
少し前に取り上げた
第23回東京モーターショーのトヨタ広報資料が好評でしたので第2弾をやってみます。第23回からは、4年の時が経過していますので、両方を比較をしてみると、時間の経過が実感できて、興味深いかもしれません。
これまた最深部からの発掘ものでして、モーターショー関連の広報資料の手持ちは第23回のみだと思っていたら、実はこの回も持っていたという(笑)
こうなると、たまたま運良く広報資料を入手したのではなくて、一般入場でも比較的大量に配布されていたのではないかという、推測が成立したりですが。
前回のシグマクラブのコメントに、「今このネタで話しているのは、ここだけでは?」とあったのですが、こちらも同年代でして、同じように唯一ネタの気もします(笑)
前段はこのぐらいで、順を追って紹介していきましょう。
最初の見開きの構成は、第23回の同資料とほぼ同様です。
カラー製本というのは大きな違い。
左頁に、出品内容と参考出品であるFX-1に込められた最先端技術を紹介するという目次。
右頁は、概要と会場全体図です。開催会場は、晴海の時代が続いています。
筆頭コピーが「新しい時代をひらくTOYOTA」から、当時のカタログの背表紙でも使われた「新技術-時代はTOYOTA」に変わっていますね。
左頁は、乗用車館の紹介
この時の参考出品は後で紹介する6台です。
4年後ということで、登場したばかりの新型クラウンが第23回同様、カットモデルで展示されていたようです。
右頁は、市販車を一覧で見せつつ、出品車一覧を紹介
ビスタ店の開設に伴い5チャンネル体制となりましたが、併売モデルはソアラのみで他は専売モデルとなります。直線基調のスタイルから曲線に移行しつつあるのがお分かりいただけると思います。
モデル数がだいぶ増えたため、全ボディタイプを展示するスペースは既になく。出品車の中には、チェイサーターボやビスタ5ドアのディーゼルターボ等、希少仕様が含まれています。
ここからはしばらく参考出品車の紹介となります。
左頁は、FX-1。
最先端技術をスポーティなスタイルで包んでいます。詳細は後ほど紹介しますのでここでは省略。
右頁は、TAC3。
10年後に登場するRAV4の祖先という見方もできそうなコンパクト4WDです。センターライドの3人乗りというのが最大の特徴。4WD&ATは、レオーネとカリブで登場していましたが、まだまだ一般用途での購入は少なかったのがこの時代。初期コンセプトが模索されていたことが伺えます。
左頁は、翌年に登場するMR-2の予告編であるSV-3
お分かりのとおり、参考出品ながらほぼ最終段階。
市販モデルとはリヤスポイラーが異なる程度です。(このスポイラーは揚力が足りないとかだったような)
初期市販モデルには、Tバールーフとホワイト&シルバーのフルカラーボディは設定がありませんでしたが、どちらも後年に追加されています。
右頁は、クラウンステーションワゴンをベースとしたRT
ルーフ部のツーリングケースは、スタイルを損なうこともなくて、いいアイデアだと思うのですが、法規的には無理らしく。
自動車電話のアンテナは、置き場所がなくてボンネットに置かれています(笑)
後年に見た話によると、当時クラウンの主査だった今泉研一氏はステーションワゴンがお好きだったようで、「ステーションワゴンをとにかく出せ。しかも商用車館ではなく乗用車館に。」という熱い要望から出品したモデルだったようです。
左頁はセリカ ツインカムターボ ラリー仕様車
この時点ではグループBの公認を取得したばかりですが、翌年以降、サファリ3連覇の偉業を達成します。(しかも’85と’86は1-2)
「去年の王者は今年も一番で帰ってきた」「アフリカはもうセリカの独り舞台だ」と高らかに謳うCMを懐かしく思う方もいるはず。
右頁はマスターエースサーフをベースとしたCQ-1
通信技術云々といい、リヤキャビン部の作りといい、
西部警察のサファリを連想させます(笑)
通信内容としては、死語と共に現在のカーナビに取り込まれているものも多かったりしますね。
続いては商業車館の紹介
RVという言葉が散見されますが、4WD・ワンボックスワゴンは共に商業車館に展示されていました。
こちらの参考出品は5台です。
右頁は、参考出品の1台目、ハイラックス RV-4WDです
見てお分かりのとおり、翌年に発売されるハイラックス・サーフの先行モデルとなります。この時点で、北米仕様の”4 Runner”が先行発売されていたためか、左ハンドルで出品されています。
トレーラーのリヤランプはターセルセダンからの流用ですね。
前年に登場したワンボックスワゴンとクイックデリバリーを改装した一群。
左頁は、ハイエースをベースとした”PANORAMA SALOON”とタウンエースをベースとした”WINDY”。
PANORAMA SALOONは、観光バスのフルデッカー辺りにヒントを得て、スーパーロングをベースに後部の高床を実現したモデル。アイデアは面白いですし、現行グランドキャビンでも実現可能に思いますが、(特に荒い運転の)後席にはあまり乗りたくない気もします(笑)
