
思い出のクルマ、第33回です。
このシリーズ、2年ぶりの更新となってしまいました。
これまで取り上げてきた流れからすると、意外な車種と思われるかもしれませんが、私の中では絶対に忘れることが出来ない一台です。その理由は、クルマ本体ではないとだけ書いて、後のお楽しみとさせてくださいませ。
後段の話が長くなる予感ですので、早々にクルマの紹介に入っていくことにします。
カリーナは、1970年(昭和45年)にセダンのみで登場しましたが、1972年(昭和47年)にハードトップ、1975年(昭和50年)にバンの順でボディバリエーションを追加し、トヨタのミドルサイズの一角を担う存在に成長していきます。セダンのみの時代には、後発ということもあって、カローラやコロナの合間で販売に苦労したようでもあり、これらのボディバリエーションは拡販材料の一つでもあったわけです。
同時に登場したセリカが好評だったこともあり、カリーナは他車よりも後に回される形でモデルチェンジを受けたのは、セダンの登場から7年近くが経過した1977年(昭和52年)でした。この時には、後続のハードトップとバンも同時にモデルチェンジが行われています。初代のバンは2年足らずしか作られなかったモデルということで、希少車の一つに数えてもよいと思います。
ここでカルト話を一つ。
#A40系に進化した乗用車系に対して、バンのみは先代の型式(1400:TA16V、1600:TA19V)が据え置かれています。バンも乗用車系同様、内外装は一新され、プレスリリース等でもフルモデルチェンジとされていますが、型式上の扱いとしてはバンのみ初代からのマイナーチェンジ。
理由は推測となってしまうのですが、2年未満のモデルチェンジに対して自粛あるいは忖度等の力学が働いたのだろうと考えられます。当時は、マイナーチェンジは2年に1度、フルモデルチェンジは4年に一度という業界内の決まりがあって、それよりも早い変更はご法度的な雰囲気もありました。トヨタは、オイルショック後のモデルチェンジ自粛に反する形でカローラ/スプリンターをモデルチェンジして一騒動となった、という経緯もありますし。
まだ、お上の護送船団が今よりも遥かに強力だった時代でありました。
2代目バンは、登場2年後のマイナーチェンジ時にエンジンを2T→12Tに変更し、型式もTA49Vに変更。名実共に2代目の仲間入りをしています。更に2年後の3代目では乗用車系同様、TA67Vへと変遷。
以上、様々な環境がちょっと珍しい経緯を歩ませた話ということで。
さて、ここからはカタログの紹介です。
見開きは、一新されたスタイリングから。
先述のとおり、先代の登場から2年足らずでのモデルチェンジでしたが、先代の面影はボクシーなデザインという共通項を残すのみで、パネル類はほぼ一新。ホイールキャップは、先代からの引継ぎですね。乗用車系はキャップレスホイールに移行していますので、バンの特徴でもありました。
以前に書いたブログでは、衒いのないという表現でセダンのスタイリングを褒めていますが、バンのデザインも素直さは同様で、同じく高く評価しています。
傾斜の強いリヤドアに連なる形で、バックゲートも比較的強く傾斜していて、意外とスタイリッシュでもあります。ワゴンの市場が限られた時代ということでバンのみで終わっていますが、ワゴンを展開させても成立しそうなデザインだと思います。
続いては、リヤビュー。
Cピラーまではセダンとほぼ同様ですので、そこから後ろがデザインの見せ所となります。先代は、リヤクォーターウィンドーのデザインで遊びを感じさせる一方で、リヤゲートを他車から流用したようですが、この代では共に新たなものが起こされています。
リヤビューからは、時代が重なる3代目マークIIバン/ワゴンの印象にも近いかなというのは私感。共に、関東自工かセントラルが、開発に関わっていたという共通項があったような・・・というのはおぼろげな記憶。
続いては、インテリア。
もちろんこちらも乗用車系と共に一新されています。
インパネやステアリングのデザインに関しては、初代後期(通称:ビッグ)よりも時代を逆行したように映るのは、興味深い点です(参考画像:
初代後期)。ラジオの操作性はこちらの方がよさそうですけれども。
フロントシートは乗用車系と共通ですが、リヤシートはもちろんバン専用。
バン登録の制約が絡むスペースに可倒を意識したシートサイズやその構造が相まって、リヤシートの常用はやや厳しいものがありました。
バンで大事な積載に関する紹介。
最大積載量は、先代の400kgから500kgに増量されています。
スーパーデラックスでは、デッキ部分もカーペットが敷かれていて、荷室をあまり意識させない装いでした。
続いては、メカニズム等の紹介です。
細いピラーからも解る視界の良さが謳われています。リヤクォーターウィンドー部分の変更が効いていることも書かれていますね。
サスペンションは、フロントのストラットは乗用車系と共通でしたが、リヤはバンのみの採用となるリーフスプリング。乗用車系は、先代から他車より一早くリンクリジッドを採用していましたが、積載重視のバンではやはりこの形式ということで。重積載対応の反面、空荷ではリヤが弾んでしまう特徴も持っていました。
エンジンは、1600以上で展開していた乗用車系に対して、バンは1400も選択可能。
当時の商用車は乗用車よりも排ガス規制が緩かったため、こうした対応が可能でした。酸化触媒で規制適合に四苦八苦していた乗用車系よりも、触媒を持たない商用車ははるかに素直なドライバビリティを持ち、実際パワフルでもありました。商用車の後回し施策が、後年のNox規制で網を掛けられてしまう対象に繋がってしまったのは、何とも皮肉ではありますが。
装備の紹介です。
乗用車系と重なる頁構成ですが、低グレードで展開する分、全体的にシンプルな品揃えとなっています。
