今回は2代目ソアラを取り上げることにします。
お気付きの方もいるかもしれませんが、登場したのは今からちょうど30年前となる、1986年(昭和61年)1月21日です。そういえば、2代目ソアラの登場って1月だったよなと少し前に思い出して、発表日を確認したら、当時のことまでいろいろ思い出した次第です。
今回は、カタログを紹介する前に、先ずは私的思い出話にお付き合いくださいませ。
ソアラは、やっぱり初代の登場がものすごく衝撃的だったんです。
2.8LのDOHCを積んだ2ドアクーペって、長い悪夢だった排ガス規制をようやく乗り越えようかという時代にはセンセーショナルな存在でした。
私も登場直後から憧れた一人なのですが、トヨタにしては珍しく、モデルイヤー的に毎年手が入って、それが効果的な改良でありましたから、その憧れは末期まで色褪せなかった感が強かったです。
そのクルマが、初のモデルチェンジを行う。
とても期待しましたし、その一方でどうなるのだろうという不安が少しあったりもして。
当時ですから、今みたいに即日で詳細情報を知ることはもちろんできず、翌22日の新聞に発表の情報が小さく掲載されたものの、詳細は26日発売の自動車雑誌を待つしかありませんでした。
当時のカレンダーを見返して思い出したのですが、26日は日曜日ですから、土曜日となる25日に自動車雑誌(CAR and DRIVER誌)を買っています。その翌日に同級生3人で、今はアムラックスを経てヴィクトリアになった場所にかつてあった、東京トヨペットの池袋営業所にカタログを貰いに出かけています。ディーラーの選定はもちろん私。今にして思えば、まぁ生意気なんですけれど、3人寄れば勇気も出ますね(笑)
日曜日午前中の営業所内は、他にお客さんもいなくて、割と自由だったことを覚えています。展示車は最上級の3.0GTリミテッドがあったのかな。もちろん本カタログは店頭に置いていなくて、代わりに貰ったのがこのパンフレットです。当時は、ソアラのカタログは容易に入手できないと思っていたものですから、これでも十分満足していました。
思い返すたびに、いろいろ思い出すのですが、さすがに思い出話だけで引っ張るのは難しいので、いつものように月刊自家用車誌の車種別総合研究から、当時の主査である岡田稔弘氏の発言部分を引用しつつでパンフレットの紹介に入っていきます。
岡田氏は、主査としては珍しいデザイナー出身の方で、初代と2代目をまとめられた後、3代目の開発途中までその任にありました。
現在もお元気なようで、各所での講演等もされているようですね。
もう最初の見開きだけで、感動的でした。
後の雑誌での紹介等からすると、登場前後は不明ながら、欧州に持ち込んで撮影をしたようです。国内の著名なジャーナリストは、現地でソアラの高性能を満喫し、記事にしていましたね。
ここで、岡田主査が語る2代目ソアラの狙いを引用してみます。
やっぱり彼らが得意とする分野で追い越そうというのが掲げた目標ですから、得意としてないところは旧型ソアラでも凌駕していたところはあると思うんですよね。だけど得意とするところっていうのは、非常に難しいあれですけれど、足回り、直進性、ハンドリング、操縦性、それからもう一つ大事なのは車両全体が持っているリジリティっていうかソリッド感ですね。ガチッとした感じ。こういうやつがやっぱり離されていたわけですね。そういう点を凌駕しようというのが目標だった(後略)
日本ですと100キロでは走れるわけですけど、100キロで走ってもストレスがあるクルマ、ないクルマ。ないにしても、程度、具合っていろいろありますけれど、そういう点の、まっすぐ走る上の安心感ですね。障害物が出たらブレーキを踏めばいい、レーンチェンジするときはハンドルを切ればいいという、そういう感じが欧州の高性能車は非常に優れているわけですね。そういうところをやはり追いつかないかんなあと。