WINDYの名称はカローラIIが有名ですが、登場はこちらが先。ミドルルーフをベースに大胆に屋根を取っ払っています。ボディ剛性を云々するのは野暮というもの。黒のボディカラーに赤レザーの組合せは意外と今風にも見えます。
右頁は、クイックデリバリーをベースとした、”DOCTOR CAR”と”FRESH STORE”。
DOCTOR CARは、救急医療という着眼点は良かったものの、実際の現場で必要なのは高さよりも平面積ということで、クイックデリバリーではなく、ハイエースの大型バンがその役目を果たすこととなります。
ここからはFX-1に注ぎ込まれた新技術の紹介です。
後年に登場する技術が、意外とここで登場していたりするのです。
先ずはスタイリング・ボディの話
空気抵抗係数は0.25で、現在でも十分通用する値です。
チルト&グライドドアのアイデアは、4リンクヒンジで2代目ソアラが同様の効果を実現しています。
カラーコーディネーテッドコンビネーションランプは色が変わる新機軸とのことですが、今ならLEDで実現させるのでしょうね。
続いてはエンジン・ミッション編です
後で登場する1G-GTEUをベースにさらに新技術を投入しています。
こちらは水冷ではなく空冷のインタークーラーとなっています。さらに可変バルブタイミングやディスレスイグニションも採用。どちらも後年の市販車に採用されている技術です。
ミッションは当時最先端だった電子制御の”ECT-S”を採用しています。
個人的私感ですが、FX-1の最大の見どころは、このシャシー
4輪ダブルウィッシュボーンですから、2代目ソアラ&初代スープラの先行開発だったことは間違いなく。2代目ソアラは、最上級グレードに最小されたエアサスが話題となりますが、こちらは油圧のハイドロニューマチックサスとなります。実は採用を検討していたのか、もしくは3代目のアクティブサスの基礎研究だったのかは不明です。
4輪ESCと車速感応型パワーステアリングの組合せは、翌年のマークII3兄弟で早々に製品化されます。後者は”PPS”という略称が付きます。
続いてはエレクトロニクスと新素材の話です。
メーターはセンターにカラーCRTディスプレイ、両サイドにカラー液晶ディスプレイを採用しています。今なら液晶大画面で仕上げてしまう所ですが、当時はこれが限界。
CRTディスプレイは、エレクトロマルチビジョンの名で2年後、ソアラに初採用されることとなります。「メーターの中にTV!」と当時は驚いたものです(笑)
固定ステアリングパッドスイッチは、日産が製品化したものの、トヨタは採用を見送っています。
液晶式オートデイ&ナイトミラーは普及したものの、オーディオはDADで、ライセンスランプとカーテシーランプは蛍光灯という辺りが時代を感じさせます。30年以上の時間の中で最も進歩したのはエレクトロニクスだと思うので、差があるのは当然なのですが。
新素材に関してはよく分かりませんので省略します。
2年程前からシリーズ化された新世代エンジンは、ラインナップがかなり充実した状態。”LASRE”をベースに4バルブDOHCとした、1G-GEUと4A-GEUは、”LASRE α”とされています。M型が含まれない(後年、7M-GEUが含まれます)一方で、同年代のV型、T型、K型が含まれるという辺りはきっとメーカーの都合(笑)
参考出品としては、1G-GEUをベースとしたツインターボと2S-EUを4バルブDOHCとしたエンジンが出品されていました。
前者はご存じのとおり2年後のマークII3兄弟に1G-GTEUとして、後者は翌年カムリ・ビスタに3S-GELUとして搭載されます。
2Sと3Sではボア×ストロークが異なる(2S:84×90、3S:86×86)のですが、この時点ではどちらだったのかは変更の経緯も含めて不明です。
SV-3が登場したことで、4タイプの駆動方式が揃います。さらにFFには縦置きと横置きがあったわけで、上の各種エンジンと組み合わせれば、様々なモデルを作れる体制にあったのです。
ということで、いかがだったでしょうか。
この少し前までの参考出品、特に目玉商品は、そもそも走れるかすら怪しいようなモデルが多かったのですが、この年代辺りから製品化一歩手前の近未来技術を満載した車に変容していきます。
トヨタ的には、新世代エンジンの展開やFRからFFへの転換も順調に進んでいて、商品力を訴えつつ、強力な販売網をバックボーンにして、市場シェアの拡大に取り掛かろうかという時代ですね。
この後間もなく、サスペンションに”PEGASUS”と名付けて”LASRE&PEGASUS”を謳い、あの有名な”Fun To Drive”への展開に至る過程は、まだ幼かった少年に、将来はキャストの一人となるであろう”明るい未来のクルマ社会”という夢を見させてくれたのです。
(”FUN TO DRIVE,AGAIN”では夢を見せてもらえていないという不思議・(笑))