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2015年12月13日

VWサンタナの話(その1)

VWサンタナの話(その1) 2回に分けてVWサンタナを取り上げてみます。

実は少し前から構想はあったのですが、そろそろと思った頃に、例の事件が勃発。騒動の渦中にやるのもいかがなものか、ということで先送りをしておりました。まだ、事件の全容が解明された訳ではないのですが、ここまで遡ると今回の事件と直接の関係がないのも事実でありまして、まあよかろうと判断することにした次第です。


さて、本題となる当時のVWの中型セダンかつ高級車的位置付けだったサンタナを日産が生産するというこのプロジェクト、どうも当初から両者間の思惑違いはあったようです。

というのも、最初の発表となった1980年12月の内容からして、「日産:VW社と乗用車の共同生産を含む全面的な提携で基本的に合意した」「VW:日産自動車がVW中型車を日本で生産できるかどうか可能性を調査することで合意した」という具合。

どうやら、この合意は、海外進出に積極的だった日産の方がはるかに前向きだったようでありまして、VWの方はまだデビュー前ながらも世界戦略車と考えていたサンタナの海外生産拠点の一つと捉えていた節が感じられます。

まあそれでも、とりあえず「VW車を日本国内で生産する」、「両者の専務級を長とするプロジェクト・チームを発足させる」、「1981年6月までに検討を完了させる」という取り決めで、スタートは切られたのです。(以上、「」内は、1981年発行の自動車ガイドブックより引用)

検討は順調に進んだようで、翌1981年9月17日のフランクフルトショーでデビューしたサンタナについて、直後の第24回東京モーターショーで配布された日産のパンフレットでは、以下の内容で紹介されています。

 ・生産開始は1983年秋、年間6万台規模を予定
 ・順調にいけば、1988年から12万台に拡大する計画
 ・生産は座間工場で行い、エンジンなどのアッセンブリー部品はVW製を利用して製品化
 ・生産車の一部は、VW社から主に東南アジアに向けて輸出される

この予定は若干遅れたようで、さらに1983年の東京モーターショーで参考出品された後、1984年2月7日に発表、即日発売となります。

後述するインタビュー記事では、「開発期間が2年間しかなかった」と語られていますので、どうにも計算の合わない部分が見受けられるのですが、その辺りは難産のプロジェクトを物語っているとも言えそうです。

さらにこの「2年間」という足枷が、良くも悪くもオリジナルに近い成り立ちに一役買うことにもなっています。


それでは、以下、1985年2月発行のカタログを紹介していきます。

この時点の改良は記録に無いようですが、曖昧な記憶に因れば、確かボンネットオープナーの位置を助手席側から運転席側に変更したという内容が含まれていたはずです。

さらに、いつものように月刊自家用車誌の車種別総合研究のインタビュー記事で補足。答えられているのは、当時、海外車両設計部なる部署に所属されていた津田靖久氏。この後、名車”初代プリメーラ(形式名:P10)をまとめられた方ですね。プリンス自動車の前身となる富士精密に1958年に入社。1959年9月から2年間、休職してベルリン工科大学に留学。その後も海外経験が長いことから、任されたということのようです。







スタイリングを3角度から。
搭載エンジン別でもありまして、上から、2000Xi5、1800Gi、1600Gt。

サンタナの全長4,545mm × 全幅1,690mm × 全高1,395mm、ホイールベース2,550mmというボディサイズは、日産ブルーバード(U11)セダンの全長4,500mm × 全幅1,690mm × 全高1,395mm、ホイールベース2,550mmにかなり近いサイズでした。

もっとも、4気筒だけでなく5気筒エンジンまでを縦置きして前輪を駆動するという機構から、必然的にフロントオーバーハングが長くなったスタイリングは、従来のFRに近い線を狙ったブルーバードと比較するとFFらしいと言えます。

センターピラーの直立と6ライトキャビンが相まって、フロントドアが長くてリヤドアが明確に短いあたりも独特のデザインでした。

当時の日本ではホワイトが流行の最先端にあってシェアを伸ばしていましたが、このクルマに関しては色物の方が似合いますね。

このボディパネルについては、「車体のパネルの取付順序が違って苦労しました。設計者がドイツ人、作る側が日本人ということで、そうとう葛藤がありましたね。日本の場合は、多くの作業者が製造に参加しても間違いの無いように設計されているのですが、ドイツでは、マスターが職人的な感覚で作るんですね。例えば、ネジの締めかげんひとつにしても、部分的には設計図どおりじゃなく日本のラインに合わせて変えてもあります」という隠された(?)苦労があったようです。





