
古の設計者の想い、第5回です。
今回は、ちょうど30年前となる1986年(昭和61年)10月に登場した2代目シティを取り上げることにします。
シティは初代がインパクトのある存在であったこと、そこに続く2代目が初代から大きく変容したことで、このモデルチェンジは当時話題となりました。
その大きく変えた理由は後程程のインタビュー記事から読み取っていただくとして、その前におさらいや2代目との比較も兼ねて初代に触れてみることにします。
○初代シティR(1981年10月登場)


当初1200で登場したシビックですが、年を重ねるごとに大型化したことに伴い、ホンダはこのクラスが空白地帯となっていました。
その間、2度のオイルショックもあって省資源に資するコンパクトカーを求める声は増大。そんな背景から生まれたのがこのシティでした。
これ以前のホンダ車は、背が低く・長さがある一方でホイールベース短くといったクルマばかりだったのですが、このシティは全長:3,380mmという今の軽自動車並みの長さと全高:1,470mmという、当時のクルマ達の中では群を抜く高さが特徴でした。
このディメンションから生まれる、ユーモラスなスタイリング、軽量を生かした走り、専用のトランスバイク”モトコンポ”、話題となったCM等の相乗効果から生まれる強い主張は、安いから乗るを好きだから乗るに変換させることとなり、瞬く間に人気車の一角に駆け上がることとなります。
さらに、この初代シティは、やや過激なモデルを次々追加するクルマでもありました。
有名どころを列挙してみます。
○シティターボ(1982年9月登場)
○シティターボII(1983年10月登場)
○シティカブリオレ(1984年7月登場)
そのいずれもが、約1年おきでの投入かつ時の話題となっています。
これら以外にも、”マンハッタンルーフ”と名付けられたハイルーフ、”ハイパーシフト”と名付けられた副変速機、燃費競争への参戦となった、EII・EIII等もあったのですから、その謳い文句のとおり”シティはニュースにあふれている”存在だったのです。
その間、ホンダは次々ニューモデルの投入やモデルチェンジを実施しますが、その何れもが”低く・広く”というクルマだったため、背の高いシティは年を重ねるごとに、だんだんと異端となっていったのも、もう一つの事実でした。
また、同クラスには、次々と他メーカーも参戦。そのどれもが、シティほどではないにしろ、やや背の高いクルマ達でありました。ホンダのトゥデイを除けば、軽自動車共々、小さいクルマはやや背の高いのが主流となっていったのです。
そんな背景の中から、5年ぶりのモデルチェンジとして登場したのが、今回の主役となる2代目となります。


一見しただけで初代とは大きくディメンションを変えたのがご理解いただけると思いますが、その裏付けとしてサイズを列記してみます。
・全長:3,560mm (+180mm)
・全幅:1,620mm (+50mm)
・全高:1,335mm (-135mm)
・ホイールベース:2,400mm (+180mm)
・トレッド(前):1,400mm (+30mm)
・トレッド(後):1,410mm (+40mm)
長く・広くなったのもありますが、-135mmという高くから低くへの転換がやはり一番大きい。同クラスの中でも背の高いクルマが一転して、最も背の低いクルマになったのですから。
背の高いクルマの多い昨今のクルマで例えると、N-BOXやウェイクが背の低いクルマにモデルチェンジしたようなものと言えるでしょうか。実際にそんなことが起こったら、やはり大きな話題となりますよね。
この一大変容、もちろんその裏には周到な時代への読みがあります。
今改めて読み返すと、なかなか鋭い感覚だったんじゃないかと思える・・・ということで本編に入っていきます。
今回の対談形式を取ったインタビューは、一方がいつもの高原 誠(川島 茂夫)氏が、開発者側となる、当時、(株)ホンダ技術研究所 栃木研究所 取締役主任研究員の職にあられた、平松 竹史氏に行う形での進行となっています。
その他にも、開発者側からは、主任研究員(エンジン担当)の職にあった板倉 清之氏と主任研究員(シャシー担当)の職にあった飯倉 政雄氏のお二方も参加されているのですが、このブログではメカニズムの部分をあまり触れていないこともあって、今回の引用からは割愛させていただきました。
それでは、スタイリングの話から入っていきます。
