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イイね!
2019年02月07日

カタログで振り返る身近にあった車の足跡(その3追加編)

カタログで振り返る身近にあった車の足跡(その3追加編) 前回の更新より間が空いてしまいました。

その間、マイファン&みん友の仕組みはフォロー&フォロワーへ移行。5年以上の長期(?)に渡り使ってきた中で、一番大きな変更かなと思うところです。これまでの申請→承認という経由を経なくても相互に繋がれますし、また隠れファンというのも存在できなくなった訳で、広く浅く明らかにの方向とは言えますかね。。。正直、まだまだ使いこなせる気はしませんが、ユーザーの意向を押し切って変ってしまった以上、慣れていくしかないのでしょう。

使いこなせていないは、実は言い訳でもありまして、フォローがフォロワー数に全く追いついていない状況については、当面ご容赦いただくよう、お願い申し上げます。


・・・といったところで、さて今回の更新ですが、自車ネタは今のところ取り上げられるような持ちネタなしということで、カタログネタから2代目マークII-Lでやることにします。


今回話題にする、このクルマ、父が乗っていたということで、初期のブログで取り上げているのですが、ずっと探し続けていたカタログをついに入手できましたので、カタログを主で思い出は追加分のみを従にして書いていこうと思います。


ずっと探しながらも、見つからなかったのはこちらのカタログとなります。
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両表紙に見開きも加えて、1枚の画像となっています。
リヤシートの上に、貴族的な(?)アイテムを散りばめた構図ですね。


このカタログについて、マニア視点で解説すると、2代目マークIIの初期型のカタログは、バリエーション追加や一部改良に対応する形で2年弱の期間の内に、3回の改訂が入っています。以前取り上げたのは第1版で、今回のは第4版。第3版までは一部を除き、基本的にセダン&ワゴンとハードトップで分かれていたのですが、第4版ではさらに6気筒だけが独立しています。中期以降は、バン以外が全て一冊にまとめられていますので、この時期特有の別れ方でもあります。

父が買ったクルマは、昭和48年4月製造で第4版の時期に該当するため、このカタログをずっと探していたのですが、流通期間は僅か4ヶ月程度であることに加えて、遡ること40年以上という時間の経過も大いに影響して、存在を知ってから10年以上の時を費やすことになってしまいました。

今回は説明の都合もあり、第2版の時に追加され、単独のカタログが作られた、Lツインキャブのものも抜粋して取り上げてみます(タイトル画像はこちらの表紙から)。こちらは幼少時代に入手したものとなりますが、今からだと入手は同じく難しかろうと推測するところです。


かくして、2代目マークIIの初期型6気筒のみを取り上げることとなったのですが、このモデル&グレードに特化した取り上げ方というのは、前例があるのかいな、と思ったりします。別の言い方をするなら、ここらしい取り上げ方と言えるかもしれません(笑)

さて、いつもの悪い癖で前置きが長くなってしまいました。
ここからは、本題のカタログ話に入っていくことにします。

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最初は見開きを使って、グリーン・スパイスM(メタリック)のツインキャブ・5速のハードトップが掲載されています。下はツインキャブ専用カタログから(以下、同じ順で掲載)、ムーンライト・ラベンダーMの同グレード。

この時点では、GSSを別として、この仕様がシリーズ最上級グレードであり、イメージリーダーでもありました。6気筒は、当初シングルキャブ仕様の4速とATのみが設定されていましたが、約半年遅れで新たに5速を加えた上でツインキャブ仕様が上位追加とされています。

マークIIは4ドアのイメージの方が強いかもしれませんが、3代目までのイメージリーダーはこちらの2ドアハードトップがその役割を担っていました。

ボディデザインには、アメリカ車からの影響を受け、この時代の最先端だったファストバックを採用。ブルーバードU、ローレル、スカイライン、ルーチェと同クラスの2ドアハードトップ達は、皆同じ領域にあったと言っていいと思います。

必然的にCピラーは太く、リヤウィンドーの下端は高くということで、バックカメラもなかった時代、後方視界は極めて限られるという欠点はあったものの、世の大人達はこのデザインに熱狂したんですよね。


このホイールは、GSSが先行採用したもので、初期型6気筒系ではツインキャブ5速の専用装備でした。好評だったようで、中期以降はLX・LGに(末期にはGSLにも)展開されています。サイズは、他グレードよりワンサイズ幅広い5J×14。
このホイールに組み合わされているタイヤは、リボンがないことから、オプションのワイドラジアル。ワイドといっても、あくまでも当時の基準という事で、サイズは185/70R14ですし、構造も今の主流のスチールではなくテキスタイルとなります。スポーツカーでもラジアルの採用はまだまだ少なかった時代ですね。



