
年初早々の通常回となります。
他にもいくつかの候補があったのですが、今回はこの話とします。
古今東西和洋折衷順不同をモットーとしているのですが、これまではメーカーに偏りがあったため、年もあけたことですし、違う面も見ていただきましょう、という思いがありまして。
一口にマツダと言っても、当然長い歴史がある企業ですから、どの時期を取り上げるかは、悩みどころなのですが、個人的好みを優先してこの時期とします。
歴史に少し詳しい方ならご存知のとおり、それまでロータリーエンジンを推進していたマツダは、オイルショックで瀕死の状態に陥ります。一時期は倒産寸前まで追い込まれるのですが、そこから、コスモ、ファミリア、ルーチェ、サバンナRX-7、ボンゴ、カペラと着実に人気を集める車種を続けることで持ち直していきます。
この資料の翌年にはFFファミリアがスマッシュヒットとなって、完全回復となるのですが、その前夜ですね。
どうしても手持ちの限られた資源の中で最大の効果とならなければ、それこそ明日は無い、そんな状況の中でイイクルマを一生懸命に作ろうとした、ある意味過渡期でもあるのですが、そんな時期の車たちに、私自身は惹かれたりするのですね。
この時期のマツダ車を好む、もう一つの理由については後述。
少し前に取り上げた
同時期のトヨタ広報資料の話(前編・後編)が好評でしたので、そことの比較も興味深いかもしれません。
残念ながら、こちらは一般配布されたパンフレットとなりますが、順を追って紹介していきます。

最初の見開きでは、暗闇に浮かぶコスモクーペの画像と共に、アピール文を掲載しています。当時の自動車雑誌に掲載されていた技術的解説文に通ずるものを感じますね。
一方で、「80年代」の部分だけ修正すれば、現在掲げても違和感を感じない文章でもあると思えます。
企業姿勢が変わらないというのが一つ、時代がマツダに求めるものが変わらないというのがもう一つでしょうね。

続いては、この時代にマツダが先駆者となったエアロダイナミクスの話です。
カペラHTがCD0.38を掲げたことで、注目を集めます。ここに日産・トヨタが加わることで、一時期はCD値が馬力と同じような扱いでカタログを飾ることとなります。
右頁ではCD値の違いによる実験結果が出ていますが、CD値0.08の違いが、走行距離100km、14.5馬力の違いとなるというのですから、差は無視できません。
現在も燃費が重視されているのに、輸入車はこの辺を気にしても、日本車がこの辺り謳わないのは不思議ですね。

続いては、車に入り込みだしたエレクトロニクスの話。
メーター表示に関してはトヨタもマツダも同じところを狙っていたということが分かります。
この辺の研究成果は、2年後の3代目コスモ辺りで反映されることとなります。

続いてはパワーユニットの話
ロータリーは排ガス対策の後遺症を引き摺っていた当時の日本車の中にあって随一のパワフルさを誇っていました。12Aに何とか追随できるのはトヨタの2.0DOHC、18R-GEUくらい。13Bに至っては5枠に敵は無く、3枠のL28Eや5M-EUでようやくという状態でした。この後ターボ車の一群が最速の候補に加わることとなります。
ロータリーは排ガス対策も早々にクリアしますが、燃費が相当な数値だったため、オイルショック以降、燃費向上が最大の課題となっていました。この時点では希薄燃焼がその対策となっています。
レシプロの方は「安定燃焼」が謳われています。
どうしてもロータリーの影に隠れがちでしたが、マツダは厳しい排ガス規制の中にあっても、他社より上手に他の機能を低下させずでクリアしていました。
右端は、ショー直前にボンゴに搭載されて発表となった2.2lディーゼル。
ショーの翌年にルーチェにも搭載されることとなります。

ここからは乗用車のラインナップの紹介
左頁はルーチェ、右頁は「プログレス」コスモ
共にショーの直前にマイナーチェンジを受けています。
ルーチェは2年ぶり、コスモは一部改良を除けば4年ぶりの変更。ロータリー搭載車は最上級ラグジュアリーorスポーツグレードに整理すると共に、その他のグレード名もその後使われていく形に整理されています。
2台共に、フロントマスクの変更が目を惹きますが、この変更は空力の向上という実質的な効果もありました。
参考までに当時の東京地区の車両本体価格を記載すると
・ルーチェリミテッド(3AT):2,098,000円
・ルーチェセダンSG-X(3AT):1,468,000円
・コスモクーペリミテッド(3AT):1,888,000円
・コスモLリミテッド(3AT):1,948,000円

左頁は「国際車」カペラ
久方ぶりの新型車となるにあたって、ヨーロッパ車を指向したことが自動車雑誌等で好評でした。(当時の「間違いだらけ~」でも高い評価でしたね)販売もフリートユースからファミリーユースまで堅調。この年(1979年)は春先に最上級グレード2.0リミテッドが追加されています。
・ハードトップ1800スーパーカスタム(5MT):1,170,000円
・セダン1600GL(4MT):985,000円
右頁はファミリア
シビックに続いて、他のライバル車より一足先に2ボックス形態を纏うのですがFRのままだったため、時流からは遅れつつありました。
この年は夏に丸目から角目にマイナーチェンジ。この際、上に掲載されている黄色の廉価版XCを前面に立ててお買い得価格を謳います。(当時は普通車のアルトという評もありました)
・3ドアXC(4MT):685,000円
・5ドアXE(5MT):973,000円

