
初代コロナ マークII購入から2年ほど進んだ、1976年(昭和51年)。
マークIIは、特に不便を感じていないようでしたが、父の恩人からの、「(当時新登場した初代)ギャランΣへの乗換えで、初代ギャラン1400SL-5を下取りにするけど乗らない?」という話が舞い込んで、急に代替熱が沸騰します。初代マークIIの譲渡先は、直ぐに見つかりましたが、結局直前になって、ギャランの話はお流れ。急遽次車の選択に迫られることとなります。
この時のキーワードは”何はなくても6気筒”。
大のトヨタファンだった父は、2代目マークIIのLシリーズに対象を絞ります。後年当時の見積もりが発掘されたので、新車商談もしたようですが、悪評の高かった50年規制が始まったばかりでしたから、未対策の中古車発掘に変更となります。
東京トヨペットのマイカーセンターを一日巡り、今でも現存する上板橋営業所の後期LG・ATと、今はなき(レクサス常盤台の川挟んだ反対側に存在していました)常盤台営業所の前期L・4速が比較対象に。前車の豪華装備に引かれつつも、ATというのが逡巡させたようで、後車を選択。
担当セールス氏とは、この後、親子2代、30年(!)に渡る、お付き合いとなります。
長くなるので、当時の世相や2代目マークIIの概要は省略。
早速カタログを紹介していきます。
2015/5/4 画像を全て更新すると共に、一部追加をしました。それに伴い構成も変更しています。
左頁には、モデルチェンジに関する思い入れが記載されています。
旧型末期には、日産のスカイライン、ブルーバード、ローレルに押される一方でしたので、心機一転、かなり力の入ったモデルチェンジだったのです。
右頁には、2000GL(ミッドナイトブルー)が横向きに置かれています。
初代のセミ・ファストバックから、この代では本格的なファストバックに変身しています。
どことなく、
ダッジ・コロネットを和訳したような印象?
市場的には不評だったようで、トヨタのファストバックセダンは、この車のみとなります。
当時の最多量販グレードとなる2000GLのフロントマスク
当時のトヨタ車に共通する彫の深いマスクですね。
フロントバンパーは、メッキながらも、マスクに融合させるべく、かなり凝った形状となっています。
”4ドア・ハードトップと呼びたいほど”と書かれていますが、国内に同ボディ形状は、まだ存在しませんでした。あくまでも、セダンとハードトップは別形態だったのです。
左頁には、1700DX(アクアマリングリーン)のリヤビュー
他に類を見ない(?)逆反り型のリヤテールは前期型のみの特徴となります。この形状はトランクルーム側への張り出しが大きくスペースを侵食、市場の評価も不評だったのか、73年の中期型以降はフラット型に変更されます。
2000DX(ロイヤルゴールド?)のフロントマスク
74年に登場した後期型は、排ガス対策のデバイススペース確保のため、ロングノーズ化されたため大幅に印象が異なることになります。
どちらも当時のコロネットの雰囲気がちらほら。
左には、2000GLの前後各シートが掲載されています。
中央部だけが布で、左右にレザーを貼ったシートは、後年の豪華さを見慣れた目には廉価版風に映るかもしれませんが、当時はこちらが主流でした。
右には、DX系とワゴンに設定されていたコラムシフト&スプリットシートが掲載されています。
クラウンの廉価グレードのベンチシートは、助手席のリクライニングが不可でしたが、こちらは可能。ただし、前席3人掛けは不可のため、同シートも5人乗りとなります。
フロントシートのヘッドレストは、頭のホールドを意識したらしい特徴的な形状を採用しています。一時、ランクル40にもこの形状が採用されていましたが、コロナ以下はハイバックシートが殆どだったこともあり、採用は広がりませんでした。
2000GLのインパネです。
現在目線では質素に見えますが、プルスイッチを一直線に横並びさせたレイアウトは、当時としては豪華かつ整理されたものに映ったのです。
角型3連メーターは、セダンGL・DX、ワゴン、バンのみの設定で、ハードトップは同グレードでも、レイアウトは同じながらも丸型3連メーターを採用していました。また、1974年のマイナーチェンジではハードトップの形状に統一されることになります。
4気筒系の最上級グレードとなるGSL
GLをベースとして、スポーティな性格が与えられています。
ここからは、モデルチェンジで追加となった、シリーズ初の6気筒を相殺するLの紹介です。
1973年にコロナがモデルチェンジするまでは、マークIIの主流は4気筒でしたので、Lはかなり特別を意識したグレードでした。
L(パープリッシュグレー?)のフロントマスク
4気筒が72コロネットなら、こちらは70コロネット風?