高原 見た目、一番衝撃的に変わったのはスタイリングだと思うんですが、ここまで変えた真意というのは・・・。
平松 先代のシティといいますと、一応4人が乗る、今回のは、やっぱりパーソナルトランスポーターという性格というか、日本でのマーケットがそのようになってきましたからというのが一番でございます。従いまして、先代はとにかくしっかり4人乗る。あるいは4人の人が持ってくる荷物を載せるというのが先にありましたものですから、今回はそういう意味でドライバーズカーといいますか、プライベートカーとして自分が乗れば、前席優先といいますか、そちらに焦点を当てました。
高原 かなり技術が外から見えるようなスタイリングというか、どうだほかの会社でここまでできるか、というような印象を受けるんですけど。
平松 それは考え方が二つありまして、一つの考え方としてはメカニズム、マシーンの部分、機械の部分はミニマムに、対する人間の部分はできるだけ大きく、それはクルマづくりの考え方が一つ同じですね。
やり方としまして、私どものデザインの基本にまずプロポーションが先にある。(中略)ですから、見せるためには、基本的にはプロポーションが先にくるので、という考え方を先代のシティ、同時に2代目のプレリュード、1982年に商品化したものから、デザインの基に骨格ありきという方法論です、これを打ち出しました。
私どもは他社に対する違いということを一生懸命考えておりますけれども、その点、自分ちに対する違いというのをちょっと忘れたかもしれません(笑)
高原 同じようにすると意図したものではない。
平松 それはあくまで、さっき言った二つの考え方と方法論などによりまして、他車に対する違い、ホンダの味を出そうとした、目的はそっちです。
---------------------------------------------------------------引用ここまで
先に紹介したとおり、初代シティ以降のホンダ車というのは、そのどれもが”ワイド&ロー”、特にローの部分を特徴としていました。同クラスの他社と比較した時に、車高あるいはスカットルの低さというのが印象的だったわけです。
また、ハッチバックでは3代目シビック以降は、基本的にロングルーフ形状。
そんな基本構成を纏っていたホンダ車達を並べてみます。
○アコード エアロデッキ

・全長:4,335mm
・全幅:1,695mm
・全高:1,335mm
・ホイールベース:2,600mm
・トレッド(前):1,480mm
・トレッド(後):1,475mm
○3代目シビック

・全長:3,845mm
・全幅:1,630mm
・全高:1,340mm
・ホイールベース:2,380mm
・トレッド(前):1,400mm
・トレッド(後):1,415mm
○初代トゥデイ

・全長:3,195mm
・全幅:1,395mm
・全高:1,315mm
・ホイールベース:2,330mm
・トレッド(前):1,225mm
・トレッド(後):1,230mm
一般的には、シティもこの3台の中に組み込まれたように受け取られていました。
今視点で改めて比べてみると、シティはリヤクォーターを跳ね上げていませんし、シビックよりも全長が短いにも関わらずホイールベースを伸ばして4肢を張り出させたりといったデザインは、むしろこの後に登場した4代目シビックの3ドアに近いものを感じるのですが、それはまだ先の話。普通の見方だと一緒に映りますよね。
インタビューは、スタイリングからインテリアに移っていきます。
高原 インテリア、特に全車にフルトリムを採用っていうことで、だいぶ高そうに見せるということに対して頑張った。
平松 クルマの常識にもう今は日本ではなってしまいましたですね。最近の、例えば若い人が多いわけですけれども、そういう人の基準というか、価値判断の基準が、たぶん家にあるおやじのファミリーカー、ご時世ですから、うちのクルマにはアコードかレジェンドぐらいはだいたい持っているでしょうね。
高原 あっちが基準になる。
平松 そうなっちゃっているんですね。だから、それがさっき言ったフルトリムの問題であり、質感でしょうし、メカニズムのほうでいえばATなんかを4速にしているということも、一つにはそういうことですね。お客さまの基準がそこまできてしまった。
高原 久々に、後席に座って、足が前席の下に入らないという(笑)・・・。それで、何となくこうやって座りますよね、ちゃんと。そうすると見ると寸法はあるんですよ。あるんだけれどぜんぜん広い感じがしない。どうしてかなって・・・。例えば屋根をすぼめていますので、そういう視覚的なものにしろ、低いにもかかわらず足を前に投げ出せないんですね。