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続いては、セダンツインキャブのリヤビュー。
上段はミッドナイト・ブルーMかパープリッシュ・グレーMのAT、下段はシュノンソ・ホワイトの5速となります。

AT・5速共に、エンブレムで主張できた時代ですね。両仕様間でエンブレムの位置を変えているという芸の細かさも判ります。エンブレムは、オイルショック前ということでその数の多さ=豪華さの主張というのもこの時代の特徴です。

画像は非装着車のようですが、パワーステアリング装着車は、現在のハイマウントストップが多く設置されている位置(後年、71や81でESCやTEMSのステッカーが貼られた位置)に「POWER STEERING」のステッカーが誇らしげに貼られていました。多くのディーラーの標準在庫には、装着車も含まれていたこともあり、メーカーオプションの中でも装着率は高かったようです。タイヤがはるかに細いとはいえ、150kg以上のエンジンを搭載していますから、今基準だと必須装備と言えるでしょうね。

ATが履いているダブルリボンのバイアスが標準のタイヤとなります。

セダンでは、ハードトップほどのファストバックは成立せず、こちらはセミファストバックの分類。それでも他のセダンと比べると、スペースよりもスタイリング重視だったことは明白です。



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イメージリーダーはツインキャブに譲りましたが、台数はこちらの方が多かったように思えるシングルキャブの2台です。

奥はパレンツ・シルバーMのハードトップ、手前は先に掲載したツインキャブATと同じクルマらしきセダンとなります。

カタログには、ツインキャブとシングルキャブ間でエンブレムが異なると書かれていますが、配置や数は同じはずだったため、色違いがあったのかな、ぐらいでしょうね。新たな探求のお題でもあります(笑)

ツインキャブの画像と見比べると判るのですが、セダンとハードトップでの共通部品はAピラーより前のみで、それより後ろは全くの独自デザインでした。加えて、フロントグリルも異なるデザイン。このクラスのスペシャルティーカーが存在しなかった当時は、この種のハードトップがその種の需要に応えていたことから、こうした変え方が必要だった訳です。


父が乗っていたのは、以前に書いたとおり、ミッドナイト・ブルーMのセダンシングルキャブでした。
このカタログ、よく見るとセダンの前後バンパーにフェンダーポールを模したらしき落書きがありまして、実は家にあったのも付いていたものですから、むしろ喜んでしまった次第。リヤポールは設定がなかったか、あるいは入手不可だったかでフロント用にステーの延長加工を施した上で付けたと記憶しています。
セダンでもトランクエンドは全く見えませんでしたから、リヤポールは実用にも役立つ用品でありました。固定式でしたから、付けた時点で自動洗車は利用不可となってしまったんですけれどね。



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上はAT、下はMTのインパネ。

インパネカラーは、ゴールドと名付けられた内装色のみカラードとなりますが、他の内装色ブラック・ブルー・レッドには全てこの黒が用いられていました。

ヒーターコントロールの右下のレバー追加とセンターの吹き出し口の変更から、エアコン装着車であることが判ります。(エアコンレスの場合は、上のリンク先をご参照ください)

ステアリングコラム脇にチョークレバーがあるので、共にツインキャブ仕様。シングルキャブのエアコン付は、同位置に”TOWN”と書かれたアイドルアップのスイッチが付いていました。スイッチ関連で記すと、まだこの時代は、ライトやワイパー等、今では位置がほぼ確定したものも含めて、計器類や各種スイッチ等の配置には、様々な試行錯誤がありましたが、そんな中では比較的整理された配置が行われているように思います。

また、作り込みの緻密さも高いレベルにありました。内装のトヨタという評が立ち始めた頃ですね。


サイドブレーキは初期型のみステッキ式。センターコンソールはその分、広く取れるはずが、高さが低くて、あまり容量の恩恵はありませんでした。

第4版の画像で一つ気になったのは、グローブボックスの開閉ボタンです。同時期に、回してあけるつまみに変更されているはず(家にあったのはつまみの方で、取扱説明書への反映も確認済)なのですが、カタログはボタンのまま、変更されていません。



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続いてはインテリア画像。

左はハードトップのフロントシート。右はセダンのリヤシート。
第4版の方は内装色ブラック、ツインキャブ専用カタログは内装色ブルーで掲載されています。

内装色ブルーは、第1版のレッドと共に、中期型まで設定されていました。

当時らしいブラックと当時でも珍しいブルーの対比とも言えますね。意見が分かれるかなと思いつつも、明るくて涼しげなこのブルーの内装色って、私は今でも好ましく感じます。これに影響されているのだろうと思うのですが、明暗が選べるなら、今でも明るい内装色を優先して選ぼうとしますし。もっとも、時代は巡って、今ではブラックが殆どとなってしまいましたね。