インパネデザインは、当時のVW流である、上段に視覚系や主要な操作系をレイアウトしたもの。当時の日本車は開放感を重視して、上段はメータークラスターのみ、下段に主要な操作系をレイアウトしたいたことからすると、違いは歴然としていました。

先述のとおり、ボンネットオープナーは右に寄せられましたが、ウィンカーは輸入車の主流だった左側のまま。これについては「電気系統は、信頼性を考えて、慎重に取り掛からないとならないんですね。技術的安全性を取って、ああなりました。」とのこと。

当時の日本車は、6気筒各車の最上級以外はエアコンが標準装備とはなりませんでしたが、サンタナは全車標準装備。「売る対象のユーザー層を考えて、最初から用意しておいた方がいいんじゃないかということです。」と答えられています。

ただし、このエアコンは、既に日本車の主流だったエアミックスタイプではなく、ヒーターコアの温水量を調節して温度調節をするタイプのため、使い勝手の点で差がありました。この点を指摘されると「基本的な考え方からくるんですが、どこかに線引きが必要なんですね。ドイツのフォルクスワーゲンのオリジナル車として売るために、線一本、性能の細部に至るまで、オリジナルにあわせてあります。エアコンも米国向けのワーゲンのひな型を日本向けに直してあります。」とのこと。限られた時間内で日本車用のエアコンをフィッティングさせるのは、ほぼ無理だったのではないかという気はしますね。





Xi5のインテリアです。
テラッとした光沢のあるダブルラッセルクロス地は同時期の日本車に近いものを感じますが、確か、このグレードのみ日本仕様独自のシート地のはずで、あえて日本向けに仕立てたというのが正解だったかと。

左側にはシートの内部構造図がありますが、意外なことに座面側はスプリングはなく、ウレタンフォームで支えています。もっとも背面側は腰部だけでなく背中の部分にもきちんとフレックススプリングが配されています。日欧のシートの差が指摘されていましたので、ここから学んだ点はあるのでしょうね。

リヤシートベルトは全車3点式を備えますが、リヤヘッドレストは各エンジンの上級グレードのみというのが、これまた意外です。

ちょうどヘッドライニングの画像がありますので、興味深かった話を掲載。「ヘッドライニングとかピラーガーニッシュ、インパネなども、それぞれ繊維系樹脂の材料を変えて研究をしてみたのですが、ドイツ側が気に入らなかったのでオリジナルのまま使用しました。」「(繊維系樹脂とは)木の繊維そのものです。ドイツは木がいっぱいありますので、よく使うんですね。パルプをドロドロにして、これを接着剤で固めたり、樹脂を混ぜて固めたりするんですね。日本は木が少ないんで、そういう発想はあまりないんです。」この辺りは、環境から生じた文化の違いと言えそうですね。





パワートレーンの紹介です。
エンジンは、ガソリンが2000cc5気筒と1800cc4気筒の2種、その他に1600cc4気筒のターボディーゼルの計3種から選択可能でした。

この3種、「ディーゼルエンジンについては、数も少ないのでアッセンブリーして持ってきてます。ガソリンエンジンは、裸エンジンを持ってきて、付属部品は輸入しています。」とのこと。

ちなみに、エンジン本体を国産化するという発想について、「今は、ありません」と否定されています。

こうして見てくると、国内生産部品の比率が少なそうですが、それでも「70%は国産です。パワートレーン、ステアリング、ブレーキの一部は輸入です」と答えられています。そのパワーステアリングは、ZF製が選ばれています。





操縦・走行安定性の紹介です。
ドイツ車ということで高速安定性が強調されています。「ドイツ車神話を裏付ける」なんて、謳われ方をしていますね。

その元となるサスペンションは、フロントストラット、リヤトーションビームの組合せ。あえて記載されているトーコレクティングブッシュは、VW社が特許を持っていました。
90年代半ば以降、日本車が一気に取り入れた方式ながら、当時の日本車はリヤもストラットが主流でしたので、珍しい方式ではありました。事実、国産車とかなり違う点ということで、津田さんが筆頭で挙げられたのが、このリヤサスの違いでした。

ちなみに、「日産がサンタナを作り出したことによって得られたノウハウを日産車にフィードバックされていきますか?」と問われると、「ハード面については、ああいう構造をとるかどうか分かりません。でもソフト面については、非常に参考になりました。」と答えられています。当時こそ読み流した部分でしたが、津田さんの次の作品が操縦性に定評のあった初代プリメーラだったことと照らし合わせると、興味深い回答となります。さらにその後のトーションビームの普及もありますし。

