古の設計者の想い、第7回です。
このシリーズ、初回以来、あまり有名どころを扱わずできましたので、そろそろ取り上げるのもよろしいかということで、ユーノス ロードスターをやってみます。
このクルマ、少し前に企画された、
あなたが選ぶ!「名車」(マツダ編)で名車の一台として挙げさせていただいていまして、その時には「歴史を変えたという点で、初代セルシオと同等、あるいはそれ以上のエポック」という言葉を贈りました。日本車の有史に残る屈指の存在だと思うわけです。
もちろん、そんなことは他にも広く認められていますから、多くの熱心なファンが存在する一台でもあります。
同じ理由から、開発秘話的な部分も、結構残っているようです。今回取り上げる部分がそれらと違っていなければいいなと祈りつつ、そこは当時の対談記事ということで、矛盾点等ありましたら、ご容赦願いたいと思います。
・・・などと、いつもよりもえらく慎重なのは、有名どころだけに、私なりの予防線を張らせていただこうなどと(笑)
本編に行く前に、本車についての簡単なプロフィールを紹介しておきます。
最初に姿を現したのは、1989年2月に開催された米国シカゴ・オートショーとなるようです。その時は「MX-5 Miata」として発表されています。
国内には、1989年7月3日に「ユーノス・ロードスター」の名前で発表。新たな販売チャンネルとなるユーノスから、9月1日より発売開始になるとされていました。
全長:3,970mm
全幅:1,675mm
全高:1,235mm
ホイールベース:2,265mm
車両重量:950kg
最高出力:120PS/6,500rpm
最大トルク:14.0kg・m/5,500rpm
記事は、いつもの高原 誠氏(川島 茂夫氏)が、当時、マツダ(株) 商品企画開発推進本部 で主査の職にあった、平井 敏彦氏にインタビューする形で進んでいきます。
平井氏はこの名車の開発責任者ということで、有名な主査のお一人ですね。
想い入れも強い一台ということで、後日談的に語られていることも多いのですが、発売当時のライブ感を読み取っていただけると、ありがたく存じます。
先ずは登場前の市場調査の話からです。
引用ここから---------------------------------------------------------------
高原 スゴイクルマ出しましたね。
平井 マツダというのはそれなりのちゃんとした会社だから、綿密な必要調査をした結果、こういうクルマが出たんでしょうとよく言われるんですが、市場調査なんかやってないですよ。
一つは、こういうクルマですから、アメリカ市場がなかったら成り立たないわけですね。アメリカ市場が転んだらプロジェクトとして成り立たないわけです。そういう意味で、アメリカ市場でも、西海岸にこういう市場があるというのは最初からわかっていましたが、東海岸、本当に大丈夫かなというのがあったわけです。「東海岸をみてこい」と言ったのが、1986年の6月だったですかね。その時に初めて、こういうクルマをアメリカの東海岸にもっていっても売れるかなという、紙切れを持ってチェックしに行っているだけです。若い連中は何をやっているかといったら、フリーウェイの三叉路のところに座っていまして、そこで何台来た、何台来た、その内の何台、オープンがあったと、そういうものですよ。ゴルフのカブリオレが何台で、たまにMGBが走ってきたりして、大喜びしたらしいですよ。あくる年に、デザインが一応出来上がって1分の1のプラスティックの乗り込めるモデルをつくりまして、それを1987年の4月にアメリカのロスアンゼルス、例のライスボウルがあるパサディナへ持っていきまして、あそこでメーカーの名前を伏せて、220人か240人だったと思いますけど、こういうクルマだけどどうだろうかという市場調査をやったんです。それはフォーカスド・インタビューと言うんですか、スペックや何を全部与えておいて、クルマをパッと見せて、こちらの部屋に来てくださいと。8人のグループを狙ってやったんです。それに1人、司会者をつけまして、いろんな角度から、われわれが聞きたいことを聞いてくれるわけです。そういう調査をしました。
高原 それはかなり手応えはあったんですか。
平井 それまでひどかったんですよ。社内は、こんなヤクザ・クルマをつくってどうするかというあれだった(笑)。
高原 まあ、実用にはなりませんからね。
