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2020年08月13日

C231ローレル4気筒SGLの話

梅雨明け以降、暑い日が続いております。
昼間は、外歩きはもちろん、車を使うのも躊躇ってしまうような高温&多湿でありまして、コロナ禍への対応も言い訳に不要不急の外出は控えるのが、正しい選択となるのでしょうね。

そんな猛暑の中で取り上げるのは、コメントをくださった中で気になった車種&グレードとなります。軽く調べてみたところ、想像していた以上に興味深い存在でありました。


先ずは概要から。

ローレルは、日本初のハイオーナーカーとして4気筒1800を搭載し、1968年に誕生しています。
大きいことはいいことだの風に乗り、2000、6気筒とグレード構成は上積みがされていきますが、4気筒1800は廉価版としてシリーズを支え続けていました。
形式名C230となる3代目は、1977年に登場。今回ご紹介するC231は、翌1978年にマイナーチェンジを受けたモデルとなります。

マイナーチェンジによる主な変更点としては、通常のフェイスリフトの外、全車53年規制への適合、メダリストとディーゼルの追加をはじめとするバリエーションの充実化が図られています。

参考までにマイナーチェンジ前後の画像を並べてみましょう。



外観で一番大きいのは、丸目4灯から角目4灯への変更。
この時代、同様の変更を受けた車も多く、中には角目が合っていないものも見受けられましたが、このローレルは変更が成功した事例と思っています。
同じような印象を持たれた方が多かったのでしょう。中古車の人気は後期の方が高かったように記憶しています。そんな事情を裏付けるエピソードとして、高校時代、通学途中にあった整備工場に入庫した後期の解体車は、間もなくフロントマスク一式が抜かれた姿となりました。間違いなく前期に転用されたのだろうと思います。実際、前期に後期のマスクを移植した事例も多かったですし。

他には、大型バンパーの採用により、全長が約100mm伸びています。
ボディサイズは、歴代、ローレル>スカイライン6気筒の構図だったのですが、ジャパンが一足早く大型バンパーを採用したことで、全長が逆転。ここで再びローレルが長いで収まることになります。




マイナー前はSGL、マイナー後はメダリストの画像ということでグレード違いとはなりますが、続いてはインパネの比較です。

外観と比較すると変更点は少ないのですが、メーター部分は透過照明の採用含めて一新されています。

この世代のローレルは、同時期のブルーバードやスカイラインと同様に、モデルチェンジでインパネの内部構造を変えずという選択をしています。このため、モデルチェンジでインパネを一新したマークII、ルーチェと比較すると、メーターやセンタークラスターやスイッチ類の配置等、時代の主流からはやや取り残されつつありました。

マイナーチェンジでは、スカイラインに続いて一体型メーターを採用しつつ、メーターのレイアウト変更も実施。時流に合わせたUPDATEを図った形です。

タコメーターは、セダンでは2800系とメダリストのみが標準。
ハードトップでは一転して全車標準だったと記憶していまして、ハイオーナーカーでありつつも、クラウンやセドリックと同じようなボディ形状における考え方の分けが入り込んでいました。

また、今回並べてみて、初めて気付いたのですが、ステアリングのセンターパッドもエンブレム部分が変わっていますね。


そんなC231ローレルでは、特に4気筒1800の充実化が図られました。今回取り上げたセダン1800SGLの他にも、セダンスタンダード、4ドアハードトップ1800GLが同時に追加されています。

ここからはカタログ画像を交えつつでご紹介。
都合により、カタログはマイナーチェンジ直後のものではなく、途中で4気筒2000が追加されたモデル末期のものとなる点だけはご承知おき願います。



セダンの最初の見開きでは、1800SGLの画像が使われていました。
同時に追加されたメダリストやディーゼルは、次の見開き以降のリヤビューやインテリア画像で登場するのですが、筆頭がこちらということで、売り手としても一押しだったことを裏付けているように感じます。

