• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
イイね!
2013年12月01日

カタログで振り返る身近にあった車の足跡(その3) (10マークII前期)

 カタログで振り返る身近にあった車の足跡(その3) (10マークII前期) 初代コロナ マークII購入から2年ほど進んだ、1976年(昭和51年)。

マークIIは、特に不便を感じていないようでしたが、父の恩人からの、「(当時新登場した初代)ギャランΣへの乗換えで、初代ギャラン1400SL-5を下取りにするけど乗らない?」という話が舞い込んで、急に代替熱が沸騰します。初代マークIIの譲渡先は、直ぐに見つかりましたが、結局直前になって、ギャランの話はお流れ。急遽次車の選択に迫られることとなります。


この時のキーワードは”何はなくても6気筒”。
大のトヨタファンだった父は、2代目マークIIのLシリーズに対象を絞ります。後年当時の見積もりが発掘されたので、新車商談もしたようですが、悪評の高かった50年規制が始まったばかりでしたから、未対策の中古車発掘に変更となります。

東京トヨペットのマイカーセンターを一日巡り、今でも現存する上板橋営業所の後期LG・ATと、今はなき(レクサス常盤台の川挟んだ反対側に存在していました)常盤台営業所の前期L・4速が比較対象に。前車の豪華装備に引かれつつも、ATというのが逡巡させたようで、後車を選択。
担当セールス氏とは、この後、親子2代、30年(!)に渡る、お付き合いとなります。

長くなるので、当時の世相や2代目マークIIの概要は省略。
早速カタログを紹介していきます。
2015/5/4 画像を全て更新すると共に、一部追加をしました。それに伴い構成も変更しています。



左頁には、モデルチェンジに関する思い入れが記載されています。
旧型末期には、日産のスカイライン、ブルーバード、ローレルに押される一方でしたので、心機一転、かなり力の入ったモデルチェンジだったのです。

右頁には、2000GL(ミッドナイトブルー)が横向きに置かれています。
初代のセミ・ファストバックから、この代では本格的なファストバックに変身しています。
どことなく、ダッジ・コロネットを和訳したような印象?
市場的には不評だったようで、トヨタのファストバックセダンは、この車のみとなります。





当時の最多量販グレードとなる2000GLのフロントマスク
当時のトヨタ車に共通する彫の深いマスクですね。
フロントバンパーは、メッキながらも、マスクに融合させるべく、かなり凝った形状となっています。

”4ドア・ハードトップと呼びたいほど”と書かれていますが、国内に同ボディ形状は、まだ存在しませんでした。あくまでも、セダンとハードトップは別形態だったのです。





左頁には、1700DX(アクアマリングリーン)のリヤビュー
他に類を見ない(?)逆反り型のリヤテールは前期型のみの特徴となります。この形状はトランクルーム側への張り出しが大きくスペースを侵食、市場の評価も不評だったのか、73年の中期型以降はフラット型に変更されます。

2000DX(ロイヤルゴールド?)のフロントマスク
74年に登場した後期型は、排ガス対策のデバイススペース確保のため、ロングノーズ化されたため大幅に印象が異なることになります。

どちらも当時のコロネットの雰囲気がちらほら。





左には、2000GLの前後各シートが掲載されています。
中央部だけが布で、左右にレザーを貼ったシートは、後年の豪華さを見慣れた目には廉価版風に映るかもしれませんが、当時はこちらが主流でした。

右には、DX系とワゴンに設定されていたコラムシフト&スプリットシートが掲載されています。
クラウンの廉価グレードのベンチシートは、助手席のリクライニングが不可でしたが、こちらは可能。ただし、前席3人掛けは不可のため、同シートも5人乗りとなります。

フロントシートのヘッドレストは、頭のホールドを意識したらしい特徴的な形状を採用しています。一時、ランクル40にもこの形状が採用されていましたが、コロナ以下はハイバックシートが殆どだったこともあり、採用は広がりませんでした。





2000GLのインパネです。
現在目線では質素に見えますが、プルスイッチを一直線に横並びさせたレイアウトは、当時としては豪華かつ整理されたものに映ったのです。

角型3連メーターは、セダンGL・DX、ワゴン、バンのみの設定で、ハードトップは同グレードでも、レイアウトは同じながらも丸型3連メーターを採用していました。また、1974年のマイナーチェンジではハードトップの形状に統一されることになります。





