
思い出のクルマ第27回です。
今回はトヨタが支配する天下泰平の時代におどり出た、シーマを頂点とする真田十勇士の1台(この話の元は
こちら)になります。
このクルマ、ミドルサイズのスペシャルティカーとして、ライバルのプレリュードやセリカを退ける人気を誇ったクルマですが、それだけでは過小評価の気もしていまして、実は過去から現在に至るミドルサイズ~の最高峰じゃないかとも思っています。
さらに言えば、この先も社会的影響度という点において、このクルマを上回るクルマは出現しないんじゃないかとも。まぁ、それぐらい若者の人気を集めたクルマだったわけです。
私自身は縁のないクルマだったのですが、同級生や同僚やらが乗っていたため、結構乗る機会の多いクルマでもありました。
そんなS13シルビアは、1988年5月に登場して、1991年1月にエンジンを換装すると共にマイナーチェンジを実施。その後1993年まで販売が続けられています。
人気車の例にもれず、その間も一部改良や特別仕様車の追加等、販売のテコ入れをされることも多かったですね。
そんな訳で、カタログの種類も数多いのですが、今回は後程述べる話に合わせて、1991年1月発行のカタログを取り上げます。
ついでに今回は、月刊自家用車誌の1991年8月号に掲載された、車種別総合研究からいくつか話を拾うことで、補完していくことにします。
最初の見開きは、販売の主力となるQ’sダイヤパッケージ。ボディカラーは、従来のブルーイッシュシルバーに代わって、新追加されたパープリッシュシルバーツートン。
マイナーチェンジにより、従来のロービーム&ハイビームに加えてフォグランプもプロジェクター化した3連プロジェクターヘッドランプが採用されています。
同じく、Q’sダイヤパッケージ。
アルミホイールは、先に改良されたセフィーロに続いて、エアロディッシュタイプから7本スポークタイプに変更されています。同時にこのアルミホイールと組み合わされるタイヤも、195/60R15から205/60R15にサイズアップ。
さらにQ’sダイヤパッケージ。
従来型のスタイルが大変好評だったため、外板パネルには手が入れられていません。
主な変更点としては、先に書いたアルミホイール・3連プロジェクターヘッドランプの他にリヤスポイラーが挙げられます。
そのリヤスポイラーですが、当初は賛否両論があったようです。
曰く「お客様の声で最初あったのは、スポイラーに対してですね。「従来型のスポイラーが付けられないか」と。」
もっとも直ぐに肯定的な方が増えたようで、「でも、実際には、今、変更後のスポイラーが不足しているくらい」と付け加えられています。
ちなみに当時の装着率は、バックオーダー分も含めて、86%くらいとのこと。
同じくQ’sダイヤパッケージですが、こちらのボディカラーは、イエロイッシュシルバーツートン。イエロイッシュシルバーもマイナーチェンジで新追加となったボディカラーでした。
当時の日産は、シルバーやホワイトの領域内で色味を加えたボディカラーが多かったですね。
Q’sダイヤDSPパッケージのインパネ
ステアリング形状やDSP機能を備えたオーディオが変更点となります。
従来型はベージュ色の内装もあったのですが、マイナーチェンジに伴いオフブラック一色に絞られています。
Q’sダイヤDSPパッケージのインテリア。
従来型は、一体成形のバケットシートを採用して、シルビアのインテリアデザインの特徴となっていました。
マイナーチェンジにより、可動式ヘッドレストが採用されていますが、曰く「トータルバランスや機能美で評価を得ていたのですが、ヘッドレストが動く方がありがたいという声もありまして。基本的な形状は踏襲して、ヘッドレストを可動式にしました。」とのこと。
その他に、ユーザー側の声を反映した改良として、助手席だけだったサンバイザーのバニティミラーについて、女性からぜひ運転席側にも付けてほしいという要望があるということで、運転席のサンバイザーにも設定が追加されています。(もっとも、当時の女性比率は約1割とのこと)
オプションで選択できるインテリアです。
左頁は、従来型の途中から追加設定されたレザーセレクション(ただし名称はレザーパッケージから変更)。14.0万円(ハイキャス無車。ハイキャス付は1.5万円安)の追加で選択可能でした。
右頁は、新たなオプションとなる、大理石模様をあしらったスエード調クロスが特徴的なアートテリアセレクション。
従来型はK’s&J’sとQ’sでシートクロスを分けていたのを、統一した代わりという見方も出来ますかね。
マイナーチェンジの最大の目玉は、従来搭載されていたCA18系から、先にブルーバードやプリメーラに搭載されたSR20系への換装でした。メーカーも驚いた事象として、「従来の1800を下取りにして、新たに2000を買われるユーザーが、販売当初結構見受けられた。」そうです。「スタイルはもちろん気に入られて、しかもSRエンジンを待っていたのかなと思います。」と分析されています。
従来通り、ターボ付きのSR20DETはハイオク仕様、ノンターボのSR20DEはレギュラー仕様となります。SR20DEはプリメーラでハイオク仕様も世に出ていたため、シルビアに搭載してもよかったのでは?という質問がよくされたようですが、「全部ハイオクになって選択の余地が無くなる。レギュラーを希望されるお客様も多く存在することを考慮した。」「これだけ売れるとユーザー層が相当広がる。しかもマイナーチェンジをして続投していくことを考えると、ターボとNAをより広い範囲に分けなくてはならない。」と答えられています。
SR20DETを搭載したK’s(AT)の0→100km/h加速は9.77秒、0→400m加速は17.01秒。SR20DEを搭載したQ’s(AT)は、それぞれ11.51秒、18.04秒という記録が残っています。
マイナーチェンジに伴い、従来のハイキャスIIは、スーパーハイキャスに進化しました。このオプション価格は9.6万円(K’s。Q’sとJ’sは1.4万円高)でした。