左頁はサバンナRX-7
前年にデビューした時は、排ガス規制に苦しむ国産車の中で久方ぶりに登場したスポーツカー(もっともお上のご機嫌伺いもあって、そうとは謳いませんでしたが)ということで、かなりの注目を集めました。
その後、人気は落ち着くのですが、この年の春先にはサンルーフ仕様を追加、秋には改良型ロータリーを搭載ということで、決して手を抜かずに改良を進めます。
・SE-リミテッド(5MT):2,170,000円
右頁は国内に留まらず世界で活躍していますよ、という話
実際、ロータリーが国外レースで活躍する一方、ヨーロッパ方面に進出をしていくこととなります。

ここでは乗用車版裏表紙ですが、商用車も裏表紙は同じ
マツダのシンボルマークが変わりましたよ、という紹介です。この後しばらくはこのマークが続きましたから、懐かしく思える方も多数ではないでしょうか。
続いては、商用車。
乗用車は「再び走りの楽しさ~」に対してこちらは「さらに使いやすさ~」となります。

最初の見開きではキーワードとして「低・平・省・強」が謳われています

最初は「低」と「平」の話
後輪を小径ダブルタイヤにした低床自体は、いすゞエルフの「フラットロー」が先行しますが、普及への貢献ではマツダの役割も大きいものがありました。
この概念を1トン級のトラックやキャブバンに持ち込んだボンゴは大ヒット車種となります。もちろん三河商人もこの商機は見逃さず「ジャストロー」なる名称を持ち込んで追随します。
現在もトラックでは、その後登場した全低床やシングルタイヤ低床も含めて残っていますが、キャブバンでは殆どなくなってしまいましたね。
左頁で荷物を持ち上げているのは、この時期のCMキャラクターである故山城新伍氏。そのコミカルなイメージを商業車CMにも持ち込んで話題となりましたね。

続いては「省」と「強」の話
乗用車では片隅の扱いだった2.2lディーゼルS2型がここでの主役
このサイズの乗貨兼用ディーゼルは、大分前から日産がSD20→SD22と続けてきて、前年にトヨタがL型を発表、マツダがそれに続いた形です。翌年には三菱が4D55を発表します。

ボンゴマルチワゴンの紹介
当時のワンボックスワゴンはトヨタ同様に商用車の一部の扱いであったことが分かります。
ボンゴマルチワゴンは、トラック→バンに続いて登場しています。トヨタタウンエースワゴンの市場開拓の影響が大きいですね。日産バネットと同時期の1978年秋の登場。タウンエースも同時期に1.6から1.8に拡大して対抗。翌年には三菱からデリカスターワゴンも登場して、これらの車種が第一次のワンボックスワゴンブームを作ることとなります。
マルチワゴンはバン同様に小径ダブルタイヤによるフラットな床を特徴としますが、その分どうしても後席の床が高くなってしまっている点は厳しいですね。マツダもその点は承知していて、次世代では低床シングルタイヤに変更されます。
今見返すと、福祉用具の輸送用としての使用も想定されている辺り、先見の明があったと思いますね。

ここからは商用車のラインナップの紹介
先ずは1.5トン~3.5トン級のトラック、タイタン
この時点では初代の末期で、翌年にモデルチェンジされます。

続いては当時のマツダの稼ぎ頭、ボンゴ
ショーの直前にディーゼルが追加されると共に、マツダオート店向けの姉妹車としてボンゴボンディが発売されます。
純粋なバッチエンジニアリングはこれがマツダ初だったかと。
・マルチバンハイルーフ4ドアカスタム(ガソリン):808,000円
・ワイドロー750キロ積三方開デラックス(ガソリン):703,000円
・ボンディマルチワゴン9人乗ハイルーフカスタム:1,099,000円
・ボンディマルチワゴン10人乗デラックス:1,153,000円

左頁はその他トラック群
ポーターキャブはこの後も続きますが、その他3車種は間もなく生産中止あるいは国内販売中止となります。
マツダは商業車も強くて一時期はフルラインに近い体制だったのですが、経営が苦境に陥るに至って、乗用車の建て直しを優先します。これら商業車はその影響を受けています。選択&集中により、この後の経営はしばらく好転しますから、経営としては間違っていなかったのでしょう。
右頁はルーチェバンとファミリアバン
いずれも80年代半ばまで生産されるロングセラーとなります。ファミリアは海外でその後も生き延びたようですね。
この時点ではルーチェバンはマイナー前のまま。北米から欧州へとこれほど変わったフロントマスクは比較的珍しいと思います。
ファミリアバンのテールゲート接合部のキックアップ処理は珍しいですが、これによりテールゲートのヒンジが邪魔にならず、空力にも好影響というのが謳い文句でした。
・ルーチェ2000バンGL(4MT):1,040,000円
・ファミリア1400バン4ドアGL(4MT):745,000円
ということでいかがだったでしょうか。
はじめに書いた「手持ちの限られた資源の中で最大の効果」というのが感じ取れたのではないかと思います。80年代のマツダはファミリアを皮切りにヨーロッパ指向を強めていくことで、市場の好評を得て、販売台数を拡大していくこととなります。
最後に、この時期のマツダを好む理由ということで、他愛も無い話を記しておきます。
経営がどん底だった時期を経て、この時期からマツダは積極的に映画やドラマへの車両提供を行っていきます。
テレビでは午後9時台に活躍した印象が強くて、軽く挙げるだけでも、「探偵物語」から連なる日本テレビの火曜日「大激闘」や「プロハンター」等、テレビ朝日では土曜ワイド劇場や「ザ・ハングマン」がありました。他に8時台ではありますが、フジテレビ「大捜査線」もマツダでしたね。
映画だと「太陽を盗んだ男」や「地震列島」が代表でしょうか。
いずれも、かなりラフに扱われていますが、画面を彩るに十分な効果があったと思います。私自身で言えば、この時期のマツダ車と画面の向こうの活躍はどうしても切り離せないです。