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2015年01月12日

1985年(昭和60年)の東京トヨペットの総合カタログ&価格表から(前編)

1985年(昭和60年)の東京トヨペットの総合カタログ&価格表から(前編) 先日書いたHDD内の消失から華麗なる(?)復活をしたネタです。

これまで昭和47年、昭和53年と続けてきて好評だったネタですので、いよいよ自分の好きな時代をやろうというのが動機であり、根気強く復活させた理由でもあります。今回は昭和60年ですから、西暦にすると1985年、ちょうど30年前となります。

この時代を象徴するものは、”ハイソカーブーム”と大衆車に続く”小型車のFF化の進行”。資料の量も多いので、前については前編となる今回、後については後編の次回と分けてみることにします。


それでは最初に昭和53年でもやった当時を振り返るキーワード二つを今回も取り上げてみます。

首都高速の昭和60年当時の路線図
 前回から7年の間に大井より東の湾岸線や常磐道に向かう6号線の延伸部が開通しています。
放射部は東北道方面を除けば、都内部分はほぼ全通。一方で環状線は都心環状線のみという状況ですから、環状線との合流部から延びる放射線の渋滞はいよいよ苛烈を極めていた頃ですね。


一般財団法人 自動車検査登録情報協会のサイトにある車種別の使用平均年数推移表
 前回は7.76年でしたが、今回は9.17年とだいぶ10年に近づきます。もっとも、1985年の10年前は1975年。この年は厳しい排ガス規制が始まった年であって、特に初期の50年・51年排ガス規制車は、性能面での悪評が高かったため、良質な下取り車であっても、ここまでの年数未満で解体送りになっていたように記憶しています。
 前回人気があったと書いた未対策車もこの頃には、時代遅れということでだいぶ淘汰が進みます。半ば余談ですが、今では高価な初代セリカ、ケンメリスカイライン、初代フェアレディZが一番底値だったのはこの時代だと思います。


続いては1984年(昭和59年)8月の総合カタログを紹介







この時代まで来ると、画像の中の取り扱い車が記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。あるいは当時は見ていなくても、最近注目を集めつつあるヤングクラシック世代ということで、馴染みがあるというケースかもしれませんね。

この時期以降のしばらくは、トヨタの強さが圧倒的でした。ここにある東京トヨペットの乗用車系取り扱い車種も、ソアラとコルサ以外は販売台数ベスト10内のしかも上位の常連だったのです。

2015.1.16 販売ランキングと販売台数を追記します。

 1984年と1985年の販売ランキングと販売台数。()内がランキング
 ・クラウン:(6)123,716 → (9)115,680
 ・マークII:(8)118,992 → (3)149,127
 ・コロナ:(3)158,249 → (6)132,182
 ・カリーナ:(7)121,000 → (5)136,469

追記ここまで
以上、販売台数は月刊自家用車誌に掲載された自販連調査の新車販売台数から引用


特に、この頃は都内のクラウンの販売は、まだ東京トヨペットの専売でしたので、ソアラ・マークIIと合わせて、利益率の高い車が相当な台数売れた時代でありました。特にハイソカーブームは、「エアコン・ステレオ・パワステ・パワーウィンドー」の所謂フル装備はもちろん、その他付加価値も沢山付いた上級グレードが販売の中心でしたしね。

「一定の時期に達すると代替えして、さらにリピート率も極めて高い」という、ディーラーにとっては大変ありがたい顧客を多数抱え込めたのも、この時期が端緒かもしれません。


続けて価格表の話に入る前に、前2回同様、国家公務員の初任給を基準にして、当時の新車価格を現在価格に換算する補正値の算出を行ってみましょう。

 ○総合職(大卒)平成26年:181,200円、昭和60年:118,800円 ≒ 1.53倍
 ○一般職(大卒)平成26年:174,200円、昭和60年:113,200円 ≒ 1.54倍
 ○一般職(高卒)平成26年:142,100円、昭和60年:95,500円 ≒ 1.49倍

