
初代から三代まで歴代マークIIが続きましたが、この後81まで、しばらくの間マークIIとは離れます。
前回紹介したマークII購入後、半年もしないうちに転居することとなり、通勤に車が必要となることが決定。さすがに6気等2000ccでは燃料代含めてもったいないだろうということで、足車を増車することとなります。
初代MAX放出後も、父の友人との関係が続いていた、同セールスに「お安いのない?」とお願いしたら、出てきたのが今回紹介する車。
某信金上がりの4年落ち、走行3万キロでお値段は6万円也。この価格は当時としても破格の安さでしたが、夜間駐車中に酔っ払いが屋根に上がったとかで屋根に無数の凹みがあったのがその理由。それでも業販価格同等だったと思います。
それでは、カタログを紹介。
オイルショック後の低迷と排ガス規制を考慮して、軽自動車の規格が変わり、ダイハツは、それまでのフェローMAXをベースに新規格へ対応。その際、名称をMAXクオーレに変更しています。
今回はMAXクオーレ初登場時、1977年(昭和52年)6月のカタログから。
2015/4/26 画像を全て更新すると共に一部追加をしました。
画像は上から2番目の4ドアハイカスタム。
550ccエンジンは暫定的にフェローMAXの360ccボディに先行搭載されましたが、この時に車幅も1295mmから規格一杯の1395mmに100mm拡幅。最大の売りにしています。
ただし横方向は広がっても、苦しい台所事情が反映されていて、前後方向は基本的に360cc時代のままで、前後バンパーの拡張のみに留まります。
これは、第2次軽自動車ブームの前夜では仕方なく、ライバル車も同様の対応でした。(昭和54年登場の初代アルト&FFフロンテが新規格軽自動車を前提とした設計の始まり。)
同じく、4ドアハイカスタムの室内等画像。
拡幅された100mmの使い道は、シート間で50mm、シート自体の拡幅が各20mmとなります。
このスタイルですが、ハッチバックではなくトランク付。ハッチバックに比べて、遮音性やボディ剛性等は有利ですが、元が元ですから、あまり効果は感じられませんでした。内部はそれなりのスペースがあるのに、開口部が狭すぎて、物を載せるには一苦労。
余談ですが、後年の2代目オプティを見て、この車を思い出しました。
メカニズム等の解説です。
この頁の中で新規開発されたのは、大型バンパーくらいで、基本メカニズムは拡幅前と同様となります。さらにエンジン以外は(その1)で紹介したフェローMAXを端緒とする360cc時代のまま。
4ドアハイカスタムと2ドアカスタムの外観画像。
2ドアの外観は、(その1)のフェローMAXと印象が大分異なりますが、これは4ドア登場後の1973年(昭和48年)にフロントドア以降のスタイルを4ドアに準じたものに改めたため。フロントガラスから前もこの時に変更されていますが、フロントドアだけは(その1)と共通部品になります。
トヨタが流行を作ったエクストラインテリアにダイハツも軽自動車で追随しています。
カーペットを組み込んだフルドアトリム、フルニットシート、ウレタン3本ステアリングが主な内容となります。さすがに、トヨタのエクストラ専用色、エクストラカッパーは設定されず、チアフルレッドが専用色設定となります。
自動車評論的には、軽自動車に必要かという否定的見解が主流でしたが、意外と市場では好評だったようです。

左側は、4ドアハイカスタムと2ドアカスタムの室内画像です。
インパネも苦しい台所事情から、73年に変更されたものをベースに両サイドにエアベンチレーターを追加して幅を調整しています。その他は極力同じ部品を使い続けることでコスト低減に努めています。
真ん中には、装備群が紹介されています。
小型車ではエアコンの装着率が上がり始めた頃ですが、こちらはまだ助手席足元に吊り下げるカークーラーの設定のみ。クーラー未装着状態の動力性能から推察すると、使用時の動力性能はかなり厳しかったと思われます。
右側は、装備一覧。
新車時の価格は、最上級のハイカスタムEXが697千円で、最下級のスタンダードが547千円(どちらも東京地区価格)ですから、わずか15万円の価格帯にこれだけのグレードが設定されていました。そもそもの装備が選ぶところはあまりなかったのに、EX仕様の追加がさらに複雑化させていたように思いますね。
このあとの1979年(昭和54年)の改良の際はグレードが整理されることになります。

左側は、グレード紹介画像です。
4ドアは、画像の3グレードの他に、両カスタムにEXがあって、全5グレードの構成となります。
2ドアは、カスタムの上級”カスタムEX”を含めて3グレードの構成でした。
右側は、主要諸元表です。
車重は550kg前後ですから、現在のミラより200kg前後は軽量でした。
メカニズムも最低限の仕様ですが、唯一セミトレのリヤサスは現在よりも凝った作りですね。ただし同時期のバンは重量物積載を考慮して板バネが選択されていました。
オーナー特権で、”スタンダード”の画像を抽出してみます。
スタンダードのシンプルさをご理解いただけるかと。外装はモールの類は皆無でした。内装も最小限のトリムのみで、細部は鉄板むき出し。
(概要データ)
型式:C-L40-DKR
グレード:2ドアスタンダード
外装色:ホワイトブロッサム、内装色:ライトブラウン(どちらも新車時から選択肢無)
登録年月:1978年(昭和53年)10月、購入年月:1982年(昭和57年)6月
譲渡年月:1983年(昭和58年)12月、廃車年月:1985年(昭和60年)
純正注文装備:カーラジオ、シガーライター
信金上がりらしい追加装備ですが、他は最低グレードであるスタンダードなので、装備はシンプルの極み。いくつか例をあげると・・・
・ワイパーはオン・オフのみで、速度変えられず
・室内灯はオン・オフのみで、ドア連動無
・助手席ドア鍵穴無
・ノンリクライニングシート(ロックを外すと前後フリーに動かせる)
・当然ビニールシートにビニールマット
これらはダイハツ製だからということではなくて、当時のライバル車も大同小異でした。同時期のスバルレックスでは、さらに助手席ノンスライド、ウォッシャーはポンプ式というシンプルさだったりしますし。
それでも当時の50ccスクーターより安いこの価格で、雨風しのげて4人が移動できるのですから、文句は言えません。ミニサイズですから、農道を舗装しただけのような細道でも困りませんし、多少の傷も全く気にせずにいられる結構便利な存在でした。
もっとも、550ccといえども、過渡期の51年規制と相まって、動力性能は下道ですらギリギリの印象で、4人乗ったら多少の坂道でもあえぎつつ上っていました。これで高速道路を使ったことは、一度もありませんでしたが、一般道での印象からして、かなりの度胸と覚悟が必要だったろうと推測されます。
同時期には、初代シャレードにも乗った経験がありますが、こちらはA/C付けて4人乗車でも100km巡航が十分可能。当時は、軽自動車と小型車の間には、実用面における基本性能で越えられない壁が存在していたのです。
そんな経験からすると、現在の軽自動車の進化は、隔世の感があります。もしかすると、30年分の進化をもっとも実感できるのは軽自動車なのかもしれませんね。
前回書いたとおり、2台持ちはもったいないということで、1年半ほどで父の友人に購入時とほぼ同額で引き取られていきます。所有期間中、故障もなかった(そもそも壊れそうな箇所がない)ですから、貯金箱みたいな車でした。
伝え聞いた所によると、事故で廃車となるまで、同じように便利な足として大事にされたようです。