一つ前の投稿企画「もう一台所有できるとするなら」で考えていたのですが、こちらの企画の方が、気合が入りそうなので仕切り直すことにします。
あまりの気合にカテゴリを新しく作ってみたりもして(笑)
このお題、実は「名車」の定義が難しいところなのですが、私自身は、個人的好き嫌いよりも客観性を求められていると受け取りました。
絞り込むのが意外と難しいお題ではありまして、一先ずはセダンの5台です。(余裕があれば、別の切り口による5台を挙げられるかもしれません。)
○初代プリウス
まぁ、異論はなさそうな一台だと思います。
現在に続く、ハイブリッドの始祖です。
商品的観点では次世代以降に譲ると思いますが、そのインパクトや思想の崇高さではやはり初代が一番という認識です。
発表当時、現在のようにハイブリッドが全盛となるとは予想もしなかったわけでありまして、その先見性はトヨタに限らずでも有数の存在でしょうね。
○現行センチュリー
つい最近取り上げて、大変好評だったセンチュリーです。
現行モデルを含めたかったという理由もあるのですが、それ抜きにしても”製品”というよりも”作品”と呼びたい、その作られ方は名車認定で間違いないと思います。
長らく続いた現行センチュリーも、そろそろモデル末期を迎えつつありますが、モデルチェンジ後の方が現行の価値を再認識されるのでは、というのは個人的予測です。むしろ時間が経てば経つほど、色褪せるどころか、いぶし銀的凄みを醸し出すのではないでしょうか。
○初代セルシオ
これも異論はないと思います。
それまでのトヨタの集大成であり、新たな歴史も作った一台です。
既に定評のあった高級車達に切り込もうというのですから、その意気や推して知るべし。その結果は、予想以上の成果となって結実するのですが、世界の高級車の在りかただけでなく、トヨタの上級車の作られ方まで変えてしまったのは予想外でもありました。
価値が広く、長く認められたクルマであることは、その市場価値が長く継続したことにも表れていました。限定車や少量生産車等を除けば、10年落ちでも価値のある初めてのクルマがこのセルシオでしたね。
詳細は別の機会に書こうと思っていますが、そのメモリアル的価値は私も高く買っていて、一時期本気で所有しようと考えたことがあるくらいなのです。
○プログレ
空前絶後ということで、名車認定したいのが、このプログレです。
販売期間9年というのが国産車として異例なら、構想8年という期間も異例。
発想こそ昔からあったのですが、商売に結び付かなかったクルマの山が積み上がっていて、それでも商品化に漕ぎ着けようとしたのは、これが理想形という信念があったからこそです。
この信念を受け取った人は満足度が高かったと思いますし、これを乗り継いだという方も少なからず存在するようですね。
プログレのパッケージングは、クルマの大型化が進んだ今視点の方が高く評価できると思っています。パッケージングだけなら最終型ビスタも含めたいところですが、空前絶後ぶりでこちらに軍配を挙げます。
ちなみに、プログレに関して、以前に書いたブログは
こちら
○5代目マークII
決して色物や話のオチではなくて、私からの結構真面目な回答です。
発端は初代クレスタだという認識ですし、売れた台数なら、この次世代の81。
それでもこの時代の代名詞となると、絶対的に「白いボディカラーに真っ赤な内装」が来るわけです。同様に、兄弟車であるチェイサー・クレスタの存在も、決して無視はできないのですが、中心となるのは「黒いピラーのハードトップ」になるわけで。
そのどちらもが、この「ナナイチマークツー」を想像しているであろうことだけは間違いがなく。
現在の価格なら350万相当にはなろうかという高級車がベストセラーを競ったのが異例なら、登場直後の瞬間風速ではなく、尻上がりに販売台数を伸ばしたのも異例中の異例。
その売れ方は、自動車雑誌の枠すらも超えて、一般誌が社会現象として取り上げるほどでありました。同様のものとしては、「シーマ現象」も挙げられますが、現象の渦中にいた人の数では、確実にこちらが勝ります。
これほど売るには、老若男女に決して嫌われることなく、魅了することが必要でありまして、それが成功したのは、何とか手を伸ばせば届く夢がそこにはあったからなのでしょうね。
クルマという製品に、そういったものを持たせられたという点では、本当に稀有な存在だと思いますし、クルマに対して冷淡になった現在では、その存在を羨ましくも思うのです。
といったところで、いかがだったでしょうか。
今回の5台の内、プリウス・セルシオ・プログレは、トヨタ自身、価値を自任していて博物館や企画展での展示が見受けられます。センチュリーもモデルチェンジ以降は、同様の扱いとなるのではないでしょうか。そういう意味では、割と直球で挙げています(笑)
その点、マークIIだけは怪しくなるのですが、これもいずれは再認識されるはず、と思ったりします。当時という時代を象徴する存在として、これほどの適任はないと信じて疑わないのです。
さて、こうして取り上げては見たものの、「名車」は皆の心の中にそれぞれ存在するという答えも、もう一つの正解ではありますね。
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みんカラ投稿企画 | クルマ
Posted at
2016/06/27 21:27:56