平松 それは、さっき言った明快に分けたから。シビックまでのクルマとそれ以下。もっと言うと、最近は大衆車なんていう言葉はすっかり死にまして、せめて1.6といいましょうか、それ以上の我慢のないファミリーカーと、それ以下のおれ用のクルマという時代ですよね。
そういう2分類のほうが、最近では正しいようですよね。基本的にベーシカルなものを一回つくり上げて、それに一点足そうという考え方でつくりました。もう一回ワールドベーシック・パーソナルトランスポーターとしてのコンセプトを、一回おにぎりを握ってみて、そうするとこれは面白くないわけですな。
---------------------------------------------------------------引用ここまで
スタイリングの部分でも語られていますが、この2代目、セカンドカー需要であるとか、若者のパーソナルカー需要を強く意識していたことが、語られる言葉から垣間見えてきます。
初代は若者向けに見せつつも、経済的なファミリーカーとしても使える存在だったのですが、2代目ではより若者向けの部分を狙ったというわけですね。
言及はされていませんし、仕様的にも背伸び感はないのですが、考え方としてはある種「小さな高級車」の考え方に通ずるようにも感じます。
話としては、本題からやや外れるのですが、興味深かった部分を2つ抜粋してみます。
高原 全車にラジアルタイヤを標準装備した。
平松 そんなのは常識ですからね。軽自動車だって、うちはラジアルですよ。トラックだってディスクですから。
高原 やっぱりポテンシャルに合わせた性能は必要?
平松 必然的にそうなってくるんでしょうね。何で違うんですかって、それはエンジンの出力が違うか、車重が重いか、何か明快な答えがなく、雰囲気だけで変えたんじゃ具合悪いでしょう。
高原 こっちはおカネを安くするためにこういうタイヤにしましたじゃ通用しないということですか。
平松 そりゃあかんでしょう。
(中略)
高原 エンジンがエンジンですから、あのエンジンだったらタコメーターはやっぱり必要?
平松 付けておきませんと、せっかくこれが7000回転まで使えるというのに・・・。大部分の人は、普通だったら5000ぐらいでやめてしまう。分かっていただくためにあれは要るんであるって、それで全車付けているんです(笑)
---------------------------------------------------------------引用ここまで
80年代に入って、ラジアルタイヤの普及が進んだのですが、まだ安いクルマではバイアスタイヤの設定が一部残っていた時代です。
特にシティは、全車165/70R12というサイズ。12インチと言えども70扁平ですから、当時としては十分セールスポイントとなる点でした。廉価グレードでもタイヤの仕様を落とすことをしなかったのは評価できます。ルックス的にも細いタイヤでは決まらなかった面はあると思います。
また、タコメーターの設定の理由も面白いところです。
この時代、ATにはタコメーターが不要という議論にはならないのです(笑)。まだまだ高回転まで回して、ピークパワーを競っていた時代ですからね。
話は続いて、ATに入っていきます。
高原 話が前後しちゃうんですけれども、オートマチックを全車に4速っていうの、これもまた大英断・・・。
平松 ずっと今まで、一つはこういう安いベーシックカーというのが燃費燃費って追求しましたね。私どもの初代のシティもMTで18km/L、燃費指向のEタイプは19km/Lにして、すぐ20km/Lになっておりますけれども。またそれがどんどん進化して、24km/Lまで最終的にはきたわけです。そういうようにやってきますと、特訓選手で燃費を出していくというのが、ちょっとばかげているねと。ハイギヤードにしたり、えらいコストをかけたりね。見てますと、みんなMTばかり特訓してATはほったらかしちゃうんじゃない?ATナンバー1いこう。これからの時代はATですから。
高原 ないがしろにはできない。
平松 走りもね。要するに小さいクルマのATにしたら走らないし、燃費も悪いし、段数も少なくて使い勝手が悪い。そういういろんな意味で、これからはこの世界でやろうと。だからフィールドをマニュアルミッションの世界から変えたわけです。結果的にお客さんの評価も、いま6割超えました。販売店が下ろすデモカーを除きまして、本当のお客さまの受注伝票を見ましても62%ぐらい。
