
2回に分けてVWサンタナを取り上げてみます。
実は少し前から構想はあったのですが、そろそろと思った頃に、例の事件が勃発。騒動の渦中にやるのもいかがなものか、ということで先送りをしておりました。まだ、事件の全容が解明された訳ではないのですが、ここまで遡ると今回の事件と直接の関係がないのも事実でありまして、まあよかろうと判断することにした次第です。
さて、本題となる当時のVWの中型セダンかつ高級車的位置付けだったサンタナを日産が生産するというこのプロジェクト、どうも当初から両者間の思惑違いはあったようです。
というのも、最初の発表となった1980年12月の内容からして、「日産:VW社と乗用車の共同生産を含む全面的な提携で基本的に合意した」「VW:日産自動車がVW中型車を日本で生産できるかどうか可能性を調査することで合意した」という具合。
どうやら、この合意は、海外進出に積極的だった日産の方がはるかに前向きだったようでありまして、VWの方はまだデビュー前ながらも世界戦略車と考えていたサンタナの海外生産拠点の一つと捉えていた節が感じられます。
まあそれでも、とりあえず「VW車を日本国内で生産する」、「両者の専務級を長とするプロジェクト・チームを発足させる」、「1981年6月までに検討を完了させる」という取り決めで、スタートは切られたのです。(以上、「」内は、1981年発行の自動車ガイドブックより引用)
検討は順調に進んだようで、翌1981年9月17日のフランクフルトショーでデビューしたサンタナについて、直後の第24回東京モーターショーで配布された日産のパンフレットでは、以下の内容で紹介されています。
・生産開始は1983年秋、年間6万台規模を予定
・順調にいけば、1988年から12万台に拡大する計画
・生産は座間工場で行い、エンジンなどのアッセンブリー部品はVW製を利用して製品化
・生産車の一部は、VW社から主に東南アジアに向けて輸出される
この予定は若干遅れたようで、さらに1983年の東京モーターショーで参考出品された後、1984年2月7日に発表、即日発売となります。
後述するインタビュー記事では、「開発期間が2年間しかなかった」と語られていますので、どうにも計算の合わない部分が見受けられるのですが、その辺りは難産のプロジェクトを物語っているとも言えそうです。
さらにこの「2年間」という足枷が、良くも悪くもオリジナルに近い成り立ちに一役買うことにもなっています。
それでは、以下、1985年2月発行のカタログを紹介していきます。
この時点の改良は記録に無いようですが、曖昧な記憶に因れば、確かボンネットオープナーの位置を助手席側から運転席側に変更したという内容が含まれていたはずです。
さらに、いつものように月刊自家用車誌の車種別総合研究のインタビュー記事で補足。答えられているのは、当時、海外車両設計部なる部署に所属されていた
津田靖久氏。この後、名車”初代プリメーラ(形式名:P10)をまとめられた方ですね。プリンス自動車の前身となる富士精密に1958年に入社。1959年9月から2年間、休職してベルリン工科大学に留学。その後も海外経験が長いことから、任されたということのようです。
スタイリングを3角度から。
搭載エンジン別でもありまして、上から、2000Xi5、1800Gi、1600Gt。
サンタナの全長4,545mm × 全幅1,690mm × 全高1,395mm、ホイールベース2,550mmというボディサイズは、日産ブルーバード(U11)セダンの全長4,500mm × 全幅1,690mm × 全高1,395mm、ホイールベース2,550mmにかなり近いサイズでした。
もっとも、4気筒だけでなく5気筒エンジンまでを縦置きして前輪を駆動するという機構から、必然的にフロントオーバーハングが長くなったスタイリングは、従来のFRに近い線を狙ったブルーバードと比較するとFFらしいと言えます。
センターピラーの直立と6ライトキャビンが相まって、フロントドアが長くてリヤドアが明確に短いあたりも独特のデザインでした。
当時の日本ではホワイトが流行の最先端にあってシェアを伸ばしていましたが、このクルマに関しては色物の方が似合いますね。
このボディパネルについては、
「車体のパネルの取付順序が違って苦労しました。設計者がドイツ人、作る側が日本人ということで、そうとう葛藤がありましたね。日本の場合は、多くの作業者が製造に参加しても間違いの無いように設計されているのですが、ドイツでは、マスターが職人的な感覚で作るんですね。例えば、ネジの締めかげんひとつにしても、部分的には設計図どおりじゃなく日本のラインに合わせて変えてもあります」という隠された(?)苦労があったようです。