初代ソアラは、それまでの国産車からすれば高性能車だったのですが、それでも欧州の高性能車には追いついていないという認識があったようです。今度は、それに追いつき・追い越すという目標が掲げられています。
初代・2代目のソアラは輸出されませんでしたから、国内の道路環境からすれば、それはオーバークオリティと言えないこともないのです。それでもその領域に挑むというのは、トヨタの技術的シンボルであったということも意味しています。
最上級の3.0GTリミテッドが見開きで掲載されています。
初見では、あまり変わっていない印象だったのです。その要因は、キャビン部がフラッシュサーフェス化こそされたものの、デザインを変えることをしなかったからですね。実際は、先代比で全体的に低くなっていますし、ウエストラインから下の部分は面構成を大幅に変えてもいます。
先代と並べてみると、違いはより明確になる構図です。
ユーザー調査では「変えてくれるな」という意見だけが集まってしまい、その一方でキープコンセプトでは必ず失敗するというジンクスに挟まれて、デザイナーは相当悩んだようです。
詳細は後述するとして、その答えがこのスタイリングだったのですが、結果は大成功となりました。このことから、130クラウン・81マークIIを代表とするこの時期のモデルチェンジでは、同様の変え方が度々踏襲されることとなります。
一点、気になったのは些細なことですが、GTリミテッド専用色の「クリスタルホワイトトーニング」の名称。お分かりのとおり、日産がトヨタのスーパーホワイトに対抗して作ったのが、クリスタルホワイトでしたね。
3.0GTリミテッドのインテリアです。
スタイリング以上に大きく変わったなと思ったのが、インテリアでした。
軽く取り上げるだけでも、虚像表示のスペースビジョンメーター、センターコンソールに移されたマルチビジョン、エアコン&ステレオ兼用のマルチコントロールパネル、グランベールインテリアetcと実に盛り沢山でした。
それらを包むインパネもデザインが洗練された感が強いですね。
インテリアカラーもマルーンからベージュとなって、先述のクラウン・マークIIで見られたインテリアカラーの変更を、一足先に行っています。
スタイリングやボディの解説です。
私見は先に書いたので、ここでは岡田主査の話を引用してみます。
デザイナー出身の方らしく、スタイリングの話は力が入っていますね。
(みんなが気になるのはスタイリングだと思うと問われて)そうですね。あれは初代よりもやはり難しかったですよ(笑)
イメージを意図的に残そうなんていうふうには思ってなかったんですよ。エンジンも足回りも全部違っちゃってまるっきり新しいクルマなんだから、無理してイメージを残す必要もない。初代は評判がいいからそれを残さないかんと思っていなかったんですけれど、ただ、ソアラのスタイルの中で大事なことは、走りのほうも同じですけれど、丸いとか四角い、好き嫌い以前に、質の高いデザインと質の悪いデザインがあるわけです。そういう観点でいくと、一番質感の高いデザインにしようということがあって、それで新しさがあるという、この二つが一番重要なポイントで、あとは丸くても四角てもいい。イメージが似てるとか似てないかというのも、第二義的に考えてました。
特にフロントビューなんか見ますと、絞りや何かがものすごく違うんですよね。旧ソアラもあの時代ではフロントの絞りは随分やったつもりなんですけれど、セダンみたいなピン角に見えるんですよね。
そういうあれでいきますと、ナウい感じは相当出ているから、何とかそういう点、新しいソアラを買っていただくお客さんには説得力ある形になっているんじゃないかなと思うと同時に、12万人強、13万人ぐらい旧型のソアラユーザーがいるわけです。そういう人たちにしたって、何か裏切ったようなことにならないんじゃないかなと思います。
