藤蔵
「うん。9時近かったかな。写真を見て『左肩鎖骨の複雑骨折なので手術をするべきだ』ということになった」
タロウ
「即入院・・・?」
藤蔵
「そう。先生が『自宅に帰っても不自由だし、入院すれば身の回りのことは看護師がケアできるから安心なんじゃないかな』とアドバイスしてくれてね。それで腹を決めたんだ」
タロウ
「ふ~ん。それからどうしたの」
藤蔵
「看護師さんに車椅子を押してもらって、いろいろな検査をした」
タロウ
「例えばどんな検査・・・?」
藤蔵
「まず採血と血圧計測。次に耳に少し傷をつけて、どのくらいの時間で血が固まるかを調べた。それから心電図とMRI。最後が肺活量の検査かな。この肺活量の検査が面白くてさ、『吹き矢を飛ばす要領でやってみて下さい』なんて検査技師に言われて思い切り吹いたんだけど、結果の数値は教えてくれないんだ。カラオケサークルに所属している身としては、すごく気になるじゃない?」
タロウ
「なに呑気なこと言ってんだか・・・」
藤蔵
「後で聞いたんだけど、手術は全身麻酔だから人工呼吸器を口から挿入するにあたって、肺活量の数値は結構重要なんだってさ」
タロウ
「へぇ~。それから・・・?」
藤蔵
「外来の看護師さんから病棟の看護師さんにバトンタッチされて、いよいよ部屋に向かったんだ」
タロウ
「お父さんが入院していたのは何人部屋だったの・・・?」
タロウ
「お父さんの希望?」
藤蔵
「私の希望と病院サイドの都合が一致した・・・というのが正しい表現かな。タロウも知っての通り、私は超ワガママ人間で集団生活が苦手だし、病院は病院で私のような全身性障害者を受け入れるにあたっては、個室の方が何かと都合が良かったみたいだよ」
タロウ
「集団生活が苦手なのに、よくお勤めしてたよね」
藤蔵
「そりゃ給料もらってたんだから仕方ないでしょ・・・」
タロウ
「で、差額ベッド代高かった・・・?」
藤蔵
「豊田真由子センセイが逃げ込んでいたような病院だったら、1日3~5万円くらいが相場だろうけれど、私が入院していた病院はとても良心的な価格設定だったよ。こういうときのために入院保険にも加入していたし、その点は気が楽だったなぁ」
タロウ
「個室の設備は?」
藤蔵
「電動ベッドにテレビ、ユニット型のシャワー付きトイレ、洗面台に2人掛けソファ、ベッドには本を読むための照明(昔のZライトみたいな感じね)もあるんだ。ちなみにテレビは無料で見放題。でも地上波だけだったから一度も見なかった。情報はラジオで十分」
藤蔵
「食費も自己負担だよ。1日3食で確か780円だったかな」
タロウ
「部屋の件は了解。ところで手術はすぐしたの?」
藤蔵
「先生のスケジュールが立て込んでいたんだと思うけど、7月10日に手術することになったんだ」
タロウ
「入院してから6日目か・・・。それまで何やってたの?」
藤蔵
「ひたすら食べて、ひたすら寝て、暇だからひたすら読書して・・・という生活」
タロウ
「そうはいっても、起床時間と就寝時間は決まっているんでしょ?」
藤蔵
「検温と血圧測定があるのが朝6時半ごろかな。だから6時には自然に目が覚めるんだ。ちなみに検温・血圧測定は1日4回あって、6時半、10時半、15時半、20時半といった感じ。食事は8時、12時、18時で、就寝時間は21時なんだ。実は個室だけは何時に寝てもいいことになっていてね。でも22時には寝てた」
タロウ
「そこでとうとう手術の日を迎えるわけね・・・手術前夜の心境は?」
藤蔵