となりますので、便宜的に1.5倍を新車価格の補正値としていきます。
さすがにこの時期になると、インフレもだいぶ収まっていますね。


価格表は自賠責保険料の改定があった昭和60年4月となります。
総合カタログとは半年以上の開きがありますが、この間の差はソアラが年初に、2800→3000への変更を主とした一部変更(この時の最大の話題はマルチビジョンの搭載でした)が行われたのみです。

ちなみに、この時期には電車、バス、タクシー等の公共輸送機関の冷房普及率も進み、新車販売もエアコン・ステレオの装備が半ば常識と化していましたので、両装備がオプションの場合はその金額も込みで計算していくことにします。またこれに合わせる形で、愛車セットやフロアマットも便宜的に込みとします。




先ずはクラウンの価格表です。
先代までは、ライバル車であるセドリック・グロリア連合と激しい販売台数の争いを繰り広げていましたが、1983年(昭和58年)に登場したこの代になって「いつかはクラウンに」というCM効果も効いて明らかに優勢となります。
同じく先代までは、セダンの販売比率も比較的多かったのですが、この代では一般オーナーの増加に比例する形でHT(ハードトップ)の寡占が進みます。
それまで3ナンバーのみだったロイヤルサルーンがツインカム24を得たことで2000にも追加。3ナンバーには新たにロイヤルサルーンGが追加される一方、それまであったデラックスAやカスタムエディション等の下級グレードは整理されて、グレード展開は全体的に上級移行が進みます。

人気の中心は、HT2000ロイヤルサルーン。続いては1984年にそれまでの2800から3000に拡大されたHT3000ロイヤルサルーンG。「ロイヤルまでは無理だがマークIIでは・・・」という層にはHT2000スーパーサルーンが売れていました。

 ・HT3000ロイヤルサルーンG(フロアAT):3,948,500円(補正後:5,922,750円)
 ・HT2000ロイヤルサルーン(フロアAT):3,244,500円(補正後:4,866,750円)
 ・HT2000スーパーサルーン(フロアAT):2,835,000円(補正後:4,252,500円)

その他参考
 ・セダン2000スーパーサルーンEXターボ:3,000,000円(補正後:4,500,000円)
 ・ワゴン2000スーパーサルーン(フロアAT):2,678,000円(補正後:4,017,000円)

エアコン・ステレオなしですが営業車の価格も抜粋
 ・セダンLPGスタンダード(コラムMT・SPシート):1,383,500円(補正後:2,075,250円)
 ・セダンLPGスーパーデラックス(フロアAT):2,085,500円(補正後:3,128,250円)





続いてはソアラの価格表。
1981年(昭和56年)の登場。最初の想定は、裕福な大人に向けてということでしたが、裕福なお兄さんにも大人気になります。「助手席に乗せるための車」あるいは「助手席に乗りたい車」という、所謂「デートカー」の人気では国産車の頂点にありましたね。

当初は3ナンバーにも関わらず、2800GTが人気でしたが、1983年に2000GTが登場すると人気の中心はそちらに移行。先述の通り、3000GTリミテッドも話題でした。入門ソアラは、最下級のVIIが記載の通り受注扱いの価格訴求モデルだったため、実質的にはVR。
モデル末期でしたが、然程人気は衰えずでしたね。

 ・3000GTリミテッド(マルチビジョン付本皮革):4,044,000円(補正後:6,066,000円)
 ・2000GT(AT):2,909,000円(補正後:4,363,500円)
 ・2000VR(AT):2,494,500円(補正後:3,741,750円)

その他参考
 ・2000ターボ:2,814,500円(補正後:4,221,750円)
 ・3000GT(AT):3,142,000円(補正後:4,713,000円)







前編の最後はマークIIの価格表です。
先代の後期の時点で、長年のライバル車スカイラインを上回る販売台数に成長。1984年にモデルチェンジすると、さらに人気が加速して登場直後は販売台数トップのカローラに続く台数を叩き出すまでになります。その売れ方は「マークII現象」と社会現象として語られるほどでした。