4気筒系の最上級グレードとなるGSL
GLをベースとして、スポーティな性格が与えられています。





ここからは、モデルチェンジで追加となった、シリーズ初の6気筒を相殺するLの紹介です。
1973年にコロナがモデルチェンジするまでは、マークIIの主流は4気筒でしたので、Lはかなり特別を意識したグレードでした。

L(パープリッシュグレー?)のフロントマスク
4気筒が72コロネットなら、こちらは70コロネット風?
6気筒搭載のため、センター部を中心にして4気筒よりロングノーズ化されています。バンパーのオーバーライダー、タルボ型フェンダーミラーもL専用。
こちらも後期型はフロントマスクが大幅に異なります。





Lのリヤサイドビュー
リヤガーニッシュは6気筒のみ別意匠となります。中央に置かれた6のエンブレムが特別な存在であることを主張しています。

同じ6気筒でもスカイラインは、”走り”を主張していましたが、こちらは、”豪華さ”や”ゆったり”を主張しているのが違いです。

直後にモデルチェンジして、同じく6気筒を追加したローレルとは、同じ路線で激突することになります。





左頁は、Lのフロントシート
前述のとおり、前面布張りのシートはクラウンでも上級のみの設定でしたが、Lのみに採用されて、豪華さを盛り上げています。
トリム色は、他にブラックとベージュ、前期のみのブルーが設定されていました。
家にあったのは外装:紺の内装:ブルーでしたが、この組合せは後年自分の車選びでも選択するくらい、お気に入りでした。

右上のインパネは人気車だった箱スカをUPDATEした風。
Lは高級グレードの位置づけでしたが、計器類はスポーティな6連を採用しています。
パワーステアリングは、速度やエンジン回転の制御がない初期ものとなります。このため、据え切りは大変便利ながら、高速ではフラフラ。父は横風の強い高速道路には乗ろうとしませんでした。
ラジオは、FM入りですが、まだモノラル受信のみ。サーチ式は便利ですが、地方に行くと受信できずサーチし続ける欠点も。

右下にはリヤシート他
ヘッドレストにセンターアームレスト、さらにパーソナルランプと、後席も重視の設定でした。ただし、スタイリングの影響でリヤバックレストを寝かせ気味にして、頭上スペースを稼ぐというパッケージングでした。





最後のグレード別紹介はワゴンとなります。
この時点では、2000DXと1700DXに設定されていました。1973年のマイナーチェンジ時にLにも設定拡大されることになります。

初代はバンとワゴンでバックパネルを作り分けていましたが、この世代以降は共通化。ただ、バックゲート内のテールランプとガーニッシュの形状を作り分けることで差別化が図られています。





左頁には、サスペンションの紹介。
この代から、リヤサスにはコイルスプリングが採用されています。
クラウン、カリーナ・セリカに続いての採用ですが、当時はまだまだリーフ式が主流の時代には先進的な設定でした。ライバル車だった日産ローレルも、初代の全車独立懸架から、2代目ではセダンのみリーフ式に後退していたのです。

右頁には、主に安全に関する装備群を紹介。
シートベルトは、まだ腰ベルトと肩ベルトが分離式でした。自動巻取り機構も腰ベルトのみ。

ガソリンタンクの位置は、トランク下から追突を考慮した後席後ろに変更されています。このことにより、長く続いたナンバープレート裏の給油口は姿を消しています。
半ば余談ですが、90マークII系のタンク位置を初めて見た時に、この世代を思い出しましたね。

防眩ミラーの切替は、クラウンの左右切替から、今でも主流の前後切替に変更されています。





左頁には、前頁から続いて装備の紹介。
多眼メーターに照明スイッチと、夜間は当時としては煌びやかでした。
家にあったクルマは、カーステレオとカーエアコンが購入時から装着されていました。後者は吹き出し口がセンターになっただけで、まだクーラー機能のみでしたが、付いていただけでも、自慢できた装備の一つでした。