車種別総合研究には、フロントサスのアライメントの数値の記載もありましたので、合せて記載。キャスター角は-40、スクラブ半径はー13となりまして、キャスター角の小ささが意外です。余談ですが、コロナは150から170に変わる際にキャスター角を小さくしているのですが、年代的にここにヒントを得ている気がします。

タイヤは全車コンチネンタル。
この点は「コンチネンタルは、東洋ゴムで提携関係にあったんで、導入しやすかったんです。実感として、走行フィーリングに、タイヤは効きますね。」「国産じゃ、できないということではないんですが。開発期間が2年間しかなかったので、効率よく準備するには、すでに完成されたものを用いる方が早いし、ユーザーさんへの説明も、明解なんですよ。東洋ゴムさんは、かなり努力してくださったんですよね。オリジナルに忠実にやりました。」とのこと。コンチネンタルは、2002年に横浜ゴムと業務提携を結んで「ヨコハマコンチネンタルタイヤ(株)」を設立した後、2014年に「コンチネンタルタイヤ・ジャパン(株)」を設立という経緯を歩んでいますが、当時は東洋ゴムと関係があったというのが、目から鱗でした。





居住性の紹介です。
装備についてはアクセサリーの類は少なくて、機能的な物が並んでいます。

燃費計は、燃料消費量を知らせるもので、当時は珍しい類のものですが、表示の仕方が100km走るのに必要なガソリン量というのが独特ですね。日本だと、Lあたりのキロ表示が普通ですが、この点もオリジナルのままなのでしょう。

ASCDは、Xi5のみに標準。アルミホイールも同様でありまして、どうやらXi5は、日本ユーザーの高級志向に合わせて作った仕様ということのようですね。





各グレードの紹介です。
Xi5は日本仕様ということになりますが、その他のGグレードとLグレードはワーゲン製にもあるグレードでした。ただし表示は、GX・LXだったそうです。

搭載エンジンで分けられている部分もあって、一見同仕様に思えるGiとGi5も、装備的には、Gi>Gi5だったりしますね。

その他、ヨーロッパ仕様は、ライセンスプレートが横一文字になって、それに合わせてテールランプの差異もあったようです。





裏表紙は、主要諸元表と主要装備一覧になっています。
この両表を照らし合わせたマイベストチョイスは、Giの5速でしょうか。

同誌のテストでは、Xi5(5速)・Xi5(AT)・Gi(AT)・Gt(5速)の加速データが掲載されていて、0→400mは、それぞれ、18.01・19.04・20.96・19.66。同じく0→100km/hは、11.81・15.74・18.44・15.70。2000の5速なら十分な速さですが、1800や1600のATとなると厳しい部分もあったことが予想される数値です。5速とATの差が、結構出ていますね。





最後に当時の価格表です(アウトバーン追加後のものですが、その他は変更なし)。
日産サニー埼玉北では、サンタナにレース半カバーを付けて売っていたのです。

当時の日本車の価格から同程度のもの(MT/AT順・各千円)を抜粋すると、

 ・ローレル 2000 4ドアハードトップ メダリスト:2,180/2,283
 ・ローレル 2000ターボ 4ドアハードトップ メダリスト:2,360/2,463
 ・クレスタ 2000 スーパールーセント:2,030/2,109
 ・クレスタ 2000 スーパールーセント ツインカム24:2,315/2,414

あたりが浮上します。6気筒のセダンと同等というサンタナの価格は、日本車の車種体系と比較すると、割高感はありましたね。成り立ちの近い、ブルーバードの1800セダンだと、SSS系でも1,500千円~1,700千円(ただしエアコンなし)ぐらいでしたし。

もっとも当時のドイツ輸入車の価格は、下級車種のジェッタでも2,500千円近くからのスタート、兄弟車となるアウディ80は、4,000千円弱のプライスだったはず(こちらは正確な価格情報を喪失)ですから、そちらとの比較では、バーゲンセールに近いプライスだったのです。

この辺りは十分理解されていたようで「ユーザーさんのメジャーに合わせて考えてます。ドイツの車をもってきて売っても、比較的高く売れるわけです。ですから、輸入車よりは安くしても、国産よりは高く売れるだろうということです。荒唐無稽な商売にならない話じゃなくて、下地のある企画ですから、日産のランク付けだけではなくて、ユーザーさんのベストメジャーの両方をにらんで、サンタナの位置付けをしています。」なんて話をされています。