時代の要請により、後席3点式シートベルトやサイドドアビームの採用等、安全装備も充実しています。
まだオプションだったABSの価格は13.2万円でした。
若者と音楽は切り離せないという配慮からか、メーカーオプション・ディーラーオプションから多彩な選択が可能でした。
従来型ではダイヤセレクションに標準設定されていたCDプレーヤーが標準から外された代わりに、DSPがオプション選択可能となっています。このオプション価格は、21.0万円でした。
各装備類の紹介です。
ここでも各オプション価格を紹介すると、電動スライドガラスサンルーフ:7.8万円、フロントウィンドーディスプレイ:3.1万円、アラーム付リモコンドアロック:3.1万円、ピュアトロン:3.06万円、電動格納式ネオンコントロール:2.39万円となります。
登場当初のように、パッケージオプションで不要なものまで買わされることはなくなりましたが、オプション選択を欲張ると結構なお値段となる設定ではありました。
従来のダイヤセレクションに代わって設定されたダイヤパッケージです。
2000と一目で分かる装備に加えてオートエアコンも装備されるということで販売の主力と目されていました。
ダイヤパッケージの価格は、32.2万円(K’s及びQ’sのハイキャス付。Q’sのハイキャス無は1.4万円高)でした。
ここからは、グレードの紹介になります。
K’sの新車価格は、MT/ATの順で、203.9万円/213.6万円
Q’sの新車価格は、MT/ATの順で、162.1万円/171.8万円
共にダイヤパッケージ無のノーマル状態は希少ですね。
グレード別販売比率は、K’sが25.7%、Q’sが74.1%、J’sが0.2%ということで、上位2グレードが大半を占めていました。
既にATが大半を占めていた時代にも関わらず、比率は50.6%。この数値は、やはりMT比率は高かったという見解と、走りのクルマの割に意外とATも多かったという見解に分かれそうですね。
J’sの新車価格は、MT/ATの順で、152.6万円/162.3万円
売れ筋のボディカラーは、1.スーパーブラック、2.イエロイッシュシルバーツートン、3.パープリッシュシルバーツートンの順でした。
スーパーブラックは、当初設定が無くて途中から追加されたカラーだったのですが、瞬く間に最多量販カラーに上り詰めています。
主要装備一覧と諸元表です。
ということでいかがだったでしょうか。
先に軽く書いたシルビアの販売台数は、(1989年:81,200台、1990年:63,890台、1991年:55,891台、1992年:36,274台)という結果でした。これは、プレリュードの販売台数(1989年:41,659台、1990年:21,742台、1991年:22,628台、1992年:23,724台)や、セリカの販売台数(1989年:11,997台、1990年:29,451台、1991年:16,724台、1992年:10,969台)はもちろん、一クラス下の最多量販スペシャルティカーであるレビンの販売台数(1989年:67,410台、1990年:58,605台、1991年:46,511台、1992年:37,075台)よりも多い台数だったのです。
この台数に近い例としては、1989年はチェイサーの販売台数(1989年:81,999台)、1990年以降はカリーナEDの販売台数(1990年:67,800台、1991年:51,446台、1992年:33,406台)が挙げられます。
(以上、販売台数は月刊自家用車誌に掲載された自販連調査の新車販売台数から引用)
リヤドアを持たない2ドアの販売台数としては、空前の台数を売ったクルマと間違いなく言えます。さらに年齢別の構成でも、「20代が70%強」といった具合ですから、作り手の言う「シルビアというのは、若い人が最初のうちに一回通過する車種」は決して誇張ではなかったのです。
もっとも、後半の台数下降は若者の人気がRVに移行した影響を受けたという見方ができそうですが。
このシルビアは、先代の不人気のために、コンセプトを一から練り直すことから始まっています。その結果は、コンセプト・スタイリング・イメージ・販売戦略等のそれら全てが非常に上手くリンクした(特に日産としては)珍しい商品となりました。
その結果、走り重視から軟派路線まで門戸が広く、しかも男女問わずの大人気となりました。好かれるだけでなく、決して嫌われることのないクルマという意味でもこの種のクルマとしては稀有な存在だったのです。
既にお分かりのとおり、私自身も好きなクルマでさらに褒め続けることも可能なのですが、長くなりましたので、最後に一番思い出に残る1台の話を少し。
就職して2年目の同僚が買ったのが、この後期のQ’sのMTでした。
色は後期には珍しいダークグリーンで、オプションはダイヤセレクションのみ。本当はアートテリアも装着したかったようですが、注文生産になるため納期が延びると言われて諦めたようです。
コミで200万円強ぐらいの価格は、頭金以外はローンを組んだようで、購入先は低金利ショップでした。たしか6.9だか8.9だかという利率は当時としては低いものだったはずです。
彼は、このシルビアをテニス・ゴルフ・スキーの足に活用し、その中ではいくつかのアクシデントも経験し、時にはクルマに手を入れてという具合に、日々の生活の中で楽しみつつ乗っていました。結局5~6年は所有していたと記憶しているのですが、こうして思い出しても、正しくメーカーが想定するどおりの事例だったなと思うわけです。
運転した印象としては、ATの5ナンバーフルサイズセダンに乗り慣れた身にはMTの引き締まったサイズは走りが楽しかったというのが一つ。このインテリアスペースは二人だけのために演出されたものだなというのがもう一つでありました。
MR2の回(リンクは
こちら)でも書いたとおり、これも乗れる時期は限られている訳で、若い時分にシルビアを買えた人というのは今になって羨ましく思えたりするのです。