シート地には、その後一世を風靡するモケットは登場前で、こうした織物生地が高級を訴えていました。
ハードトップはもちろん、セダンもパッケージングは明らかに前席優先ながら、センターアームレストやパーソナルランプ等、後席向け装備も充実しているのは興味深い点です。



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シングルキャブとツインキャブのエンジンが並んで掲載されています。
当時は、ヘッドの上に丸いエアクリーナーを置くのがシングルキャブ、ヘッドの横に横長のエアクリーナーを置くのがツインキャブのお約束で、エンジンフードを開けた時の識別点でもありました。パワフル=燃料を多く燃やす時代でしたから、メンテナンスの容易さと合わせて両者に需要があったんですよね。

さらにツインキャブには、ハイオク(M-B)とレギュラー(M-BR)の両仕様があって、ここではパワフルなハイオク仕様が掲載されていますが、後にレギュラー仕様に絞られていくこととなります。

タイヤは北海道地区を除いたバイアスのみチューブレスで、その他はラジアルを含めてチューブ付きが標準でした。5速仕様は、タイヤ&ホイールの設定だけではなく、バネも強化されていたようです。中期以降では、Lをシングルキャブのみとする一方、ツインキャブの特に5速仕様をよりスポーティなLXに発展させた形ですね。



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主要装備一覧表には、表が小さくて落書きもある第4版ではなく、ツインキャブ専用版を掲載してみます。

表中の5速と外装関係3項目がツインキャブ専用となるのみで、その他はシングルキャブも変わりません。
今の視点では明らかにシンプルな装備に映るかと思います。パワステ、パワーウィンドー、エアコン、ステレオというフル装備の基準は、ハードトップのみパワーウィンドーが標準というだけで、残りは全てオプション。トランクオープナーやリモコンミラーといった装備でさえ、中期以降に加えられたものとなります。それでも当時基準では、十分に高級車に属せる充実ぶりだったのです。

ボディカラーを第4版と比べたところ、セダンのウォーム・シルバーMが、この表ではハードトップのみ設定のあるパレンツ・シルバーMに統合となっていました。全体的に、セダンの方は落ち着いた濃色の設定が多い一方で、ハードトップの方は明るい色が多いという対比となっています。

当時のボディカラーは、ボディ別に加えてグレード別での使い分けもあり、4気筒まで範囲に加えると、ハードトップとセダンだけでも全22色が複雑に入り組んで設定されていました。オイルショック以降は、さすがに無駄という事で色の統合が行われています。



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ボディサイズは、全長4,420mm×全幅1,625mmですから、縦方向はカローラアクシオと同等、横方向は明らかに一回り小さいサイズとなります。重量は、1,100kg+α。ここに6気筒の2000ccを積むのですから、動力性能は十分パワフルと言えるレベルにありました。
もっとも、このエンジンの最大の価値は、4気筒では味わえない静粛性と滑らかさにあったのですが。

私の長らくの誤解に、シングルキャブ仕様の最高出力がありました。初期型は110馬力で、中期以降は115馬力と信じ込んでいたのですが、実はクラウンのマイナーチェンジに合わせる形で、48年1月を境に115馬力にパワーアップしています。家にあったのは、初期型=110馬力と当然のように思っていまして、真実を知るのに30年以上の時間を要しました(笑)。中期以降は、排ガス対策のデバイス追加が入り込んできますので、家にあったのが一番パワフルだった世代となります。その価値を知らず、フロントマスクが大幅に変わった後期に憧れていたんですよね。

当時の憧れと言えば、5速に親子して憧れたものです。これも今視点でスペックを見ると、クロスレシオに加えて最終減速比も低い5速は、シフト回数が増えるばかりで、動力性能のメリットはあるものの、静粛性や経済面でのメリットはほぼなかったように見受けられます。5速のシンクロは、この時代特有のポルシェタイプというのも特徴的ではあり。
こうしたことだけでも、何事も思い込みというのは恐ろしいものであります。



この2代目マークIIは、登場直前まで次世代コロナとして構築された初代と、ミニクラウンの価値観で礎を築き、その後の方向性を決定付けた3代目の谷間で、マークIIというクルマのキャラクター作りを模索していた世代にあたります。

コロナとクラウンの線上から離れて、パーソナルやスペシャルティにその解を求めたというところですが、その結果として、想定したほどの支持が得られることはありませんでした。その理由には、あまりトヨタらしくないデザインやキャラクターであることや、直接のライバルとなるスカイライン・ローレルという日産の両車が強かったことを見出すことができます。しかしながら、何より最大の影響は、中期以降、マークIIとは真逆の実直な方向で構築し、オイルショック以降の世相の波にも乗れた安全コロナが直ぐ隣で売られていたことでしょうね。当時の販売台数を調べてみると、コロナは、5代目が登場以降、同クラスのベストセラーに駆け上がり、そのまま長らく存在し続けた一方、マークIIの台数は反比例するかのように、急降下となってしまっていたりします。