かくして、周囲の注目を集める中、日産ではサニー系列から、それに加えて輸入最大手のヤナセからもリリースされたサンタナですが、登場直後の1984年3月に3,381台という販売台数を記録するものの、以降は2,000台~1,000台の間で推移することとなります。。。

長くなりましたので、まとめ等は、次回に送ります。
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Posted at 2015/12/13 20:22:21

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この記事へのコメント

2015年12月13日 21:02
こんばんは。

ってことで、ドイツ本国版82モデルのカタログ見ながら拝見しています。

そう、ほぼ忠実に現地版の再現・・・いろいろ思惑会ったのでしょうが、80年代にこれが行われたのは、今考えると奇跡に近いかと。何しろ技術的プライドは非常に高い日産が、あえてヨーロッパのメーカーと再び(オースチンのノックダウンに続いて)手を組んだってのが、なんとも不思議でした。

我が家もこれには浮き足立ったひとりで、1.8Gi、サニー店とヤナセにて見積もり取った記憶があります。当初の予想価格より若干高かったので、購入には至らなかったわけですが(笑)

で、最初の丁稚で行った中古車屋、以前お話しした通りH252プレジデントとM30サンタナの専門店って、今考えるとよく商売成り立っていたなってところでクルマ屋稼業をスタートさせたわけですが、そんないきさつあって、サンタナには多く乗る機会に恵まれました。

一度は買おうと盛り上がったクルマ、意気揚々と乗り込んだわけですが、いざ自分で乗ってみると…
「なんか気持ち悪い」センター・テイクオフタイプのステアリング・システムのおかげ?で、体の中心線と、ハンドルの中心線が見事にバラバラ。どうにもハンドル位置が中心、つまり体中心より左にずれている感覚が付きまとうのです。
確かに矢のような直進安定性、切ったら切っただけ素直に曲がるステアリング、ちょっと硬めの乗り心地、「いいクルマ」とは思いましたが、私には合わないなぁと、非常に残念に思ったものでした。その後、JT150・FFジェミニでも、同じ思いをすることになるのです。そう考えると、P10プリメーラが、私の感性にドはまりするのもむべなるかなと。

で、今見ている現地版、国内XI5相当のグレードは、母体のパサート・キャラットになるわけで、82モデルですと、国内GI>GL/GL5、国内LI>CL、国内にはない標準~スタンダードって位置でしょうか~と、なるようです。ヨーロッパ車、またはヨーロッパ向け日本車にも多いのですが、5ドアハッチバックが最上級グレードを擁することが多いようです。確か、VWだと、ジェッタにはキャラット(日本仕様GLI相当)がありましたが、VWヒエラルキー的にはパサートがトップ・オブ・ラインだったようです。その証拠に、数年後、ヨーロッパ圏内ではサンタナの名称はパサートに吸収される憂き目を見ます。

そういえば、婚前旅行で上海に出かけて、奥様に頭下げて上海VWのディーラーに行って、現地版サンタナの前で涙流したお友達がいましたっけ…
コメントへの返答
2015年12月13日 21:52
こんばんは

ドイツ本国版82モデルのカタログとか、さらりと書いてしまう辺りがさすがです(笑)

今回書くのにあたり、各種資料を読み進んでみますと、VW側に事案決定の優越権があったのかななんて推測しています。日産側は、きっと変えたい部分もあったのでしょうが、結局当初の発表通り、(オリジナルに極近い)サンタナを日本で作るという形で落着していますし。

あの頃のVWは、ビートル神話がまだ健在で、さらに間違いだらけ~も一役買っていて、イイクルマ観が確立していましたね。根っからのトヨタ党のうちの父親ですら、気にしたくらいです(笑)。さすがに購入には至りませんでしたが。
以前、B5パサートの購入を検討したという話をお聞きしていたものですから、サンタナに浮き足立ったという話がそこに通じるのかと納得した次第です。

サンタナのインプレをありがとうございます。ここまで的確に評される方は当時も少なかったはずですし、今ではもっと数少ないと思います。「いいクルマ」と自分に合うクルマって、同じようでいて、実は違うというのが真理ですよね。日本の自動車評論は、この点が混同されがちではあるのですが(笑)

本国仕様との比較、なるほどと頷きながら拝読しました。とても貴重な検証結果でありまして、コメントに留めておくのが惜しいくらいです。ここを読まれた方も同意見なんじゃないでしょうか。おそらく、みんカラ広しと言えども、サンタナでここまで話を深めたところはなかったでしょうね。何より、そんな深堀の対象がサンタナというのが、実にらしいとも言えるのですが(笑)