先代は、後期の初期までセダンが販売の中心でしたが、途中からHTに人気が移行し、この代では圧倒的にHT優勢となります。人気の中心はHTグランデ、続いてHTグランデツインカム24。セダンもタクシー等を除くとグランデが(特に東京では)多かったですから、マークII=グランデと言っても決して過言ではなかったのです。

 ・HTグランデツインカム24(AT・デジタルメーター付):2,666,000円(補正後:3,999,000円)
 ・HTグランデ(AT):2,292,000円(補正後:3,438,000円)
 ・セダングランデツインカム24(AT・デジタルメーター付):2,607,000円(補正後:3,910,500円)
 ・セダングランデ(AT):2,233,000円(補正後:3,349,500円)

その他参考
 ・HTグランデターボ:2,501,000円(補正後:3,751,500円)
 ・セダン1800GR(AT):1,864,500円(補正後:2,796,750円)
 ・ワゴンLG(AT):2,037,800円(補正後:3,056,700円)



この3車間で比較すると、マークIIの少し上にソアラがあって、クラウンはその上に位置することが分かります。フル装備にするとマークIIとクラウンではクロスしない価格設定も絶妙だなぁ、とも。


現代視点で当時の価格を眺めると、「皆高い車を買っていたんだなぁ」というのが率直な感想です。
クラウンの補正後価格500万円弱から600万円という価格は、現在とほぼ同じとも言えますが、マークIIの補正後価格350万円弱から400万円というのは、現在のマークXよりも明らかに高いのです。しかも、共に当時は月販1万台(!)です。
ソアラも補正後価格は400万円弱のスタート。この価格帯の2ドアクーペが月販2,000~3,000台も出ていたのです。今、「400万円スタートの2ドアクーペを国内専売で月2,000台売る」なんて言っても、企画段階から成立しないでしょうね(笑)

この後、車の価格は、まだまだ上がりますが、バブル景気に突入することで給与はもっと上がりますから、まだ未検証ながらも、所得比で車の購入価格が一番高かった時代なのかもしれません。

それでも当時のハイソカー(高級車)ブームは、年齢に関わらずでしたから、皆ある意味不相応かもしれない車の購入に躊躇することはありませんでした。簿給の若者もこの頃始まった長期のローンを組んででも購入したのです。
言い換えるなら、それだけ夢中にさせる車が揃っていたということなのかもしれませんね。


余談1
ここのブログを読んでいる方ならお分かりの通り、当時の父の車はFFカローラ。東京から少し離れた地に住む少年には、世の中で流行しているハイソカーなるものは憧れるだけで、縁はなかったのですが。

余談2
ハイソカーブームでは、今でいうDセグメントのドイツ車の人気も盛り上がります。ちょうどメルセデスの190Eが輸入開始となり話題となっていますね。
御三家の価格を上から並べると

 ・メルセデスベンツ190E:5,350,000円(補正後:8,025,000円)
 ・アウディ90:4,260,000円(補正後:6,390,000円)
 ・BMW318i:3,950,000円(補正後:5,925,000円)

いずれにせよ、お安い方のBMWやアウディでもクラウンやソアラの最上級と同等の価格ですから、今のように日本車との直接比較関係には、なかなか成り得ませんでした。
今の価格なら約600万円にもなるBMWを”六本木のカローラ”と呼んでいたというのもスゴイ話ではあります(笑)


ミドルサイズカー以下は後編に続けます。
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Posted at 2015/01/12 21:54:04

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この記事へのコメント

2015年1月12日 22:09
こんばんはです!