シルバーのボディカラーは、グレーの内装色と共に、この型で個人的に一番似合っていると感じるコーディネートです。地味ながらも高級を漂わせる的な。

地味ながらも高級はデザイン要素もあるように思え、当時はライバル車である3代目マークIIにぞっこんでしたけれど、後年になって、オーソドックスながらも妙な衒いのない、いいデザインだと見直すようになりました。

同じカラーのローレルセダンは、6気筒のSGLでしたけれど、ちょうどご近所にありました。父が2代目マークIIを購入した時、ほぼ同時に2代目ローレルを買われた方で、奥様が免許取得後、不規則なストライプをいくつも入れられた後の代替でした。このローレル、公開には馴染まないような、もうひとエピソードを経て2年ほどで見かけなくなるのですが、個人的にちょっと懐かしい存在だったりもします。


続いて、セダンの主なバリエーションをご紹介。



先ずは4気筒ガソリンシリーズ。
マイナーチェンジ時に追加されたスタンダードは、結局途中で落とされたようで、この時点ではカスタム、GL、SGLの3グレード構成でした。

ちなみに当時の東京地区の価格は、
 ・カスタム(4MT):113.8万円
 ・1800GL(3AT):127.7万円
 ・1800SGL(3AT):140.9万円





次のページは掲載略にして、主な6気筒ガソリンシリーズ。
GL6、SGL、メダリストの他、掲載から漏れたカスタム6という構成でした。
カスタムとGLは、6気筒のみ”6”が付くのですが、SGLは後から4気筒が追加ということで後からSGL6を名乗ることも出来ず”6”は略とされています。
このため、4気筒2000が追加されると、2000SGLの重複に至ってしまい、カタログでお分かりの通り、半ば便宜的に”4気筒”を頭に付ける形で区別を図ることとなります。

4気筒と6気筒の外観上の識別点は、マイナーチェンジで追加されたサイドガードモールの有無となります。マイナーチェンジ前は、バンパーモールの有無で違っていたのですが、こちらは共通部品とされています。

センターキャップやシート形状の異なるカスタムを別にして、GL以上ならメダリストとそう大きな違いはないと言えるかと思います。


余談となりますが、、、
このローレル、6気筒のSGL(-Eかな?)が「西部警察」、1800SGLが「非情のライセンス」の劇用車で使われていました。ボディカラーは、共にここで掲載されているものと同じということで、カタログとは微妙に異なることが多い劇用車の中では珍しい事と言ってよいでしょう。

同じく当時の東京地区の価格です。
 ・GL6(3AT):145.5万円
 ・SGL(3AT):156.3万円
 ・SGL-E(3AT):164.3万円
 ・2000メダリスト(3AT):192.8万円
 ・2800メダリスト(3AT):205.4万円


グレード間の詳細な装備の違いはこちらをご参照くださいませ。



SGLがGLから追加される装備は、ウッドステアリング、パワーステアリング、パワーウィンドゥを筆頭に、他にもリヤシート関係のアメニティも充実していたりします。詳細な解説は後程としますが、SGLは当時としてはかなりの豪華装備と断言できます。当時、標準で装備する車は極めて限られていたエアコン以外、ほぼフル装備ですからね。


メカニズムに関してはこちらを先に。



長大という言葉が相応しい6気筒L型エンジンと比較すると、4気筒Z型エンジンの短さが目立ちます。


ここで少し横道にそれて、4気筒2000について解説してしまいます。

未対策時代の日産のミドルクラス4気筒には、バイオレット、ブルーバード等が搭載する日産直系のL型とスカイライン、ローレル等が搭載するプリンス系譜のG型、商用車が搭載するH型が併存していました。50年規制適合時にG型は整理されてL型に統合となるのですが、L型は2000を持っていなかったため、一時的に4気筒は1800が上限となります。他社の多くは4気筒2000がある中、日産は1800で対抗することに。1800EGIが設定された遠因と推測するのですが、特にローレルは4気筒2000を持たないことは不利だった感は否めません。