高原 小さいほうでもどんどん・・・。
平松 それとパワーステアリングが9割です、91%。ですから、さっき言いましたようにAT、パワーステ・・・。プライベートカーとしては、そういう世界が出てきた。それは自分自身で固いタイヤを履いてスポイラーか何か付けてギトギトしながらやるんじゃなくて、軽いよ、楽だよ、静かだよ・・・。これからはプライベートカーというほうはそういう世界なんでしょうね。
---------------------------------------------------------------引用ここまで
ATの比率が50%を超えたのは1985年です。
このクラスのATの主流は3速であり、この少し前までは2速の設定も残っていたくらいです。1500ccクラスに広げてみても、4速ATを採用していたのはカローラ、サニー、シビックくらい。それも一部グレードのみに限られるという状況でした。
それにも関わらず、全車4速ATの採用は、全車5速MTにした点も含めて、間違いなく大英断と言えるものですね。
先に出た、おれ用のクルマの話もそうですが、時代であるとか市場が欲していたものへの先読みは実に的確だったのだと思います。この後、AT・パワーステは装備されているのが当然となっていきますし。
高原 また話がコロッと変わっちゃうんですけど、どうもドライビングポジションがしっくりこない。ペダルが非常に手前に来ているというんですか・・・。
平松 おっしゃる意味は、ハンドルが遠いという意味ですか。これはシビックのハンドルと同じなんですよ。
高原 いや、更には腿が当たるんですね。
平松 それも同じなんです。あれ、全く同じポジション。
高原 どっちかというと、ぼくは前に出してポジションを取るんです。ハンドルが近めのほうが好きなんです。
平松 まあそれはいろいろ勉強させていただきますけれども、もう一つ言えるのは、これは寸法だけじゃないんだなあというのが、今回つくって分かったんですよ。というのはフロントウィンドウがわりと出ていますね。出ていると、人間というのはそういう物理的な寸法だけじゃなくて、ガラスからの相対感というのでおのずと自分で寄っていきたいんですね。そうすると、なにペダルがこんな所にある? っていう感じとか、心理的に自分をガラス、あるいは周りの物体に対してどこへ置きたいという自分のくせがありますから、これもさっき言いましたように、シビック3ドアと同じですと言ったんですけれども、シビックの3ドアよりウィンドウが前へ出ている。そうするとハンドルが中に立って、ちょっと中空にあるような感じがして、人間は前に来ている・・・。
---------------------------------------------------------------引用ここまで
この話は、私自身の実感としてあります。クルマはまるで違いますが、W204とW205の関係が同じだったりするのです。前席周辺の寸法的には両者大きな違いはないのですが、感覚的なものが影響してかW205の方がやや前寄りになるんですね。それでリヤの足元のスペースを稼ぐ空間構成となっている。
話をシティに戻すと、シビック3ドア自体がややハンドルが低めの位置だったのでしょうから、それで人間が前に出るとすると、空間的には厳しいものがあったでしょうね。画像で確認する限り、シートリフター的なものも備えてはいなかったようです。
高原 これは国内だけに展開なさるんですか。
平松 ええ。クルマづくりとしては世界用でといいますか、見据えてつくりましたけれども、今は残念ながらドルが160円です(笑)
高原 商売にならない(笑)
平松 なかなか深刻。
高原 最後に、非常に興味深かった価格設定なんですけど、かなりお安い。特にBBは、これでもうかるのかなというぐらいの設定なんで・・・。
平松 大変サービスさせていただいていると思います。あの開発チームはEEを「ジス・イズ・シティ」と思ってつくったものでございます。GGというのは、これを扱う店がクリオでございまして、ホンダの中でレジェンド以下ラグジュアリーカーを扱っているところでございますから、販売チャンネルのイメージに合わせたものがGGであり、技術的にはディス・イズがEEでございます。
先代のシティが最終価格が84.5万円で、今度は88.8万円ですから、4万3000円?
