
真ん中にお出かけ日記を挟みましたが、話を元に戻します。
ちなみに、厳しい書き方に見受けられるかもしれませんので、当時を純粋に懐かしみたい方は画像のみを見て、本文は読み飛ばしてくださいませ。・・・などと事前に予防線。
いよいよ日産編です。
この年の日産のモデルチェンジを追っていくと、3月にシルビアをモデルチェンジすると共に姉妹車のガゼールを追加。6月にセドリック&グロリアをモデルチェンジして、ショー開催中の11月にはブルーバードをモデルチェンジという1年でありました。
いずれも、直線を基調とした若干派手目に見えるスタイルが好評で、トヨタの追撃体制が本格的に整ったかのように思えたものです。
それでは、トヨタ同様に乗用車版から紹介していきます。
最初の見開きには、テストコースを疾走する2台。
セドリックとブルーバードというこの年を代表する新型車なのですが、
第21回のトヨタは同じようなアングルでもっと台数を走らせていたことを思うと、若干物足りない気もします。生粋の日産車という選択ではないと思うのですが。
続いては、セドリック&グロリアに採用された各種エレクトロニクス技術の紹介。
”ECCS”は、日本初のエンジンのコンピューター制御ということで確かにエポック的存在。トヨタが”TCCS”名でコンピューター制御を導入するのはもう少し後になります。
ドライブコンピューターはシルビア&ガゼールに初採用されて、かなり注目を集めました。その後、順次装着車を増やしますが、80年代中頃には消えてしまった装備の一つとなります。
レーダーカーは、現在の衝突低減ブレーキの元祖となる技術です。もっとも、この回の前の回にローレルに搭載して参考出品された技術だったりなのですが。
ショーの直前には、第二次オイルショックが勃発。ガソリン価格の高騰が起こっていましたので、省エネルギーは避けて通れない課題でした。
日産もトヨタ同様、空力や軽量化による改善を目指していたことが分かります。
下のエンジン群の内、日本初の量産ターボチャージャーエンジン”L20ET”と6気筒ディーゼル"LD28”は、ショーの直前にセドリック&グロリアに搭載されて、話題となります。どちらもトヨタより早い市販化でした。
ショー2日目となる11月2日に発表&発売された910ブルーバードが見開きで紹介されています。ショーは11月1日から11月12日の開催でしたから、タイミングを合わせたのは明白。
前代であるブルーバードUの面影を彷彿させていた810型が、僅か3年半弱でいきなりこんなモダンになったのですから、それはもう驚きでありました。
910型はデザイン・技術共に評価が高く、このクラスのベストセラーの座をコロナから取り戻して、長くその座に座ることとなります。
当時の日産のワークスラリーカーだったのは、510ブル-バード → 710バイオレットからその座を受け継いだ、A10バイオレット。
70年代のラリー界では、トヨタセリカよりもこのバイオレットの方が良い成績を残しています。バイオレットがT11に変わるにあたり、S110シルビアにその座を譲ることとなります。
ここからは、販売系列別のモデル一覧です。
左は日産店。右上はモーター店。右下はサニー店となります。
今にして思うとモデル配置が上手くない印象を受けますね。
ブルーバードとバイオレットはセグメントが近過ぎですし、サニー店のサニーとスタンザの関係も同様。
それまでの歴史の中で、元は同一車種だったのを分けたことがその原因なのですが、結局分家モデルの独り立ちを阻害することとなってしまいます。
左上はチェリー店、左下はプリンス店となります。
チェリー店は、遡ると愛知機械工業のコニー店となりますし、プリンス店は、もちろん日産合併前のプリンス自動車の系列。
当時の社内風土までは知る由もありませんが、何となくこの2系列は他の3系列と比べて、遠縁の風情を感じざるを得ません。それでもトヨタより先に販売店の5系列体制を整えていたのです。
トヨタ対比だと、日産店vsトヨペット店、モーター店&プリンス店vsトヨタ店、サニー店vsカローラ店、チェリー店vsオート店、となるのでしょうね。
右頁は、日産も力を入れていたワゴンの紹介。
ここではバネットコートとサニーカリフォルニアが掲載されています。
当時の日産ワゴンで連想するボディカラーはこのイエローですし、ウッドパネルもまた当時を象徴するアイテムですね。
