
前回は、Y31のグランツーリスモを取り上げましたが、さすがは登場当時にかなりの話題となり、今でも根強い支持を持つ人気車でして、思っていた以上の反響となっています。
それであれば、グランツーリスモを調べていく過程で、ここにもスポットをあてようかと思っていたシリーズを取り上げることにします。
グランツーリスモが出るまで、セドリック/グロリアを代表するグレードといえばブロアムを連想される方が大多数だったわけですが、その脇にちょっと違ったグレードもしばらくの期間、並行配置されていたのです。
・1980年4月 SGL-F追加
先ずは1980年4月のカタログより
2015/6/3修正
Fはファンシーの頭文字からの引用のようです。ファンシーというとブルーバードの女性仕様車を連想しますが、セドリック/グロリアでは”上質な”の意味を取っていたようです。
Fはファッショナブル(Fashionable)の頭文字からの引用。
先代にあたる330にもFシリーズはありましたが、角型ライトとカラードホイールキャップ、ちょっと上級のオーディオが装備されていました。
SGL-Fでは、外観はトーン・オン・トーン(ツートーン)のボディカラーとスタールーフ、内装はアメリカ・チャサム社特製オーダーメード仕様を特徴としていました。
内外装共にライトカラーの仕立てであり、ダークカラーは選択できませんでした。
スタールーフの採用により、430ハードトップの特徴だったオーバーヘッドコンソールは、前半分だけとされています。
エンジンはこの時点ではノンターボのみ。少し前に追加されたターボは話題となっていましたが、同時販売のターボブロアムとの競合を避けたこと、あくまでもお洒落グレードのため走りの要望は低いと判断したあたりが、選択の理由と思われます。
同時期のブロアムの内装(選択の都合でこの画像のみ後期より)と比較すると、趣味性の違いは明らかです。
この内装を豪華と受け取る方が多数だったのですが(余談ですが、クラウンにもルースクッションを採用してほしいという声もあったそうです)、この手の内装は苦手な人も存在したということなのでしょうね。
自動車ガイドブックの1980年版によると当時の東京地区の価格は、
・280E ブロアム : 2,850千円
・ターボブロアム : 2,879千円
・ターボSGLエクストラ : 2,702千円
・
200E SGL-F : 2,697千円
・200E SGLエクストラ : 2,552千円
以上、全てハードトップのAT車
となっていますので、ノンターボながらターボSGLエクストラに迫る価格だったようです。
実は同時期のクラウンも同じような装備をアピールしていたりします。
1979年10月のモデルチェンジ時点では、2ドアのみランドゥトップとセットでツートーンカラーが選択可能だったのですが、その後ツートーンボデーカラーとランドゥトップは各々単独選択可能になっています。さらに4ドアハードトップでもツート-ンボデーカラーが選択可能に。
また、1980年3月にサンルーフ、同年6月にはムーンルーフを追加しています。
シート生地についても、2ドアのみ4ドア系とは異なるものが採用されています。
このあたりの事情については、モーターファン誌のロードテストの座談会において、話題となっていたりします。(正確にはクラウン登場時ですが)
○商売をなさっていると、あんまり差をつけて欲しくない。お客さんよりいいクルマに乗っているとなると困るから。逆にせっかく買うんだからもっと差をつけて欲しいとか。そういった面でいろいろ苦労している。
○(クラウンの)2ドアのランドゥ、それからツートンペイントというとかなり自己顕示欲が旺盛でないと乗れない感じ。マーケットリサーチをやると、そういうセグメントがあるとでるわけですか?