もう一つは、例えば旧型のリヤクォーターだとかバンパー下の処理が、やっぱりやり残してるところがあるんですよね。サイドビューで決めた線とリヤビューで決めた線が、何となくつじつまを合わせるためにやったような処理がリヤクォーターやバンパーの下に残っていますけど、今度はそういう割り切れないというか、正数でスパッと割り切れないようなスタイルはもうやめようということを話していて、かなり末端に至るまで、そういう点では全体のフォルムの割り切りのよさというのを突っ込んだんです。
2代目ソアラのスタイリングを作りこむにあたっては、主査がエースだと思うデザイナーに任されたようです。この手のクルマは、経験を重ねて美的感覚が磨かれた手練れが手掛けてこそ、という思いがあったようですね。そのデザイナーと岡田主査がディスカッションを行う際は、デザイナーの共通言語が理解されやすかったなんてエピソードもあるようです。
製品化されたデザインは、年月を経た今でも、時代を超えて美しいと思います。十分なサイズの2ドアクーペですから、元からプロポーションは恵まれているのですが、そこにディテール部の磨き込みが加わることで、更なる美しさを作り上げていますね。
これは個人的主観に過ぎませんが、岡田主査が言われている「質の高い・質の悪い」の差は、年月の風化に耐えられるかで現れるのではないでしょうか。ソアラ的手法の多いこの年代は、長いトヨタ車の歴史の中でも、好きなスタイルの多い年代でもあります。
ちなみに、この見開きでは”ソリッド・パフォーマー”という言葉が何度か使われています。この言葉、岡田主査自らのお言葉だったりするのですが、その話は後ろに送ります。
ここでは、エンジンやシャーシ等メカニズムの紹介がされています。
パンフレットということもあって、ここでは新開発の7M-GTEUが主に紹介されています。7M-GTEUは、先代の6M-GEUをベースに4バルブ化してターボを装着したエンジンでした。
ここではトヨタ2000GTから連なる、M型の系譜が強調されていますが、実は岡田主査は違う構想をお持ちだったようです。以下、引用してみます。
M型というエンジン型式をやめようと本気に思ったんですよ。同じもの、もうないんですものね。ヘッドはもちろん違うし、ブロックだって、いろいろなところを補給をしたりやるにしても、ほとんどみんな手を入れて変わっておりますから、7Mじゃなくて違う何かがないかというのをほんとに探しました。あんまりないんですよ。うちの手持ちの、今まで付けてきたA型から始まりましてR型まであって、今はOとかIとかっていうのはゼロに見えちゃうから使えないんですけれども、あと残っているのがほんとに少なかったんです。Pも使っておりましてね、昔のP型ってありますね。
Q・・・・。Qだったらイメージがよくないでしょう? まあ7Mという名前にしましたけれど、新エンジンですね。
7MはターボとNAの2本立てで、80年代後半のトヨタ3000を支えますが、結局90年代初頭には、新開発2JZに道を譲ることとなります。
2代目ソアラの目玉の一つに、足回りの一新にありました。
この辺りも、主査のお話を引用してしまうことにします。
4輪のウィッシュボーンにしようというのは、まずは4駆じゃなくて後2輪駆動だというのを最初に決めたんです。その次に、今までストラット、セミトレというクルマでずーっとやってきまして、先行開発でも、いろいろな違うサスペンションの中でウィッシュボーンにしようというのはかなり早く決めました。決めてからいろいろなことをやりました。
ねらいのようなもの、例えば、今はやりのトーコントロールにしましても、キャンバー変化にしましても、付加的なものを付けないで全部やれるのは今のところダブルウィッシュボーンしかありませんからね。これは搭載上のスペースの問題だとか、現実にジオトメリーの設計みたいなものは、今、シャーシ設計のCADってものすごく持っておりまして、こういうねらい目なら理想的なジオトメリーはこうだっていうのが簡単に出てくるんですよ。(中略)ところが、それでつくって本当にねらい通りのクルマになるかっていうと、やっぱりならないんですね(笑)。そこがいいとこでしてね。
