
先日書いたHDD内の消失から華麗なる(?)復活をしたネタです。
これまで昭和47年、昭和53年と続けてきて好評だったネタですので、いよいよ自分の好きな時代をやろうというのが動機であり、根気強く復活させた理由でもあります。今回は昭和60年ですから、西暦にすると1985年、ちょうど30年前となります。
この時代を象徴するものは、”ハイソカーブーム”と大衆車に続く”小型車のFF化の進行”。資料の量も多いので、前については前編となる今回、後については後編の次回と分けてみることにします。
それでは最初に昭和53年でもやった当時を振り返るキーワード二つを今回も取り上げてみます。
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首都高速の昭和60年当時の路線図
前回から7年の間に大井より東の湾岸線や常磐道に向かう6号線の延伸部が開通しています。
放射部は東北道方面を除けば、都内部分はほぼ全通。一方で環状線は都心環状線のみという状況ですから、環状線との合流部から延びる放射線の渋滞はいよいよ苛烈を極めていた頃ですね。
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一般財団法人 自動車検査登録情報協会のサイトにある
車種別の使用平均年数推移表
前回は7.76年でしたが、今回は9.17年とだいぶ10年に近づきます。もっとも、1985年の10年前は1975年。この年は厳しい排ガス規制が始まった年であって、特に初期の50年・51年排ガス規制車は、性能面での悪評が高かったため、良質な下取り車であっても、ここまでの年数未満で解体送りになっていたように記憶しています。
前回人気があったと書いた未対策車もこの頃には、時代遅れということでだいぶ淘汰が進みます。半ば余談ですが、今では高価な初代セリカ、ケンメリスカイライン、初代フェアレディZが一番底値だったのはこの時代だと思います。
続いては1984年(昭和59年)8月の総合カタログを紹介




この時代まで来ると、画像の中の取り扱い車が記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。あるいは当時は見ていなくても、最近注目を集めつつあるヤングクラシック世代ということで、馴染みがあるというケースかもしれませんね。
この時期以降のしばらくは、トヨタの強さが圧倒的でした。ここにある東京トヨペットの乗用車系取り扱い車種も、ソアラとコルサ以外は販売台数ベスト10内のしかも上位の常連だったのです。
2015.1.16 販売ランキングと販売台数を追記します。
1984年と1985年の販売ランキングと販売台数。()内がランキング
・クラウン:(6)123,716 → (9)115,680
・マークII:(8)118,992 → (3)149,127
・コロナ:(3)158,249 → (6)132,182
・カリーナ:(7)121,000 → (5)136,469
追記ここまで
以上、販売台数は月刊自家用車誌に掲載された自販連調査の新車販売台数から引用
特に、この頃は都内のクラウンの販売は、まだ東京トヨペットの専売でしたので、ソアラ・マークIIと合わせて、利益率の高い車が相当な台数売れた時代でありました。特にハイソカーブームは、「エアコン・ステレオ・パワステ・パワーウィンドー」の所謂フル装備はもちろん、その他付加価値も沢山付いた上級グレードが販売の中心でしたしね。
「一定の時期に達すると代替えして、さらにリピート率も極めて高い」という、ディーラーにとっては大変ありがたい顧客を多数抱え込めたのも、この時期が端緒かもしれません。
続けて価格表の話に入る前に、前2回同様、国家公務員の初任給を基準にして、当時の新車価格を現在価格に換算する補正値の算出を行ってみましょう。
○総合職(大卒)平成26年:181,200円、昭和60年:118,800円 ≒ 1.53倍
○一般職(大卒)平成26年:174,200円、昭和60年:113,200円 ≒ 1.54倍
○一般職(高卒)平成26年:142,100円、昭和60年:95,500円 ≒ 1.49倍
となりますので、便宜的に1.5倍を新車価格の補正値としていきます。
さすがにこの時期になると、インフレもだいぶ収まっていますね。
価格表は自賠責保険料の改定があった昭和60年4月となります。
総合カタログとは半年以上の開きがありますが、この間の差はソアラが年初に、2800→3000への変更を主とした一部変更(この時の最大の話題はマルチビジョンの搭載でした)が行われたのみです。
ちなみに、この時期には電車、バス、タクシー等の公共輸送機関の冷房普及率も進み、新車販売もエアコン・ステレオの装備が半ば常識と化していましたので、両装備がオプションの場合はその金額も込みで計算していくことにします。またこれに合わせる形で、愛車セットやフロアマットも便宜的に込みとします。



先ずはクラウンの価格表です。
先代までは、ライバル車であるセドリック・グロリア連合と激しい販売台数の争いを繰り広げていましたが、1983年(昭和58年)に登場したこの代になって「いつかはクラウンに」というCM効果も効いて明らかに優勢となります。
同じく先代までは、セダンの販売比率も比較的多かったのですが、この代では一般オーナーの増加に比例する形でHT(ハードトップ)の寡占が進みます。
それまで3ナンバーのみだったロイヤルサルーンがツインカム24を得たことで2000にも追加。3ナンバーには新たにロイヤルサルーンGが追加される一方、それまであったデラックスAやカスタムエディション等の下級グレードは整理されて、グレード展開は全体的に上級移行が進みます。
人気の中心は、HT2000ロイヤルサルーン。続いては1984年にそれまでの2800から3000に拡大されたHT3000ロイヤルサルーンG。「ロイヤルまでは無理だがマークIIでは・・・」という層にはHT2000スーパーサルーンが売れていました。
・HT3000ロイヤルサルーンG(フロアAT):3,948,500円(補正後:5,922,750円)
・HT2000ロイヤルサルーン(フロアAT):3,244,500円(補正後:4,866,750円)
・HT2000スーパーサルーン(フロアAT):2,835,000円(補正後:4,252,500円)
その他参考
・セダン2000スーパーサルーンEXターボ:3,000,000円(補正後:4,500,000円)
・ワゴン2000スーパーサルーン(フロアAT):2,678,000円(補正後:4,017,000円)
エアコン・ステレオなしですが営業車の価格も抜粋
・セダンLPGスタンダード(コラムMT・SPシート):1,383,500円(補正後:2,075,250円)
・セダンLPGスーパーデラックス(フロアAT):2,085,500円(補正後:3,128,250円)

