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2015年11月13日

第26回東京モーターショー、マツダパンフレットの話

第26回東京モーターショー、マツダパンフレットの話 今から30年前のモーターショーのパンフレット、第2弾としてマツダを取り上げることにします。

今回のモーターショーで話題になったクルマというと、「Mazda RX-VISION」を挙げられる方も多いと思います。このRX-VISION、「ひと目でスポーツカーとわかるパッケージに、圧倒的に低いボンネットと全高を可能にする次世代ロータリーエンジンを搭載」するのが特徴となりますが、実は30年前にも似たコンセプトのスポーツクーペがエンジニアリングコンセプトカーとして参考出品されています。

30年という時を超えた一致となると、やはりここで取り上げないわけにはいかないだろうということなのです(笑)

それでは、以下紹介していきます。




1990年代の高性能4シータースポーツクーペの提案として、当時流行の最盛期にあったフルカラーホワイトを纏って参考出品されたのが、この「MX-03」でした。

当時の近未来技術についてはこの後紹介するとして、ここではそのまま現在のマツダとしても通用しそうな冒頭のコピーを取り上げてみます。

今回のモーターショーのメッセージ(リンクはこちら)と比較すると、言い回しこそ異なりますが、社として伝えたい思いはあまり違いはないことが、ご理解いただけると思います。

これ、マツダの一貫した思いという見方も可能ですが、自分的には、この30年間の紆余曲折からすると、ようやくこの頃に返ってきたという見方をしたいところです。





そのコンパクトさを生かして、ロータリーをフロントミッドシップに搭載したボディは、全長4,510mm、全幅1,800mm、全高1,200mmという、広く、そしてとても低いサイズでした。4シーターを謳っていますが、実質的には2+2に近いでしょうね。

後述する3ローターと相まって、この4年後に参考出品され、その翌年に市販化されるユーノスコスモとの近似性を感じられる方もいると思います。
コスモのサイズは、全長4,815mm、全幅1,795mm、全高1,305mmとなって、MX-03とは特に長さが異なりますが、どうやらコスモのコンセプトを煮詰める中でラグジュアリークーペの要素が加わっていって、リヤデッキの長さが伸びていったということのようです。

ドア開閉に連動して、ルーフがガルウイング風に開くのは、低い車高の乗降性を補ういいアイデアだと思いますが、市販化されることはありませんでした。

インテリアも、バリアブルギアレシオありきの極めて特徴的なステアリングを除けば、コスモに繋がるデザインが散見されますね。





MX-03を最も特徴付けるのが、後にコスモに搭載される3ローターエンジンでした。この時点で、ツインスクロールターボも搭載されています。
そのパワーは、最高出力320ps/7000rpm(ネット値)、最大トルク40.0kg-m/3800rpmという、当時としては驚異的なレベルにありました。

当時の市販車最強は、日産のVG30ETが230ps(グロス値)、マツダの13Bとトヨタの1G-GTが185ps(ネット値)という数値だったと書けば、そのハイパワーぶりをご理解いただけると思います。

後年のコスモは、280ps/6500rpm(ネット値)、最大トルク41.0kg-m/3000rpmとややパワーダウンして登場しますが、これは280馬力規制の影響ですね。

このハイパワーを支えるシャシーには、トルクスプリット機能付4WD、車速感応式4WS、4W-ABSが搭載されて、「走る・曲がる・止まる」を支えていました。いずれも4輪というのがポイントですね。

3ローターと同時に、2LのDOHCターボと小型直噴ディーゼルも出品されていますが、こちらは市販化されることはありませんでした。







ここからは、市販車の最新技術の紹介となります。
ショーの直前に登場した「ファミリア フルタイム4WD」とニュー「サバンナRX-7」が、当時のマツダの目玉商品かつ技術アドバルーンでした。

前車はクラス初の1600DOHCターボと日本初のフルタイム4WD、後者は13Bロータリーターボとマルチリンク式リヤサスペンションを特徴とします。

それらが訴えるメッセージは「思いのままに走ることの楽しさを伝えたい」。今に繋がる「走る歓び」の象徴でもあったのです。





左頁では、各分野における技術研究が紹介されています。

右頁は、モータースポーツへの挑戦の紹介です。
「ル・マン」「IMSA」「ラリー」という3つのフィールドが挙げられています。
ル・マンへの挑戦はこの後も続けられ、1991年には日本車初の総合優勝という大きな栄冠を勝ち取ることとなります。
ラリーでは、2WDながら活躍するRX-7が紹介されていますが、この後ファミリアが活躍することで、国内ラリーも4WD時代に突入していくことになります。





