
今回は1980年代のホンダ車の第2弾ということで「バラードセダン」を取り上げてみます。
少し前に、1980年代のホンダ車について、「初代シティが大ヒットして以降は、ほぼ連続してヒットを続けることとなります」と書いたのですが、そんなヒット作を連発する中にあっても、”ほぼ”以外に当てはまるクルマも存在していたわけです。
このクルマは、その筆頭かもしれません。
クルマの出来自体は、(特にこの2代目は)決して悪くなかったように思うのですが、地味な存在のままモデル半ばでひっそりと消えていってしまいます。
モデル廃止から30年近く経った今では、脚光を浴びることは先ずなく、その存在自体、記憶の片隅に追いやられていた方が多いのではないでしょうか。
であれば、ここで再び取り上げるのも良かろうかと思いまして。
実はオプションカタログだけ掲載しようかと思ったのですが、車両概要のおさらいも兼ねて本カタログも掲載してしまいます。
発行は、1985年(昭和60年)9月となります。

2代目バラードは、先行した「CR-X」に遅れること3ヶ月の1983年9月に3代目シビックと共に登場しています。
当初は、セダンでは珍しいセミリトラクタブルライトを採用していましたが、1985年9月のマイナーチェンジを機に、固定式ヘッドランプに変更されています。
画像は、マイナーチェンジで新たに追加された最上級の「CR-Z」。

全体のフォルムは、80年代前半の第1期FFサルーンに共通する、高い屋根と立たせた各ピラーから構成される「ビッグキャビン型」です。
他社よりも明らかに低いボンネットが、高さを生かしたキャビンとトランク部分と対象的です。
画像は、「CR-M」から改称されたセカンドグレードとなる「CR-G」。

室内の紹介で、主にCR-Zが紹介されています。
同時期のカローラは、マークII風のマルーン内装色で絢爛豪華に走り始めていますが、こちらは当時のホンダ車に共通するシンプルながら趣味の良さそうな内装となります。
ATは当初、最上級グレード以外は3速のセミオートでしたが、マイナーチェンジに伴い、1.5Lはロックアップ機構付4速フルオート、1.3Lも同機構付3速フルオートに進化しています。他社の同クラスは、カローラの上級グレード以外、3速がまだまだ主流でしたので、4速オートマチックはセールスポイントになり得る仕様でした。

メカニズムの紹介です。
当初は、1.5Lに「PGM-FI」仕様もあったのですが、マイナーチェンジに伴いキャブ仕様のみに絞られています。
また、シビックには途中3ドアだけでなく4ドアにも1.6DOHCの「Si」が追加されたのですが、こちらは同系列のクイント インテグラへの配慮もあってか追加されることはありませんでした。
足回りは、フロントはトーションバーが特徴的なストラット式、リヤはトレーリングリンク式ビームを採用していました。

装備の一部と全グレードが紹介されています。
1.5Lに2グレード、1.3Lに2グレードの計4グレードとなっています。
主要装備一覧表と主要諸元表となります。
ボディサイズは、全長4,160mm × 全幅1,625~1,640mm × 全高1,385mmですから、現在のグレイスのサイズ、全長4,440mm × 全幅1,695mm × 全高1,475~1,500mmと比べると一回り以上は小さくなります。
このあたりが当時の同クラスの標準的なサイズでしたね。
続いてはアクセサリーカタログです。

表紙と裏表紙をつなぎを兼ねて最初にご紹介
最初の見開きで目次が紹介されています。
プレリュードとは異なり、実車は登場しません。
CR-Zに各種オプションを装着した状態が掲載されています。
小さい画像の方では、CR-Lにスイッチ。
ボディのフルカラー化はされていませんが、赤のボディカラーにはむしろいいアクセントになっているような気もします。
標準状態ではAM式電子チューナーのみ(ただし、CR-Uを除く)ということで、オーディオ関係のオプションが充実しています。
もっとも他社の同クラスの標準は、プッシュボタン式のAMラジオが大半だった時代ですから、電子チューナーはむしろ進歩的な設定でした。
プレリュードのオプション同様、「ALPINE」、「Clarion」、「PIONEER」の3社から選択可能でした。
ALPINEには、FMチューナー付カセットステレオという珍しい設定もあったようです。
シビックの兄弟車らしくアルミホイールの設定も豊富です。
エアロディッシュ全盛期ならではのデザインが揃います。
14インチの2ピース・エアロは左右別設定、メッシュを一捻りしたタービン・メッシュ等結構凝った設定なのです。
キャリア他の「Joyful Accessories」に類された装備群です。
電動伸縮式のリモコンポールはこちらにも設定がありました。
ハロゲンフォグライトはスタンレ-製。
同時期のトヨタ車のフォグライトだとハロゲンだけでなく白熱式の設定等種類が豊富だったりするのですが、こちらは種類を絞っていますね。
「Stylish Exterior」に類された装備群です。
現在ではベーシックキットに類される用品が並びます。
エアロパーツ全盛期らしく、この大人しいセダンにもリヤスポイラーの設定がありました。
フロアマットやシートカバー等内装関係が紹介されています。
フロアマットの「Hマーク・レッド」のデザインは斬新ですね。
シートカバーは不要のデザインに見えますが、意外とチェックのフルシートカバーを装着している事例は多かったように記憶しています。
トランクフロアマットの装着事例は、廉価グレードのCR-Lらしく、さしたるトリムを持たないことが確認できますね。
左頁は、ホンダ純正ケミカル。右頁は、設定一覧表となります。
最後にバラードの新車価格表を掲載します。
当時の同クラスの売れ筋は、CR-LとCR-Gの中間ぐらいだったはずなのですが、ちょうど抜けてしまっていますね。もう一つのお高めの売れ筋には、CR-GやCR-Zがピタリと嵌っていたのですが。
ということでいかがだったでしょうか。
先に触れたとおり、このバラードセダンは、翌年の1986年10月にはクイント インテグラの4ドアセダンと入れ替わる形でモデル廃止となり、初代から通算しても僅か6年ほどの短い歴史を閉じてしまいます。
成功とは呼べない結果に終わった主な要因は、登場当初こそシビックの4ドア的役割を担いながらも、本家のシビックにサルーンが追加されるに至って、完全な姉妹車となってしまい、販売力の弱いこちらが割を食ったということなのでしょう。
ただ、販売店内の後継となったインテグラの4ドアは5ドアを吸収する形で一定の成功を収めたこと、提携先での後継となったコンチェルトが国内では成功とは言えない結果に終わったことを考慮すると、どうも別の原因があったように思うのです。
当時のホンダ車は、他社よりも欧州車風味と評されながらも、実は国内で成功したのは北米での躍進も担ったモデルが大半だったりします。だとすれば、当時のホンダ車では、本来の欧州車風味よりも、この頃急速に国際化した北米コンパクト風味の方が好まれていたという意外な(?)仮説が成立する気がします。
もっとも世界戦略車などという存在が信じられた時代ですから、○○風味とやらが曖昧になりつつあったのももう一つの事実なんですけれどね。