新車当時ですら、そんな状況だったのですから、3代目登場以降の中古車市場においては、それに輪をかけて苦しい様相となり、ついには不人気車の代名詞的存在ともなってしまいました。(ちなみに、同時代のもう一つの筆頭格は、ブルーバードU)
メーカーの方はそんな状況に対して、大きなテコ入れを図ることもなく、比較的早期から解体送りという淘汰が始まった印象が強かったりします。その結果、80年代半ばには後期も含めて、街中で見かける機会は激減していたように記憶しています。

それだけに、今でもマークIIという切り口で振り返る際には、初代や3代目は取り上げられることはあっても、この2代目というのはそれらの添え物扱いとなっているように思います。メーカー視点では、当時は不人気ながらもその後見直されたクジラクラウンとも異なる、ある種黒歴史的な扱いとなっていることを感じずにはいられません。


こうして、書き進めてくると否定的な内容が続いてしまうのですが、誤解のないように書くと、だからといって、私の中の思いが揺らぐことは一切ありません、とは。特別な思い入れを持つ一台と迷わずに言える存在なのです。


クルマの評価というのは、特に新車時代には、性能や相対的意義、さらには好嫌も絡めつつで語られることが大半です。これが旧車の域に達すると、当時の評価や後世への影響という観点が主に移るでしょうか。

でも、それら視点からの評価というのは、どんなに論を積み重ねたとしても、各人の思い入れや思い出という価値観の前には、何の意味も成さないものと自戒を込めつつで思います。これは別にクルマに限らずですが、好きになるのに理由や理屈は要りませんし、思い出は何人にも蹂躙されることはないのです。


以下、2019/2/11追記
いただいたコメントに導かれて、この型の6気筒セダンで忘れることのできない一台を画像を上げつつで紹介することにします。

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画像は「太陽にほえろ!」から。
同番組では300回前後(1978年頃)から登場。596回(1984年)で壊されるまで、一定期間で入れ替わる覆面車=広報車以上に、長く使われたクルマでした。同番組に限らず、放映時期が重なる「大追跡」や「俺たちは天使だ!」でもその姿を確認することができます。

内装色がブラックでバックランプ脇にエンブレム付となるため、ホワイトのAT車をベースに下半分を黒で塗ったようです。登場からしばらくはキャップレスでしたが、末期には(センターマーク無となる)後期4気筒用キャップを装着していました。

この型の本職の警ら用としては4気筒が使われましたので、劇用ならではの仕様ではあるのですが、家にあったクルマの姿と重ねつつで当時はTV画面を眺めていたのです。
ブログ一覧 | カタログ話(身近にあったクルマ編) | クルマ
Posted at 2019/02/07 21:15:18

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この記事へのコメント

2019年2月7日 22:32
こんばんは。セダンのリヤかっこいいですね。確かワゴンのリヤも特徴的だった記憶があります。
コメントへの返答
2019年2月8日 18:55
こんばんは
セダンのリヤは、空前絶後に思える、かなり凝った造形ですよね。
ワゴンも、この時期特有の横長テールが特徴的でした。実はバンと作り分けていたりします。
2019年2月7日 23:16
こんばんは!
このクルマ、小学校のPTA会長が乗っていたのを思い出しました。
深い緑色で子供心に「なんて綺麗なクルマなんだろう!」と思ったのを覚えております。

あと、ウルトラマンシリーズだったかなぁ?のクルマにも使われていましたネ。
我が家のスバル1300Gと比較して高級車とはこう言うクルマなんだなって思いました。
コメントへの返答
2019年2月8日 19:28
こんばんは
このクルマ、スタイル優先の成り立ちがスペシャルティーカーっぽいんですよね。近年、当時のご近所さんから「あれは背が低くてカッコ良かったなぁ」なんて、遠い目で語られたことがあったりします。

ウルトラマンシリーズには、タックパンサー名でGSSが使われていたようです。劇用だと、壊され役での使用が多かったりもしますね。
2019年2月8日 8:44
本題からややずれますが…

 タクシー業界の乗務員はかなりの割合で高齢者が多く、保守的なわけです。210クラウン、JPNTAXIなどパーキングセンサー付のクルマで営業をしていますが、乗務員からは「パーキングセンサーは信用ならぬ、ポールを付けてくれ」と言う要望が多くあります。クラウンはともかく、JPNTAXIには設定すらありません。私がタクシー業界に入った時に「フェンダーミラーは便利だ、コーナーポールの代わりになる」と言われ唖然としたことがあります。