高原 ちょっとアップ。0が増えています(笑)
平松 ですから、わりとご推奨ではないかと思います。何といいましてもこのマーケット、さっき言ったように、例えばお兄さんがどっか自分のクルマを買おうとすると、シビックのところまで行っちゃうんですね。選択の基準が。今、ご時世でしょう。それを飛び越えないで、ちょっと待ってというためには、バリューフォーマネーが最大マスを占めているクラスに対して、一つ違う明快な措置をしなければマーケットがないんですからね。ないというかたいへん小さいものですから。ですから価値を高めてお値段を安くして待つマーケットをつくりたいわけです。
---------------------------------------------------------------引用ここまで
(東京地区標準価格(単位=万円):MT/AT)
・GG:103.9/112.4
・EE:88.8/97.3
・BB:82.7/91.2
プラザ合意により1ドル200円を超えていたものが、ほんの短期間で1ドル160円ですから、輸出の比率が高かった自動車産業は大きな影響を受けました。当時は自主規制の名のもとに輸出台数の総量規制をかけていましたから、なおさらですね。
この時の為替変動は、現地生産が加速化するだけでなく、輸出の主力モデルが従来のカローラ、シビックからカムリ、アコードに移ったりであるとか、アキュラ、レクサスをはじめとする高級車ブランドの展開等、一つの転機となりました。
シティも、輸出も想定したはずが国内専売を強いられるという形で影響を受けています。このサイズ、この価格帯のクルマを国内だけで展開するというのは、この時期でも相当に苦しかったはずですが、その分、純粋に国内の動向を見据えて作れたのかもしれません。
おそらく開発陣は、国内の背景として第二次ベビーブーム世代が大量に免許を取って走り始めていたことを意識していたのだろうと思います。私自身、その中の一人ですから、全体を通して結構共感できる部分が多いということはあります。評価の中には「若者に媚びている」という形で否定的な見解を出されることもあったのですが、その後の流れからしてもクルマの方向性の考え方としては間違っていたとは思えません。
シティが投げかけた質感であるとかAT・パワーステで楽々といったあたりは、同クラスの他車に影響した部分ですね。
そういった努力にも関わらず、結局のところ、国内のユーザーの動向としては、時を前後して起こったバブル景気に乗る形で開発陣の思う以上に贅沢志向が進んだことは否めません。自分のクルマとしては、やはりシビックのところまで行くケースが多かったように思うのです。
シティはマイナーチェンジにより、1.3やインジェクションモデルを追加し上級指向を強めることとなるのも、こうしたユーザーの意識に対応した感が強いですね。
ただ、販売の主流はお買い得感を強調したFitに落ち着くこととなります。
○マイナーチェンジ後の最上級、CZ-i

もっとも、このシティ1.3のインジェクションモデルは、軽量・パワフル・重心の低さ等の特徴を生かし、国内のモータースポーツシーンにおいて、クラス内では無敵の存在であったことは特筆すべき事項です。当初は追いすがるライバル車もありましたが、その強さは徐々に孤高の存在となっていきます。(1.2でもMTなら、0→400mを17秒台半ばで走るのですから、一層パワフルな1.3インジェクションの速さは推して知るべし)
こうした活躍というのは、開発者が想定していた事なのかはいささか怪しいところではありますけれども。
(参考文献)
・月刊自家用車誌 車種別総合研究
・自動車ガイドブック1986-1987
(画像の引用元(CZ-iを除く))
・FavCars.com