続いては商業車の紹介です。
見開きは、今ではすっかりビル街となってしまった新橋&汐留の当時の風景です。
当時は、国鉄の貨物列車・荷物列車のターミナル駅である汐留駅がありました。今、汐留駅と言うと、ゆりかもめor都営大江戸線が連想されるのでしょうね。
日産の商業車をベースとした特装車の数々。
この辺りは”働く車”がお好きな方には喜んでいただけるかと(笑)
何せ”ファイヤーパトロール”に”公団430”の新車当時の姿なのです。
こちらも”働く車”ですが、どちらかというと地味系。
一番上のセドリックワゴンは、乗用車版で紹介したラリー・バイオレットのサービスカーのようです。
この頁は、当時第一次ブームとなっていたワンボックスワゴンへの日産からの提案。
何となく日産の方が当時のバニングブームをそのまま表現しているように見えます。翌年登場したキャラバン&ホーミーとは、明確に方向性が異なる参考出品ですね。
翌年”サファリ”として発表される4WDが”パトロール”として参考出品されています。当時の国内の4WDは、レオーネ以外ミリタリータイプの風情を残すタイプでしたから、えらく斬新に見えたものです。
ドアミラーと標準ルーフ&前向きの後席は、市販時にはない組み合わせですが、おそらく中近東向けが先行していたからと推測します。
今に続く「愛は地球を救う」もこの時はまだ2年目でした。
ここでは、バネットとキャラバンをベースとしたチェアキャブが紹介されています。
その他に、ニッサングリーンカップや海&空関係の紹介も
ここからは商業車のラインナップの紹介です。
こちらは乗用車と異なり、車型ごとの紹介で系列ごとの紹介とはなっていません。
左頁は乗用車ベースのライトバン。右頁はトラックとなります。
乗用車に付随するライトバンはともかく、トラック&キャブバンの世代交代はトヨタより一足遅れています。翌年以降、キャラバン&ホーミーをモデルチェンジ。トラックをアトラスに統合して新世代の体制を整えることとなります。
左頁はキャブバン&マイクロバス、そしてフォークリフトも紹介されています。
右頁は系列とサービス体制が紹介されています。
パンフレットの紹介はここまでで、最後にまとめなど。
ラインナップを見ても、両社に商品力や物量の差はそれほど感じられないと思います。
ところが、前回も書いたとおり、ここからの5年間が両社の命運を分けてしまったと認識しているのです。
この時点の両社の勢力図を乗用車のクラス別で解説すると、中型車クラス(2000cc以上)と大衆車クラス(1600cc以下)は、それぞれクラウンとカローラが強かったことからトヨタ優勢。中間の小型車クラス(1600cc~2000cc)は、ブルーバードとスカイラインを持つ日産が優勢でした。
そこでトヨタは小型車クラスを、もう一方の日産は大衆車クラスの攻略にとりかかります。その過程では、両社共に5系列体制の確立、続いては各系列のフルライン化という具合にどんどん戦線が広がっていくこととなるのです。兄弟車あるいは姉妹車と呼ばれる新ネーム車が一気に増えたのはこの時期ですね。
技術的な視点から見ても小型車以下はFRからFFへの転換という一大変換期。正しく両社の社運を賭けた総力戦が行われたのでありました。(マツダやホンダはその間隙をぬって勢力を拡大するのですが、その話は別の機会とします)
総力戦の結果は・・・
明けた1980年代初頭こそ、910ブルーバードが絶好調、さらにターボブームを巻き起こした日産が攻めますが、中型車と大衆車を防衛しつつ、やがて小型車の勢力図を逆転させたトヨタの勝利となります。全体の遷移としては、変革期でもシステマティックに需要を上手く誘導したトヨタと、トヨタに翻弄される内にメンツ無き戦いを始めてしまった日産というところでしょうか。
個別車種で見ると、両社それほど大きな差はなかったように見えていただけに、両社を隔てた差は全体を俯瞰できていたかどうかの差だったと思うのです。
その僅かな差が、大きな違いとなってしまうというあたりが、クルマという商品の実に怖いところでもあるのですが。
歴史に“IF”は禁句ですが、日産にこの時期、全体を俯瞰する目と判断力、そこからの選択と集中が出来ていたら、きっとその後の日本のクルマ市場の歴史は変わっていたはずなのです。