管理職になって統計を取ったのですが

 コーナーポール信者
 フェンダーミラー信者

は、巻き込み ドア開け事故が多い傾向にあります。

以上、余談でした。
コメントへの返答
2019年2月8日 19:47
いえいえ、興味深い話をありがとうございます。

乗務員の方の要望って理解できたりします。パーキングセンサーだと、早目に警告を出しますし最接近でもまだ余裕があるので、本当にギリギリまで寄せる際にはポールが欲しくなるんですよね。センサーも、慣れれば寄せられるコツを覚えるのかもしれませんけれども。ポールがないなら、フェンダーミラーかフェンダーマーカーでの代用。
クラウンセダンの(Gパケでない)スーパーデラックスは、ドアミラーとフェンダーマーカーがセットになっていて、よく解っているなと思ったものです。

そんな訳で、意外な統計結果だったりします。推測ですが、一点集中で頼ってしまいがちなのかもしれませんね。
2019年2月8日 10:52
ご無沙汰しております。
久々の掘り下げ編、じっくり読ませていただきました。
やっぱり乗っていた車に対する造詣は、一際深いですな。

TOWNスイッチ、近所のブラボー・コロナやマークⅡに付いていた記憶があったのですが、アイドルアップ・スイッチってのは知りませんでした。まだまだエアコン/クーラーがぜいたく品だった時代に幼少期過ごしていますので、そりゃ触れる機会は少ないなと理解した次第です。
我が家で初冷房車が40のカリーナ。もうその頃には自動アイドルアップ回路組み込みでしたから、あのスイッチには会わず仕舞いでした。

そういえば、2#系のマークⅡ、ワタシ意外とカタログ持ってないんですよね(苦笑)
コメントへの返答
2019年2月8日 20:24
こちらこそご無沙汰をしており、すみません。
二回目の取り上げですから、迷わず深堀りです。大深度地下でも平気な方が多かったりもしますし(笑)

書かれているように、アイドルアップは早々に自動化されましたので、TOWNスイッチはこの時期前後の一部車種のみですね。父は、アイドルが上がる=燃料を喰うということで、折角のスイッチも殆ど使うことはありませんでした。
このマークIIの本体が100万円以下だった時分に純正エアコンが15万前後、社外の吊下クーラーでもその半分はしていたはずですから、かなりの贅沢装備ですよね。

私も幼少時代の入手は後期以降で、それ以前は後年になってからです。どうしてもセダン優先となってしまうんですよね(笑)
2019年2月8日 14:04
こんにちは。
伯父が73年式2ドア4気筒GLの白に乗っていたので、興味深く拝見致しました。
当時、2ドアにステッキサイドにものすごく違和感を感じました。
GSSじゃないのにエンケイメッシュが入り、子供心にカッコイイと思ってました。

機会があったら欲しいなぁと思って密かに探していたのですが、出てくるのはGSSか6気筒ばかり…な中、昨年末に営業部長さん経由で当時の伯父の愛車と全く同じ仕様が出てきて激しく動揺しました(笑)
結局買えませんでしたが…
コメントへの返答
2019年2月8日 20:42
こんばんは
マークIIに関する話は、初めてお聞きしたように思いまして、少々意外だったりします。
ベテランドライバーの比率が高かったのか、上級車の方がステッキサイドの時期が長かったりしますね。
黒鉄やキャップを見慣れた目には、当時のアルミって、やはり新鮮でもありました。

当時は4気筒の方が多かったくらいに記憶しているのですけれどね。近年は、滅多に出回らないクルマと思っていましたので、書かれている仕様が出てきたというのは、さすがと思いつつの驚きです(笑)。我が身を振り返っても、この種の決断は相当に難しいと思います。
2019年2月9日 1:00
こんばんは。
私は2代目マークⅡはほとんど記憶がないのですが、父の兄が初代に乗っていて、近所で2代目を買った人が家に見せに来た時に、立派で驚いたといっていました。
近所の人が買った車を見せに来るというエピソードも昭和を思わせるエピソードですが、日本自動車博物館で並んだ歴代のマークⅡを見るとこの型が一番個性的に感じました。

アイドルアップスイッチですが、小学生の頃穴が開くほど読んでいた、父が乗っていた70マークⅡの取扱説明書にも載っていたと思います。
記憶が正しければ、ディーゼルエンジン車のみで、暖房の利きをよくするためのスイッチとあったと思います。
当時は小学生だったので、オートチョーク=アイドルアップという理屈で、(母が以前乗っていた初代アルトの)チョークレバーみたいなもの?と思っていたのです。
今考えれば笑い話ですが、変わった小学生だったと思います。
コメントへの返答
2019年2月9日 10:47
おはようございます
父も初代からの代替でして、ずいぶん変わったなと子供心にも思えたものです。豪華で静かで・・・クルマの進化が著しかった時代の反映でもありますね。
あの頃は、逆に代替したクルマを見せて貰いに知人・友人の家を訪ねるなんていうのもあったように記憶しています(笑)

