
思い出のクルマ第12回です。
第4回で、兄弟車の初代カリーナEDをやっているのですが、こちらも想い出があるため、取り上げてみることにします。読まれている方は、両方のカタログを比べてみるのも一興かもしれません。
ご存知のとおり、セリカ&カリーナEDに挟撃される形で不人気車となり、結局一代限りとなってしまったのですが、意外と私は好きなクルマだったりします。
新発売された当初は、もっと人気が出ると予想していたのですがねぇ。。。
事前リサーチとコンセプトは、然程間違えていなかったと思います。
1.比較的好評だった、コロナHTのマーケットを受け継ぐ(※1)
2.その際、セリカクーペと統合。ボディは輸出セリカクーペの手直しとする
3.セリカはヤング向けとし、こちらは若干高い年齢層を狙う(※2)
4.セリカと一体で、(できれば?)プレリュードからのクラス王者奪還(※1)
しかも販売を担うのは、GX71で破竹の戦いを繰り広げていた当時最強の販売網トヨペット店。
(※1)小型車販売台数
・(1984年)セリカ:3,258台、同LB(XXを含む):10,480台、コロナHT:8,009台、カリーナクーペ:5,406台、シルビア&ガゼール:7,266台、同HB:3,429台、プレリュード:43,799台(!)
(※2)5代目セリカのインタビュー記事に以下の記載があります
・比較的欧米的な使われ方であって欲しいという願望が実は常にある。欧米的なというのは白髪の老婦人がセリカを走らせるというのは結構、様になる。そういうような幅広さを併せ持ってほしい。
登場後の経緯は後述するとして、このクルマの新車購入に立ち会っていたりします。購入主は
第1回で取り上げたコロナ2000GTに乗られていた方のご子息。
最初は、FC3Sとか20ソアラを希望されていたのですが、「最初のクルマには贅沢でしょ」ということで、セリカ or コロナクーペ希望に。この2台なら、会社絡みの付き合いが長く続いていたトヨペット店取扱の後者ということで。
一応、商談の前段階で、同じ東京トヨペットの取り扱いであるカリーナEDやGX71マークII(ワンカムグランデなら同程度の価格で購入可能)もお勧めしてみましたが、希望は2ドアとのことで対象は変わらず。
結局、最上級である2000GT-RのMTを購入されることとなります。
ここからは、カタログ画像をご紹介
発行は1985年(昭和60年)10月となります。
2015/5/21 画像を全て更新すると共に一部追加をしました。
最上級グレードとなる、2000GT-Rのフロントビュー
セリカが旧型のイメージを残すリトラクタブルライトのブラックマスクを引き継いだのと同様に、こちらも旧型のイメージを残す固定式ライトとフロントグリルを採用します。
スタイリング自体は、直線基調から曲線基調へ大幅な変更をされていますから、前後ディテールはあえて同じイメージとしたのでしょうね。
2000GT-Rのサイドビュー
セリカ共々、ポルシェ944辺りに端を発するブリスターフェンダーの採用が印象的ですが、上から見た時に後付け風ではなく、ウエストラインに融合させたのが特徴です。こちらは、EDと違いロングノーズショートデッキを採用。
「セリカをベースに無理矢理ノッチバックにした」という評価もありましたが、私的にはバランスが崩れているとも思えません。
全体的に完成度の高いスタイリングですが、惜しむらくは、タイヤサイズがコロナHTの15インチから14インチにハイトが落とされていて、相対的にウエストラインが高く見えてしまう点ですね。
2000GT-Rのリヤビュー
キャビンデザインは、初代レパード辺りに端を発するグラスキャノピー風。
ウェッジ基調のデザインにはリヤスポイラーが必須と思いますが、同意見多数だったようで、東京トヨペットの標準在庫はリヤスポイラー付のみでした。
2000GT-Rのインパネ
セリカと共通のインパネはカリーナEDと違い、メータークラスターがコンパクトなデザインとなります。
デジタルメーターやステアリング中央のスイッチが特徴的なオートドライブ(クルコン)はオプションでした。
2000GT-Rの内装
こちらの内装色は、グレーとブルーのみでEDにあるベージュはなし。
内装色からしてスポーツムードを強調したかったのでしょうね。
ED同様、シート生地はワインのモケットとは明らかに趣向の異なるもの。
1600GT
アルミホイールとリヤスポイラーはオプション