当時のマツダ車のフルラインナップです。
この6年前の第23回(リンクはこちら)と比較すると、各モデルの進化が著しいことがお解りいただけると思います。

第23回の時点は、オイルショックによる瀕死の状態から何とか回復し始めた時期であり、そこから初代FFファミリアの大ヒットを経て、ここまで成長したという見方が一番相応しい気がします。

この代のファミリアは初代ほどの大ヒットとはなりませんでしたが、フルタイム4WDに続いてカブリオレも発売するぐらい、意欲に溢れていました。

ボンゴは、途中の大幅改良を経つつも今でも販売するモデルです。当時からと思えば、その長寿ぶりに感心しますね。





半ばおまけで、裏表紙も掲載。
当時のマツダコーナーと、会社概要が写真と共に掲載されていました。


以上、いかがだったでしょうか。

この当時のマツダは、実直で走りが良くてというメーカーでした。そんな社風が製品に一番素直に表現されていた頃ですね。この後に続く、ルーチェ・カペラぐらいまではそんな製品が続いていましたが、その後は別の方向に一大挙兵をして打って出ることになります。その結果は・・・と言う話は日本自動車史に残る話となりますので、ここでは語りません。

そんなマツダが、30年の時を超えて今再び、ロータリーを搭載したスポーツカーを象徴にして「「走る歓び」の未来を切り拓く」をテーマとする。私的には、やはりここに返ってきたんだなあと感慨深く見てしまうのです。
ブログ一覧 | 古のモーターショーのパンフレット | クルマ
Posted at 2015/11/13 23:02:41

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この記事へのコメント

2015年11月14日 7:31
おはようございます。

ちょうどこのころのマツダ車、乗ってましたねぇ。GC系「アランドロン」カペラ。
前車レーザーのメンテで、どうにも対応の良くなかったオートラマ店に嫌気がさして、(結局、サービス工場が間借りで意思の疎通がよくなかったんですね)近所に新規オープンした関東マツダにサービス入庫。中古パーツの使用などの客目線の工夫や、担当営業の人柄などですっかりここのファンに。で、最初はHBルーチェのSG-S(これだけベンコラ・ATがあったんですね)で商談。条件的にもよかったのですが、納期の問題であっさりカペラに。4ATがキャブ仕様にも追加されたのでスペック上は満足していたのですが、このATがエンジンとの相性が悪い悪い(笑)談合坂の登りで100キロ維持できない非力さと、峠道(当時、高校が山梨・上野原だったので、かなり大垂水峠など使う機会ありました)での頻繁な変速とそれに伴うショック・・・これなら旧型3ATのほうがよかったと。で、SV21ビスタへの代替えにつながるわけですが。

でも、中は広々としていて、それでいてFFシグマみたいな荒涼感もなく、さっぱりとしたスタイルもお気に入りでした。ケチらずEFI仕様にしておけば、たぶん今頃アテンザにでも乗っていたことでしょう。このATの不都合、最終GFカペラでも悪癖治っておらず、この所為で、例のGX81セダンを購入する一つのきっかけになるのですが。

でも、心情的マツダシンパになった一台であるのは間違えないですね。もうほとんど見かけませんが、オークション端末では、必ずカペラは検索しますね。
コメントへの返答
2015年11月14日 8:59
おはようございます

この年は、書かれているGCカペラがマイナーチェンジした年ですね。
この世代のカペラは、ファミリアほどのヒット作とはなりませんでしたが、ブルーバード・コロナより一足早くFF化され、その出来は高く評価されるものでした。1982年の日本カー・オブ・ザ・イヤーにおいて、カムリ・ビスタと接戦を演じた末に受賞したモデルでもありました。確か海の向こうでも賞を受賞していた記憶があります。
当初は3ATのみで不利だったのですが、マイナーチェンジで4ATが追加されて追い付いた形でしたね。そのATが今一つでしたか。中央道の下りは、小仏TN手前、談合坂手前、長坂ICの先とパワーの差が如実に現れる場所が続いていて、私がそれまで気に入っていたAT170コロナを代替に決断させるきっかけとなった場所でもあります。今でも非力なクルマは持ち込みたくない場所ですね(笑)