平井 全然実用じゃない。非日常的なクルマですから。非日常的なクルマというのはどういうことかといいますと、このクルマがなくても誰も困る人はいないわけです。
高原 そうですよね。
平井 そうでしょう? 楽しむ人はいますけど、なくても困る人はいないわけです。だから非日常的なクルマですね。趣味のクルマだし。そんなクルマをやるよりは、もっと実用車で、重要なクルマがマツダにはたくさんある。
ファミリアもカペラもルーチェもあるでしょう。それのモデルチェンジ、マイナーチェンジのほうを優先すべきだと。
(中略)
とにかく主な市場はアメリカなんだから、アメリカへ持っていって、ということでパサディナへ持っていきましてチェックしましたら、それが非常に評判がよかったんですよ。これは西ドイツのクルマだろう、ポルシェから持ってきたんじゃないかとか、いろんなことを言われましてね。ポルシェとかロータスとかいう言葉が出てきたんです。それはどちらかというと、非常に憧れ的な言葉で言っているんですね。
高原 それほどの大胆さがあったということなんですかね。
平井 でしょうね。マツダらしさがなかったんじゃないですか(笑)
最後に、うちのインポーターに見せましたら、とにかくいいから、他のプロジェクトのプライオリティを変えてでも、このクルマを一日でも早く持ってきてくれという話がありました。それにいくまでは本当に暗い気持ちだったわけです。
価格も一応、提示しました。これはとにかくいいというような話だったものですから、帰りまして、最後にくっつけたわけです。「一日も早く持ってきてくれと言いました」と言いましたら、和田副社長から、「そういうことを言われたんなら、みんな、一日も早く持っていくことを考えたらどうだ。一日も早く量産を早めることを検討したらどうか」と言われましてね。
---------------------------------------------------------------引用ここまで
語られている話からすると、今から約30年前にプロジェクトが芽生え始めたことになります。ちょうどファミリアにツインカム・ターボやカブリオレが追加された時期と重なる形です。
最初は小さく、それほど重要視されていなかったプロジェクトが、アメリカに市場があることを背景にして成長していった構図だったようです。後で話に出てきますが、マツダはスポーツカーとして既にRX-7を持っていましたから、さらにスポーツカーを加える前に実用車を重視しろと言うのも、自然な話ではあります。
開発段階の関連として、画像を引用元としているFavCarsに、珍しくプロトタイプの画がありましたので、掲載してみます。
1988年とありますから、1/1の最終モックアップでしょうか。細部は異なるものの、大筋は最終形と共通するものが多々見受けられます。
時期からすると、おそらくパサディナに持って行ったというのは、もっとラフなモデルだったと推測できます。加えて、ロードスターが出る以前ということからすれば、スポーツカーを得意とするメーカーの名前が出たというのも理解できます。なかなか当時のマツダとリンクする感じは少ない気がするのです。
続いてはFRを選択した理由に関してです。
引用ここから---------------------------------------------------------------
高原 今みたいな形になって僕らとしては嬉しいんですが、単純に考えちゃうと、あのサイズだったら、例えばファミリアのコンポーネントを使ってFFのオープン2シーターをつくっちゃおうという考え方だってありますね。
平井 それはありましたよ。そんなクルマをつくるんだったら、私、一切やっていないですよ。
高原 そこがすごいなと思うんですけどね。
平井 もしそういうクルマをつくっていましたら・・・私もこの道でずいぶんメシを食っていますからそこそこのものはつくりますよ。でも、恐らくマツダがCR-Xをつくってきたと言われるんじゃないですか(笑)。たぶんそうだと思います。ミッドシップもスポーツカーのはしくれですから魅力はありますよ。それをつくってたら、マツダがMR2をつくってきたとおっしゃると思いますよ。マツダはRX-7もFRですし、やっぱりライトウェイトスポーツといったらもうFR以外にないですよ。
---------------------------------------------------------------引用ここまで
比較対象も兼ねて、話しに登場している2台を掲載してみます。
○ホンダ CR-X

Si(画像は1.5X)