インパネデザインは、当時のVW流である、上段に視覚系や主要な操作系をレイアウトしたもの。当時の日本車は開放感を重視して、上段はメータークラスターのみ、下段に主要な操作系をレイアウトしたいたことからすると、違いは歴然としていました。
先述のとおり、ボンネットオープナーは右に寄せられましたが、ウィンカーは輸入車の主流だった左側のまま。これについては
「電気系統は、信頼性を考えて、慎重に取り掛からないとならないんですね。技術的安全性を取って、ああなりました。」とのこと。
当時の日本車は、6気筒各車の最上級以外はエアコンが標準装備とはなりませんでしたが、サンタナは全車標準装備。
「売る対象のユーザー層を考えて、最初から用意しておいた方がいいんじゃないかということです。」と答えられています。
ただし、このエアコンは、既に日本車の主流だったエアミックスタイプではなく、ヒーターコアの温水量を調節して温度調節をするタイプのため、使い勝手の点で差がありました。この点を指摘されると
「基本的な考え方からくるんですが、どこかに線引きが必要なんですね。ドイツのフォルクスワーゲンのオリジナル車として売るために、線一本、性能の細部に至るまで、オリジナルにあわせてあります。エアコンも米国向けのワーゲンのひな型を日本向けに直してあります。」とのこと。限られた時間内で日本車用のエアコンをフィッティングさせるのは、ほぼ無理だったのではないかという気はしますね。
Xi5のインテリアです。
テラッとした光沢のあるダブルラッセルクロス地は同時期の日本車に近いものを感じますが、確か、このグレードのみ日本仕様独自のシート地のはずで、あえて日本向けに仕立てたというのが正解だったかと。
左側にはシートの内部構造図がありますが、意外なことに座面側はスプリングはなく、ウレタンフォームで支えています。もっとも背面側は腰部だけでなく背中の部分にもきちんとフレックススプリングが配されています。日欧のシートの差が指摘されていましたので、ここから学んだ点はあるのでしょうね。
リヤシートベルトは全車3点式を備えますが、リヤヘッドレストは各エンジンの上級グレードのみというのが、これまた意外です。
ちょうどヘッドライニングの画像がありますので、興味深かった話を掲載。
「ヘッドライニングとかピラーガーニッシュ、インパネなども、それぞれ繊維系樹脂の材料を変えて研究をしてみたのですが、ドイツ側が気に入らなかったのでオリジナルのまま使用しました。」「(繊維系樹脂とは)木の繊維そのものです。ドイツは木がいっぱいありますので、よく使うんですね。パルプをドロドロにして、これを接着剤で固めたり、樹脂を混ぜて固めたりするんですね。日本は木が少ないんで、そういう発想はあまりないんです。」この辺りは、環境から生じた文化の違いと言えそうですね。
パワートレーンの紹介です。
エンジンは、ガソリンが2000cc5気筒と1800cc4気筒の2種、その他に1600cc4気筒のターボディーゼルの計3種から選択可能でした。
この3種、
「ディーゼルエンジンについては、数も少ないのでアッセンブリーして持ってきてます。ガソリンエンジンは、裸エンジンを持ってきて、付属部品は輸入しています。」とのこと。
ちなみに、エンジン本体を国産化するという発想について、
「今は、ありません」と否定されています。
こうして見てくると、国内生産部品の比率が少なそうですが、それでも
「70%は国産です。パワートレーン、ステアリング、ブレーキの一部は輸入です」と答えられています。そのパワーステアリングは、ZF製が選ばれています。
操縦・走行安定性の紹介です。
ドイツ車ということで高速安定性が強調されています。「ドイツ車神話を裏付ける」なんて、謳われ方をしていますね。
その元となるサスペンションは、フロントストラット、リヤトーションビームの組合せ。あえて記載されているトーコレクティングブッシュは、VW社が特許を持っていました。
90年代半ば以降、日本車が一気に取り入れた方式ながら、当時の日本車はリヤもストラットが主流でしたので、珍しい方式ではありました。事実、国産車とかなり違う点ということで、津田さんが筆頭で挙げられたのが、このリヤサスの違いでした。
ちなみに、「日産がサンタナを作り出したことによって得られたノウハウを日産車にフィードバックされていきますか?」と問われると、
「ハード面については、ああいう構造をとるかどうか分かりません。でもソフト面については、非常に参考になりました。」と答えられています。当時こそ読み流した部分でしたが、津田さんの次の作品が操縦性に定評のあった初代プリメーラだったことと照らし合わせると、興味深い回答となります。さらにその後のトーションビームの普及もありますし。
