
身近にあったクルマの紹介は一巡したので、新たな展開をしようと思います。
物心付いた時からクルマへの飽くなき興味を抱き続けてくれば、身近にはなくてもイロイロ想い出のあるクルマが存在するのです。
保管庫という名の納戸の奥からから発掘できさえすれば、カタログ画像には困らないので、少しずつでも画像を交えつつで書いてみようかと思い立った次第。
もっとも、これまでのようにカタログ画像をほぼ掲載するのは、解説が大変なので、もう少し簡単な構成にしようと思います。これなら、しばらくは続けられそうな予感あり。
その内、棚から一掴みみたいな感じでもイイかもしれませんね。
で、記念すべき第1回目。
初回くらいは、きちんとした思い出のあるクルマにしようと思います。選択は悩みませんでした。
通称”安全コロナ”と呼ばれる5代目コロナの最上級グレードである2000GT。これのセダンが特に好きでした。というか今でも好きな上位。
登場は1973年ですから40年以上前。新車で売っていた当時を知っているのは、40歳以上確定(笑)。お若い方は、
こちらをご参照くださいませ。
軽く補足すると、
2000GTは、コロナの最上級にあたり唯一のDOHCを搭載していました。エンジン自体は、マークIIGSSやセリカ2000GTに先行して搭載された18R-Gでしたが、トヨタ初の4ドア2000GTとして登場。初代カリーナの2000GTは、最後までHTのみでしたので、当時のトヨタ最速セダンでした。(後年のコロナしか知らない人は意外ですかね?)
トヨタはコロナが登場するまで、HTはセダンより上級の位置づけで、最上位(最速)はHTのみとしてきたため初の試みとなります。これが商売的にも成功したらしく、後年、カリーナ・セリカカムリ、さらにマークII・チェイサーとセダン2000GTが設定拡大されていきます。
今でこそ、DOHCという響きに特別なものはありませんが、当時は特別も特別。トヨタのGTは、最速かつ最上の仕立てだったため、価格もずば抜けて高価でした。1976年当時のお値段は、約140万円。同じコロナの2000GLが100万円強でしたので、かなりお高いエンジン&グレードだったのです。
この価格は、上位モデルの当時の最上級グレードだったマークIILGをも上回っていて、スカイラインGTX-E(これも6気筒を搭載したかなりの上級グレード)とは、ほぼ同じになります。
以前、
初代マークIIの回で父の友人が、安全コロナ2000SLに買い換えたと書いたのですが、実はこの方、その後2年おきに都合3台の安全コロナを購入されています。
1.昭和49年式 セダン2000SL
2.昭和51年式 セダン2000GT
3.昭和53年式 セダン2000GT
年中見られた車ではないのですが、遠くの憧れみたいな存在でしたね。
この世代のコロナ自体は、ベストセラーカーということもあって、街中でよく見かける車でしたが、GTとなると特別。
その後しばらくは、私の中の一番でした。まだ高校生だった時分に自動車図書館へ出かけるきっかけとなったのも、この車の当時の記事を読みたかったからなのです。
際限なくなりそうなので、ここでカタログ画像を紹介。
2015/5/9 画像を全て更新すると共に一部画像を追加しました。
1976年のカタログから排ガス規制導入後の前期。
2のGTはシルバー、さらに東京トヨペットでは、本来オプション扱いの衝撃吸収バンパー・リモコンミラー等を店頭渡し仕様としていたので、この画像そのままでした。
今でも、このセダンのスタイルは、オーソドックスでありながらバランスの取れたいいデザインだと思います。HTは、セダンをベースとしながらも一味加えようとした感があって、セダンほど明確に思えないんですよね。

参考までに、当時の主要装備一覧と主要諸元表を追加してみます。
何となくでも、GTの特別感を感じて貰えればと思います。
1977年のカタログから同年10月に改良後の最終型。
3のGTは、これのシルバーでした。
こうして前期と後期を並べると、この代のマイナーチェンジは170コロナに続く改悪に思えます。最終型限定となるガード付衝撃吸収バンパーは良いと思いますし、セダンのリヤテールはよりスッキリとしたのですが。この頃、複数車種で導入し始めた共通デザインのアルミホイールを、コロナにも設定しています。

同じく最終型の主要装備一覧と主要諸元表です。
GTのスペック自体は、大きくは変わりませんが、GT以外は前期の主要諸元表と比較することで、排ガス規制が最も厳しかった時代への対応が垣間見えるかもしれません。
当時の我が家の車は、
2代目マークIIでした。父の友人が乗っていたのですから、父自身が望めば初代マークIIのように我が家の車庫に収めることもできたのでしょうが、残念ながら”6気筒&PowerSteering”に魅せられていた父は、このクルマへの興味を示すことは全くありませんでした。父が興味を持っていたのは、専ら2代目マークIIの後期LG、あるいは3代目のグランデ。
もしも家にこのクルマが収まっていたなら、私のクルマ趣向ももう少し一般的だったかも?
いや、憧れは憧れのまま、時折助手席に乗れた記憶を大事にするのが良いと思うのです。
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カタログ話(思い出のクルマ編) | クルマ
Posted at
2014/04/24 20:20:16