
古の設計者の想い、第4回です。
今回は3代目ミラージュ、特に”XYVYX”と書いて”ザイビクス”と名付けられたモデルに関する部分を中心に取り上げてみます。
ミラージュは当時よく見られたFF2ボックスの一つですが、”ザイビクス”は、リヤクォーター部分をパネルで塞ぎ、前席のみの2シーターとした成り立ちを特徴としていました。こうした成り立ちは、バンではいくつか事例があるものの、それを5ナンバーで登場させたというのは空前絶後だと思います。
特徴としては、改造のベースという想定から、オプションこそ豊富に用意されるものの、標準状態では非常にシンプルな装備設定であるとか、ATが主流となりつつあった時代の中、MTのみの設定というあたりも含まれてきますね。
その特異さから、販売台数こそ惨敗に近い結果となりましたが、クルマ趣味人にはかなりのマイノリティ的な扱いとして、今でも語り継がれる一台であることは間違いありません。みんカラの中でも、既にブログ等で取り上げられた方がいらっしゃるようです。ここでも取り上げることは後追いの感もあるのですが、こういう取り上げ方は珍しいと思いますので、あえてやってみましょうということで。
ちなみに、今回はFavCars.comに珍しく掲載がなかったこと、カタログが手元にないことから、画像に苦戦しています。第27回モーターショーのパンフレットがあるはずなのですが、残念ながら迷宮と化した書庫から見つけ出せず。この部分は、何かの拍子に出てきた段階で補足することにいたしましょう。
今回の対談は、いつもの高原 誠(川島 茂夫)氏が、当時、三菱自動車工業(株) 乗用車開発本部乗用車商品開発室のプロジェクトマネージャーの職にあられた赤松 泰吉氏にインタビューする形となっています。
この赤松氏、プロフィールによると1935年生まれ、(子供の頃から乗りものを作りたかった。というよりも乗りものに関する仕事であればよかった。だから現在実に幸せ)と書かれています。()内の部分が後段の話に繋がる、いわゆる伏線。
それでは、ミラージュの成り立ち的部分から。
インタビュー記事が判り易いので、そのまま引用してみます。
高原 今度のミラージュの狙いあたりを・・・
赤松 今までいろいろと報告していますからお聞きだろうと思います。若い人を狙って、ということを考えていまして、若い人が乗って楽しいクルマですよ、というのが第一です。乗って、楽しくて、満足してもらえるようなクルマをつくりたいな、と。まず、見てよし、乗ってよし、走ってよし、ということで、自分の個性を発揮できるような・・・自分の生活の道具として使ってみて、自分の主張したいことが発表できるような道具をつくりたいな、というのが狙いですね。
やはり持っているモノが説明できるような・・・自分はこういうところが気に入って、もういうものを持っているというのが主張できるようなクルマをつくりたい。
高原 はたから見ていると、初代のミラージュからそういうふうに展開しようとなさっていたような気がするんです。
赤松 私もこのクルマをやり出してもう10年ぐらいになるんです。当時、FFの大衆車クラスのクルマとしては日産のチェリーであるとかシビックというクルマがありました。三菱としても初めて本格的な量産タイプのFFをつくろうということになりまして、最初はまず、新しいもの、個性を主張するものをつくろう。最初のときには非常に話題になりましたね。格好も変わっていましたし、新しいメカニズムもたくさん入れました。


初代ミラージュ
(引用元:FavCars.com)
ところが、2代目になりますと、最初に出たのがわりに好評だったものですから、ワッと伸びたんです。伸びて、さて、この市場を失ってはいかんなと。これだけ伸びてきたものをここで失敗しちゃいかんからと、かなり慎重になったところがありますね。確実なところでやろうじゃないかというところがありましたから、2代目は初代に比べると、品質的、性能的には相当にレベルが上がったんです。
ところが、売ってみると、それほど話題にならないものですから、3代目をやるときには、初代のときと同じように、もう少し自由奔放にやろうじゃないかというのがありまして、そのへんがちょっと変わったところだと思うんです。

2代目ミラージュ
(引用元:FavCars.com)
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初代は、三菱初の量産FFということで、その後の、トレディア・コルディア、シャリオといった車種展開を行う上での技術的基礎ともなったクルマでした。
同クラスには既にランサーが存在していたこともあって、カープラザと名付けられた新たな販売系列を整備し、同系列のメイン車種として登場する形を取っています。
まだまだ、FF2ボックスの少なかった時代ということで、新参入にも関わらず一定の市場を確保することに成功しています。ミラージュの成功は、三菱が2系列の販売体制を確立するのに寄与したのです。
その初代から、通常よりはやや長い5年半の時を経て登場した2代目ですが、性能等は向上したものの、シビック、カローラFX、ファミリア、ジェミニ、パルサー等の強力なライバルに押されてしまう形となってしまいます。
半ば余談ですが、2代目の車種別総合研究にも、赤松氏はプロジェクトエンジニアとして登場されていたりします。
当時の2代目のライバル車達



左上から、シビック、カローラFX、ファミリア、ジェミニ、パルサー