最後の文節は、最初の車にコレを選んで、見事エンスー煉獄の道に嵌った方ですね。先日、現車をお聞きして、その道の究め方にさすがと思ったものです(笑)
2015年12月13日 21:19
初めまして。
いつも楽しく拝見しています。

高校生の頃に高校の教員が乗っていました。
長距離通勤だったらしく当日メジャーだったディーゼルの1600Gtでした。
因みに『ディーゼルGT』とググるとスカG、キャラ/ホーとともに、これが検索結果に出てきます(笑)

オートマが3速なのは時代ですね。
ディーゼルがMTのみなのもVWの伝統なのか、ゴルフ3でもMTのみでした。

1600で70ps代の出力は現在の水準からはいかにも非力ですが、2000ターボの日産LD20Tも当時は似たようなモノでしたね。
今流行りのダウンサイジングターボでしょうか(笑)
コメントへの返答
2015年12月13日 22:05
はじめまして
コメントをありがとうございます

プロフィールを拝読しまして、愛車紹介の部分が興味津々でした。

本題のサンタナですが、高校時代から年代を逆算すると、教員の方のはまだ新しかった頃となりますね。ディーゼルターボは前期のみで台数も少なかったはずですから、当時からかなりの貴重種だと思います。長距離通勤の用途的には最適の選択だったのでしょうね。『ディーゼルGT』、笑わせていただきました(笑)。1600の選択はゴルフでも使う関係があったのでしょうが、加減速の少ない大陸型的使用では問題なしと判断されたのでしょうね。

オートマは日本車が4速に移行していた時期ですから、商品力の点では不利でしたね。もっとも同研究では3速AT最高の出来と評されていたりします。
2015年12月13日 21:27
こんばんは

私はまだ小学生で背景など知るのはずっと後の事でした ヤナセの駐車場に良く停まっていて
なんだか傷んだようなのが多いクルマと言う印象でしたね 今も日産の意見がここまで入っていたとは全然知りませんでしたよ 扱われ方からただ図面通りにやってただけかと(汗)  東洋とコンチネンタルの関係も全然知りませんでした いつもながら勉強になります
コメントへの返答
2015年12月13日 22:13
こんばんは

実はヤナセの当時のラインナップの中でサンタナをどう売ったのか興味深かったりします。何となく、後年のシボレークルーズ的かななんて想像したりしますが、その通りであれば、傷んだようなクルマが多かったというのも納得できます。今回取り上げるにあたって、過去の資料と対峙したのですが、私的にも意外な内容が多くありました。
時折振り返るのは、自分の勉強にもなりますね。
2015年12月13日 22:07
こんばんは。

日産VWサンタナは、政治的背景もさることながら、いざ作ると決まった時に、日産のエンジニア達は、「何か1つでも日産車に役立つことをしよう」と前向きに考えていたように思うのです。それは月刊自家用車のインタビューでも、youtubeで見た新車情報でも感じました。
営業部長さんも指摘していたように、その志というかルーツはオースチンA40/50なのではないかと思います。
というわけで、現行VW車に乗りながら、先祖にも興味があり過去何度も検討しましたが、ほぼ絶滅してしまいました…限定車マイスターベルク、ないかなあ。
コメントへの返答
2015年12月13日 22:23
こんばんは

サンタナは政治的背景を絡めて語られることが多いですね。企業トップあるいはその周辺の人々にはそれが主であっても、製品を送り出すエンジニアの方は、役立つことをしようという流れになることは自然なのかもしれませんね。企業規模こそ、オースチンとの提携時とはだいぶ違っていますが、そういった風土は変わっていなかったのだと思います。
実際、B12サニーやP10プリメーラの評では、サンタナからの影響が語られることが多いですから、その成果はあったということなのでしょう。

サンタナは、90年代初頭には解体送りになったクルマが多かったようで、市場淘汰は早かった印象があります。どうやら日産とVWの関係悪化もあって、早めに見切ろうという動きがあったようですね。
2015年12月14日 8:37
 ハッチバックの兄弟車がパサートなわけですが、パサートにはヴァリアントがありサンタナが出た際に「ヴァリアントが出るかも」なんて情報を親子共々期待していました。当時、親子で欲しかったのはS123の300TDTですが、お値段は800万程と自営を始めたばかりの親父には手が出ない代物でした。仕方なく430のワゴンでお茶を濁していたわけです。ガソリンと軽油の価格差が大きかったあの頃は、ディーゼル車が必須で、セダンにディーゼルの設定があったので、「ヴァリアントが出れば…」と云う期待もありました。もっとも、仮に出たところでディーゼルはMTのみでしたから買うことはなかったでしょう。