6気筒搭載のため、センター部を中心にして4気筒よりロングノーズ化されています。バンパーのオーバーライダー、タルボ型フェンダーミラーもL専用。
こちらも後期型はフロントマスクが大幅に異なります。
Lのリヤサイドビュー
リヤガーニッシュは6気筒のみ別意匠となります。中央に置かれた6のエンブレムが特別な存在であることを主張しています。
同じ6気筒でもスカイラインは、”走り”を主張していましたが、こちらは、”豪華さ”や”ゆったり”を主張しているのが違いです。
直後にモデルチェンジして、同じく6気筒を追加したローレルとは、同じ路線で激突することになります。
左頁は、Lのフロントシート
前述のとおり、前面布張りのシートはクラウンでも上級のみの設定でしたが、Lのみに採用されて、豪華さを盛り上げています。
トリム色は、他にブラックとベージュ、前期のみのブルーが設定されていました。
家にあったのは外装:紺の内装:ブルーでしたが、この組合せは後年自分の車選びでも選択するくらい、お気に入りでした。
右上のインパネは人気車だった箱スカをUPDATEした風。
Lは高級グレードの位置づけでしたが、計器類はスポーティな6連を採用しています。
パワーステアリングは、速度やエンジン回転の制御がない初期ものとなります。このため、据え切りは大変便利ながら、高速ではフラフラ。父は横風の強い高速道路には乗ろうとしませんでした。
ラジオは、FM入りですが、まだモノラル受信のみ。サーチ式は便利ですが、地方に行くと受信できずサーチし続ける欠点も。
右下にはリヤシート他
ヘッドレストにセンターアームレスト、さらにパーソナルランプと、後席も重視の設定でした。ただし、スタイリングの影響でリヤバックレストを寝かせ気味にして、頭上スペースを稼ぐというパッケージングでした。
最後のグレード別紹介はワゴンとなります。
この時点では、2000DXと1700DXに設定されていました。1973年のマイナーチェンジ時にLにも設定拡大されることになります。
初代はバンとワゴンでバックパネルを作り分けていましたが、この世代以降は共通化。ただ、バックゲート内のテールランプとガーニッシュの形状を作り分けることで差別化が図られています。
左頁には、サスペンションの紹介。
この代から、リヤサスにはコイルスプリングが採用されています。
クラウン、カリーナ・セリカに続いての採用ですが、当時はまだまだリーフ式が主流の時代には先進的な設定でした。ライバル車だった日産ローレルも、初代の全車独立懸架から、2代目ではセダンのみリーフ式に後退していたのです。
右頁には、主に安全に関する装備群を紹介。
シートベルトは、まだ腰ベルトと肩ベルトが分離式でした。自動巻取り機構も腰ベルトのみ。
ガソリンタンクの位置は、トランク下から追突を考慮した後席後ろに変更されています。このことにより、長く続いたナンバープレート裏の給油口は姿を消しています。
半ば余談ですが、90マークII系のタンク位置を初めて見た時に、この世代を思い出しましたね。
防眩ミラーの切替は、クラウンの左右切替から、今でも主流の前後切替に変更されています。
左頁には、前頁から続いて装備の紹介。
多眼メーターに照明スイッチと、夜間は当時としては煌びやかでした。
家にあったクルマは、カーステレオとカーエアコンが購入時から装着されていました。後者は吹き出し口がセンターになっただけで、まだクーラー機能のみでしたが、付いていただけでも、自慢できた装備の一つでした。
右頁にはエンジンラインナップが紹介されています。
Lは、左上のM型を採用。下の4気筒と比べると、長さの違いはお解りになるかと。
110馬力とパワーは控えめですが、6気筒による静粛性は特筆モノでした。
信号待ちでは自車ではなく隣の車のエンジン音が聞こえる、エンジンが止まっていると思ってセルを再度廻した、なんていうのが何回もありましたね。
グレード別の3面画像です。
前期のホイールサイズは、Lのみ14インチで他は13インチ。後期ではGL・GSLも14インチに拡大されています。
左半分は、グレード別の内装画像。