(引用元:FavCars.com)
3代目は、この2代目の経験を踏まえた上で、初代の成功に学び、再びの挑戦を行ったと言えそうです。
3代目のバリエーションです。
今回の主役であるザイビクスの他、”サイボーグ”、”スイフト”、”ファビオ”の計4シリーズで構成されていました。
本題のザイビクスを取り上げる前に、ルーフの話を少し引用してみることにします。
高原 話がちょっと前後しちゃうんですが、今回、4車型というか1ボディなんだけれどもグレードによっていろいろ使い分けてる。屋根も3タイプになるんですか。このへんの遊び方などを・・・。
赤松 クルマの中で遊べるところがいろいろあるわけです。足回りで遊ぶとか、エンジンでいろいろやるとかあるんですが、車体としてどこで遊ぶかというと、屋根しか残っていないんですね。屋根は非常に広い範囲があります。実は屋根というのは雨風をしのぐために板1枚がついているんだから、それを取っちゃっていいわけですよ。そこを何かに使おうという考え方でいろいろ発想があって、あの屋根の取り換えができれば・・・。最初、いろいろ考えたんです。屋根を全部、すっぽり取っちゃう。樹脂のふたをポッとしておいて、ひっくり返せば船になるようなものを載せていこうとか、あるいはキャンバスルーフにしようとか、とにかく屋根で遊べば面白いじゃないかと。
高原 面白いですね。
赤松 屋根をパッとはずせば新しい屋根がつく。そうしょっちゅう、自分で屋根を3種類持てるほどじゃないし、それをレンタルシステムにすると面白いんじゃないかという発想から・・・。現にそのスケッチもあったんです。
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前回取り上げた、フェスティバもルーフに新たなる提案を行ったクルマでしたが、こちらはそれをさらに追及したクルマですね。
ノーマルの他に、スーパートップと名付けられた大開口部をベースとして、デタッチャブルトップを前後に置いたデュアルグラストップ、後方の開口部にAVシステムを組み込むことが可能なマルチトップが設定されていました。
ただし、EXAのリヤゲートと同様に、認可の問題からデュアルグラストップとマルチトップの互換性はありませんでした。
その他に、デュアルグラストップのみ、カプセルタイプの荷物入れとしてキャリアトップの設定がありました。
キャリアトップについては、ルーフボックス、あるいは当時のワンボックスに多かったハイルーフ的要素を盛り込んだと見受けます。これらを簡単に交換できるというアイデアはよかったのですが、ボディ形状の変更にあたるとみなされたため、残念ながらアイデアの実現には至りませんでした。
やや迂回が長くなりましたが、ここから本題のザイビクスの話です。
高原 このボディの中で一番驚かされたのは”ザイビクス”なんです。すごいと思いましたね。しかも2シーター。5ナンバーだったんでもっと驚いたんですけれども。あれは何が発想の原点だったのかな、と。
赤松 いろいろバリエーションを考えようという中で、あれをやろう、これをやろうといろいろとアイデアが出てきまして、その中の一つなんですが、若い人が自分なりに自分の生活を表現しようというときに、後ろの空間をうまく使ってそういうことができるんじゃないかなという発想です。そのときにガラスよりも鉄板にしてしまって、自分の部屋ができるように、という考え方が一つなんです。そこで4ナンバーにならないかな一時、考えたりもしたんですが、寸法的にもちょっとまずかったのと、いかにもバンですよというのもまずいかなということで5ナンバーなんですけれどもね。あの中で外と隔離されて、中をどんなに改造しようと自分だけの部屋ができて、外からは干渉されないというところを狙っていた。また外の鉄板というのは自己を表現するようなキャンバスになるから、あそこにいろいろな絵を描いたりして楽しんだらいいんじゃないかなと思ってつくったんです。
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インタビューの中にある、パネル部をキャンバスにすることを意図したオプションの一例です。
高原 思ったんですが、”ザイビクス”に関して、やはり2シーターというのはまずい。意外と駄目なんですよね。例えば一人で暮らしていても2シーターを結構使えないというか乗れない人って多いと思うんです。サイドウィンドーに関しても、ああいう鉄板のはめごろしをするんじゃなくて、マリンウィンドウみたいなのとか、あるいはルーバーが切ってあるようなのがあったり、そういうので取り替えられたら面白かったんじゃないかなと。ぼくがオーナーになるとしたら、面白いけれども足かせにもなるな、と。このへんをどうお考えになっているのかな・・・。
赤松 おっしゃることもよく分かりますね。我々、開発の段階で2シーターでやるか、それとも2プラス2でやろうか、いろいろ考えたんです。それから、今おっしゃるようなマリンウィンドウ・・・このマリンウィンドウなんかは今からでもやればいつでもできるんで、そのへんも含めて楽しんでもらおうと思っていたんです。2シーターにするか2プラス2にするかは、私なんかはもう年寄りですから、2シーターに割り切ったらいかんのじゃないの、こんなちょこっとしたシートでもいいんじゃないの、と言ったんですが、いや、それは違っていますよ、そんな生温いことじゃ駄目です。2シーターでビシッと割り切るべきです、なんてやっちゃったんですがね。パタッと倒したときにフラットになるようなもので、ジャンプシートとか何とかで、とにかく1kmも走ったら腰が痛くなるようなシートでいいから、喫茶店に行こうとかボウリングに行こうとか、ちょっと行こうというときに、4人で行けるとか5人で行けるようにするべきかなとは、いま思ったりしていますけれどもね。