アイドルアップスイッチ、気になって軽く調べてしまいました。ディーゼルの寒冷地仕様のみの装備だったようです。面白いことに、このスイッチ、70前期の取説では、始動直後の暖機運転時にエンジン回転の安定させる用途で記載されていたりします。70後期・80では、書かれているように暖房用途での記載となっていました。エンジンの制御は変わっていないようなんですよね。
寒冷地での使われ方の反映のようで、奥深さを感じずにはいられません。
2019年2月9日 12:04
アイドルアップスイッチ、早速調べていただき恐縮です。
私が見たのは70系後期ですが、80系にも存在したんですね。勉強になりました。
70系前期は暖気時の安定用とは、始動後とはいえチョークレバーに近い用途だったんですね。説明書は今は手元にありませんが、チョークの管が弓なりになったような(うまく言えずすみません)記憶があります。

昭和の終わり頃の説明書は、「1Sエンジン仕様車」など、エンジン形式名で読むべきところが指定されていたりと、なかなか難易度が高かったと思います。

そんな中、読み易さを出すためか、「ワンポイント」だったか、人差し指を立てたお姉さんの顔のイラストが随所に出ていました(警告の赤信号もあったか…)。取扱説明書、取っておけばよかったと後悔しています・・・
コメントへの返答
2019年2月9日 18:42
(クルマに関してのみは)気になったら調べずにはいられない、ということで(笑)
自分のクルマの取説は一通り目を通していたものの、GT・グランデ系とは別の取説の記載ということで、新たな発見となりました。80系では、スロットルボタンの名で照度調整が付く位置に配されていたようです。

本来、説明書は使う前に必読すべき書なのですが、当時の初心者が読んで理解できる内容とは思えず(笑)。最近のは詳しくなった反面、その量に気圧されるシロモノとなってしまいました。

当時の取説であれば、まだ入手可能なはずのCDライブラリーをお勧めします。
2019年2月9日 13:22
仰る通り、2代目マークⅡは初代と三代目に挟まれてその後の扱い方も小さいように思います。
ただブル610の例もあるように、その後の批評と当時の販売はリンクするとは限らないもの。
ケンメリ、ブタケツと強力ななライバルが存在する中、実際トヨタが考えていた程売れたのか、気になるところです。
2代目において自分の中で意外だったのは、以前取り上げていただいた「エクストラインテリア」の件でその後暫く続くトヨタのインテリアの方向を決定付けた意味は大きかったと思います。

さて自分は幼少期の嗜好がそのままの人間なのですが、その嗜好に大いに影響を与えたのは所謂当時流行っていた学習図鑑の中で昭和50年頃購入(初版48年)の「学研・図鑑自動車」。
当時最新鋭の車種としてカラー本文のスポーツカーの分類で2000GSS が、白黒見開きページでは車両バリエーションの例で2代目へモデルチェンジしたバン含む4つのボディ、エンジン、ミッション、ステアリングホイールやインパネ(角メータ/丸メータなど)があり、身近に2代目マークⅡは全く居なかったのに、穴が空くほど見ていたせいか身近な存在に(笑)。
管理様と同世代なれど、カタログ収集は言うに及ばず子供らしからぬ車の話など憚られるような環境でしたので、インターネットも無い頃こうした子供向け媒体は私にとって非常に貴重な存在でした。

形式名「X」もそろそろ命脈付きそうですね。Sはセダン(クラウン)、Jはジープ(ランクル)と形式にも意味を持たせたトヨタですが未知未来を示す「X」は自動車用語では最上級グレードをも示す特別な存在。
そうして初めてXを命名された2代目を見直すと感慨深いものがあります。
コメントへの返答
2019年2月9日 20:06
2代目マークIIに関してだと、「グラマラスなボディは2000に拡大され、新たに6気筒車を追加。GSSは排ガス規制により生産中止。」でほぼまとめられる扱い方ばかりに思います(笑)
販売台数についてですが、当初の想定は月販1万台以上という記録が残っています。安全コロナが登場するまでが、ほぼ想定通りに売ったものの、以降は半減。スカイラインは終始コロナに近い台数を売っていて、ローレルには後半で逆転されるとなるようです。

「エクストラインテリア」は自身への台数にはあまり寄与しなかったようですが、書かれているようなインテリアの方向の決定や他車への影響等、意義は大きいですよね。しつこいようですが、専門家が特集して書くのなら、こうした切り口で読みたいと思って止みません。