右頁にはエンジンラインナップが紹介されています。
Lは、左上のM型を採用。下の4気筒と比べると、長さの違いはお解りになるかと。
110馬力とパワーは控えめですが、6気筒による静粛性は特筆モノでした。
信号待ちでは自車ではなく隣の車のエンジン音が聞こえる、エンジンが止まっていると思ってセルを再度廻した、なんていうのが何回もありましたね。





グレード別の3面画像です。
前期のホイールサイズは、Lのみ14インチで他は13インチ。後期ではGL・GSLも14インチに拡大されています。





左半分は、グレード別の内装画像。
前期のみサイドブレーキはステッキ式。中期以降はセンターレバー式に改良されます。

右半分は、ミッションとボディカラーの一覧。
初代に在った2速ATは廃止されています。
5速MTは、この後追加されるLツインキャブに設定されますが、まだまだ4速が主流でした。4速では、100km/hで4000回転ですから、静粛性と燃費で大分損をしていましたね。





装備一覧です。
この時期からワイドバリエーション化に伴うグレード間の設定差異が発生しています。





諸元表です。
当時は大きいように感じましたが、カローラ・アクシオより小さいボディサイズとなります。1100kg前後の車重に排ガス対策前の2000ccですから、走りが良かったのも納得なのです。
タイヤは、まだまだバイアスのみの設定。(ラジアルはGSSのみ)

下の2面図を見ると、ホイールベースを延ばさずに長い6気筒を積むため、フロントオーバーハングが延長されているのが解ると思います。
後席の頭上高が苦しいのも、見て取れますね。





神奈川県の新車価格。
オイルショック前なので、新車価格がまだまだ安かった頃です。
現在価値の1/4倍程度? → その後の確認により、国家公務員の初任給換算で、3.8倍すると現在価値に近くなることが判明。



(概要データ)
 型式:MX10-KN
 外装色:ミッドナイトブルーメタリック、内装色:ブルー
 登録年月:1973年(昭和48年)4月
 購入年月:1976年(昭和51年)6月
 譲渡年月:1982年(昭和57年)2月
 廃車年月:1982年(昭和57年)8月
 純正装備:フォグランプ、フロントサイドバイザー、リヤマッドガード、前後コーナーポール、ドアエッジモール、ハーフカバー、ラジアルタイヤ
追加装備:マフラーカッター、カセットステレオ、間欠ワイパー、セミトラ→フルトラ化

来た車、中古車とはいえ、当時まだ珍しい、エアコン・ステレオ・パワステ装備ですから、「ちょっと(?)誇らしく」の具現化的存在。それでも足らず、今回も”走るアクセサリーカタログ”を作成(笑)。

エピソードを幾つか
○最低地上高は175mmとありますが、リヤマフラーの太鼓は時々ガリガリと。購入前から若干車高が下げられていた(?)疑惑あり。

○純正マッドガードは長過ぎて、車止めに引っかけること多数(どこかで聞いたような話)。下側を一部切ることで対処しています。これもまた車高疑惑に結びつく話ですね。

○購入当初は、低速時に時折エンストしたりと調子が今一つでしたが、ポイント式→セミトラ化→フルトラ化と手を入れることにより、調子は復活。未対策は50・51年規制車はもちろん、53年当初規制車よりも走りは優秀でした。

○一方で6気筒キャブに4速では8km/l弱がやっと。購入時は100円前後だったガソリン価格も、第2次オイルショック発生時は、160円前後(今の貨幣価値では300円?)まで価格上昇しましたから、厳しいものがあったようです。

○前述のとおり、ディーラー車でしたが、補習箇所が複数あり、程度は今一つ。曇りの日の車選びは避けるべきという教訓を得ました。

○後年は、当て逃げされたバンパーや止まった時計の補修に解体車を活用。

○父は2代目マークIIを好きだったようで、途中後期LG・5速への乗換えを意図しますが、母の猛反対により頓挫します。


購入当初は高級車風情も、進歩の著しい当時では、晩年は陳腐化。塗装の劣化が早かったこともあって、6年弱で次車への乗換えとなります。

譲渡先は前車同様、母方の叔父。譲渡後半年で、叔父の友人の手により、4速6000回転の超高速連続走行(同行車がオイルモレに気付いて知らせようとしたが、追いつけなかったという証言あり)の結果、郡山でエンジンブロー。現地で廃車となります。
(第一報を聞いたのは、新登場したマークIIツインカム24&長嶋茂雄氏の新聞広告第一弾を眺めていた時だった、というのが忘れられない思い出)

