今の解説者たちは、おしなべてアナウンサーに優し過ぎる。
落合が現役を引退してすぐに解説者になった時、テレ朝の実況アナから「松井は何を考えてますかね?」と尋ねられ、
「ボクは松井じゃないんだからわかるわけないでしょ」と不愛想に答えたことがあった。
このような、解説者とアナウンサーとのある種の
緊張関係はとても大切だ。落合はこう答えることによって、「お前なぁ、実況アナウンサーだったらもう少し野球のことを勉強して来いよな!」と言いたかったに違いない。
アナウンサーと解説者は決してナァナァになってはいけない。その意味では子どもの頃に聴いていた
青田昇の解説は、説得力も迫力も群を抜いていたし、今のH松やS々木のような結果論に終始するのとは真逆の、それこそ予知能力の塊みたいな人だった。
え~と、そうそう右耳が聴こえづらくなった話の途中でしたな。
どういうわけか好きな邦画の、それも大事な場面の大事な台詞の時に限って下宿のオバサンが皿洗いを始めたり、米を砥いだりするものだから、いつも不穏な雰囲気になる。
ならば、テレビのボリュームを上げればよかろうということになるのだが、昔の邦画を観賞するには適正な音量というものがあって、ある範囲の音量を超えるとその映画が持つ本来の物語性が損なわれる恐れが生ずるため、その辺の塩梅が難しいのである。
聴こえづらくなった原因は勿論加齢に違いないのだが、もう一つは昨夏より13年ぶりに再開したカラオケにもあるのかもしれない・・・と考えるようになった。
某カラオケサークルに加入し、週2回発声練習にいそしんでいるのだが、どうも耳にはあまり良くないような気がする。
かと言って辞める気持ちはさらさらないし、レパートリーは50曲を超え、歌うことの楽しさがようやく実感できるようになった。
20代の頃は職場の先輩に勧められ、スナックに行っては半ば義理で歌っていたようなものだからエラい違いである。
というわけで唐突なれど
耳は遠くなったが、逆に小水は近くなった。
以下は尾籠な話のオンパレードになるので、読み飛ばして頂ければ幸いである。
小生は膀胱が小さくできているのか、もともと小水は近かった。それが加齢に伴い年々近くなってきているようだ。
男女の中は近いほうがいいのだろうが、小水の近いのは非常に困る。日常生活に大いに支障をきたすからである。
それなのに、泌尿器科で診てもらうにはどうも抵抗がある。
いい薬もあるらしいのだが、今一つ踏ん切りがつかないのだ。
なので、その手の本をいくつか読んでみて、自分に合いそうなものを試してみることにした。
ちなみに
遠藤周作流の小水の我慢の方法は、「エッサエッサエサホイサッサ、お猿の駕籠屋はホイサッサ」という童謡を声高らかに歌うと、不思議と尿意が遠のくというもの。
小生の場合、遠藤流はその効果がはかばかしくなかったため、別の方法にトライしてみた。
まず、できるだけ尿をためトイレに行く。
次に、尿を3分の1程度排出する。
次に、
肛門を締めたり緩めたりして残りの尿を我慢する。
肛門を締めたり緩めたりを10~15回ほど繰り返すと、尿意が遠のく。
尿意が完全に遠のいた段階で、残りの3分の2の尿を排出する。
で、ただ今この方法を実践中だが、効果はまずまずといったところだ。
1日2回トライしてみると、まぁその日によってもバラつきはあるのだが、以前のような
切迫した尿意は少なくなったように思う。
ポイントは何といっても肛門の締め方である。オナラを我慢する要領で肛門を締めるのだが、これが慣れるようになるまでは結構難しい。
時間としては、3秒締めたら3秒緩めるといった感じで、慣れてくると小水を我慢するのが
ちょっとした快感になるから不思議だ。
尾籠ついでに、肛門で思い出すのが30年以上前に読んだ
開高健の本。
アマゾンには妙な魚がいるらしく、種類はナマズだが形はドジョウにそっくりで、色はといえば赤紫。これがとんでもないヤツで、相手が魚だろうが獣だろうが人間だろうが、
穴という穴に入りこんでは肉を喰らい体液を吸い尽くすというとんでもない手合い。
そこで、インディオのおばさんたちは一計を案じ、川でしゃがんで洗濯する際には、
天狗のお面の小型のような物を土器で作り、それぞれ前と後ろの穴に差し込んで心置きなくジャブジャブ洗っているのだとか。
そして、このとんでもない魚の名前が現地の発音で
カンジロというウソのようなホントの話・・・決して「感じろ!」ではありませんぞ。
世迷言の書き散らかしはこの位にし、1週間前の10日にターンパイクに行ってみた。
8時45分、自宅を出発。
ホンダステップワゴン スパーダの背後に迫る不気味な影・・・
東北道から
圏央道へ
法定速度遵守
圏央道の厚木PAで水分補給
覆面ワールドリーグ戦開催中の厚木小田原道路
11時、ターンパイクにトウチャコ
いくらトイレに行きたいからって、この停め方はないでしょ
薄曇りにもかかわらず富士山を見ることができたのは僥倖
偶然にも、主治医(5Xさん)を同じくする湘南ナンバーTTコンバーチブルの先輩から、大観山で声を掛けていただき楽しく歓談する
大観山の気温は7.5℃
帰途につく
行きつけのGSで給油及びシャンプーをお願いする
15時20分、帰宅。いつの間にか小生より年上になったらしい警備隊長が出迎えてくれる