この系列のATは、90年代の某車の印象が最悪に近くて、エンジンの好印象を台無しにしていたことを思い出します。GFカペラがその系列の末期で、以降は新世代となるようです。
今の6ATは未体験ですが、出来は悪くないようですね。

この後の世代も、今では希少車の部類で、この世代は本当に残っていない気がしますね。
2015年11月14日 7:57
プロトタイプの3ローターが後の20Bですが、学生時代に友人がコスモ20Bに乗っていました。
燃費の悪さは誰しもが知ることろですが、スロットル全開で六甲山を駆け上がると燃料ゲージが動くが
判るのには笑った、なんて思いでがあります。
コメントへの返答
2015年11月14日 9:08
おはようございます
20Bは、当時の10モード燃費が6.1km/Lで、これだけでも今では驚愕の値ですが、実際に使うとこれ以下というのですから、想像を超えたところにあります。
そのハイパワーとスムーズさで名を残しましたが、燃費の悪さでも揶揄を含めた数々の伝説を残した存在ですね。
2015年11月14日 19:55
こんばんは

ロータリー乗りとしては、感慨深いお話でした。

ありがとうございます。
コメントへの返答
2015年11月14日 20:22
こんばんは

ロータリー乗りの方からのお礼のお言葉、とても光栄に思います。

存続の危機を何度も経験しながらも、「走る歓び」の象徴としてロータリーを諦めないマツダの姿勢があってこそ、成立した話ですね。歴史好きとしては、講釈師に過ぎなくても、取り上げねばと思った次第です。
2015年11月15日 21:46
こんばんは 初めて拝見して何度も読ませて頂いております

やはり当時の評論家が言うような思いつきの企画ではなかったのだなとしみじみですよ
実直で走りが良くて この年代のマツダ車は殆ど触れた事がないのですが仰せの通りなのでしょう( ^ ^)

どうだったら良かったのか 改めて考えてしまいます

コメントへの返答
2015年11月15日 22:23
こんばんは
宇都宮殿に、何度もなどと書かれますと、恐れ入るばかりです<(_ _)>

ユーノスコスモの開発者インタビューを読み返してみると、3ローターを紹介したいという思いが先にあって、そこにコスモの企画が結びついたようですね。コスモという車名はマツダにとって、大事だったことも語られています。思いつきの企画なんかではないと、断言できます。

90年代の展開は、今となっては正解は分からないというのが正直なところですが、それまでと離れた所で展開したのは厳しい要因だったと思います。実際、ついていけないユーザーも周囲に実在しましたし。。。
2015年11月22日 21:22
こんばんは。

この頃のマルダのことはそれほど印象には残っていないのですが、この当時のカペラが欧州で評価されていたことは雑誌等で目にしていました。この当時に3ローターを開発していたのは全く知りませんでしたが、コスモの登場は物凄いインパクトがありましたね。

そして私が今の会社に入社したとき、当時の副社長がここで掲載されているルーチェに乗っていて、何て品が良くスポーティなセダンなんだろうと凄く気になっていました。

マツダは昔から非常に真面目な車作りをする印象があり、当時はボディの剛性や足回りのセッティングなど解析技術がもっと上がっていればその後の歩む道はもっと違ったものになっていたかもしれませんね。しかし、結果的には芯の通った社風と志が今のマツダを築きあげたわけで、苦境を乗り越えてきただけあってその存在感は今や国産でもNo1だと感じます。
コメントへの返答
2015年11月23日 8:22
おはようございます

この当時のカペラは、国内ではライバル車に押されてつつあったため、欧州では好評ということをセールスポイントにしていましたね。それ風の装備を追加した特別仕様車もありましたし。
3ローターは出品されたものの、現実感はVG30ツインターボ以上になかった気がします。だからこそ、コスモに搭載されて登場した時はとても驚いたのですが(笑)

この世代のルーチェは、今見た方が印象がイイですね。当時はタクシーで多用されていたため、営業車のイメージが強かったです。後年、営業車専用のカスタムキャブとして復活もしていましたし。

マツダは、思い返すと技術先行型だったのかもしれません。当時の解析技術でも国産他社比で先行していた感があります。営業とか経営の方が後追いだったため、見通しの無い方向に進んでいってしまいますが。
そんな時代を経た今では、技術・営業・経営が一体となって、イイ製品を作るようになりましたね。3者のバランスが悪いと製品のバランスも崩れがちになるのですが、その辺りもクリアになった感を受けますね。

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「12年目の1年点検に入庫 http://cvw.jp/b/1984303/48573850/
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