前期のみサイドブレーキはステッキ式。中期以降はセンターレバー式に改良されます。
右半分は、ミッションとボディカラーの一覧。
初代に在った2速ATは廃止されています。
5速MTは、この後追加されるLツインキャブに設定されますが、まだまだ4速が主流でした。4速では、100km/hで4000回転ですから、静粛性と燃費で大分損をしていましたね。
装備一覧です。
この時期からワイドバリエーション化に伴うグレード間の設定差異が発生しています。
諸元表です。
当時は大きいように感じましたが、カローラ・アクシオより小さいボディサイズとなります。1100kg前後の車重に排ガス対策前の2000ccですから、走りが良かったのも納得なのです。
タイヤは、まだまだバイアスのみの設定。(ラジアルはGSSのみ)
下の2面図を見ると、ホイールベースを延ばさずに長い6気筒を積むため、フロントオーバーハングが延長されているのが解ると思います。
後席の頭上高が苦しいのも、見て取れますね。
神奈川県の新車価格。
オイルショック前なので、新車価格がまだまだ安かった頃です。
現在価値の1/4倍程度? → その後の確認により、国家公務員の初任給換算で、3.8倍すると現在価値に近くなることが判明。
(概要データ)
型式:MX10-KN
外装色:ミッドナイトブルーメタリック、内装色:ブルー
登録年月:1973年(昭和48年)4月
購入年月:1976年(昭和51年)6月
譲渡年月:1982年(昭和57年)2月
廃車年月:1982年(昭和57年)8月
純正装備:フォグランプ、フロントサイドバイザー、リヤマッドガード、前後コーナーポール、ドアエッジモール、ハーフカバー、ラジアルタイヤ
追加装備:マフラーカッター、カセットステレオ、間欠ワイパー、セミトラ→フルトラ化
来た車、中古車とはいえ、当時まだ珍しい、エアコン・ステレオ・パワステ装備ですから、「ちょっと(?)誇らしく」の具現化的存在。それでも足らず、今回も”走るアクセサリーカタログ”を作成(笑)。
エピソードを幾つか
○最低地上高は175mmとありますが、リヤマフラーの太鼓は時々ガリガリと。購入前から若干車高が下げられていた(?)疑惑あり。
○純正マッドガードは長過ぎて、車止めに引っかけること多数
(どこかで聞いたような話)。下側を一部切ることで対処しています。これもまた車高疑惑に結びつく話ですね。
○購入当初は、低速時に時折エンストしたりと調子が今一つでしたが、ポイント式→セミトラ化→フルトラ化と手を入れることにより、調子は復活。未対策は50・51年規制車はもちろん、53年当初規制車よりも走りは優秀でした。
○一方で6気筒キャブに4速では8km/l弱がやっと。購入時は100円前後だったガソリン価格も、第2次オイルショック発生時は、160円前後(今の貨幣価値では300円?)まで価格上昇しましたから、厳しいものがあったようです。
○前述のとおり、ディーラー車でしたが、補習箇所が複数あり、程度は今一つ。曇りの日の車選びは避けるべきという教訓を得ました。
○後年は、当て逃げされたバンパーや止まった時計の補修に解体車を活用。
○父は2代目マークIIを好きだったようで、途中後期LG・5速への乗換えを意図しますが、母の猛反対により頓挫します。
購入当初は高級車風情も、進歩の著しい当時では、晩年は陳腐化。塗装の劣化が早かったこともあって、6年弱で次車への乗換えとなります。
譲渡先は前車同様、母方の叔父。譲渡後半年で、叔父の友人の手により、4速6000回転の超高速連続走行(同行車がオイルモレに気付いて知らせようとしたが、追いつけなかったという証言あり)の結果、郡山でエンジンブロー。現地で廃車となります。
(第一報を聞いたのは、新登場したマークIIツインカム24&長嶋茂雄氏の新聞広告第一弾を眺めていた時だった、というのが忘れられない思い出)
色といい乗り方といい、今思い返しても、私の基礎構築はどう考えても、この車に辿り着きますね(笑)。不人気車故、イベント等でもなかなか見かけませんが、数年前に同型のATがヤフオクに出ていた際は、つい画面に見入った次第。
※思い入れが大きい故の長文、ご容赦くださいませ。