L型は53年規制に適合させる際、シリンダーヘッドを変更した2プラグのZ型に進化し、少し遅れて2000が追加されることになります。ライバル車に対する200ccの不利はこれで埋まり、初代セドリック由来のH型の統合も可能となるしで、大いに意義ある追加ではありました。

足回りには、先代のリーフ式から変更された4リンク式が採用されています。





詳細なスペック表はこちらとなります。

この時期には、マークII共々、ボディサイズが小型乗用車の枠上限にかなり近づいています。そのことはクラウン/セドリックに近づくと同義でもありました。

排ガス対策の追加や装備の充実から、重量も増加。53年規制の初期ということもあり、正直6気筒2000でも決して速いとは言えず、4気筒1800はさらに推して知るべしのレベルだったことは確実です。同じエンジンを搭載したブルーバードですら、余裕があったとはいえず、こちらはさらに100kg増しですからね。先に軽く書いた「非情のライセンス」では、劇用車が画面狭しと元気な活躍をしていたりもしますけれど。
2気筒軽い分、後発の4気筒2000が意外な狙い目だったとは言えるかもしれません。

同級他車は、1800のミッション設定を絞ることも多かったのですが、ローレルは1800カスタム以外、4速・5速のMT、3速ATが選択可能でした。ただ、1800の5速は当時の日産車に多かった逆パターンとなります。4気筒2000はこの部分もアドバンテージで、ギヤ比からすると5速も通常パターンで選べたようです。車の性格からの選択では、ATで大人しく乗るが正解だったろうとは思いますけれどね。



さて、ここからは当時のライバル車と比較しながらの解説です。

この国のファミリーカーとしては、1800のGL級に大きなボリュームが存在していました。1855ccという排気量から1800を名乗れず、苦心の1850を謳ったのちシリウスシリーズまで一時的に落とさざるを得なかった三菱を除き、各社が力を入れている排気量でもありました。

そうした状況下、当面の最終段階となる53年規制に目途が立った1978年の夏以降、1800の充実を真っ先に図ったのが日産でした。811ブルーバードのGF・G4、211スカイラインのTI-EX、今回紹介したローレルのSGL。どれも、従前のGL級に飽き足らないユーザーに向けて、更なる上級仕様での吸引を狙ったグレードでした。

それまでも、日産は木目ステアリングやカセットステレオの標準化等、同じGLでの比較でも、トヨタより装備は充実していたのですが、この時以降その傾向は顕著となります。

そんな日産車の1800級の装備について、記憶頼りで書いていますが、GFはP/Sが選択不可、G4はP/Sが選択できたもののカセットやP/Wはレス。TI-EXはP/SがOPだったかと思います。資料を見返すまでは、SGLも1800はP/SがOPかなと思っていたくらいで、その充実ぶりに驚かされた次第です。

マークII・ルーチェとの比較でもそれは同様で、4気筒2000が存在した関係もありますが、マークII系の1800において、P/Wが標準になったのは4年後のチェイサーXGエクストラ、カセットに至っては8年後のマークIIGRサルーンまで待たされることとなります。
ルーチェも、2000ではSG以上でP/SがOPとなる以外は揃うものの、1800ではP/Sが選択不可、さらに4速MTのみという具合でした。

1800ccという枠内で、これだけの豪華さというのは、メーカー内の最上級という、また異なる理由でアコードが存在するのみだったのです。

もちろん、お値段はその分上昇していて、当時ATで120万円前後だったコロナ・ブルーバードのGL級に対して、こちらは約20万円のプラス。P/S・P/W・C/Sが各5万円と考えると、意外とお得という見方もできますし、また6気筒より15万円安いという見方もできます。
ただ、周りを見回すと6気筒2000を搭載したマークIILGが142.6万円、スカイラインGT-Lが142.5万円で選べましたから、充実装備に魅力を見出さないと、お高く映る価格設定ではありました。