学習図鑑の類は、やはり家にあり、他は綺麗なまま、鉄道編がやや読み傷み、クルマ編は激しく読み傷んでいました(笑)
引っ越しの際に廃棄してしまい、どこで作ったものなのかも判らずで今に至っていますが、今視点でもう一度読みたいものの一つです。40年以上を時を経て、当時の視点が新鮮なはずであり、また新たな発見も見出せるはずなんですけれども。
学習図鑑は、狭い範囲から資料を集めて構成していたようで、著しい偏りがあるのも特徴ですね(笑)

形式名「X」は今年限りというのがほぼ確定のようです。未開の状態だった最上級小型車の可能性を信じての命名かななんて思わされます。一時期は時代の代名詞的存在でもあったはずで、「X」は形式名だけに留めたままの方がよかったのかもしれませんね。
2019年2月9日 18:15
こんばんは。
この2代目マークIIのセダンは今なら「4ドアクーペ」的な印象になるかも知れませんね。
30~40年時代を先行していたのかも?

え?と思われるかも知れませんがメルセデスの初代CLSクラス(W219)を初めて見掛けた際にどういう訳か2代目マークIIセダンを連想したのを覚えてます。
どちらも低い車体に流れるようなサイドビューだからそんな連想をしたのかと思いました。

以前にも書きましたが私の伯父が後期型ハードトップLXに乗ってましてその次に乗り換えた車がなんとジャガーXJ6(シリーズⅡ)でして納車直後に乗せてもらった際にメーター配置が似通ってたのが強い印象でした。
速度計と回転計の両隣に燃料残量、油圧などのサブメーターを縦2つ重ねるレイアウトは国内外の色々なメーカーで結構採用されていたようですね。
確かにこの配置は見易いと思います。

今や水温すら警告灯で済ませるとか液晶画面の時代なのでメーターズラリな車はもう出てこないでしょうね。
コメントへの返答
2019年2月9日 20:26
こんばんは
今視点で寸法図等を見ると、確かに「4ドアクーペ」に近いんですよね。スタイリングを優先した日本の4ドアの始祖にも映る一方で、アメ車のインターミディエイト級を縮小した結果に過ぎない気もします(笑)

初代CLSクラスからの連想というのは初見ですが、改めてCLSを見ると成程と思いました。書かれている理由に加えて、小さく見えることを厭わずにリヤ部分を絞った造形にも共通を感じたりします。

この型のメーター配置には、C10スカイラインからの影響を感じるものの、同時代の他車に見られた横一列より見易いレイアウトだと思います。マークII系も次世代ではサブメーターが中央に来たものの、その次では配置が戻されていたりしますね。

今はメーター以外からも含めて情報量が増える一方で、どう見せるかを模索していることを感じます。液晶なら、表示画面の一つをメーターズラリにすることも可能なはずで、もし実現したら一部層には大いに喜ばれそうです。
2019年2月11日 11:28
おはようございます。ちょっと遅コメ失礼します。

このマークⅡは、私がまだ随分小さい頃に登場したので、ミニカーでよく遊んでいた記憶があります。大人になってからは・・・太陽にほえろで何度も見ましたけどね(笑)。
言われてみれば、確かに後ろ回りがアメ車っぽいですね。なるほど、確かに日産車もこの当時こんなデザインの車ばかりしたね。

因みに、太陽にほえろではリヤがこのような目じりの下がったタイプじゃないマークⅡも何度か出ていましたが、あれはMC前かMC後のものでしょうか?
コメントへの返答
2019年2月11日 16:28
こんにちは
コメントをありがとうございます。

この型のミニカーだと、トミカに白のハードトップLがあってお気に入りでした。
このクラスの当時のクルマ達は、アメ車からの影響大ですね。セダンでは一番跳んだ分、好嫌が分かれた感が強いです。

ご質問のセダンのリヤテールですが、48年8月に変更を受けています。49年8月にはフロントマスクが一新されたこともあって、初期と後期では大幅に印象が異なっています。太陽にほえろでは、安全コロナと並ぶ壊され役の定番でしたね(笑)。(因みに鹿児島ロケのは、後期4気筒です)
コメントをヒントに、同番組で長く使われた一台を追加してみます。
2019年2月12日 19:21
こんばんは、久しぶりのコメント失礼致します。

この型のマーク∥、某CD誌の名車復刻版カタログを読んだ際に現在に繋がるハイテクな装備(アンチロックブレーキ・オートドライブ等)が採用されていて大変驚いた記憶があります。その中でも、ヘッドライトの残光タイマーは良いアイデアだと思っているのですが、日本車では未だに装着されているクルマが限られてますね。

