ここ一か月ほど、新型コロナウィルスに関連するお仕事に携わることで、多忙な日々を過ごしてきました。更新もなかなか出来ず。
長く感じた緊急事態宣言もようやく解除され、何となくホッと一息の感があるのかもしれません。でも、決して忘れてはいけないのは、ワクチンはもちろんウィルスの全容解明にすら、未だ至っていないという事。
正解は一つではありませんし、押し付けにならない判断は様々あっていいとも思います。ただ、その判断が招く、招きかねないものは何か、そこまで深く考えた末での行動が必要とは。後悔するような状況に至った時には、自身だけでは絶対に完結しない事態となりますよと。
珍しく真面目な話を冒頭に掲げつつで、本題に入っていきます。
調べて、時間をかけての内容は難しい状況ですので、前回に続いて、古の自動車雑誌記事を基にした散文としてみます。先々は以前の構成に戻したいと思っていますけれども、今はご容赦くださいということで。
今回取り上げる記事は、月刊自家用車誌がC33ローレルの登場時にX80マークIIと比較してレポートしたものとなります。
X80マークIIより僅かに遅れる形で、A31セフィーロを発表し、その対比が大きな話題となったこのセグメント。でも日産にとって、A31セフィーロはあくまでも第一陣となる先行部隊の役割。本命は、今回ご紹介するC33ローレルにありました。
登場直後から代替需要を主な原動力に、当時の不動のベストセラーであるカローラすらも凌ぐ勢いで一気に販売台数を伸ばした、X80マークII。偶然にも昭和から平成に替わる狭間に世代交代を果たした、C33ローレル。この両車の対決は、歴代を通して、どちらのメーカーにとっても譲ることはできない戦いであり、ここに最大級の激突があったと認識しています。
最初の頁には、両車のフロントマスクとリヤテールが対比的に掲載されています。
共に高級を標榜するクルマであり、凝った意匠を持ちながらも、どちらも押しつけがましい存在感とやらを感じさせることはありません。むしろ、奥ゆかしさを感じさせる領域。昨今のエモいとか評されるデザインに食傷している身からすれば、それは高貴にすら映ります。
最初はスタイリングやパッケージングの比較です。
FFへの移行を行わなかったこのセグメントは、室内空間の点では一クラス下となるミドルセダンに譲る環境にありました。
当時のユーザーは、広大な空間を求めることはせず、むしろスタイリングやプロポーションの方が大事と考えていました。本流となる4ドアセダンではなく、後から追加された4ドアハードトップが好まれたのも同じ理由です。この辺り、指向が完全に逆転した現代とは隔世の感があります。
ここまでは良車同じですが、味付けの部分は異なっています。
先代をベースにルーフを10mm下げたり、ピラーを少しだけ寝かせたことで、パッケージングとしては破綻ギリギリと言えるマークIIハードトップ。
ローレルは、マークIIよりも当時一世を風靡したカリーナEDからの影響を感じます。シートポジションを下げることで、マークII以上に寝かされたフロントピラーとさらに低い車高を成立させています。
マークIIには、輸出や営業車用途を考慮したセダンも設定されていました。ローレルも先代まではセダンが設定されていたのですが、この代では営業車用途に絞られ、モデルチェンジが見送られています。
本文では触れられていませんが、実はマークIIのハードトップとセダンは、ルーフの高さが異なるだけではなく、リヤシートの形状や構造、パッケージングからして異なっていたりします。そんな違いを知る人も少なく、セダンは一般受けしたとは言い難いですけれどね。
両車、最後の5ナンバーサイズでもあり、習熟を極めた感もあります。そのサイズと相まって、今のクルマ達と並べると、繊細な印象を第一に受けます。
パッケージングに続いて、走りの比較です。
先代のローレルは、直6のSOHCとV6のSOHCターボで登場。さらにマイナーチェンジで直6のDOHCターボを追加するという理解に苦しむ構成でしたが、この代でようやく直6で揃える構成となりました。
商品性の点では、中級以下をハイメカツインカムで揃え、上級にはターボとスーパーチャージャーを並べたマークIIが一枚上手だった感は否めません。スペック以外の実力の点では、成熟が進んだRBが勝っていたのかな、というのは個人的印象。