高原 ”ザイビクス”に関しては、まだまだ発展途上である。
赤松 まだやる部分がたくさんあるのではないかなと思っていますけれどもね。
それと、ああいうクルマは若い人が自分でいろいろ楽しんで工夫してもらえるかなと思っているんですが、どうも最近はそういう風潮よりも、自分の好みのやつのキットになったのを持ってきて入れるという考えなものですから、もっともっと使い方を提案していかないといけない。いろいろと発展させていかないとお客さんがついてこないみたいですね。
私なんか年寄りですから、昔からモノをつくるのが好きでして、例えば本立てをつくるにしても、板を1枚買ってきて、切って、つくりますよね。最近はそうじゃないんだそうですね。とにかくちゃんと本立ての格好になっていて、あとは接着剤を塗るか、ネジで締めるか、しかもドライバーも袋にセットになってちゃんと入っていないと駄目だとか・・・。自分が買ってきて、セルフとは言いながらも、ノコもカンナも何もなしですよ。ペーパーも。ただドライバーで組み立てるだけ。終わったらドライバーと一緒にポーンと捨てちゃって本立てだけ残るような、そういう生活になっているみたいですね。
高原 ミラージュで、できれば若者のクリエイティブな心得の起爆剤にしたいという感じですね。
赤松 そう思っているんですけれどもね。本当に若い人に楽しんでもらいたいなと思ってやっているんですが、最近、自分自身がちょっと古いのかな、若い人と一緒にもう少し勉強しなきゃいけないな、と。同時に、若い人も自分で何かつくって、クリエイティブな喜びというのをやらなきゃいけない。自分に合ったもの、あるいは、自分の欲しいものを、自身で工夫して作り出すというような・・・。いわば手作りの独自のものは、誰かの考えたものや、売っているものとは、ひと味もふた味も違う。
他人とは違う、個性的なものを持ったり、使ったりしたい人が多いわりには、自分で創造しようとはしない若者が多いようです。
世の中、忙しすぎるんですよ。昔は始めたら、3ヵ月ぶりにできたとか6ヵ月ぶりにできたとかいって楽しんだんですけれども、今はそんな時間がないんですね。
高原 そして、そういうものへのアンチテーゼで、もうちょっと原点を見つめる・・・。
赤松 アンチテーゼというとどうも抵抗がありますが、何とかそういうふうな生活を楽しむ、クルマを楽しんでほしいなとは思っていますけれどね。
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ザイビクスに関しては、ここで引用した通り、少し前のクラウンワゴン同様、対談の中では比較的大きなスペースが取られています。従来にはなかった提案ということで、話としては興味深い内容が多く、売る方もそれなりに期待するものがあったということを推測させます。
ところが、結果は・・・だったわけです。使い方を提案しようにも、ベースマーケットが育たないために、それが実行できない状況に至ってしまいました。そんな状況でも、次のモデルチェンジまで設定廃止とならず最後まで続いたのには、意地に近いものを感じたりもします。
そんな結果に至った理由としては、インタビューの中で指摘されているとおり、2シーターというのがやはり制約になったことは指摘できそうです。スポーツカーでも2シーターと2プラス2を並行した時には2シーターの販売比率が低くなるのが通例ですから、それをFF2ボックスでやったら、なおさらユーザー層が限られてしまいます。作り手の思想としては生温い選択であっても、売り手の戦略としては生温い方が上手くいったでしょうね。
同じ話は5速のみという設定にも当てはまりそうですね。こちらも生温い論が交わされたことが想像できたりもしまして。
あとは、やはり自分だけのクルマ作りという考え方でしょうか。いや考え方としてはありだと思うんです。キャンピングやトランスポートを目的として、ハイエースやキャラバンを独自で改造するというのは、当時も今も一定の需要が存在することは事実ですし。ただ、そういった需要もFF2ボックスをベースとするかというと・・・。
もしかすると、同じ三菱でもミラージュではなく、パジェロやデリカでやっていれば、多少なりとも成功していたのかもしれません。
このクラスも上級車の流れを受け継いで、急速にフル装備への要求が高まり、装備水準が一気に向上していた時代の中では、素の状態で出して後はお任せというのは、あまりにストイックではありました。
この頃大量に免許を取り始めていた第二次ベビーブームの世代は、クルマそのものを楽しむというよりは、クルマを使って楽しむ方に価値を見出していた感が強いですね。
といったところで、最後に。
あまりの希少性から、珍しいという形容で紹介されることが多いクルマなのですが、背景の部分まで紹介されることが非常に稀であることも事実ですので、こうした話を読んでいただくことで、理解を深めていただけると嬉しく思います。
今回掲載したインタビュー記事でお解りいただけるように、設計者は若い人に楽しんでもらおうという、間違いなく強い思いを抱いて作ったクルマであると言えるのです。