あと、今回資料をじっくり拝見させて頂き内装が当時の欧州アッパーミドルカー流に割りとスッキリした感じになっているのが意外に思いました。
アメ車の、とりわけ高級ブランドの内装を参考にした?C130ローレルと見比べてみると、どんな感想を抱くのか少し興味があります。
コメントへの返答
2019年2月12日 20:39
こんばんは
コメントをありがとうございます。

書かれているハイテクな装備は鋭いご指摘だと思います。これらのオプションを装着したクルマって、当時全くと言っていいほど見かけた記憶がないのですが、細々ながらも設定を止めることなく続けて、後年に繋げていますね。
残光タイマーは、バッテリー容量が今より少なかった時代ということで使用したことのない装備でした。今はLEDが普及したこともあり、再現されていますね。

この後、追加された高級仕様も含めて、全般的に同級他車よりも華美な印象は受けない内装ですね。新型車解説書では、シートの縫製等、欧州車を意識した記載があったりもします。高級の定番が定まっていなかった分、高級の求め方が各車各様にあって、興味深い比較となるかと思います。
2019年2月13日 13:04
ご無沙汰してます。
すいませんが、フォローさせていただきました。

この型のマークⅡですが、90マークⅡハードトップのテールライトとこの型のテールライトがどことなく似ている印象があります。

あくまでも雰囲気だけですが・・・

80年代前半は小学校低学年ですが、ウルトラマンの再放送でマークⅡハードトップを乗り回している姿が印象的です。
ウルトラマンの隊員が社用車を乗り回している姿に見えました。
身近な例で例えるなら、学校の駐車場に同じ車が止まっている印象です。

おそらくリヤシートにシートベルトがなかったと思います。
父が乗っていた20カローラから70カローラに変わった時に、リヤシートにベルトがあってびっくりした思い出があります。

時代の変化を感じます。

コメントへの返答
2019年2月13日 22:01
こんばんは
フォロー機能、ご活用いただければ幸いです。

厚めのバンパーに薄いテールライトを組み合わせる構成は、確かにこの型と90ハードトップ間に系譜を感じることができます。もっとも私感の前提とはなりますが、系譜は尊重しつつも90ハードトップのリヤスタイルには、ついアルシオーネのイメージを重ねてしまったりもします。

リヤシートベルトの件、気になって軽く調べてしまいました。当初から選択可能ではあったものの、標準設定は設置義務化の直前に間に合わせたようです。家にあったクルマも後席は未装着でした。リヤシートベルトは、義務化後も邪魔な存在と見なされて、シートの隙間に押し込んでしまう使い方も少なくはありませんでした。
フロントのシートベルトも標準化自体は後席より早かったものの、腰ベルトと肩ベルトが分離可能という具合ですから、これだけを見ても時代の変化は大きいと言えますね。
2019年2月14日 22:02
こんばんは!

マークIIの歴代で2代目は最も好きでして、特に初期型GSSのモスグリーンはマイナー志向の私にしてはベタかもしれませんが特にツボでございます。

私が小学校低学年の頃まで父の同級生が緑がかったシルバーの初期型4気筒のセダンにハードトップのグリルを付けて乗ってましたので割りと身近な存在でしたが、今改めて見ると初期型のセダンのテールランプのデザインはかなりのアクの強さが感じられます。それもまた味わい深くていいんですがね。

このクルマもブルUやバイオレットなどと同様にオイルショックで命運が決まったように私も思いますが、当時のアメ車の影響を受けた豊かさとゴージャスさが感じられる内外装は70年代車らしい魅力に溢れていると思いますし、黒歴史的な扱いでなかった事にするのには実に惜しい。

後世まで魅力を余すことなく伝えていきたいクルマの1台だと思います。
コメントへの返答
2019年2月15日 21:58
こんばんは

2代目マークIIは歴代のラインからは少し外れているように映るのですが、スポーティ志向がやや強いというのもその一つだったりします。GSSにはその志向の象徴を見出せるかもしれませんね。

初期型セダンのテールランプは、当時という枠を超えてかなり凝った造形だと思っています。リヤエンドを逆Rの形状で構成するのは相当な挑戦でして、市場受けしたかは微妙なところですが、挑戦自体は高く評価したいところです。もっとも、当時は中期以降のものに一式交換しようかなんて話もあったのですが(笑)

挙げられているクルマ達は、デザイン用の定規が雲形しかなかったと揶揄されたりしますが、逆に言うとそれぐらいデザインに凝ることが出来たとも言えます。スペシャルティーカーとは異なるセダンやハードトップがデザイン優先でやれたのは、この時代が一番だったとも思います。
趨勢は異なる動きとなりましたが、市場評価だけで切り捨ててしまうのは一面的ですよね。

いただいたコメントが思考の整理に結び付いたように思い、感謝しております。

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