車種別総合研究には、フロントサスのアライメントの数値の記載もありましたので、合せて記載。キャスター角は-40、スクラブ半径はー13となりまして、キャスター角の小ささが意外です。余談ですが、コロナは150から170に変わる際にキャスター角を小さくしているのですが、年代的にここにヒントを得ている気がします。
タイヤは全車コンチネンタル。
この点は
「コンチネンタルは、東洋ゴムで提携関係にあったんで、導入しやすかったんです。実感として、走行フィーリングに、タイヤは効きますね。」「国産じゃ、できないということではないんですが。開発期間が2年間しかなかったので、効率よく準備するには、すでに完成されたものを用いる方が早いし、ユーザーさんへの説明も、明解なんですよ。東洋ゴムさんは、かなり努力してくださったんですよね。オリジナルに忠実にやりました。」とのこと。コンチネンタルは、2002年に横浜ゴムと業務提携を結んで「ヨコハマコンチネンタルタイヤ(株)」を設立した後、2014年に「コンチネンタルタイヤ・ジャパン(株)」を設立という経緯を歩んでいますが、当時は東洋ゴムと関係があったというのが、目から鱗でした。
居住性の紹介です。
装備についてはアクセサリーの類は少なくて、機能的な物が並んでいます。
燃費計は、燃料消費量を知らせるもので、当時は珍しい類のものですが、表示の仕方が100km走るのに必要なガソリン量というのが独特ですね。日本だと、Lあたりのキロ表示が普通ですが、この点もオリジナルのままなのでしょう。
ASCDは、Xi5のみに標準。アルミホイールも同様でありまして、どうやらXi5は、日本ユーザーの高級志向に合わせて作った仕様ということのようですね。
各グレードの紹介です。
Xi5は日本仕様ということになりますが、その他のGグレードとLグレードはワーゲン製にもあるグレードでした。ただし表示は、GX・LXだったそうです。
搭載エンジンで分けられている部分もあって、一見同仕様に思えるGiとGi5も、装備的には、Gi>Gi5だったりしますね。
その他、ヨーロッパ仕様は、ライセンスプレートが横一文字になって、それに合わせてテールランプの差異もあったようです。
裏表紙は、主要諸元表と主要装備一覧になっています。
この両表を照らし合わせたマイベストチョイスは、Giの5速でしょうか。
同誌のテストでは、Xi5(5速)・Xi5(AT)・Gi(AT)・Gt(5速)の加速データが掲載されていて、0→400mは、それぞれ、18.01・19.04・20.96・19.66。同じく0→100km/hは、11.81・15.74・18.44・15.70。2000の5速なら十分な速さですが、1800や1600のATとなると厳しい部分もあったことが予想される数値です。5速とATの差が、結構出ていますね。
最後に当時の価格表です(アウトバーン追加後のものですが、その他は変更なし)。
日産サニー埼玉北では、サンタナにレース半カバーを付けて売っていたのです。
当時の日本車の価格から同程度のもの(MT/AT順・各千円)を抜粋すると、
・ローレル 2000 4ドアハードトップ メダリスト:2,180/2,283
・ローレル 2000ターボ 4ドアハードトップ メダリスト:2,360/2,463
・クレスタ 2000 スーパールーセント:2,030/2,109
・クレスタ 2000 スーパールーセント ツインカム24:2,315/2,414
あたりが浮上します。6気筒のセダンと同等というサンタナの価格は、日本車の車種体系と比較すると、割高感はありましたね。成り立ちの近い、ブルーバードの1800セダンだと、SSS系でも1,500千円~1,700千円(ただしエアコンなし)ぐらいでしたし。
もっとも当時のドイツ輸入車の価格は、下級車種のジェッタでも2,500千円近くからのスタート、兄弟車となるアウディ80は、4,000千円弱のプライスだったはず(こちらは正確な価格情報を喪失)ですから、そちらとの比較では、バーゲンセールに近いプライスだったのです。
この辺りは十分理解されていたようで
「ユーザーさんのメジャーに合わせて考えてます。ドイツの車をもってきて売っても、比較的高く売れるわけです。ですから、輸入車よりは安くしても、国産よりは高く売れるだろうということです。荒唐無稽な商売にならない話じゃなくて、下地のある企画ですから、日産のランク付けだけではなくて、ユーザーさんのベストメジャーの両方をにらんで、サンタナの位置付けをしています。」なんて話をされています。
かくして、周囲の注目を集める中、日産ではサニー系列から、それに加えて輸入最大手のヤナセからもリリースされたサンタナですが、登場直後の1984年3月に3,381台という販売台数を記録するものの、以降は2,000台~1,000台の間で推移することとなります。。。
長くなりましたので、まとめ等は、次回に送ります。