やっぱりウィッシュボーンで長所はいろいろありまして、ねらい目のアライメント変化が取れるというのがあるんですが、欠点は、要するに回転、摺動する部位がいっぱい増えるわけですよ。だから摩擦があるんですね。摩擦が強いと、せっかくの乗り心地や何かがかえって阻害されちゃう。それがボールなもんですから、そこらへんの動きを非常にスムーズにする。ですから、これ、目に見えないところにものすごくカネかかっているんです(笑)
この時代に導入されたCAD等が、設計において大きな貢献を果たしていたことは、同時期の他車でも語られている話です。CADの算出結果が、必ずしもねらい通りにならないというのは、興味深いですね。
さすがに解析技術の進化した現代では、当時とは様相が異なるのでしょうが。
4輪ダブルウィッシュボーンは、この後90年代のトヨタFR車の主流となります。
デジタルメーターの特性を生かした虚像表示は、今でも存在する技術ですが、当時はソアラが世界初で採用した装備でした。
初物だけにインタビューも興味深いやり取りとなっていますので、同じく引用します。
(メーターを見てて、ウィンカーをつけた瞬間見落としてしまうと言われて)ウィンカーは虚像じゃないんですよ。あれは実像を見ておりまして、あれは透過照明なんですね。タコメーターとスピードメーターが虚像を見てるんです。鏡に映っている像を見ているんですから。だからああいう、ちょっと奥行きの差があるんです。これを採用するときに、実際、いろいろなパネルを使いまして、見やすさの評価をいろいろな角度からやりましたけれど、表面に付けた旧型ソアラとの比較で、データはこちらのほうが必ず有利に出ました。いろいろな女性、それから中高年とやりましてね。
この後、デュアルビジョン等の技術の展開もありましたが、源流はこことなります。慣れてしまえば、視点移動が少なくて済む、有益な装備でした。
マルチビジョンは、データ読込ができるようになりましたが、その方式はカセットが採用されています。既にフロッピーやCDが登場していましたので、カセットの採用はデータ量や読込時間の観点から各誌の指摘がありました。主査的にも、問題は認識していて、精一杯速くした、実用上はこれで十分と回答されています。おそらくコストと信頼性を取ったというのが推測です。翌年の130クラウンでは、CD-ROMに進化することとなります。
左頁では、各グレードが紹介されています。
ここでは個別紹介はせずに、当時の東京地区の車両本体価格を掲載します。
・3.0GTリミテッド (エアサス仕様): 4,835千円(ATのみ)
・3.0GTリミテッド : 4,479千円(ATのみ)
・3.0GT : 3,711千円(ATのみ)
・2.0GTツインターボ : 3,206千円 / 3,320千円
・2.0GT : 2,922千円 / 3,036千円
・2.0VX : 2,611千円 / 2,705千円
・2.0VZ : 2,325千円 / 2,419千円
ちなみに先代の価格は、
・3.0GTリミテッド (EMV装着車): 3,984千円(ATのみ)
・3.0GTリミテッド : 3,669千円 / 3,784千円
・3.0GT : 2,967千円 / 3,082千円
・2.0GT : 2,735千円 / 2,849千円
・2.0ターボ : 2,508千円(ATのみ)
・2.0VX : 2,403千円 / 2,497千円
・2.0VR : 2,094千円 / 2,188千円
・2.0VII : 1,960千円 / 2,009千円
以上、月刊自家用車誌より引用
最上級のGTリミテッドは仕様の大幅充実もあって800千円強の値上げ、中間の2.0GTでも200千円近い値上げでした。明確に一クラス上がった価格でしたね。
でも、それは、いいクルマを作ろうという意気込みがあったからこそと言えます。
岡田主査の締めのお言葉は、以下の通りです。