全長:3,755mm
全幅:1,675mm
全高:1,270mm
ホイールベース:2,300mm
車両重量:890kg
最高出力:130PS/6,800rpm
最大トルク:14.7kg・m/5,700rpm
○トヨタ MR2

Gリミテッド(画像は輸出仕様)
全長:3,950mm
全幅:1,665mm
全高:1,250mm
ホイールベース:2,320mm
車両重量:1,060kg
最高出力:120PS/6,600rpm
最大トルク:14.5kg・m/5,200rpm
ライトウェイトスポーツという括りで3車のスペックを並べると、結構横並びなのが興味深いところです。この辺りが各種要件を満たしつつの適度なサイズと判断されていたのでしょう。
共に台数こそ、それほどではないものの、イメージ形成に貢献していたモデルです。マツダがFFやミッドシップでロードスターを作っていたら、確かにこれらの二番煎じという評となっていた気もします。だからといってFRを選択するというのは、ファミリアのコンポーネンツ共用を減らすことに直結するのですから、話しほどには、簡単ではないのです。
それでもFRを選択したというのが、ロードスターの一つの大きなポイントではあります。
生産効率に関しては、続いての話でも触れられています。
引用ここから---------------------------------------------------------------
高原 ライトウェイトスポーツというので、特に最近、そういうクルマがなくなってきちゃったというのは、一つにはアメリカ市場のスポーツカーがメインになっちゃいますよね。そうすると、保安基準がうるさいですね。あれに適合させていくとライトウェイトスポーツはダメなんじゃないかと。
平井 そう思ったのが一つの盲点だったと思いますね。アメリカのMVSSが安全、安全であると。だけど、ゆくゆくは助手席のエアバッグといいますかパッシブレストレンドをどうするのかという話はあります。やはり安全規制というのはもっともっと強化されるでしょうから、そういう意味では面白くないなとは思っていますけれどね。そういうのを一生懸命心配していますと、こういうクルマは絶対にできない。
高原 ランニングコンポーネンツを、全部とは言わないまでも、ほとんど起こしちゃうわけですからね。台数はファミリアみたいには売れないだろうし、どう考えたって、あんまり生産効率のいいクルマじゃない。
平井 そりゃそうですよ。スポーツカーというのはそうですよ。だから大企業はあまりやらないんですね。マツダ程度の規模の会社が二つのスポーツカーを持つ資格があるかどうかと言ったら、ノーかもしれないですね。ただ、マツダは二つ生産することになった以上は、やはり社会的責任があると思います。あれを途中で放棄するわけにいかないですから、真剣に育てる義務があると思いますね。
高原 出した以上はずっと育成していく。
平井 そうです。ただ、普通の乗用車と違いまして、外回りのプレスとか型を一生懸命いじる必要はないと思いますし、いじってはいけないと思いますね。例のフォルクスワーゲンビートルがやりましたように、十数年、少しずつ少しずつ、小さい小さい改善を加えていくのは必要がある。それと心臓と足は強化する努力をしなきゃいかんと思います。
---------------------------------------------------------------引用ここまで
当時、アメリカの安全規制が最も厳しく、細く長く続いていたオープンスポーツが継続生産を断念する要因となりました。この後の規制強化も予想されていたことから、オープンスポーツが生まれにくい状況であったことは確かです。そこをあえて挑戦したのが、このロードスターですね。
スポーツカーの責任と義務の話も、耳を傾けたい部分です。平井氏自身は、その後退職されていますし、マツダはその後の推移の中で、二つ揃っては守れませんでしたが、ロードスターの義務は守られている形と言っていいと思います。
続いては、ボディサイズや排気量等のパッケージングに関する部分に話が展開していきます。
引用ここから---------------------------------------------------------------
高原 サイズとか排気量、エンジンのチョイスはどういうところから設定されたんですか。