後年に比べてまだ緩やかとはいえ、ファミリーカーの上級志向は始まっていましたから、このSGL、意外と好評に受け取られていたように記憶しています。日産自身も、充実装備のローレルがこのお値段で買えますとアピールしていた効果もあったでしょうし。
マークII系の1800豪華グレードは、上記の通りかなり後となりますが、初代クレスタの1800において、GL級の上級として、従前のGSLに替り装備充実のスーパーカスタムが据えられたのは、ローレルの影響だと思うのです。

そんな1800SGLも、翌1979年10月には2000SGLが追加されて以降は、脇役に回ることとなります。価格差約3万円で+200cc、さらにこれまで書いた差異がある以上は、当然の結果とは言えます。4気筒2000を追加する際、セダンのみGLも設定したものの、HTにはSGLのみを設定していますから、販売の主流がSGLに移るのに寄与したとは言えるかもしれませんね。

C31でも、4気筒に1800と2000の2本立てで進むものの、マイナーチェンジ時点で1800のみCA型に換装。少し前に紹介したC32では、4気筒は1800のみに回帰することに。さらにC34以降は、4気筒自体が落とされてしまいます。

少なくとも、C231以降C32くらいまでは拡販の重要な持ち駒の一つだった筈なのですけれども。


以上、とりとめも、まとまりもなく調べた情報を書き記した回となります。
既に40年以上も前の話で、情報もあまり残っていないでしょうから、少しでも参考になれば、嬉しく思います。


文中の引用
新車価格:間違いだらけのクルマ選び、1980年版より
マイナー前後の画像:FavCars.comより
ブログ一覧 | カタログ話(雑談編) | クルマ
Posted at 2020/08/13 23:03:42

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この記事へのコメント

2020年8月14日 1:07
こんばんわ。

昭和末期の4気筒1800車の持ち主としまして、興味深く拝読させて頂きました!

私の所有車(SX70)の時分には既に主流は2000車(6気筒のみ)でしたが、当時小学5年生の私には2000車のメジャー上級グレード(スーパールーセント)を選択する権利はありませんでした。

納車後より、スーパールーセントとの外観の違い、内装、エンジンの性能、等の著しい違いに激しく劣等感を抱いておりました。

その下級グレードの劣等感がなくなりましたのは、ハチマルミーティング等のイベントにおきまして、マイナー車ゆえに同グレードの存在がかち合わないこと、ハイテク電子装置・機器の少なさ故の故障リスクが低い?ことでしょうか。
↑この考えの境地に至るまで相当な時間がかかりました!

話が逸れてしまいましたが、4気筒1800車の販売戦略にまんまと乗せられてしまった身ですが、今となりましてはそれはそれで良かった(購入してよかった)のかも知れません。
コメントへの返答
2020年8月14日 19:04
こんばんは

このクラスの4気筒1800を取り上げる度に、他に特集を組む方もいないだろうなと思っています(笑)

60後期の時点で、スーパールーセントの販売比率が8割を超えていたようです。それでも、廉価版がグレード整理はされつつも残されていたわけで。

幾多の車の中から、理由が積み重なって選択に至るのでしょうから、どんな選択であれ、劣等感は不要なものと思っています。
他人にどう映ろうと、自分が納得できていれば、それで良い筈とも。私自身、今回はあえて最廉価グレードを選択していますし(笑)

妥協した買い物は結局途中で飽きてしまう、が持論ではあります。しかしながら、逆に長く乗れたなら、それは決して妥協した買い物ではなかった、そんな風にも思うのです。
2020年8月14日 2:23
こんにゃんば(^^)

Dラー時代に唯一入庫していた車を
取り上げて頂き、有難うございます。

但し、入庫していたのは231の
1800ではなく230の2800
SGLでしたがww

この230系、実は不思議な病気が
有って、パワートレーン系統の異常
振動が出るものが有ったようです。
新人として配属されたばかりのオイラ
には、燃料不足による息つきの様に
思えたのですが、燃料ポンプやキャブ
は交換したけど治まらず、上司の判断は
ATミッションの不具合と言う事で交換。
それでも根本解決には至らず、結局
代替えと言う形で闇に葬り去られました。