続いてはソアラの価格表。
1981年(昭和56年)の登場。最初の想定は、裕福な大人に向けてということでしたが、裕福なお兄さんにも大人気になります。「助手席に乗せるための車」あるいは「助手席に乗りたい車」という、所謂「デートカー」の人気では国産車の頂点にありましたね。
当初は3ナンバーにも関わらず、2800GTが人気でしたが、1983年に2000GTが登場すると人気の中心はそちらに移行。先述の通り、3000GTリミテッドも話題でした。入門ソアラは、最下級のVIIが記載の通り受注扱いの価格訴求モデルだったため、実質的にはVR。
モデル末期でしたが、然程人気は衰えずでしたね。
・3000GTリミテッド(マルチビジョン付本皮革):4,044,000円(補正後:6,066,000円)
・2000GT(AT):2,909,000円(補正後:4,363,500円)
・2000VR(AT):2,494,500円(補正後:3,741,750円)
その他参考
・2000ターボ:2,814,500円(補正後:4,221,750円)
・3000GT(AT):3,142,000円(補正後:4,713,000円)


前編の最後はマークIIの価格表です。
先代の後期の時点で、長年のライバル車スカイラインを上回る販売台数に成長。1984年にモデルチェンジすると、さらに人気が加速して登場直後は販売台数トップのカローラに続く台数を叩き出すまでになります。その売れ方は「マークII現象」と社会現象として語られるほどでした。
先代は、後期の初期までセダンが販売の中心でしたが、途中からHTに人気が移行し、この代では圧倒的にHT優勢となります。人気の中心はHTグランデ、続いてHTグランデツインカム24。セダンもタクシー等を除くとグランデが(特に東京では)多かったですから、マークII=グランデと言っても決して過言ではなかったのです。
・HTグランデツインカム24(AT・デジタルメーター付):2,666,000円(補正後:3,999,000円)
・HTグランデ(AT):2,292,000円(補正後:3,438,000円)
・セダングランデツインカム24(AT・デジタルメーター付):2,607,000円(補正後:3,910,500円)
・セダングランデ(AT):2,233,000円(補正後:3,349,500円)
その他参考
・HTグランデターボ:2,501,000円(補正後:3,751,500円)
・セダン1800GR(AT):1,864,500円(補正後:2,796,750円)
・ワゴンLG(AT):2,037,800円(補正後:3,056,700円)
この3車間で比較すると、マークIIの少し上にソアラがあって、クラウンはその上に位置することが分かります。フル装備にするとマークIIとクラウンではクロスしない価格設定も絶妙だなぁ、とも。
現代視点で当時の価格を眺めると、「皆高い車を買っていたんだなぁ」というのが率直な感想です。
クラウンの補正後価格500万円弱から600万円という価格は、現在とほぼ同じとも言えますが、マークIIの補正後価格350万円弱から400万円というのは、現在のマークXよりも明らかに高いのです。しかも、共に当時は月販1万台(!)です。
ソアラも補正後価格は400万円弱のスタート。この価格帯の2ドアクーペが月販2,000~3,000台も出ていたのです。今、「400万円スタートの2ドアクーペを国内専売で月2,000台売る」なんて言っても、企画段階から成立しないでしょうね(笑)
この後、車の価格は、まだまだ上がりますが、バブル景気に突入することで給与はもっと上がりますから、まだ未検証ながらも、所得比で車の購入価格が一番高かった時代なのかもしれません。
それでも当時のハイソカー(高級車)ブームは、年齢に関わらずでしたから、皆ある意味不相応かもしれない車の購入に躊躇することはありませんでした。簿給の若者もこの頃始まった長期のローンを組んででも購入したのです。
言い換えるなら、それだけ夢中にさせる車が揃っていたということなのかもしれませんね。
余談1
ここのブログを読んでいる方ならお分かりの通り、当時の父の車はFFカローラ。東京から少し離れた地に住む少年には、世の中で流行しているハイソカーなるものは憧れるだけで、縁はなかったのですが。
余談2
ハイソカーブームでは、今でいうDセグメントのドイツ車の人気も盛り上がります。ちょうどメルセデスの190Eが輸入開始となり話題となっていますね。
御三家の価格を上から並べると
・メルセデスベンツ190E:5,350,000円(補正後:8,025,000円)
・アウディ90:4,260,000円(補正後:6,390,000円)
・BMW318i:3,950,000円(補正後:5,925,000円)
いずれにせよ、お安い方のBMWやアウディでもクラウンやソアラの最上級と同等の価格ですから、今のように日本車との直接比較関係には、なかなか成り得ませんでした。
今の価格なら約600万円にもなるBMWを”六本木のカローラ”と呼んでいたというのもスゴイ話ではあります(笑)
ミドルサイズカー以下は後編に続けます。