梅雨明け以降、暑い日が続いております。
昼間は、外歩きはもちろん、車を使うのも躊躇ってしまうような高温&多湿でありまして、コロナ禍への対応も言い訳に不要不急の外出は控えるのが、正しい選択となるのでしょうね。
そんな猛暑の中で取り上げるのは、コメントをくださった中で気になった車種&グレードとなります。軽く調べてみたところ、想像していた以上に興味深い存在でありました。
先ずは概要から。
ローレルは、日本初のハイオーナーカーとして4気筒1800を搭載し、1968年に誕生しています。
大きいことはいいことだの風に乗り、2000、6気筒とグレード構成は上積みがされていきますが、4気筒1800は廉価版としてシリーズを支え続けていました。
形式名C230となる3代目は、1977年に登場。今回ご紹介するC231は、翌1978年にマイナーチェンジを受けたモデルとなります。
マイナーチェンジによる主な変更点としては、通常のフェイスリフトの外、全車53年規制への適合、メダリストとディーゼルの追加をはじめとするバリエーションの充実化が図られています。
参考までにマイナーチェンジ前後の画像を並べてみましょう。
外観で一番大きいのは、丸目4灯から角目4灯への変更。
この時代、同様の変更を受けた車も多く、中には角目が合っていないものも見受けられましたが、このローレルは変更が成功した事例と思っています。
同じような印象を持たれた方が多かったのでしょう。中古車の人気は後期の方が高かったように記憶しています。そんな事情を裏付けるエピソードとして、高校時代、通学途中にあった整備工場に入庫した後期の解体車は、間もなくフロントマスク一式が抜かれた姿となりました。間違いなく前期に転用されたのだろうと思います。実際、前期に後期のマスクを移植した事例も多かったですし。
他には、大型バンパーの採用により、全長が約100mm伸びています。
ボディサイズは、歴代、ローレル>スカイライン6気筒の構図だったのですが、ジャパンが一足早く大型バンパーを採用したことで、全長が逆転。ここで再びローレルが長いで収まることになります。
マイナー前はSGL、マイナー後はメダリストの画像ということでグレード違いとはなりますが、続いてはインパネの比較です。
外観と比較すると変更点は少ないのですが、メーター部分は透過照明の採用含めて一新されています。
この世代のローレルは、同時期のブルーバードやスカイラインと同様に、モデルチェンジでインパネの内部構造を変えずという選択をしています。このため、モデルチェンジでインパネを一新したマークII、ルーチェと比較すると、メーターやセンタークラスターやスイッチ類の配置等、時代の主流からはやや取り残されつつありました。
マイナーチェンジでは、スカイラインに続いて一体型メーターを採用しつつ、メーターのレイアウト変更も実施。時流に合わせたUPDATEを図った形です。
タコメーターは、セダンでは2800系とメダリストのみが標準。
ハードトップでは一転して全車標準だったと記憶していまして、ハイオーナーカーでありつつも、クラウンやセドリックと同じようなボディ形状における考え方の分けが入り込んでいました。
また、今回並べてみて、初めて気付いたのですが、ステアリングのセンターパッドもエンブレム部分が変わっていますね。
そんなC231ローレルでは、特に4気筒1800の充実化が図られました。今回取り上げたセダン1800SGLの他にも、セダンスタンダード、4ドアハードトップ1800GLが同時に追加されています。
ここからはカタログ画像を交えつつでご紹介。
都合により、カタログはマイナーチェンジ直後のものではなく、途中で4気筒2000が追加されたモデル末期のものとなる点だけはご承知おき願います。
セダンの最初の見開きでは、1800SGLの画像が使われていました。
同時に追加されたメダリストやディーゼルは、次の見開き以降のリヤビューやインテリア画像で登場するのですが、筆頭がこちらということで、売り手としても一押しだったことを裏付けているように感じます。
シルバーのボディカラーは、グレーの内装色と共に、この型で個人的に一番似合っていると感じるコーディネートです。地味ながらも高級を漂わせる的な。
地味ながらも高級はデザイン要素もあるように思え、当時はライバル車である3代目マークIIにぞっこんでしたけれど、後年になって、オーソドックスながらも妙な衒いのない、いいデザインだと見直すようになりました。