その様な不具合に遭遇した車種なので
ある意味トラウマでもあるのですが、
不思議に車自体に対しての不安や不満
は全く無く、むしろ今の時代ならもっと
突っ込んで原因究明出来たのではないか
と言う思いが強く残っている1台です。
コメントへの返答
2020年8月14日 19:15
こんばんは

唯一入庫していた時代がどの辺りか、気になりますw

230の2800SGLだと前期ですね。当時の2800って本当の高級車で、かなり希少な車でもありました。

230系においてパワートレーン系統の異常振動が出るものがあったというのは、初耳です。
確かに症状からすると、先ず燃料系統を疑いたくなりますよね。そしてATの交換でも完治せずですか。後続でプロペラシャフトあるいはドラシャの偏心辺りを疑いたくなりますが、2800を買える層ともなると、代替でケリをつけるというのも理解できる選択ではあります。

原因究明もオーナーさんの理解があって成立するもの。修理の過程で時間と費用が積み重なってしまうと、オーナーさん的には諦めが入り込んでしまったりしますね。
2020年8月14日 8:02
このころの2000って4発、6発に関わらず特別な響きがあったような気がします。今から15年近く前に法人タクシーの乗務員時代に、当時55歳の仲の良い先輩(そんなにクルマには詳しくない)と個人タクシーやるなら車は何にするか、と話すとこがありました。個人タクシーの定番はもちろんクラウンなのですが排気量の話になった際にその先輩は「2000で十分だろ」と言うので、もうクラウンには2000はないですよ(除くS10系)と返すと驚いてた思い出があります。その頃の私はボルボS80で個人をやろうと画策してましたが。

このローレルですが、2000メダリストのATが親戚宅にあり帰省の際に親が運転することになりATを見て運転を渋った思い出があります。当時の家のクルマはケンメリの1800スポーティーGLの4MTでしたが、ローレルでATの楽さをしった親はすぐにジャパンの1800TE-EXの3ATに買い替えました。まだATが普及していない時期の懐かしい思い出です。
コメントへの返答
2020年8月14日 19:26
ご指摘の通りで、1800が売れていた時代には、2000は高級。6発はさらに高級という感覚はあったように思います。
クラウンは、140の時点で2000を切り離そうとしているのですけれど、結局170まで、2000がモデルライフ後半を支えるの繰り返しでした。180は、2000を追加する余地が皆無となったので、どうなるのかなと心配したことを覚えています。
ボルボS80の個人、お客様からの指名がありそうですよね。

C231の時代だと、このクラスでもATが4割まで届いていなかった筈です。
父の友人がケンメリの1800GLをATで購入したのですが、何故にAT?みたいな会話があったことを覚えています。
70年代中盤以降、都市の渋滞が悪化したことで、ATの普及は一気に進んでいたりしますね。
2020年8月14日 9:51
C31系はまだ振り返りの資料も発掘できるのですが、C23系は排ガス規制の暗黒時代も絡んでちょうど谷間とも言えるモデルですから、こう言うまとめは大変貴重ですね。
1800SGLについては以前の投稿からの取り上げと受け止めており、感謝する次第です。
C 231・4気筒SGLと言う事でディーゼルSGLの記載も期待しておりましたが、ディーゼルはC230なんですね。
看板に偽り無しで(笑)。
でもこう言う事が再認識できるのもスペック表を掲載していただいているおかげ。
私の様に収集癖のない好事家には大変ありがたいです。

実はディーゼルSGLは登場時点で日本最高グレードの「ハイグレードディーゼルセダン」だったかと。(装備は貧弱だがトップグレードの設定有りのフローリアンは微妙)
セドグロでもエンジンこそSD22と僅かに格差をつけてきましたが、SGLは勿論ATも無し。
トヨタも4速ATで先行するもクラウンはスーパーDX、後のマークⅡでもGRですらなくあくまで「GLの」エクストラ。