 それからしばらくして、CG紙を読むようになり巻末の並行屋の広告に出てくる、パサートシンクロヴァリアントをいいなぁ、と眺めていたのを思い出しました。
コメントへの返答
2015年12月14日 21:05
こんばんは
当初の計画通りの台数が出ていたら、次はパサートヴァリアントが選ばれていたのでしょうね。もしもの話に過ぎませんが、登場していれば道具として使いこなす層に、きっと喜ばれていたと思います。

当時の日本の意識は、ワゴンで想像するのはワンボックスくらいで、この手のワゴンはバンと混同されていましたから、なかなか市場が広がりませんでした。S123も結局正規輸入は、300TDとTDTのみでしたね。そんな状況だからこそ、次善の選択として、唯一の6気筒ディーゼルを搭載したワゴンである430を選ばれたというのはよく分かります。

430は次のY30共々、アメリカ車志向の強いワゴンでしたが、あの広いカーゴスペースといい、使い易いクルマでしたね。
2015年12月14日 20:10
こんばんは&初めまして

当時、サニー系販売店で整備士をして
いました。

懐かしさ半分ですが、残りは悲惨な思い出
しかない車です。

車体構造や材質、制御系メカニズム、内装
ドライブポジションや運転操作に掛かる
チョットした配慮の無さまで、事あるごとに
お客様にお叱りを受け、中には怒り心頭
「誇大広告と詐欺罪で訴えてやる!今すぐ
車を持って帰れ!!」と罵声を浴びせられた
事も・・・(--;)

その分、いい勉強になりましたが、今回の
記事を読ませて頂いて、日産の技術陣も
ただ言われた通りに作っただけでは無く
色々と苦労もされていたのだなと改めて
感じました。

この後、パート2はどのような内容になるの
でしょう?

楽しみにしています。
コメントへの返答
2015年12月14日 21:33
こんばんは
初コメントをありがとうございます。

30年近く前ですから、当時の実地体験談を貴重に思いながら拝読しました。最前線は、やはりというか相当な苦労をされていたようですね。

今よりもはるかに、日本車とドイツ車の違いが大きかったですから、日本車の物差しで計ったら、そりゃ苦情に繋がりますよね。サニー店は上級車種を持っていませんでしたから、これを普通に販売してしまいますし。ローレルの上級グレード並みというプライスも、敷居が下がった点、横並びで比較され易くなった点で、当時ではむしろ逆効果だったかもしれません。

当時のインタビュー記事を読み返してみると、当時の設計陣はいろいろやりたいことはあったはずなのに、限られた時間や日産とVWの板挟みにあって苦労した構図が垣間見えます。後のプリメーラのインタビュー記事では、このクルマを指すか不明確なものの、総スカンなんて言葉すら登場していたりするくらいです。

パート2は順当に後期とまとめをやろうと思っていたのですが、予想をだいぶ超えたパート1の反響の大きさに、戦々恐々としております(笑)
2015年12月14日 21:56
初コメさせてもらいます。
自分もサニー店のメカニックしていました。当方が入社したころは絶版になっていましたが、マイスターベルクのカタログ残っていましたね・・・・。知る人もほとんどいない限定車じゃないでしょうかね?
当方のころはパサートが売れ残って困っていました。サンタナよりも不人気だったと記憶しています。
自分もサンタナには良い思い出がありません。新人のころに何も知らずのお客様の所にサンタナを引き取りに行って不具合について怒られた事があります。とにかく頑丈な車でしたが日本車には無いトラブルが多く大変でした。
一番ひどいのは5気筒エンジンの排気漏れ。これがやっかいなトラブルで、マニホールドのスタッドボルトが折れて排気漏れするトラブルで、当時先輩方が苦労して修理していましたね。5気筒エンジンはアウディのエンジンです。ヘッドカバーにはアウディのマークが入っています。Kジェトロ?Lジェトロ?だったかの機械式インジェクションエンジンで、これが壊れやすく、いきなりエンジンが止まることもしばしば・・・・。当然お客様にはいきなり怒られましたよ。エンジンが壊れるのは一番のサンタナの汚点です。しかもサンタナは上級グレードが一番売れたためにトラブルメーカーでした。むしろ4気筒車のほうがトラブル少なかったです。だから中国でタクシーで活躍してたんですね。中国サンタナはvw製の4気筒エンジン、ゴルフ用です。
でも懐かしい、サンタナ。かっこはわるくないんですけどね
コメントへの返答
2015年12月14日 23:20
こんばんは
初コメントをありがとうございます