昭和60年だと、トヨタのシェアが初めて50%を超えたぐらいの年ですね。
当時のトヨタ車のラインアップを見るとシェア50%も納得です☆

身内同士の足の引っ張り合いに明け暮れていた日産はこの頃からどんどん引き離されてしまいました。
コメントへの返答
2015年1月12日 22:20
EMoonさん、こんばんは

さすがにお詳しいですね。
トヨタが”T50”と呼んだシェア50%を仕掛けるのが、この年の暮辺り。何度か挑戦して実際の達成は1986年10月になります。

この年代以降のトヨタ車は手慣れた感も受けますが、基本的に外れなしですよね。一方の日産は、EMoonさんが書かれた通り、この辺りからしばしの間低迷期とされていますね。

外野的視線でも、V6を高々と謳った翌年に直6を出して、しかも同一車種内に並列して搭載では、何がしたいのか不明としか思えませんでした。
2015年1月12日 22:45
こんばんは~

改めてまして、今年も宜しくお願い致しますm(_ _)m

いや~、この頃(85年前後)のトヨタは正に最高ですね!

時代背景も良かったのでしょうし、昨今の様な暗い話題も少なかったですし。日本としても一番潤いが有った時代かと思います。

トヨペットのカタログ…ディーラーの風景が堪りません(笑)車種も正直な所、かなり迷いますね~(更笑)

オーソドックスな所で言えば、150コロナや71ですかね?

現在の日本も、この頃の様なクルマの元気さを取り戻して貰いたい所ですね。
コメントへの返答
2015年1月13日 6:18
ぽんともさん、おはようございます
本年もよろしくお願いいたします。

好みは分かれるかもしれませんが、絶頂期であることは間違いなさそうです。

団塊の世代が中年期で、団塊ジュニアが車の購入予備軍になりつつあった時代ですよね。
車だけではなく音楽やTVなんかも、この時代を懐かしむ声が多そうです(笑)

この時代のトヨペットから一台という仮定ですが、私はMX71セダンにします。次点はST150のEX-AD。

昨今の情勢を鑑みるに、国内の好みをこれだけ反映した車は作れないでしょうし、国内のマーケットの方もこれだけの量を購入できるゆとりを持ちえないと思ってしまったりです。
2015年1月13日 0:19
こんばんは♪

この年の8月に普通免許(この呼び名自体が懐かしいw)を取得して、オヤジのTX50クレスタを強奪して乗りまわしてましたwwww

この頃から2,000年代初めが日本車黄金期だったと、今では思いますねぇ。

車両価格も補正すると結構な額になるのに、当時はムチャして買ってたんですよねぇw

それでもなんだかんだで楽しかったのは良い思い出だったりしますw

で、何度も書く様ですが、現行マークX250Gのお買い得な事www
コメントへの返答
2015年1月13日 6:29
ならっちさん、おはようございます

年齢に達した途端に免許取得に走られたのではないでしょうか。私の周囲も同じ様相でして、最初は父親の車というのも同じですw

個人的印象ですが、50年代末期のアメリカ車が黄金期なら、80年代末期の日本車も同じであると思う次第です。どこまでの部分は各々で意見が分かれるかもしれません。

今回車両価格を補正して、あまりの高さに驚きましたw 給与上昇の前提があればこそでしょうね。
車が中心でしたから、車好きにはイイ時代だったと言えます。あの頃に楽しめたのは幸運だったのかもしれません。

確かに現行マークXはお買い得かもと再認識しました。おそらく当時のコロナ・カリーナ相当であの内容ですからね。
2015年1月13日 1:37
こんばんは。私の勝手な記憶と感想です。お金持ちの友人や知り合いはトヨタのハイソカーを乗り回し、私の様な貧乏学生は、日産の中古に走っていた様に思います。130のZや910ブルーバード、スカイラインはジャパンでした。ソアラなんて異次元の乗り物でした。
コメントへの返答
2015年1月13日 6:36
KAKANEさん、おはようございます