「不安はあったよ。まず左手が元のように動くかどうか。次に全身麻酔に対する漠然たる恐怖。例えば麻酔が全然効かなかったらどうしよう・・・なんてまるで子どもが考えるような馬鹿げたことなんだけれどね・・・」
タロウ
「そんなことってあるの?」
藤蔵
「知~らない。でも昔プロレスラーのブルーザー・ブロディがプエルトリコでビジネストラブルに遭って刺されたとき、血が止まらなくて死んだと報じられたんだけれど、そのわけというのがね、ブロディは日常的に痛み止めの薬を飲んでいたから、その副作用で止血できなかった・・・と、ほとんど都市伝説に近いような情報がまことしやかに流れたんだ。私もよくロキソニン飲むからね~」
タロウ
「いつもエラそうなこと言ってる割りには、肝っ玉ちいせぇ~!」
藤蔵
「もう一つ不安だったのが感染症や脳血栓・心筋梗塞のリスクだよね。まぁリスクのことを考え出したらきりがないけど・・・」
タロウ
「じゃあ、前の晩は眠れなかったわけだ」
藤蔵
「いや、ぐっすり眠れたよ」
タロウ
「よくわからない人だね・・・。それで当日は?」
藤蔵
「手術は16時からの予定だったんだけれど、とにかく水分を摂れという指示が出たんだ。当日は朝から食事がNGだから、売店から『スポーツドリンクのまずいバージョン』を看護師さんに買ってきてもらってガブガブ飲んだ。前の晩から数えると2リットルは軽く飲んだんじゃないかな」
タロウ
「スポーツドリンクのまずいバージョンって何なの?」
藤蔵
「病院推奨の飲み物なんだけど、ポカリスエットの甘味を薄くして、塩味を濃くした感じ。商品名は忘れちゃった。確か数字がついていたような・・・」
タロウ
「それで手術は16時に始まったの?」
藤蔵
「私の前の患者さんの手術が長引いたらしく、16時半ごろに手術室に入ったんだ。そうそう、その前にストレッチャーでシャワー浴をしてもらった。それまで清拭だけだったから髪も洗ってもらって気持ち良かったなぁ・・・」
タロウ
「手術室って広いの?」
藤蔵
「うん、結構広く感じたね。それでストレッチャーで部屋に入った途端、左の方から女の人の声が聞こえるんだ。『○○さ~ん、手術終わりましたよ! 起きて下さ~い!』ってね。」
タロウ
「じゃぁ、その部屋ではお父さんの他にも手術してた人がいたんだ・・・」
藤蔵
「いや、よくわからない。確認したわけじゃないから。でも夢じゃないと思うよ。で、私の手術を担当する年配の看護師さんが2人いたんだけど、その人たちの動きを目で追っていたら、突然男性の声が聞こえてきたんだ」
タロウ
「何って言ったの?」
藤蔵
「ちょっとチクッとしますよ・・・って」
タロウ
「チクっとするって、それが麻酔だったの?」
藤蔵
「そう。左肩のあたりに注射されたと思ったから、それからゆっくり数を数えたんだ。で、15まで数えたら途端に意識がなくなった」
タロウ
「へぇ~。そんなに早く効くんだ! 手術中はやっぱり意識がないんでしょ?」
藤蔵
「あったら大変だよ・・・」
タロウ
「鎖骨の複雑骨折だと手術の時間はどのくらいかかるの?」
藤蔵
「私の場合は2時間程度だろうと言われていた。先生の説明だと、左肩関節上部の鎖骨がバラバラになっているから、それをパズルのように正しく並べて、チタン製の金具で止めるという手術なんだって・・・」
タロウ
「お父さんったら入院する前の日に川越の5Xさんに行って、Audiの改造計画の相談していたときに、チタン製のマフラーの話で盛り上がってたでしょ!」
藤蔵