マイスターベルクについては名を知るのみですので、仕様を調べてみようと思っていました。パサートの時代にカタログが残っていたというのが、晩年の取扱を物語るようで寂しくあります。そのパサートですが、サンタナとは一転してセドリックの上級並みのプライスを掲げていましたが、やはり販売には苦労しているようでした。末期はチラシの時点で100万円近い値引きだったと記憶しています。

サンタナのトラブルの件、当事者だからこそ知る話をお聞かせいただけたことをありがたく思います。思い返せば、当時の輸入車は本格的に日本の気候を顧みて設計したとは言えないクルマが多かったですから、現地仕様に合わせたサンタナがトラブルが多かったというのもなるほど解る気がします。もしかすると本国の設計者は、日本の気候や使われ方を知らずだったかもしれませんね。本格的に対策が施されるようになるのは、90年代以降なのかなと思う所です。
サンタナは相対的に上級グレードが割安に映りましたから、そちらが売れたというのも納得です。ベーシックな方が壊れないというのは、輸入車で多くある事例ですが、サンタナもそこに含まれていたのですね。

中国では継続生産されているという話を初めて聞いた時には驚かされました。その現地に巡礼した方がいた・・・という話は一番上でコメントされていたりします(笑)
2015年12月14日 23:32
マイスターベルクのカタログ、どこかに一枚あったようなんですが・・・・たしかモスグリーンメタリックの専用色で、一部カラード化されたバンパーが特徴だったように記憶しています。実車は見た事ありませんね。当時の販社の社長が最終アウトバーンDOHCに乗っていましたね。物腰の低い人でサンタナは自家用車で、洗車も自分でいつも洗っていました。大事に乗っていたせいか、サンタナにしてはトラブルフリーな車でした。自分はそのころの日産車が好きで通勤者もHB11に乗っていますよ。
コメントへの返答
2015年12月15日 19:13
こんばんは

マイスターベルクについてのご教示、ありがとうございます。そもそも後期型の実車を見かけることが少なかったように思います。先日、後期型のカタログを入手したのですが、意外と変更点があって驚いたくらいです(笑)。アウトバーンDOHCが今でも残っていれば、かなりの希少車だと思うのですが。

愛車紹介、拝見しました。B11自体は、ベストセラーの一種だったこともあって、見かけることが多かったものの、大半がGLかSGL系だったように思います。お乗りになられているSGX-Eの後期ともなると、当時でも希少車の類という認識ですね。
2015年12月18日 19:56
はじめましてmcowと申します。
30数年前日産サニー1400に乗っていましたがそのころノックダウン生産されているサンタナは小生にとって夢の車でした。その後数年後94年に最終型のaudi80を購入し以後、独車のとりこになった次第ですがサンタナについてのこれほど詳しい解説ほんとうに感動いたしました。これからその2を読ませていただきます。 掲載ありがとうございます。
セダン万歳!!
コメントへの返答
2015年12月18日 21:01
はじめまして
コメントをありがとうございます。

当時を知る方のご感想として感動などと書かれますと、大変光栄であると共に恐れ入る次第です。
mcowさんの、audi80を長く乗られた後、パサートのCLに乗り換えられたという車歴を拝見しまして、クルマの価値観に近いものを感じました。ボディサイズの点で見送りましたが、パサートのCLは現車への代替の際に候補に上がった一台でした。
そして私も自分のクルマは絶対セダンなんですよね(笑)
2015年12月21日 23:37
こんばんは。

サンタナとはなかなか渋いチョイスですね(笑)。この車をカー雑誌で見ていた頃が懐かしいです。

いつものごとく直球で書きますと、私はサンタナには良い印象はなく、この車によってVWというメーカーのデザイン力を少し見下してしまったことがありました。良い言い方をすれば質実剛健、いかにもドイツ車、それもVWらしい車とも言えますが、悪く言えばあまりにも質素で、何よりもスタイルバランスの悪い車という印象が強すぎました。縦置き5気筒のフロントオーバーハングの長さはアウディもそうでしたが、それと比べてもサンタナは特にバランスが悪かったと思います。恐らくリヤクォーターの処理もバランスの悪さに加担している気がしていて、CBアコードインスパのようにFFミッドでフロント車軸を前に持ってきたと想像しても、なぜか印象が良くならないのです・・・。

逆に言えば、この車のスタイルが好きで買われた方というのは、このオーバーハングの長さをこの車のスタイルの特徴、魅力として捉えられているのでしょうね。
コメントへの返答
2015年12月22日 8:34
おはようございます