さて小生の記憶にある、C 231/C31の車雑誌以外の一般雑誌広告でイチ押しだったのはSGLですらなく、1800GL。
「高級車ローレルがこの価格で」と言うのがウリですが、やはり「車格」を競ったこの時代、同じ価格帯でブルよりローレルに乗れますよ的なアピールだったかと思います。
ただ装備含めスペック的アピールは少なく(出来ず?)イメージ先行。
ただ今日装備表を見返すと、C231のGLも同時期のマークⅡなどに比べ装備が豊富ですね。
リヤセンターアームレスト装備のSGLと同等のシート。フロントスポットランプ。上位グレードと同デザインのホイールキャップ。
むしろC31でコレらはオミットされるのですが、GL級が販売の中心だった当時のブルーバードクラスでは十分な商品力だったかと。

販売の中心がメダリストに移行するC31後期までは、中間グレードも一定数の需要があり試行錯誤だったのですね。
ただディーゼルはまだしも、ガソリンSGLだけでもエンジンが三種類は混乱した事でしょう。
(同時期のマークⅡのエクストラよりは分かりやすいですが笑)
1800と2000直6に収斂して行ったのも道理かと思います。
コメントへの返答
2020年8月14日 20:01
C230系の新車当時を知っているのは、今やアラフィフ以上の世代ということも大きいかもしれませんね。
誰もやらないからというのは、この種の取り上げで思うところで、お役に立てれば、ありがたく存じます。

ご推察の通り、コメントから取り上げてみようと思い立ちました。当初は1800SGLのみと思ったのですが、最初に出てきたのが末期版のカタログでしたので、2000も包含してしまうことに。ディーゼルSGLは、あまり考えずで外してしまったのですけれど、2000SGLと同時の追加でしたから、取り上げても良かったなとは今更ながらに思います。

ディーゼルSGLですが、メダリストが存在するとはいえ、ここまでのハイグレードへの設定は確かに初となります。年表を見返したところ、2日後にセドグロのVX-6が登場していますので、僅差ではあるのですが(笑)
SGLと同時にATも追加されていますから、明らかにマークIIディーゼルへの対抗が理由でしょう。マークIIディーゼルのGLエクストラは、シートだけはグランデでしたが、装備自体はローレルSGLの方が豪華でしたね。

なるほど、C231/C31だと1800GLがイチ押しでしたか。
ローレルのGLは、ブルーバードのGL以上の装備でしたが、お値段がやや高かったようです。その点、マークIIGLは、コロナのGLより装備は同等以下だったものの価格は近接。この辺りは、販売系列の関係もあったのかなと思います。
C31のGLでは、マークIIのGL並みに装備が落とされていたりしますね。C31は、途中でGXが追加されたことで、グレード構成がさらに複雑になってもいますけれど。

910ブルーバードにも同じ悩みが垣間見えるのですが、2000と1800、キャブとインジェクション、4気筒と6気筒、何を残すのか悩みつつで併存させていた過渡期的設定ですよね。その点、マークIIのエクストラは、今のレザーシートパッケージみたいなもので(笑)
実は、CA20の登場が遅れたことが1800に収斂した理由の一つと思っています。Z20とCA18なら、後者を選びますよね。
2020年8月14日 21:37
こんばんは。

当方も、当時は免許がなかったものの、父がC230ローレル、X60、X70のマークⅡを乗り継いでいたこともあり、このクラスの1800に思い入れがある一人です。

父が乗っていたのは、前期2ドアハードトップの1800GLでしたが、重ステでエアコンなし。車格優先の選択です。1800の豪華版SGLと最上級メダリストとの価格差が当時で50万円以上ですから、これは大きな差で、必要十分な装備と内装のSGLの存在価値は大きかったと思います。

このクラスの1800で自分が体験しているのは、以前いた職場にあったX80前期マークⅡセダンのGLでした。ご紹介のローレルから10年後の登場ですが、この10年の動力系の進化は大きく、4S-Fiでも通常の走行でさほど力不足を感じることはありませんでした。