→ それは実際にあります。実はもっといろいろつけてほしい人もいるわけです。
○速く走るというイメージではなくて、たとえばヨットハーバーとか、高級なテニスクラブへ乗りつけるような使い方に、あまりぴったりするクルマがこれまでなかったのじゃないかと思うのです。
→ 同意複数。・・・だけど町の中を乗ったら、まわりの人はみんな謝っちゃうような気がしますね。
引用ここまで。
先行したクラウンが2ドアで若々しさや個性を表現したところ、セドリック/グロリアは4ドアハードトップの一部グレードで表現したと見ますが、内装の趣味性の違いはこちらの方が上手に表現していると見受けました。
この世界観を自己顕示欲旺盛と取るか、ちょっとお洒落な趣味と取るかは、意見が分かれるかもしれませんが、私的には後者に一票を投じたいと思います。
・1981年4月 マイナーチェンジと同時にターボSGL-Fが登場
マイナーチェンジでSGL-Fは、既に主力エンジンの座にあったターボ付きに進化します。それにより価格も上昇。ターボブロアム同等の高価格となります。
グロリアには、これにアルミホイールと各種ステッカー&バッチを付けた”ジャック・ニクラス バージョン(以下、JNVとします)”が追加されていますが、イロイロ話がややこしくなりそうなので、説明&画像は省略します。
1982年6月のカタログより
この時に、待望の電子制御OD付フルロックアップオートマチックが採用されています。
同時に、A.S.C.Dが標準装備化されると共に、液晶表示デジタルメーターの装着車が新たに設定されます。
月刊自家用車より1982年11月時点の東京地区の車両本体価格を引用
・280E ブロアム : 3,114千円
・ターボブロアム : 3,047千円
・
ターボSGL-F : 3,029千円
・ターボSGLエクストラ : 2,878千円
・JNV : 3,111千円
以上、全てハードトップのAT車となります。
・1983年6月 モデルチェンジ
新開発のV6エンジンを搭載したことが話題となりました。
クラウンは直後のモデルチェンジにより、2ドアを廃止しソアラに任せる道を選択します。一方の日産は、ソアラに近いモデルとしてレパードが登場していたものの、セドリックSGL-F(グレード名はV20ターボFに変更)、グロリアJNVが共にグレード継続となります。
以下、時期を追って見開き画像を掲載します。
1983年6月のカタログより
モデルチェンジにより、唯一選択可能だったスタールーフを失うものの、新たな装備として、「局名表示番組予約電子チューナー」、「録音機能付カセットデッキ」、「マイコン式パワーシート」、「パワーランバーサポート」がリストに加えられます。
これらの装備は、V20ターボブロアムはもちろん、V30E ブロアムでも選択不可能な装備だったのです。
1984年1月のカタログより
シリーズ最上級となるV30E ブロアムVIPの追加が主な内容ですが、同時にカラードバンパーの採用が拡大されています。
1983年6月のカタログを彩っていた各種装備の多くは、ブロアムVIPにも設定されたため、この頁からは消されています。
V30E ブロアムの購入層から、ターボFのみの装備も欲しいという注文が付いたのでは・・・というのはあくまでも推測。
1984年6月のカタログより
更なるシリーズ最上級となるV30ターボシリーズの追加が主な内容ですが、同時にバックスキャナーが新たな装備として選択可能となりました。
バックスキャナーは、バックソナー名で先にコロナやカリーナが一部グレードで採用していた装備です。左右で警告音を変えているのが目新しいですね。ただ、寸法に余裕のない5ナンバーサイズのスチールバンパーには、センサーを埋め込むことが出来ず、バンパーに吊り下げざるを得ませんでした。
この後登場するアーバンXは方向性を軌道修正したように見えるため、Fタイプシリーズの集大成とも言えそうです。
月刊自家用車より1984年11月時点の東京地区の車両本体価格を引用
・V30E ブロアム : 3,429千円
・V20ターボブロアム : 3,267千円
・
V20ターボF : 3,228千円
・V20ターボSGL : 3,041千円
・JNV : 3,363千円
以上、全てハードトップのAT車となります。
・1985年6月 マイナーチェンジと同時にアーバンXが登場
マイナーチェンジでJETターボとスーパーソニックサスペンションの採用が話題となります。
それまで続いたFタイプは、両機構の採用と共に、スポーティ・パーソナル・シリーズを謳ったアーバンXに改称。同時にターボFよりもやや豪華装備だったJNVは名称そのままながらも、アーバンXと装備が揃えられています。
両グレードとも装備設定が変わって、やや走り重視方向に修正されています。
1985年6月のカタログより
オーディオ関係は局名表示や録音機能が省かれますが、バケットシートとアルミホイールが新たに装備されています。この変更は走り方向に振ったためと見ますが、スーパーソニックサスペンションが高かったため、オーディオを簡素化して価格調整をしたのかもしれませんね。
この時点で、主管は前回紹介した三坂氏が就任していますので、グランツーリスモ登場前の序曲にあたるかもしれません。
ただ、これまた前回紹介したとおり、想定以上の台数とはならなかったため、エクセレンスシリーズが追加されると、そちらに見開きページを譲っています。確かにシリーズ構成比率が2%では、仕方のない措置なのです。
月刊自家用車より1985年11月時点の東京地区の車両本体価格を引用
・V30E ブロアム : 3,529千円
・V20ターボブロアム : 3,327千円
・
V20ターボアーバンX : 3,404千円
・V20ターボアーバン : 2,849千円
・JNV : 3,404千円
以上、全てハードトップのAT車となります。
ということで、あまりまとまりは良くありませんが、何とか繋げてみました。
以下、諸考察
このシリーズ、引用した座談会にあるような使い方が、きっと想定されていたのだと思います。ただ、メーカーが満足できるほどの需要はなかったということなのでしょうね。その手の需要は、間もなく登場したレパードやソアラに移ったというのも需要が伸びなかった要因かと思います。
そういう意味ではトヨタの読みが正しかったと言えるのですが、珍しく日産の方が後まで諦めずに粘ったという珍しい事例ともなりました。
思うにこの趣味性って、2代目セドリックの途中まで日産が表現したかったものの再挑戦に思えるのです。本当はこんなのをやりたいと思いつつも、市場の需要は別の動きをしていたような。
結局はグランツーリスモが後を継ぐこととなるのですが、大型セダンがスポーティ一色となった今、再び問うてみると面白いのでは、と思うのは素人の気楽さではあります。