売れ筋だけではなく、恵まれなかったクルマにも救いの手を差し伸べねばというところでしょうか(笑)。
クルマが本当に面白かった時代で、この頃に月刊自家用車に加えて、CARandDRIVER誌も購読するようになりました。

罵倒でなければ、直球の捕捉が可能です(笑)
デザインへのご指摘は、その通りで特に前期はバランスが良くありませんね。面白いと思うのは、兄弟車のアウディ80(B2)の方はイタルデザインが手掛けているのですが、こちらは上品なスタイルということで、特に奥様族の受けが良かったことです。サンタナはホイールベースをそのままでアウディ80よりも15cm近く伸ばしているのが、上半身と下半身がアンバランスに感じる要因ですね。
自分の発想になかったため、フロント車軸の前出しという想像についクスリとしてしまいました。倣って想像してみると、確かにノーズ部のバランスは良くなりますが、尚更リヤセクションと合いません。おそらくCピラーのラインがリヤタイヤと6の字の関係になく、もっと後ろにあるためで、ここでもホイールベースが短かく感じますね。

確か「間違いだらけ~」では、実用車のスタイルというのは、パッケージング優先で、その外皮は我慢できない程でなければよいとされていたはずです。その「間違いだらけ~」でも、スタイルはよくないとされていたのが、サンタナですね。
2017年4月10日 6:01
いつも御世話になります♪( ´▽`)
初代(笑)サンタナ…買いたかったw
大学入学直後…93年の春でしたか
GX71を地元の山中で大破させた挙句
自分のバイト代で買える車を探した結果
豊田市の中古車店にGt白25万円を発見
父と見に行ったんです。ウキウキで。

ご存知の通り我が家には同車発売当初の
CG誌がゴロゴロしてまして稚きガキの私
同誌の長期テスト等、読み漁って妄想増大
現車確認に行く道中も希少なターボD
どんなんだろう?と父と会話弾ませ…笑

対面。程度悪。店員さん:壊れるし修理高いよ笑

諦めました´д` ;残念です囧

後年、ヤナセ入社後 当時の事情を
先輩に聞いても御存知の御方はほぼ皆無。
昨年、ベストヤナセマンに選ばれた
VWメカ出身の現MBトップセールス(56歳)
『あの車はヤナセでは冷遇されてたよネ』笑

何とも複雑な気持ちになりマス ´д` ;
コメントへの返答
2017年4月12日 19:56
返信が遅くなって、すみません

93年春だと、市場からはだいぶ淘汰されていた頃でしょうか。サンタナの中でも特に希少なターボDということで、程度悪でも展示されたのかもしれませんね。店員さんの応対からは、事情知っての展示を思わせるものがあります(笑)

このクルマ、CG誌の読者だと一度は経由したくなるのだろうと推測しています。VWでお買い得感のある価格となれば、やや敷居の低い感もありますし。実際はなかなか深みに嵌るようでもありますが。

ヤナセ社史に書かれた内容からすると、ヤナセ抜きの水面下でメーカー間が交渉して、寝耳に水の提携発表。さらにそれが原因でヤナセの扱い車種の買い控えを引き起こしたとなれば、冷遇されたのも仕方なしに思えます。このあたり、クルマの出来とは別の所で何とも恵まれないクルマでしたね。
2017年10月9日 0:15
初めまして。ブログ読ませてもらいました。30年近く前にGi5 5M/Tに乗ってました。足回りやエンジン、独特のスタイルは気に入ってましたが、運転ポジションが少し変でした。細かいですが、ハンドルオフセット、シフトレバーが若干左に傾いている、シートとペダルの角度が合わない等。5万キロ走行の中古を買って、15万キロ超で排気漏れするまで乗りました。今もクルマ好きなのはサンタナのおかげな気がしてます。
コメントへの返答
2017年10月9日 17:21
はじめまして
コメントをありがとうございます

愛車紹介を拝見しまして、前期のみのGi5で赤となると、サンタナの中でも希少仕様だったのではないでしょうか。書かれている違和感の部分ですが、右ハンドルへの最適化に及ばなかったことを想像させられたりします。もっとも、短所があったとしても、好きはそれを楽に超えたりもしますね。
カーライフを続ける中でクルマへの興味を失う方が少なくない昨今、クルマ好きを続けられているというのは幸せなことなのだと思います。歴代の愛車は各々良い思い出を残しますが、その中でも特に記憶に残るクルマというのは別格の存在だったりですね。

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