GLとグランドとの差は、ホイールキャップやBピラーが同色なことなど細かい差はあれど、カラードバンパーで概ね同じ。内装も、エアコンがレバー式、窓が手巻きながら、インパネやメーター、ハンドルの造形はほぼ同じだったと思います。

というと、贅沢装備が不要ならばGLでも十分に思えますが、シートや天井など、内装の格差はカタログ装備表の差以上に大きく、同価格帯のコロナと比べても明らかに負けていたので、上手に作り分けができていたといえます。

自分は乗ったことがないのですが、90系の1800GLはさらにお得でした。作り分けも随分と整理されて、エアコンもオートになり、窓も電動になり、売れ線のハードトップ。軽量化した上に4Sエンジンもパワーアップして、リヤサスの差別化も無くなっていましたから、相当お得に見えますが、さほど走っていなかったと思います。

格下のカムリ・ビスタやコロナがどんどん上質になり、マークⅡが80系になるころには全幅の差も無くなって、FFで中の広さは逆転。
メダリストやグランデは出たときは最上級だったものの、代々ほぼお値段は据え置きで、90系の頃は事実上のベーシックグレードになっていました。

GLでは内装等で下のクラスに敵わず、GRサルーンやグロワールになるとグランデとの価格差が小さく、それなら上質なエンジンを積むメダリストやグランデを選択した方がお得…。

この辺りが、このクラスの4発1800が廃れた理由でしょうか。

さて、時が流れて、今やクラウンも4発が主になりました。仮にターボを外し、4発NAの2000CCを積んだクラウンが、最近出たハリアーのように装備を厳選して200万円台で登場したら…おそらく売れないでしょうね。
1800のマークⅡやローレルに通じるところがあって、運転してみたい気はしますが。
コメントへの返答
2020年8月15日 8:32
おはようございます

当時のこのクラスは、上級グレードが注目を集める一方で、4気筒が販売台数を稼いでいたりしますね。

前期の1800は、4ドアハードトップとパワステが未設定ですから、車格優先だとなるほどと思える選択です。エアコンもまた、当時は高額なOPでした。
カローラやサニーが大衆車と呼ばれ、ベストセラーを競っていた時代ですから、そこでマークIIやローレルを選ぶというのは、車格を相当意識してとなりますよね。

車格比で小排気量となるエンジンでは、比較的高回転を多用することとなりますので、この点1Sから4S-Fiへの変更は大きかったように思います。

X80の時代には、コロナの最多量販もGL・GX級から一つ上に上がっていましたし、EXすら珍しくないような状況でした。マークIIGLだと、ほぼオーナーユースは見込めず、官公庁やビジネスユースでほぼ売れていたのが実状です。HTの設定はなく、セダンのみでしたから、タクシーと同じに映る点もオーナー層が敬遠した理由でしょうね。

90系の1800GL、一度代車でお借りしたことがありまして、ご推察の通り、いい走りをするクルマでした。フロントが軽くて、重量比は、ほぼ50:50なんですよね。ただロックアップしないATのため、エンジン音の割に前に進まない印象も強く。GL級はATのみでしたから、グロワール級のMTがベストかと思います。
実は80・90の主査だった渡辺氏は、90登場時のインタビュー記事で、4気筒1800で十分走ると話されていたりもします。

FF化が進行したことで、このクラスは実用車からは遠ざかっていますね。営業車用途は依然としてありましたが、自家用車用途は6気筒の比率が増え続ける一方で。同じエンジン形式でも、縦置きと横置きはかなりの作り分けが必要というのも、4気筒FRが減った理由ですね。

現行クラウンでNA2000をやろうとしても、同じ理由で、ハイエース用の1TRで成立させるしかありません。カムリならまだ可能性ありですが、今の情勢だと、セダンの拡充どころか存続の危機の方が現実味を帯びてきていますね。
2020年8月18日 20:59
こんばんは。

C231ローレルと言えば、特捜最前線や西部警察で登場した印象です。
実際に見たのは、教習車と近所に住んでいた同級生の家族が乗ってました。

あのホイールカバーを見ると、カスタムグレードのような気がします。
気のせいか重々しい感じの音でした。
それがなぜかN13パルサーに変わったので、古さを感じて買い換えたのかもしれないですね。