勝手な記憶と感想、大歓迎です。こちらは講釈師に過ぎませんので、大変参考になります。

書かれている内容は、経験されている方ならではと納得したりです。
当時の中古車相場の記事が残っていまして、この年の春の段階で、910ブルーバードやスカイラインジャパン等の初期ターボ車がお買得になったと書かれていたりします。

この辺の記事も掲載方法を考慮しつつで話題にするのも面白いかもしれませんね。
2015年1月13日 9:35
昭和60年というと自分も記憶にある年代です。東京トヨペットの扱い車種を見ると当時の勢いみたいなものが伝わってきます。
首都高も徐々に今に近い姿になりつつありますが、交通集中による渋滞や料金所渋滞など、今とは比較にならないくらい移動時間が長かったように想像できます。

マークXも、上級モデルは随分と高くなったなぁと思っていましたが、補正値を考慮してみると妥当な金額なんだなぁというのがわかるのも、面白いですね。


コメントへの返答
2015年1月13日 19:44
tteeさん、こんばんは

30年前と書くとかなり昔になるのですが、記憶の方はそれほどの年月を感じさせなかったりします。
円高が始まる前で、日本全体に勢いがあった時代、トヨペットの車種もそんな背景と重なるように思います。

首都高の平日の渋滞は5km以上が当然で、事故でもあればたちまち渋滞10kmに。下道だって同様でした。当然ナビもないから状況も判らなくて、到着時間が読めない。あの頃はそれが当たり前だったのですから隔世の感があります(笑)

マークXの価格は、81から110マークIIの価格を基準にすると、特に上級モデルは高くなったと思うのでしょう。71から81の価格上昇が物価上昇に比べて少ないという数字のマジックかもしれませんね。

2015年1月14日 22:14
このシリーズ、待っておりました!

私も昭和60年ならうっすらと記憶にあります。

当時、奈良に住んでいた私は盆と正月に埼玉に帰省していたようですが
首都高速の路線図を見ると東北道に直結していませんね。
どうやら新幹線を使ったりしていた模様。
我が家にマイカーがやってきたのは昭和61年のことでした。

parl-siroさんがご指摘の通り「高い車に乗っていた」のですね。
びっくりしました。
300万円相当の車をたった9年で廃車にしてしまうわけですから。

クラウンの高級さには驚きました。
今のクラウンはマークIIくらいの価値感覚ですね。
社長がクラウンで部長がマークIIで課長がコロナでしたっけ・・・・。
分かる気がします。

現代のマークXはエアバッグもABSもついてATも6速で
本革ステアリングでアルミ履いててすごいですが、価格は安いですね。

こんだけ安くしても売れないということは、
売る側としては逆に台数を追い求めてはいけないのかもしれませんね。
廉価で多く販売するのは難しいのでしょう。
コメントへの返答
2015年1月14日 22:46
ノイマイヤーさん、こんばんは

画像が多くて計算が面倒な話なので、そのお言葉が大変嬉しく思います(笑)

既に30年も前ですが印象に残るイベントが多かった年ですね。

(ローカルネタですが)あの頃都内から東北道方面って、実に面倒だったんです。環7から国道122号で浦和に出るか、国道17号や国道4号を経由して国道16号で岩槻に出るかなんですが、何れも渋滞が多かったですしね。

今回の計算で再認識しましたが、給与や物価が上がる前提がなければ成立しない購入なんだと思います。今みたいに残価設定リースもなくて、手持ちがなければ長期ローン覚悟でしたし。

当時のクラウン3000は今のマジェスタと思えば、現在と同じくらいの感覚なので納得できました。個人的には当時のマークIIの高さが驚きです。結構ご近所とかでも買っていて、えらい増え方だったのですが。
役職比例は、今では死語に近いですね(笑)

マークXは、設計段階からあの価格前提で作っているからこそでしょうね。長く作る前提というのもありそうですし。ハイブリッドを求める声があるのに一向に向き合おうとしないのは、売る側からすると、価格の前提条件が崩れるからやりたくないという本音があるのかもしれませんね。

プロフィール

「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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