同じカラーのローレルセダンは、6気筒のSGLでしたけれど、ちょうどご近所にありました。父が2代目マークIIを購入した時、ほぼ同時に2代目ローレルを買われた方で、奥様が免許取得後、不規則なストライプをいくつも入れられた後の代替でした。このローレル、公開には馴染まないような、もうひとエピソードを経て2年ほどで見かけなくなるのですが、個人的にちょっと懐かしい存在だったりもします。
続いて、セダンの主なバリエーションをご紹介。
先ずは4気筒ガソリンシリーズ。
マイナーチェンジ時に追加されたスタンダードは、結局途中で落とされたようで、この時点ではカスタム、GL、SGLの3グレード構成でした。
ちなみに当時の東京地区の価格は、
・カスタム(4MT):113.8万円
・1800GL(3AT):127.7万円
・1800SGL(3AT):140.9万円
次のページは掲載略にして、主な6気筒ガソリンシリーズ。
GL6、SGL、メダリストの他、掲載から漏れたカスタム6という構成でした。
カスタムとGLは、6気筒のみ”6”が付くのですが、SGLは後から4気筒が追加ということで後からSGL6を名乗ることも出来ず”6”は略とされています。
このため、4気筒2000が追加されると、2000SGLの重複に至ってしまい、カタログでお分かりの通り、半ば便宜的に”4気筒”を頭に付ける形で区別を図ることとなります。
4気筒と6気筒の外観上の識別点は、マイナーチェンジで追加されたサイドガードモールの有無となります。マイナーチェンジ前は、バンパーモールの有無で違っていたのですが、こちらは共通部品とされています。
センターキャップやシート形状の異なるカスタムを別にして、GL以上ならメダリストとそう大きな違いはないと言えるかと思います。
余談となりますが、、、
このローレル、6気筒のSGL(-Eかな?)が「西部警察」、1800SGLが「非情のライセンス」の劇用車で使われていました。ボディカラーは、共にここで掲載されているものと同じということで、カタログとは微妙に異なることが多い劇用車の中では珍しい事と言ってよいでしょう。
同じく当時の東京地区の価格です。
・GL6(3AT):145.5万円
・SGL(3AT):156.3万円
・SGL-E(3AT):164.3万円
・2000メダリスト(3AT):192.8万円
・2800メダリスト(3AT):205.4万円
グレード間の詳細な装備の違いはこちらをご参照くださいませ。
SGLがGLから追加される装備は、ウッドステアリング、パワーステアリング、パワーウィンドゥを筆頭に、他にもリヤシート関係のアメニティも充実していたりします。詳細な解説は後程としますが、SGLは当時としてはかなりの豪華装備と断言できます。当時、標準で装備する車は極めて限られていたエアコン以外、ほぼフル装備ですからね。
メカニズムに関してはこちらを先に。
長大という言葉が相応しい6気筒L型エンジンと比較すると、4気筒Z型エンジンの短さが目立ちます。
ここで少し横道にそれて、4気筒2000について解説してしまいます。
未対策時代の日産のミドルクラス4気筒には、バイオレット、ブルーバード等が搭載する日産直系のL型とスカイライン、ローレル等が搭載するプリンス系譜のG型、商用車が搭載するH型が併存していました。50年規制適合時にG型は整理されてL型に統合となるのですが、L型は2000を持っていなかったため、一時的に4気筒は1800が上限となります。他社の多くは4気筒2000がある中、日産は1800で対抗することに。1800EGIが設定された遠因と推測するのですが、特にローレルは4気筒2000を持たないことは不利だった感は否めません。
L型は53年規制に適合させる際、シリンダーヘッドを変更した2プラグのZ型に進化し、少し遅れて2000が追加されることになります。ライバル車に対する200ccの不利はこれで埋まり、初代セドリック由来のH型の統合も可能となるしで、大いに意義ある追加ではありました。
足回りには、先代のリーフ式から変更された4リンク式が採用されています。
詳細なスペック表はこちらとなります。
この時期には、マークII共々、ボディサイズが小型乗用車の枠上限にかなり近づいています。そのことはクラウン/セドリックに近づくと同義でもありました。
排ガス対策の追加や装備の充実から、重量も増加。53年規制の初期ということもあり、正直6気筒2000でも決して速いとは言えず、4気筒1800はさらに推して知るべしのレベルだったことは確実です。同じエンジンを搭載したブルーバードですら、余裕があったとはいえず、こちらはさらに100kg増しですからね。先に軽く書いた「非情のライセンス」では、劇用車が画面狭しと元気な活躍をしていたりもしますけれど。
2気筒軽い分、後発の4気筒2000が意外な狙い目だったとは言えるかもしれません。