色といい乗り方といい、今思い返しても、私の基礎構築はどう考えても、この車に辿り着きますね(笑)。不人気車故、イベント等でもなかなか見かけませんが、数年前に同型のATがヤフオクに出ていた際は、つい画面に見入った次第。

※思い入れが大きい故の長文、ご容赦くださいませ。
ブログ一覧 | カタログ話(身近にあったクルマ編) | クルマ
Posted at 2013/12/01 09:37:10

イイね!0件



今、あなたにおすすめ

ブログ人気記事

田植え6日目 キジ 草の処理
urutora368さん

ストームグラス
ヒデノリさん

GW前に車内快適化!話題のデッドニ ...
VELENOさん

志賀草津雪壁ツアー2025 DAY1
福田屋さん

蓮ダム🦫
けんこまstiさん

試合を応援した後•••
shinD5さん

この記事へのコメント

2013年12月1日 11:09
siro さん おはようございます~~。

今回も詳報、ありがとうございます。記録性の高い貴重な記事だと思いますので、長文は全然アリではないでしょうか。

とりあえずさっと見せて頂いての感想三点です:

セールスさんとの長い付き合い、すごいです!
マークIIのワゴンって昔からあったのですね。不勉強でクオリスやブリットしか知りませんでした。
本体価格にびっくりです!額面ではいまの軽自動車並みですね。
コメントへの返答
2013年12月1日 20:20
thorn1213さん、こんばんは~

どうしても思い入れが文の長さに比例してしまいます(笑)。

セールス氏とは、退職されるまで付き合いが続きました。計6台の購入です。
ワゴンは、バンとの差別化に苦労しつつ、初代から途絶えることなく続きましたね。
当時の価格は、クラウンの上級でも130万円弱ですからね。一方で軽の最安値は30万円強と意外に高かったりします。
2013年12月1日 13:06
解説内容が私には濃すぎです~ (*_*)
貴重な資料をお持ちなんですね。
私は自分で買った車のカタログは最初の1台を除いて持っています。
見返すと当時のワクワク感が蘇りますね。
コメントへの返答
2013年12月1日 20:28
コメント、ありがとうございます。

末端ブログの気楽さで、趣味全開です(笑)。
資料ですが、ここまでは後年に買い求めたものです。カタログは、実車よりはるかにお手軽なので、つい集めてしまいます。
世情を反映した物が多いので、当時を思い返せるタイムマシンだと私も思います。
2013年12月1日 22:53
parl-siroさん、こんばんわ~。

この頃、ウチはライバル車(?)の
ブルーバード810でした。
やはり、直4と直6がありましたが、
直6はロングノーズでしたね。
(ウチのはL20型の直6でした)
排ガス規制でパワーはありませんでしたが、
6発ならではのスムースネスさはありました。

今では3Lクラスを買わないと6発にならないので
残念ですね~。

次回も期待しております。
コメントへの返答
2013年12月2日 6:19
famasさん、おはようございます

ブルーバード810の直6というと、G6と名付けられた最後のFR6気筒シリーズですね。この車も、スカイライン同様、長いノーズが格好良いんですよね。L20エンジンは独特のいい音がしていました。

6気筒、効率重視の時代だと難しいのでしょうね。出てもV8の置き換え用途かもしれませんね。

次回は6年新しくなります(笑)。
2013年12月1日 23:21
こんばんは
マークⅡカッコイイですね。
2Lで6気筒って当時は流行ってたんですよね?

「4気筒より6気筒が偉い!」

この辺の感覚は私も今でもひきづってますね。

「6気筒より8気筒が凄い」「スーパーカーなら12気筒なきゃいかんだろう」
時代はダウンサイジング。

この先、6気筒すら事、ヨーロッパ車に拘るなら乗るチャンスなくなるのでは?