平井 サイズというのは必要最小限にとどめるべきだというふうに考え、デザイナーも口出しをします。だけど、スポーツカーといのはやはりスポーツをするという機能が最優先すべきだと思いますね。そういう意味でホイールベースはエンジンを置いて、人間を座らせて、後ろのサスペンションを置いて、ガソリンタンクを置いて、そういうレイアウトをした上で、できるだけ縮めるという努力をしました。その中で最適のサイズをみつけていくということで、非常に中途半端なホイールベースであり、寸法だと思います。きりのいいところまで伸ばすというようなことは一切やっていない。
高原 それでサイズは決定する。
平井 もう一つはエンジンの排気量。実験課はこんなちっこい排気量のクルマはスポーツカーじゃない、速くなければスポーツカーではないという論法なんです。それを言えばきりがないですよ。クルマの馬力を追いかけても、これは麻薬みたいなものですよ。きりないんですよ。それは技術力でカバーする。とにかく速いばかりがスポーツカーではないというのが、言ってみればこのコンセプトですよ。遅くてもいかに速く走ったかという気持ちを乗り手に与えると言いますか、走ったという満足感を与える。これがマツダの言うライトウェイトスポーツのいき方だというふうに思う。それと重量を軽減する。もう一つは走りよくするために、ヨー慣性を極力少なくする。あれはかなりのところがそれぞれ頑張ってくれまして、ミッドシップに近いところまでいっていますよ。見てくれの重量配分をよくするのは簡単にできるんですが、ヨー慣性をとにかく下げろと。そういう狙いでつくりました。そういうところで、お金をかけるべきところはお金をかけています。例えばお金をかけてやったのは、エンジンのボンネットはアルミを使っています。これは今だから言ってもいいんですが、鉄板に比べて猛烈にお金がかかるわけです。1万円近いお金が余分にかかるわけです。
スポーツカーだからそれをやらなきゃいかんですね。普通のパッセンジャーカーでそんなことをやる必要はないと思います。
(途中略)
高原 エンジンのチューニングそのものも変えているというようなことなんですが、カムカバーなんかもファミリアなんかとだいぶデザインが・・・。
平井 共通にすればできるんですよ。ファミリアのB6-Dというエンジンなんですね。これとブロックは一緒ですから、共通したらできる。面白いんですよ。エンジンの連中のところに行きまして・・・。ご存じのように、マツダはFORDと一緒に仕事をしているわけです。一緒に仕事をしますとエンジンの共通化をやりますので、シリンダーヘッドに”マツダ”と彫り込めないんですね。彫り込んでおくと共通化に使えませんので。このクルマは堂々と”マツダ”というのが彫り込める。こういうエンジンで頑張らんでどうするかと言いましたら、若い連中が張り切りまして、張り切りすぎてマネージャーに、「おまえたちはやりすぎだ。そんなことまでやれと言っていない」と叱られたと言っていましたけどね。やっているときにはいろんな面白いことが起こりましたよ。
---------------------------------------------------------------引用ここまで
当時は、排ガス規制の悪夢も終わってハイパワーを競っていた時代です。スポーツカーはなおさら速さが必要と思い込んでいたわけで、実験課の見解の方が当時としては一般的でした。そこに速くないスポーツカーを問うというのは、理解されるまで相当大変だったと推測するところです。
ましてや大パワーを与えやすいFRですから、大パワーで速さを求める方向に行きやすかったと思いますし。実際にそちらの方向に進むと、RX-7との関係が微妙となるわけですが。そういう点では、先にRX-7が存在していたからこそ、こういうキャラクターで進むことができたと言えるのかもしれません。
シリンダーヘッドの話も、改めて読めば読むほど、このクルマが生まれた背景というのは面白いですし、作る方も大変と言いつつ楽しんでいた構図が見えてくるようでもあります。やはり「皆を幸せにするクルマ」なのです。
対談では、モアパワーの話が続いていきます。
引用ここから---------------------------------------------------------------
高原 例えば開発の途中でターボを付けましょうとか、そういう話は全然・・・。
平井 全然ないです。私、ターボ嫌いですから(笑)
高原 先程の速さを求めるときりがないということなんだけれども、結果的にこの手のクルマというのはそういう方向にいっちゃいやすいですよね。