同級他車は、1800のミッション設定を絞ることも多かったのですが、ローレルは1800カスタム以外、4速・5速のMT、3速ATが選択可能でした。ただ、1800の5速は当時の日産車に多かった逆パターンとなります。4気筒2000はこの部分もアドバンテージで、ギヤ比からすると5速も通常パターンで選べたようです。車の性格からの選択では、ATで大人しく乗るが正解だったろうとは思いますけれどね。
さて、ここからは当時のライバル車と比較しながらの解説です。
この国のファミリーカーとしては、1800のGL級に大きなボリュームが存在していました。1855ccという排気量から1800を名乗れず、苦心の1850を謳ったのちシリウスシリーズまで一時的に落とさざるを得なかった三菱を除き、各社が力を入れている排気量でもありました。
そうした状況下、当面の最終段階となる53年規制に目途が立った1978年の夏以降、1800の充実を真っ先に図ったのが日産でした。811ブルーバードのGF・G4、211スカイラインのTI-EX、今回紹介したローレルのSGL。どれも、従前のGL級に飽き足らないユーザーに向けて、更なる上級仕様での吸引を狙ったグレードでした。
それまでも、日産は木目ステアリングやカセットステレオの標準化等、同じGLでの比較でも、トヨタより装備は充実していたのですが、この時以降その傾向は顕著となります。
そんな日産車の1800級の装備について、記憶頼りで書いていますが、GFはP/Sが選択不可、G4はP/Sが選択できたもののカセットやP/Wはレス。TI-EXはP/SがOPだったかと思います。資料を見返すまでは、SGLも1800はP/SがOPかなと思っていたくらいで、その充実ぶりに驚かされた次第です。
マークII・ルーチェとの比較でもそれは同様で、4気筒2000が存在した関係もありますが、マークII系の1800において、P/Wが標準になったのは4年後のチェイサーXGエクストラ、カセットに至っては8年後のマークIIGRサルーンまで待たされることとなります。
ルーチェも、2000ではSG以上でP/SがOPとなる以外は揃うものの、1800ではP/Sが選択不可、さらに4速MTのみという具合でした。
1800ccという枠内で、これだけの豪華さというのは、メーカー内の最上級という、また異なる理由でアコードが存在するのみだったのです。
もちろん、お値段はその分上昇していて、当時ATで120万円前後だったコロナ・ブルーバードのGL級に対して、こちらは約20万円のプラス。P/S・P/W・C/Sが各5万円と考えると、意外とお得という見方もできますし、また6気筒より15万円安いという見方もできます。
ただ、周りを見回すと6気筒2000を搭載したマークIILGが142.6万円、スカイラインGT-Lが142.5万円で選べましたから、充実装備に魅力を見出さないと、お高く映る価格設定ではありました。
後年に比べてまだ緩やかとはいえ、ファミリーカーの上級志向は始まっていましたから、このSGL、意外と好評に受け取られていたように記憶しています。日産自身も、充実装備のローレルがこのお値段で買えますとアピールしていた効果もあったでしょうし。
マークII系の1800豪華グレードは、上記の通りかなり後となりますが、初代クレスタの1800において、GL級の上級として、従前のGSLに替り装備充実のスーパーカスタムが据えられたのは、ローレルの影響だと思うのです。
そんな1800SGLも、翌1979年10月には2000SGLが追加されて以降は、脇役に回ることとなります。価格差約3万円で+200cc、さらにこれまで書いた差異がある以上は、当然の結果とは言えます。4気筒2000を追加する際、セダンのみGLも設定したものの、HTにはSGLのみを設定していますから、販売の主流がSGLに移るのに寄与したとは言えるかもしれませんね。
C31でも、4気筒に1800と2000の2本立てで進むものの、マイナーチェンジ時点で1800のみCA型に換装。少し前に紹介したC32では、4気筒は1800のみに回帰することに。さらにC34以降は、4気筒自体が落とされてしまいます。
少なくとも、C231以降C32くらいまでは拡販の重要な持ち駒の一つだった筈なのですけれども。
以上、とりとめも、まとまりもなく調べた情報を書き記した回となります。
既に40年以上も前の話で、情報もあまり残っていないでしょうから、少しでも参考になれば、嬉しく思います。
文中の引用
新車価格:間違いだらけのクルマ選び、1980年版より
マイナー前後の画像:FavCars.comより