バリエーションの紹介です。
乗用車系では中級に該当するスーパーデラックスを筆頭に、デラックス、スタンダードの3グレードで構成されていました。グレードが下がるほど、乗貨兼用から貨物専用色が強まるということでもあり。当時のバンの標準かつ量販はデラックスだったと思います。
ATは非設定で、MTの4速と5速のみが設定というのが時代です。乗用車でもATは少数派でしたから、商用車だとAT非設定でも不自然ではありませんでした。商用車にもATが求められるようになるのは、もう少し後になってからですね。
ボディカラーは、掲載の3色と聞いた記憶があります。
オールスターゴールドは、セダンのイメージカラーということで乗用車風味が強くなりますが、実際の販売では、ビジネス用途に適したモノトーン系の2色が売れていて、見かける機会も同様だったような印象がありました。
裏表紙は主要諸元表となります。
最初に書いた型式名の部分が確認できると思います。
全長:4,200mm前後 × 全幅:1,600mm前後という当時の日本の標準サイズにこのカリーナも当て嵌まっていました。各車、乗用車系で激しい商戦を繰り広げる一方、その多くには商用車も設定がされていて、そちらでも戦いとなっていた時代ですね。
それは、プロボックス系とAD系のみに集約されてしまった現代からすると、隔世の感を覚えずにはいられません。
といったところで、前段だけでも結構な量となってしまいましたが、ここからは本題の(?)思い出話となります。
今から遡ること40年前となる、1978年(昭和53年)の春先に、とある話が舞い込みます。
その内容は、前に
コロナ2000GTと
デルタの回の時に書いた、父の親友が経営する会社で新たにライトバンを増車することにしたというもの。「クルマは詳しくないから、選定は全て任せるよ」となったのですね。
これだけなら、かなり緩い条件なのですが、購入先はコロナを買っていた東京トヨペットか、デルタを買っていた東京ダイハツから、勿論セールス氏はご指名というのが暗黙の了解でもありました。
今よりも縁故購入や紹介販売が幅をきかせていた時代ですし、共に定期的に何台も買っていて、冠婚葬祭にも参加していた関係とあっては、新たな購入先を開拓するというのは、余程の事情でもない限り成立しない話なのです。
そうなると、車種は自然とこのカリーナバンか、シャルマンバンのどちらかとなります。
当時の東京トヨペットは、乗用車系こそクラウン・マークII・コロナ・カリーナと広く扱っていましたが、バンに限ってはクラウンとカリーナのみを扱っていたのです。他県とは異なるトヨタ店とトヨペット店の関係は、商用車の方がより色濃く表れていました。
乗用車がコロナGTなのにバンがクラウンというのも不自然ですし、「大き過ぎる」となって早々にこの2車に収束。父的には、ダイハツ氏の方がフィーリングが合っていたという理由でシャルマンを推していましたが、私はカリーナを推薦。実質的には一世代前のカローラと最新のカリーナではクルマの実力が違うということで、この選択肢は私が一勝。
色は汚れが目立たないシルバー、都内の使用が殆どなので4速で十分という2点は、親子で意見が一致したものの、意見が完全に分かれたのがグレード。父は中間で十分という理由で、1600デラックス。私はスーパーデラックスを推薦。比べると豪華に映りますし、ブレーキが異なるという理由もありました。家にあった初代マークIIのドラムブレーキで怖い思いをして、ディスクブレーキに換装した経験がありましたからね。
それでも、この部分は父の意見が通ったんです。
商売で使うなら豪華に見せるよりも、当時多かったデラックスで目立たない方がむしろ好ましいと考えていたのだろうと推測するところです。オプションは、エアコンと確かステレオもあったとおぼろげに記憶しています。
あの頃の父は時間の余裕があり、仕様等の確認も兼ねて引き取り納車を担っていまして、このカリーナバンも先ず我が家にやってきました。
朝起きて、「カリーナ来てる?」と聞くと「外に止まっているよ」と父。加えて、「なんか違っているみたいなんだよな」とも。
外に出てみるとそこにあったのは、新車のカリーナバン スーパーデラックスだったのです。
デラックスのはずがスーパーデラックスを受け取るという、何とも信じられないような出来事。
もちろんナンバーも付いているわけで、スタンダードに化けたのなら、また話も違ってきますが、上級グレードですから、今更デラックスに替えてとも言えず、そのまま受け取ろうという結論となります。
このグレード違い事件、その後の経緯は曖昧ですが、注文書はデラックスだったとかで、入れ替わってしまった原因は不明、差金(調べてみたところ5.7万円の差)はほぼ購入側で負担という形で話が収まったと記憶しています。
受注者原因ということで、負担0という見解もありそうですが、この辺りは「長い付き合いの中では、まぁ間違いもあるよ」という商売人流の鷹揚さが勝ったということで。
その後、記憶するだけでも、平均すると2~3年おきにカリーナバン→コロナバン(昭和末期に取扱車種が変わっています)を乗り継いでいくのですが、一度スーパーデラックスが収まってしまうと、当初想定のデラックスに戻るという選択は浮上するはずはなく、ミッションこそ4速→5速→ATと変わっても、バンの最上級グレードということだけは常に変わることはありませんでした。
この会社とセールス氏の取り合わせは、後にコロナクーペでメーカーオプションの注文を忘れるという事件も起こるのですが、それはここからかなり経った後の話。
新車の購入において、これ以上の驚きは経験していませんし、この後も中々起こるとは思えません。そういう意味からしても、私の中で強く思い出に残る一台なのです。