自分の場合、1800FRセダンと言えば、教習車になります。
この当時の教習車は、SX80クレスタでした。

ボンネットに遮音材が付いてましたが、効果があるのかどうかわからない位に、室内にエンジン音が響いてました。

SGLと言えば、サニーからセドリックグロリアまで使っていたグレード名で、シンプルで分かり安かったです。

昭和末期になると、グランドエクストラやクラシックに名前が変わってしまい、最初の何ヵ月か違和感を感じてました。

今では、旧車イベントで見かける程度で、シャコタンに社外ホイールでのドレスアップを見ると、ノーマル車高とホイールカバーが恋しくなります。
コメントへの返答
2020年8月19日 19:14
こんばんは

ボディサイズの大きなセダンということで、ドラマで使われ易いクルマでした。もっとも非情のライセンスを除けば、脇役が多かったかもしれず。その中でも特捜最前線の最終回が、強い印象を残していますね。

カスタム以下のハーフキャップは、このクラスだと比較的珍しい設定だと思います。重々しい音となると、L20かSD20を想像させますね。

教習車といえば、この世代のローレルへの設定もありました。恐らくローレル初設定の筈で、安価故に大量導入されたルーチェへの対抗を推測させます。

GLは当初、高級グレードの代名詞で、SGLはさらに上級で定着していた時代も比較的長かったのですけれどね。グレード名のインフレの中では、更なる上級仕様が相次ぎましたから、名称の変更もやむを得ないところかと思います。

この年代だと補修部品の供給も望めずとなり、フルノーマルでの維持は難易度高だったりします。数少ない残存だけに、どんな仕様にしろ、使い捨てだけはやめて欲しい、そんな思いはありますね。
2020年8月19日 10:57
こんにちは。

C231ローレルのセダンSGL、1800か2000かは分からなかったのですが4気筒のAT車を亡くなった私の母方の伯父が所有しておりました。色も画像と同じ焦げ茶色&ベージュの組み合わせだったのですが、後年カタログを閲覧した際に薄いグリーンやワイン色といった派手めなボディ色ももあった事に驚いた記憶があります。この辺り、実は欧州市場で堅調に売れていた事と関係があるのかもしれないですね。

因みに、伯父の家は大家族なので「大きな車体、フル装備、安い」の三拍子が揃っていたのでローレルに決めた様ですが、それでも家族全員で出掛けるのはキツいと、伯母は当時良く話してました。それでいて馬力に余裕が無いエンジン&ATの組み合わせなので、走りは相当重かったのでしょうね。その為もあった?のと伯父は昭和の下町の職人だったので運転が荒く、車内が凄くタバコ臭い事も重なって子供の私はローレル乗せてもらうのがイヤでした(笑)今となっては、それも楽しい思い出の一つですが。


コメントへの返答
2020年8月19日 19:32
こんばんは

実際の所有例をお聞き出来て、とても嬉しく思います。当時、特にセダンはシルバーと同じくらい焦げ茶も多く見かけたように記憶しています。薄いグリーンは、マイナーチェンジ当初のカタログで多く掲載されているのですが、どうやら途中で整理されてしまったようで、今回取り上げた末期版では他色に差し替えられていたりします。仰る通り、欧州を連想させる色ですよね。サンタナのイメージカラーとも重なりますし(笑)

大家族向けはワンボックスワゴンがようやく選択肢に浮上してきたくらいの時期ですから、スペースを求めてこのクラスというのも自然な選択ではありました。
先代からの流用を多くするボディは豪華装備と排ガス対策でさらに重量増、それを動かすのは、初期の53年規制のエンジンですから、走りはそれなりだったろうなとは。ローレルに限らず同級他車も大同小異ではありました。
時間の流れは、嫌な思い出も楽しい思い出に転化させる力を持ちますね。幼少時代の経験は、不思議と強い印象として長く記憶に残り易いようにも思います。

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