マークⅡはやっぱり出た当初からやはり高級車の位置づけだったんですね。
市場ではスカイラインのライバルといった位置付けだったんでしょうか?

デザインはこちらの方が洗練されてるっていう印象ですが。

コメントへの返答
2013年12月2日 6:34
大叔さん、おはようございます。

6気筒2000ccの流行は当時のスカイライン人気の影響が大きいです。ライバル社のマークIIだけでなく、身内のブルーバードも急遽追加したくらいですからね。
両者共、スカイラインのスポーティに対して豪華さで競おうとしたのですが、なかなかコンセプトが定まらずで敵いませんでした。本格的に対抗できるようになったのは、ずっと後の初代クレスタ辺りになります。

昔は、1気筒あたり500cc以上はスムーズに回らないとか言われていて、事実この境で、気筒数を増やしていたのですが、技術の進歩により750ccくらいは可能になっています。
多気筒の音や振動は、独特のいいものがありますが、燃費、コスト等、時代が求める効率重視では生き辛いでしょうね。
12気筒ともなると、その内戦前の16気筒と同じ扱いになるかもしれませんね。
2013年12月6日 20:21
こんばんは

営業マンとの繋がりも大事ですね

一時的にこちらの都合で離れましたが
また戻り購入してます

彼が新人の時からの付き合いで
今は新しい営業所を任されるまでなってます

彼から購入する時は、電話いれて契約書
作るように言ってハンコ押してます

信頼関係で、社外⚫️資料も見せてくれます

良い営業と知り合ったと思ってます
コメントへの返答
2013年12月6日 20:50
ネオチンさん、こんばんは

営業マンと良い関係を保っておくと、いざ購入の際には、話が早くて助かりますね。
父は自分で買うだけではなく、友人の紹介を入れることで、縁を繋いでいました。

自分自身は、整備や部品交換が主体のため、サービスフロントとの繋がりを持ちたいのですが、こちらは店舗間異動や退職が多くて、なかなか難しいですね。
2017年9月4日 21:21
こんばんは。

マークIILの思い出、わたくしにとってのU14と重なります。わたくしの基本的なクルマの嗜好(クルマは角ばったセダンとか、ダークグレーは黒っぽい色であるべき)がU14で作り上げられたように、parl-siroさんの嗜好を作り上げたクルマがマークIILだったのだなぁと感じました(笑)

しかし、最期は壮絶でしたね・・・・。わたくしだったら、2〜3日寝込んでしまうかもしれません。寝込まなくても思い出す度に涙を流してしまう(U14やFB14の事を思い出すと、いつもそうなります)感じになりそうです。
コメントへの返答
2017年9月4日 22:02
こんばんは

物心付き始めた時期のイイ思い出というのは、嗜好に大きな影響を与えますね(笑)。そんな系譜も名前が変わった挙句にその末裔も消えてしまいそうな状態というのは誠に残念であります。

先月でちょうど35年経過でした。2代目は急速に数を減らしていた時期でしたし、3代目に代替した後の出来事ということで、私自身は、特に当時は意外と冷静だった気がします。父の方が思い入れはあったかと思います。長いカーライフの中でもインパクトのあった出来事ではありまして、今でも思い出話として時折話題になったりします。

プロフィール

「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/4 >>

  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   

リンク・クリップ

1989年式マークII3.0グランデG感想文 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/08/05 19:34:14

愛車一覧

メルセデス・ベンツ Cクラス セダン メルセデス・ベンツ Cクラス セダン
2013年9月14日納車 アドバンストライトパッケージ ボディカラー:988 ダイヤモン ...
トヨタ マークII トヨタ マークII
1995年12月登録(同型最終年月) 2001年6月購入 2013年9月譲渡 ボディカ ...
トヨタ マークII トヨタ マークII
1992年6月購入 2009年3月一時抹消 2009年6月永久抹消 ボディカラー:18 ...
トヨタ クレスタ トヨタ クレスタ
1991年7月登録 2000年11月購入 2001年6月譲渡 ボディカラー:27N パ ...
ヘルプ利用規約サイトマップ

あなたの愛車、今いくら?

複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!

あなたの愛車、今いくら?
メーカー
モデル
年式
走行距離(km)
© LY Corporation