
思い出のクルマ、第29回です。
高級車というお題目は同じながら、前回のプログレが国内専売のコンパクトFR、今回のウィンダムは輸出主力のワールドワイドFFということで、手法は逆となりますね。
そんなウィンダムは、1991年9月に3.0Lのみの2グレードで登場。その後、2.5Lを追加したり、マイナーチェンジを受けたりしながら、2代目が登場する1996年まで続きました。この時期のトヨタ車らしく、最初期のモデルが一番豪華であり、改良の都度コストダウンが進んでいくモデルでもありました。
今回のカタログは、最もらしかったモデルということで最初期型のBカタログをチョイスしてみました。本カタログは、大判のため、あえてこちらにしたという理由もアリ。
最初の見開きです。
イメージカラーであるダークグリーンを纏ったトップグレードの3.0Gが佇んでいます。個人的に初代ウィンダムというと、真っ先にこの色を思い出します。
「ほんとうのゆたかさ」・・・当時多用された言葉ですね。バブル時代に贅を尽くしたからこそ、「ほんとう」を求めたくなる空気感が満ちていたと言いますか。
右頁冒頭の「WORLD PRESTIGE CLASS」というのは初代ウィンダムを象徴する言葉でもありました。
ツートーンのボディカラーを用いつつクロームメッキを減らした外装やオプティトロンメーターや本木目パネルを用いた内装は、国際水準を目指す中でセルシオ(=レクサスLS)が用いた手法です。ウィンダムは、若干新しいデザイン手法を採用しつつも、レクサスが確立した記号的手法は継承していました。それは、従前のクラウンやマークII3兄弟とは明確に異なる手法だったのです。
3.0Gのリヤビュー
プロミネントや初代レクサスESが、5ナンバー枠の制限から横方向の制約を感じさせたことからすると、90mmの拡大は余裕があるというか、むしろ自然というか。
セダンとハードトップという違いこそありますが、この角度からの雰囲気は明らかにミニセルシオです。
初代ESはLSと同意匠のエアロディッシュホイールでしたが、ウィンダムでは3本スポークを採用。メッシュや5本スポークを見慣れていた身には、新鮮なデザインに映りました。
外装もレクサス流なら、内装はもっとレクサス流のおもてなしでした。
先述のオプティトロンや本木目に加えて、インパネにはソフトパッドを多用し、ロア部にはファブリック。エアコンパネルは液晶で、アンプ別体のオーディオと共に専用意匠。運転席PWの全スイッチ照明はもちろん、助手席PWスイッチにも照明を採用。
オプションのアイボリー色の本皮革シートを選択すれば、300万円台とは思えないインテリアです。先述のとおり、変更が進む中でこの中のいくつかのアイテムは徐々に失われていくこととなるのですが。
メカニズムの紹介の箇所ですが、フロントマスクの話を先に。
プロジェクターを用いたヘッドランプとフォグランプは、明らかにウィンダムの個性的なマスクの構成要素でした。
初代ESは、FFカムリ&ビスタ由来の足回りと2.5LのV6エンジンの組合せでしたが、ここでワイド化にあたり井型サブフレームを新開発すると共に足回りを新設計。V6エンジンは3.0Lに拡大されています。この辺りのメカニズム構成は輸出カムリ(=セプター)との共通ですね。
安全装備は当時用いられていた装備が一通り揃っています。
もう少しスタイリング話で引っ張ると、初代ウィンダムで気になったのは、相対的なホイールベースの短さとオーバーハングの長さでした。事実、全長4,780mmに対して、ホイールベース2,620mmというのは、同じV6を搭載した横置きFFである初代ディアマンテの4,740mm/2,720mmやマキシマの4,765mm/2,650mmと比較しても短い構成だったのです。キャビンフォワードが流行する前のロングノーズスタイルもそれを助長してた感がありましたね。
ボディカラーの一覧です。
ダーク系が主のボディカラーは、当初はホワイトが無いのが特徴でした。後日ホワイトパールが追加されています。
最下段の2色はレクサスESであることに注目。
これに限らず、レクサスとイメージをダブらせていたのが特徴であり、全くの新規車種であるウィンダムが早期に知名度を上げて、市場で一定の成功した秘訣でありました。レクサスが北米で大成功を収めていたからこそ、できた手法ですね。