今の視点では濃色が似合うのですが、当時は白の全盛時代。上に書いたGT-Rも白をお勧めしたため、同色の購入となっています。
クーペらしくスタイリングの紹介が最初となります。
珍しく、イメージスケッチのまま実車に至ったように思います。
ダンパーを使うことで、ヒンジがトランク容量を圧迫しないよう、工夫されていました。
エンジンは、セリカと共通で、3S-GE・4A-GE・1S-iの3タイプでした。
この時期には、FFでもハイパワーを十分吸収できるだけの技術がありました。
キャビン周りの紹介。
液晶デジタルメーターの設定もありましたが、装着車を見かけることは希でした。
オーディオは、3兄弟で共通のサウンドフレーバー以外は、カリーナEDと共通でセリカとは製造メーカーが異なっていました。
ツインカム搭載の3グレード
FR時代に追加された3T-GTEUは、早くもカムリ/ビスタに先行搭載された3S-GELUに変更されています。
2.0(1.8)に2グレード、1.6に1グレードの構成は、コロナHT同様でした。

左頁は主要諸元表
右頁は装備一覧表
自動車雑誌の評価や読者層の反響は、斬新なスタイルやFFのネガを感じさせない走りということで、かなり高いものがあったと記憶しています。
ところが・・・発売開始後、ものの数ヶ月もしない内に、EDの販売が目標以上の大幅な伸びを見せる一方で、こちらはセリカと共に伸び悩むこととなります。(※3)
(※3)小型車販売台数
・(1986年)セリカ:12,149台、コロナクーペ:10,196台、カリーナED:76,143台、シルビア:4,109台、プレリュード:35,657台
・(1987年)セリカ:10,231台、コロナクーペ:8,430台、カリーナED:70,767台、シルビア:2,193台、プレリュード:52,977台
・(1988年)セリカ:7,695台、コロナクーペ:6,969台、カリーナED:60,037台、シルビア:44,223台、プレリュード:57,902台
セリカとの比較では大きな差がないのですが、トヨペット店視点では、隣のトヨタ店の繁盛を黙って見ていられる余裕はなく、「こちらでもEDを売らせろ」と非常に強い要望が寄せられることとなります。結局コロナクーペはコロナExivに取って替わられることとなるのです。
元は同じ兄弟車なのに、片方は「ED現象」だの言われてフォロワーが何台も登場するまでとなったのに、こちらは半ばカルトカー扱いですから、つくづく市場動向なる怪物は難解かつ怖いものだと思います。もっとも販売台数からすると、一代限りで終わったという事実の方が大きいような気はしますが。
売れなかった原因を振り返ると、
FFに変わったのに、FR時代のスポーツイメージを残し過ぎた点が最大でしょうか。80年代後半は2ドアであっても、ATの需要が急速に伸びていた時期と重なります。ATと組み合わせるなら、4A-GEではなく、輸出用にはあった2S-E、あるいはEDと同じ1S-Eで充分なんですよね。最多量販と目されたセカンドグレード同士でプレリュードと比較されると、1800と1600の比較となってしまうのも不利だったのでしょう。
途中のマイナーチェンジでは、AT需要を考慮してか、4A-GEに替わって3S-FEが搭載されますが、時既に遅し。その時期には、ライバルのプレリュードは3代目に進化していて、この兄弟は比較対象にはなり辛い存在となっていました。(プレリュードのライバルはむしろFFレビン/トレノのGT-APEXとかでしたね)
上に書いたGT-Rは、まだ
コロナに乗っていた時代に運転しています。
自車との比較では、運転席のポジションが相当に低くて違和感を感じたものの、さすがに1.5のATと比べれば、2.0のMTはかなりパワフル。3S-GE特有の野太い音と共に一気に吹き上がる様は、その気にさせる仕上がりでした。市場的には高評価とならなかった内外装の趣味も、私自身は高評価でしたね。
もっとも本来の持ち主は、運転席の低さがネガとなって、比較的早い時期から使われることは少なくなったようで、結局初代ステップワゴンの最終型の下取りとなるまで、あまり距離が伸びないままのようでした。
自身が関わったからというのもありますが、それを抜きにしてもこの世代の3兄弟は好きな車の上位です。(セリカもこの世代が一番好きだったり)
コンポーネンツを一新する機会を生かして新世代のパーソナルカーにトライした意欲作の印象を強く受けるんですよね。
●文中の販売台数は、月刊自家用車誌に掲載された自販連調査の新車販売台数から引用しています