「そうなんだよ。Audiの主治医とチタン製マフラーの話してたら、その1週間後に、今度は私の主治医にチタン製のプレートとボルトを埋め込んでもらった・・・という毎度バカバカしい一席」
タロウ
「予定通り手術は2時間で済んだの・・・?」
藤蔵
「うん。『手術終わりましたよ!』って声を掛けてもらって目が覚めたんだけれど、2時間弱で手術は終了したみたい。目が覚めて5分間くらいは何だかボーッとしてた」
タロウ
「目が覚めたときは傷口痛くなかった?」
藤蔵
「全然痛くなかった。それより何となくオシッコがしたかったから、酸素マスク越しに看護師さんにその旨伝えたら、『バルーンが膀胱に入っているからそのままで大丈夫ですよ』って言われたんだ。後で聞いたら、手術後まだ眠ってるときにレントゲン撮影もしたんだって・・・」
タロウ
「でも麻酔が切れたら、さすがに痛くなったでしょう?」
藤蔵
「え~と、翌朝というか未明の午前2時頃かな。目が覚めたんだけれど、ちょっと傷口がヒリヒリした。でも30分くらいで寝ちゃった。血栓予防のためのマッサージ器をふくらはぎから足首のあたりに装着していたものだから、これがとても気持ち良くてすぐに寝ちゃうんだよね・・・」
タロウ
「翌日は?」
藤蔵
「朝方も少しヒリヒリしたけど、10時頃かな、麻酔医の先生が部屋に尋ねてきてくれて、『昨日神経ブロック注射しておいたから痛くなかったでしょ?』って言われてからは、全く痛みがなくなったんだ」
タロウ
「お父さんはホントに暗示にかかりやすいよね~!」
藤蔵
「ここだけの話、入院中に一番痛かったのは膀胱のバルーンを抜かれたとき・・・(;´д`)トホホ」
タロウ
「それでリハビリはいつから始めたの?」
藤蔵
「手術の翌日からだよ。理学療法士の先生が部屋に尋ねて来てくれて、リハビリの最終ゴールを確認・共有したうえで計画的に進めていこう・・・ということになったんだ」
タロウ
「手術の翌日からいきなりリハビリなんだ・・・」
藤蔵
「今はどこの病院もそうなんじゃないかな」
タロウ
「でも動かすとやっぱり傷口が痛むでしょ?」
藤蔵
「それが全然痛くないんだよ」
タロウ
「やっぱり神経ブロックが効いたのかな・・・?」
藤蔵
「理由はわからないけれど、傷口も鎖骨も肩関節も全く痛みがないんだ。もちろん鎖骨のあたりには何かが入っているかな・・・という感じはするんだけど、さほど気にならないし」
タロウ
「まぁ痛みがないのは何よりだよね。で、肝心のリハビリの内容は・・・?」
藤蔵
「え~と、午前10時くらいから40分。午後2時くらいから40分の1日2単位で、最初の3週間はストレッチが主体。午前は左肩が中心、午後は両足が中心のストレッチだった。4週目からは左肩に負荷をかけてもよくなったので、松葉杖での歩行訓練が始まったわけ」
タロウ
「50年ぶりのリハビリの感想を聞かせてよ」
藤蔵
「私が子どもの頃のリハビリテーションっていったら、それはもうスパルタ式だったから大キライだった。当時から比べたら、現在の理学療法士の先生方の何と優しいことか・・・」
タロウ
「スパルタ式って、50年前はどんなことされたの?」
藤蔵
「聞いて驚くなよ。装具で固定されたまま1時間立たされたり、給食が食べられないほど腹筋やらされたり・・・。一番怖かったのが、松葉杖を使い始めた頃に転んで受け身をとる訓練。理学療法士の先生が、何の前触れもなしに背中を強く押したり、松葉杖を足払いしたりするんだ。床にはマット体操に使うマットが敷いてあるだけだから、転ぶとそれは痛かった」
タロウ
「まるで星一徹だね・・・」
藤蔵