平井 ターボというのは私は自然でないと思うね。こういうクルマはやはり自然でないといかん。人馬一体もやはり自然であるように。屋根を開くというのも自然と同化するというあれがあるんですね。ターボというのはあるところで、ある回転数で突然、後頭部をぶん殴られるような、パーッと・・・。こんなやつは自然でないし、ターボはスポーツカーにはどうかなと思いますね。
高原 今となったら1.8Lの自然吸気のツインカムエンジンというのもあるわけですよね。
平井 今となってはありますが、当時はなかったんです。もし1.8Lの自然吸気を選んだら、恐らく1年から1年半遅れていましたよ。仕様通りにできたのは早くて今年の春でしょうね。というのは、1.8Lの開発を終わって、それからこのクルマの開発だった。もちろんそれは検討しましたよ。それと重量がかさんできますので、ミッションランクも一つ上にあがりますね。それは燃料もたくさん使いますし。ライトウェイトスポーツというのは昔から小さいエンジンをヒイヒイ回しながらやるというサディスティックなところがあるんじゃないですか(笑)
---------------------------------------------------------------引用ここまで
ファミリアは先にツインカムターボを出して、後からNAのツインカムを追加する形をとっています。横置きと縦置きの違いはあるといえ、エンジンはあったわけですから、一部グレードだけでもツインカムターボを搭載するという選択肢もあったはずです。
それについては、平井氏の所までは届いていたのかは不明ですが、全否定されていますね。
ロードスターは後年、1.8Lに排気量を拡大しますが、この時点では1.6Lが先にあったからということで選択の理由を話されています。この時に1.8Lを待っていたら、景気後退の波に影響されるのはもちろん、もしかしたらプロジェクト自体が頓挫していた可能性も否定できません。ここでも特に意識して速さを求めることをしなかった、というところに話が帰結する気がします。
二つのスポーツカーという話が先にありましたが、RX-7との関係については、このように説明されています。
引用ここから---------------------------------------------------------------
高原 例えばマツダにRX-7もあるわけですね。この二つのスポーツカーのセグメントはどういうふうに・・・。
平井 RX-7はわれわれの兄貴分ですから、あらゆる面でRX-7とはちゃんとした距離を持つ必要がある。もちろんRX-7のほうが上のクルマですし、性能もそうです。あれは例えばオープンで200km以上の速度でアウトバーンで走れるというクルマです。このクルマは弟分ですからもうちょっと控え目に、せいぜい170~180km、オープンで走れればいいという考え方。
---------------------------------------------------------------引用ここまで
これまた比較対象にもなるということで、兄貴分を掲載してみます。
全長:4,335mm
全幅:1,690mm
全高:1,270mm
ホイールベース:2,430mm
車両重量:1,400kg
最高出力:205PS/6,500rpm
最大トルク:27.5kg・m/3,500rpm
RX-7は、ハイパフォーマンススポーツの位置付けとなりますから、スペックとしては大きな開きがあります。目指すところが異なる関係であることは、数字の上からも明らかです。いずれにしても、この2台をラインナップに揃えていたというのが、当時のマツダの凄さですね。
対談としては、RX-7のところから続いているのですが、一旦解説を挟みました。
最後の引用として、平井氏の考えるスポーツカー論の部分を取り上げてみます。
引用ここから---------------------------------------------------------------
高原 ただ、走る楽しさだけは上下はないわけですね。
平井 そうです。スポーツカーの定義が時々問題になることがありますが、スポーツカーに定義なんてないと思いますよ。そんなつまらんことを考える暇があったら、もっとましなことを考えろよと私は言っているんですけどね。ただ、スポーツカーというのは乗り手もつくり手も非常に勝手なところがあるんですね。これはスポーツカーじゃないよといったら、そういう人は絶対にそのクルマに乗らないでしょうし、それぞれのつくり手は、これぞスポーツカーだと思いながらつくっていると思うんですね。そういう世界だと思う。だから、定義はないし、それぞれがいろんな勝手なことを考えているから、スポーツカーは楽しいんだと思いますね。