全体のクルマの質感みたいなのは、いろいろな宣伝をするときにカタログをつくったり何とかあれするんですけど、私はソリッド・パフォーマーだよというのを言ったんですけど、なかなか使ってもらえなかったんです。こんなところまで、これまでやったかという、他社さんが付き合いきれないクルマにしたいという。
(中略)そういうクルマが欧州車や何かにいろいろあるんですね。もう付き合いきれんなというところが現実にいろいろな面であって、その付き合いきれないというのはどういう部分かというと、やはり販価に転嫁できないような、もしくは地味で目立たないような、そういうところに凝ったりおカネを投資をするというところですね。ものがガシャガシャいっぱい付いてっていうようなことじゃなくて。
普通は開発コストもかけられないようなところにおカネをかけることが付き合いきれないという、そういうクルマにしたいと思っていましてね。
ソアラは登場時点から、従来のクラスをちょっと超えたところにありました。そのクルマが成功したことで、いいクルマなら少々高くても買ってもらえる自信がついたのでしょうね。
このクルマは高級車ですから、価格を裏付けるものがあるのであれば、こうした戦略も大いにアリだと思います。それがまた、憧れの源でもありましたし。
最後は頁を入れ替えて、主要装備一覧と諸元表を少し大きめで掲載します。
おまけ話的に、主査が語る面白いエピソードを引用してみます。
ぼくは9年間、ソアラのことばっかり考えていて、ソアラのことは日本で一番・・・。そら、考えてはいますけれど、じゃ、一番知っているかというと、必ずしもそうじゃないんですね。
3年ぐらい前に埼玉トヨタに行ったときに聞いた話なんですけれど、そこの車両部長の人が、「この間、ソアラを1台売ったんだけれど、なぜソアラを買ったのかと聞いたら、こんなことを言ってましたよ」ということで話してもらったんです。そのお客さんは、国産車の中でソアラのドアの膨らみが一番ぜいたくにふくらんでいて、たたいても底突きしない、それが気に入ったから買ったと。ソアラの購買動機なんです。
この話、実際に主査が通勤の時にリズムを取りながら叩いてみたら、ソアラが一番いい音がした。そこで、内装の設計屋さんに、
断面の膨らみを旧型より落としちゃいかん、底突きするようなパッドの入れ方はいかん、という指定をしたという締めとなります。
狙った結果ではないのですが、理解あるユーザーさんが育てていたというエピソードですね。
ということで、最後にまとめです。
2代目ソアラが出た時、先述の通り、まだ免許も持たない子供ながらもディーラーさんを訪ねてしまうぐらい憧れはしたものの、現実感は全くありませんでした。自分が免許を取れる年齢になったころには、4ドアに目移りしていたこともあって、結局憧れのまま、縁がつながらずで終わっています。
もう一つ、これだけ進化したソアラも、初代セルシオ等、末期にはプレステージの面で凌駕する存在が現れるようになったのは、時代の進化が速かったことを意味していると理解しています。初代・2代目共に約5年のモデルライフでしたが、周辺車種の進化は明らかに後者の5年間の方が大きかったですね。
もっとも、だからこそ、今振り返ると、国内専売の5ナンバーサイズで最高級パーソナルクーペを目指した2代目までのソアラがとても貴重な存在に思えます。新時代のパーソナルクーペとして輸出との両立を目指した3代目や4代目の存在も尊重しているのですが、やはりソアラは初代と2代目に票を投じたくなるのです。
そこには、理知的な主査の多いトヨタには珍しい、どちらかというと情熱型の岡田主査の存在があって、それを支える老若男女のユーザーがあって、国内専売で採算が成立した時代があってという、ある種とても幸運な巡りあわせがあったからこそ独自の輝きを放っていたという更なる思いがあります。
そして、個人的にはその輝きを一番多感的な年代で受け取ってもいます。私のクルマ好きの構成要素の一部にソアラは間違いなく存在しているのです。
いつものようにダラダラと取り留めもなく書いてみましたが、珍しく登場日に合わせた思いを汲んでいただけると、幸甚に存じます。