「レクサスES300:日本名ウィンダム」「Are You WINDOM?」というCMを思い出す方も多いと思います。それまでも、それ以降も、北米での人気車が日本でも成功するというのは、ほぼないのですが、珍しく成功したケースとなりました。
主要装備一覧と主要諸元表です。
ちなみに当時の東京地区の標準価格は、3.0が2,898千円、3.0Gが3,318千円でした。81マークIIHTの2.5グランデGが2,903千円、140クラウンの2.5ロイヤルサルーンが3,280千円でしたから、その辺りが身内の想定ライバルだったのでしょうね。
他社では、インスパイア2.5Xiの2,868千円、ディアマンテ25V-SEの2,991千円や同30R-Sの3,319千円辺りは実際の競合も多かったと思われます。
ここでいつもの諸考察
初代ESは一見プロミネントハードトップと同じ装い風ながら、実際はかなりの部品が異なっていたのに対して、2代目ESとウィンダムは、ほぼ同じ装いであり、むしろ同一車種であることを謳う戦略でありました。
どうも、このウィンダム、登場時期からして、他店であるトヨタ店には新型クラウン&マジェスタ、オート店&ビスタ店にはアリストが投入されたことに対する、プロミネントの上級を求めるカローラ店への販売店対策という意味合いが強かったように思います。
登場当初の話題は、明らかにクラウン&アリストが表に出ていて、ウィンダムはその陰に隠れた印象が強かったのです。
ところが、ディアマンテが上級FFを開拓していたことで、ミニセルシオの佇まいを持つウィンダムも一定の成功を収めることとなります。特に3.0Lで登場しながらも、1993年8月に2.5Lを追加したことが販売には貢献したようです。2.5の2,688千円という価格は、そのクオリティを考慮すれば、お買い得感が高かったですね。
(ちなみに各年の販売台数を、月刊自家用車誌に掲載された自販連調査の販売台数から引用すると、1992年:29,467台、1993年:24,638台、1994年:29,161台となります。)
・・・などと書いてきて、最後に思い出話を少し
このクルマ、自分で買おうと思ったことはなかったのですが、かなり近しい身内が、前期2.5のダークグリーンを新車購入して乗っていたため、下取りまでの10年以上に渡って、近くにあったクルマでした。
乗ってみた印象としては、VZエンジンは同じ6気筒ながら、1Gや1JZとはフィーリングが違うというのが一つ。ハンドリングも前が重い印象が強くて、見切りが今一つで四隅が掌握しにくいデザインと相まって、良く言えば重厚感がある。悪く言えばやや鈍いといったものでした。大人しく乗っている分には、その静粛性もあって高級感はあったのですが。
その一方で、マークII系とクロスする価格帯ながら、レクサスブランドで売るがための高級感の演出、一段上の質感や作り込みがそこには存在していました。一度、助手席PWスイッチに81にはない照明を見つけて、流用目的でPWスイッチを取り寄せてはみたものの、コネクタ形状違いが判明して断念したこともあったというのは余談です(笑)
持ち主も、この質感の良さは十分理解していたようで、一度分離帯に乗り上げて全損寸前まで行きながらも、2代目の質感には満足せずに修理で復活させた程でありました。
この時の修理には、自分も絡んでいて、自分の81を持ち込んでいた馴染みの某店に修理を依頼。サブフレーム一式他、フロントフレーム&足回り関係をあらかた交換するという、請求書約10頁、お値段ほぼ7桁、期間3カ月に及んだ大修理は、なかなか未曾有の経験ではありました。
この修理は、ほぼ完全に蘇った自車に持ち主は満足。修理を受けた某店も手間に見合う以上の料金を貰って満足。仲介の私も顔が立って満足という3者の利害一致の大成功となったのです。
この時以降、自車の点検や補修に持ち込んだ際には、それまでよりも何だか対応良くしてもらえるようになったのは、きっと気のせいではないと思います(笑)
そんなウィンダムも、12年目を迎えていたとある日に、オーバーヒートを起こして、最終ウィンダムに代替されることとなります。結局満身創痍の体ながらも、思い出だけを残して北陸方面に去っていきました。
今こうしてカタログを振り返ってみると、パーソナルサルーンとして中々の成り立ちだなと思う一方で、懐かしいという思いが何よりも真っ先に浮かびます。そろそろ注目を集めてもいい頃合いかもしれませんね。