---------------------------------------------------------------引用ここまで
クルマを取り上げる際には、定義を先に定めて、そことの関係性で語ることが多いのかなと思ったりします。この場合、クルマの数あるジャンルの中でも、一番定義が難しいのがスポーツカーかなとも。積載量や乗車人員等からくる制約が緩い分、いろいろな方向性を求めることができますしね。
実際、話の中で登場した4台にしても、宣伝の仕方はちょっと脇に置いておいて、どれもスポーツカーとして作られていますが、ここから定義を見出せといっても困難ですよね(笑)
といったところで、いかがだったでしょうか。
今回対談の内容が面白いだけに、どの部分を取り上げるのかは、非常に悩ましいものがありました。結果として、かなり長くなりましたが、興味深い話も数多いと思いますので、楽しんでいただけると非常に嬉しく思います。
以下は、私感殆どのまとめです。
当初は、新型車として完成するかすら危ぶまれたと思われるプロジェクトだと推測しますが、製品として世に出たことで、世界的規模で大きなインパクトを与える結果となりました。
その後の動向からすれば、この手があったかと地団駄を踏んだメーカーも相当数あったはずです。そんな各社の製品が後追いで登場してくる中でも、ロードスターの魅力は衰えることはありませんでした。新たな時代を切り開いた旗手として、かえって名声は高まることとなったのです。
その理由を考えていくと、何より大きかったのは、速さを求めてるがために、どんどん濃厚長大に進んでいた流れから離れて、適度な大きさと軽量を武器にしたスポーツカーの楽しさを求めたことが浮かんできます。
時は流れて、初代が登場してから4半世紀が過ぎましたが、初代ロードスターで提示した価値観というのは、今でも全く色褪せて見えることはありません。むしろ時代の方が、かえってロードスターの方向に真理を見出している気すらします。
エコが尊重される時代になると、いつでもスポーツカーは無駄だという流れになりがちです。確かに二人しか移動できないのは事実です。ところが、逆に二人で移動するなら、これほど効率的なクルマもなかなかないと言えます。
今のロードスターのサイズや重量というのは、Bセグメントのサイズともクロスするくらいとなっていて、コミューター的な存在としても受け取れる域にあるのです。
時代を超えて、提示した価値観がさらに光って見えるというのですから、最初の構想が卓見だったのだと心底思います。
そしてもう一つ挙げなければならないのは、マツダがかなり苦しい環境下にあっても、このロードスターの価値を十分に理解した上で、育てることを諦めなかったことです。
現行型の位置付けには、その点抜きには語れないものがあります。

(画像は輸出仕様)
全長:3,915mm
全幅:1,735mm
全高:1,235mm
ホイールベース:2,310mm
車両重量:1,010kg
最高出力:131PS/7,000rpm
最大トルク:15.3kg・m/4,800rpm
インタビュー中で触れられているCR-X、MR2共に、その駆動方式を採用するスポーツカー代名詞的な存在となりなながらも、あまり時を経たずに方向性を変えてしまい、ついには生産を止めてしまったこととは対照的です。
コアとなる部分を変えずに続けたことで、今やこのタイプの基準はロードスターにあると言っても過言ではありません。他社が同じようなレイアウトのモデルを作ろうとしても、市場はロードスター的なものを作ったと評価するに違いないのです。
それにしても、初期はなくても困る人はいないとされていた存在が、今やマツダの思想を最も表しているように映るまでに成長したのには、感慨深いものがあります。
このクルマのファンも増え続けた今では、なくても困る人はいないなんて、絶対に言えません。やはり、作り手・乗り手等の立場を超えて「みんなを幸せにする車」という結論に至ることとなるのです。
(データの参考・引用:斜字・下線部)
・自動車ガイドブック
(現行ロードスターのスペックはマツダのサイトより)
(画像の引用元)
・FavCars.com