「で、病院の理学療法士の先生にこの話をしたら、『今そんなことやったら大変ですよ』って言ってた。でも、そんな訓練は当時としては当たり前だったんだろうね」
タロウ
「優しい理学療法士の先生たちで良かったね!」
藤蔵
「でも、担当の先生方は気疲れしたんじゃないかな・・・。私のような重いんだか軽いんだかよくわからない中途半端な障害者には、そうそう出会わないと思うんだ。できそうなことが全然できなかったり、その逆で、これはとてもできないだろうということ・・・例えばクルマの運転なんか・・・が得意だったりとかね」
タロウ
「そうなんだよね~。ボクも『お父さんの取扱説明書』がほしいときあるよ」
藤蔵
「それは看護師さんもきっとそう思ったはず・・・」
タロウ
「最後はさ、看護師さんのこともたっぷり聞かせてよ。お父さんが入院していた病棟の看護師さんって、何人いたの?」
藤蔵
「たぶん24~5人だったと思う。うち男性看護師が一人で、その他に看護助手が4人だったかな・・・」
タロウ
「入院患者は何人?」
藤蔵
「確か私を入れて42人だね」
タロウ
「じゃぁ、42人の患者を28人の看護師さんたちでみてるんだね」
藤蔵
「まぁ全体で考えればそうなんだけれど、当然休みの看護師さんもいるし、夜勤の看護師さんは3人体制だったよ」
タロウ
「へぇ~! 夜はたった3人で42人の面倒を見るんだ・・・」
藤蔵
「もっといえば、夜勤の看護師さんたちは交代で3時間ずつ仮眠をとるから、2人で42人のケアをする時間帯も結構ある・・・ということ」
タロウ
「夜中に騒ぐ患者もいるって聞いたことがあるけど・・・?」
藤蔵
「うん、いたね。入院していた病棟は、整形外科・脳神経外科・形成外科を診療科目とする患者たちがほとんどだったから、外科的手術で入院している人たちなわけ。痛みは人それぞれだから、我慢できずに大声を出す人もいれば、痴呆症の人もいて、真夜中の廊下は頻繁に看護師さんの足音が響いてた」
タロウ
「大変な仕事なんだねぇ~・・・」
藤蔵
「そう。おまけに私のような『口だけ達者な乳幼児みたいな患者』もいるしね。ところで、看護師さんの仕事の内容を整理してみたんだけれど・・・➀検温・血圧測定、②オムツ交換を含めたトイレ介護、③入浴介護、④清拭・着替え介護、⑤レントゲン撮影や外来への付き添い、⑥給食の配膳、⑦投薬、⑧面会者への対応、⑨記録の入力、⑩歯磨き・髭剃り介護、⑪カンファレンスへの出席、⑫引継ぎ・申し送り、⑬患者への事務的事項の説明、⑭患者への声かけ・見守り・・・う~ん、たぶん考えればもっとあると思うんだ」
タロウ
「ところで、彼女たちの心理的なケアは誰がしてくれるの・・・?」
藤蔵
「私は聞けなかったから、今度はタロウが入院して聞いてきなさい。そういえば、タロウの待ち受け画面を看護師さんたちに見せたら、『可愛い~!』って好評だったぞ・・・」
タロウ
「キャハハ。注射が大嫌いだから入院はお断り」
藤蔵
「個性豊かな看護師さんたちだったけど、私のいろいろな頼みを嫌な顔ひとつせず対応してくれた。38日間1回も彼女たちの嫌な顔をみたことがなかったんだよ! 感謝あるのみさ」
タロウ
「なんか珍しく優等生的にまとめようとしていない・・・?」
藤蔵
「それなら、最後に言いたいことを言うぞ」
タロウ
「どうぞ・・・」
藤蔵
「お~い、安倍クン。どうせ増やすんなら獣医師じゃなく、給料を倍にして看護師を増やせ!」
オシマイです
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