本文で指摘されている、ATにおける油圧と電子制御の差は、正しくその通りで、1G-Gの存在意義の一つですらあったと、1G-G→1G-Fと乗り継いだ経験から言えます。
左頁には、ローレルに新たに設定された目玉グレードの一つ、クラブSが紹介されています。Y31セドリック/グロリアを飛躍させた立役者、グランツーリスモの立ち位置&テイストに寄せることも商売上アリに思えましたが、ローレルでは主力たるメダリストの上級グレードとされていました。
マークIIは、クラブSに対抗してGTの1G-G版を追加するかもと予想したのですが、実現は1JZ-GEとの組合せ(ツアラーS)で次世代に先送りとなります。
サスペンションは、主査の英断もあってボディ設定同様、マルチリンクに統一されたローレルと輸出や営業車用途でリヤリジッドを残さざるを得なかったマークIIの対比。
Y31セドリック/グロリアとS130クラウンでは同じような設定差があって、クラウンはマイナーチェンジでIRS採用グレードを増やすことになりますが、マークIIはそのままで変わることはありませんでした。4気筒やディーゼルを選択する際の判断材料の一つであった気はします。
この代ではマークII:ダブルウィッシュボーン、ローレル:マルチリンクを新たに採用ということで、それまで長く続いたセミトレーリングアームからの進化が行われています。言うまでもなく、メルセデス(W201&W124)からの影響ですね。
両車を比較するとHICASIIにSSを揃えたローレルの方が足回りは凝っていた感があります。同時期に盛んだった901運動の反映なのでしょうね。
快適性は、車外との隔絶感を強調したマークIIと運転していることを多少意識させるローレルといったところでしょうか。この部分は、元々ミドルサルーンとの大きな違いの一つであり、その中でテイストを変えたというのが正しい見方だと思います。
インパネは、両車共にミドルサルーンからの流行を受け継ぐ富士山型のメータークラスターで構成。このメータークラスターも、影響元は恐らくメルセデスのW201。1987年に登場した、カペラ、ブルーバード、コロナが一斉に採用して、インパネだけでは見分けがつかないと揶揄されたりもしました。
このセグメントではもう一段の作り込みが可能となって、ローレルでは中間帯に布地を挟むことで新鮮かつ豪華な印象をアピールしています。マークIIも最上級のみインパネロアにファブリックを採用。今では求め得ない豪華さ、凝った作りが存在していました。
高原氏のレポートで一番共感できるのは、前回と同じく結論の部分と言うのが私感です。
最先端のマーケティングがトップセラーへの道を歩ませ、社会現象と評されるまでに至った先代マークII。この代ではその先代をベースにトヨタでしか実現できなかった究極の作り込みを実現しています。次世代が3ナンバー化&コストダウンへの道を歩んだことからすると、「5ナンバー専用車の一つの結論」「考え方が終章に入った」というのは予知的ですらあります。
一方のローレルは、カルテットLの中ではマークIIに一番近いながらも、こうして比べてみると、結構な違いが浮かび上がってみたりもします。
かくして、両車共に市場では好意的に受け入れられ、バブルという時代背景もあって、共に歴代の最多量販を記録しています。
モデルライフを通してみると、年次改良を怠らず3ナンバーにも積極的に進出し、特に2.5Lがディアマンテと共に新たな市場を開拓したマークIIに対して、2.5Lの市場に懐疑的で後手に回ったローレルは、特に後半で大きな差が付いてしまいました。ユーザーの要望に応えるという大義名分の元、必要以上に仕様を増やし過ぎたのもローレルで、このことは日産の懐を痛める要因の一つにもなります。
でも、そんなことは既に過ぎ去ったこと。
クルマが一番輝いていたと感じられる時代のメインストリーマーだった両車を懐かしむのが一番相応しいと思うのです。
冒頭に掲げたコロナウィルスは、クルマという商品においても一つの曲がり角になるのかもしれません。それぐらい先行きは混迷を深めてもいます。だからこそ、あの時代を振り返って見るのも決して無駄にはならない、そんなことを思うのですけれどね。