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イイね!
2020年08月23日

昭和時代のローレルとマークIIの3ナンバーの話

梅雨明け以降の暑さは、正しく猛暑という言葉が相応しく。
室内から眺める木々の揺れで、風が吹いているのだなと期待して外に出てみると、吹いていたのは熱風とかですからね。

自車を運転していても、横から差し込む陽射しは暑く、そして時には痛いくらいで。これぐらいになると、運転席と助手席横にも透明断熱フィルムを貼りたいが頭に浮かびます。前車の経験から、貼れば効果は確実なのですが、反面デメリットも知るため、何とか我慢している次第。

アイドリングストップさえ止めてしまえば、エアコンは猛暑にも耐えられる能力を有する(聞くところによるとDENSO製らしく)というのが、せめてもの救い。


暑いだけで埋めてしまえそうな勢いですが、一応ブログらしく書こうかと。
色々浮かんだお題から、これにしようと決めたのがタイトルでありまして。タイトル自体、むりくり括った感がありますけれど。

1989年(平成元年)に行われた自動車関連税制の改革により、3ナンバーは一気に身近になったところですが、それ以前の昭和時代にも極少数ながら、今回取り上げる両車にも3ナンバーが存在していた時期があります。

今回はそんな話で書いてみます。
この辺りは、手持ちのカタログも揃っているのですけれど、発掘には時間を要するという理由で、掲載資料は楽をする方向で(笑)


先に登場したことに敬意を表して、今回はローレルから進めます。

〇2代目ローレル

1973年(昭和48年)10月に行われたマイナーチェンジにより、初の3ナンバー「2600SGL」が、セダンとハードトップの両方に追加されています。

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セダンは2000SGXの画像ですが、2600もエンブレムの差異くらいで外観はほぼ同じ。70扁平のバイアスタイヤ、専用シート生地等が2600の特徴でした。

先に2600を追加していたセドリック/グロリアは、シングルカムながらもGXを使っていましたが、こちらはSGXではなくSGLが使われています。

この追加、聞くところによると、1974年(昭和49年)の施行が見込まれていた小型乗用車枠の拡大(2000以下→2600以下)を先取りしての動きだったようです。この時期、クラウン、セドリック/グロリアの2600が最上級グレードのみならず、廉価グレードにも設定拡大されていたのも同じ理由。セドリック/グロリアに至っては、1ナンバーライトバンまで追加していたくらいでありまして。

フェアレディZも従前の240に替わる260を2by2ボディで1973年のモーターショーに参考出品していますが、同年末に勃発したオイルショックにより、一気に省エネモードに突入。260は急遽輸出のみとされてしまいます。もちろん、小型乗用車枠の拡大も見送り。

ローレルも登場がもう少し後だったら、フェアレディZと同じ動きとなったであろうことが推測され、そういう意味では駆け込みで間に合ったという言い方が適当かもしれません。

2600SGLは、50年規制適合時に2800に拡大され、新たに2800SGLを名乗ることになります。


〇3代目ローレル

排ガス対策への対応により、少し時間を開けた1977年(昭和52年)1月にローレルはモデルチェンジされ、3代目となります。

もちろん2800SGLは継続設定。ボディ形状には、従前の4ドアセダンと2ドアハードトップに加え、新たに4ドアハードトップが追加されています。

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外装画像は新たに追加された4ドアハードトップ、内装画像はセダン。

外装ではサイドモール、内装ではルースクッションシートが2800の特徴でした。
ルースクッションは、セドリック/グロリアが約半年後にマイナーチェンジした際に追加された新たな最上級、ブロアムでも採用されていますが、ローレルは一足早くの採用でした。

余談となりますが、この4ドアハードトップは、大都会パート3で登場し西部警察でも使われていたことを思い出します。番組中ではあまり激しい使われ方はされずできたものの、結局はベージュに再塗装され宮城ロケ編で壊されてしまったようです。まだまだ中古車としても商品価値があった時期でしたから、何とも勿体ないと思いつつで視聴していました。

話を本編に戻して。
3代目ローレルは1978年(昭和53年)11月にマイナーチェンジされ角目になったというのは、前回にも書いています。この時に2800は53年規制に適合。同時に発表されたセドリック/グロリアの一部変更では、2800は全車EGIに統一(それまでは、SGLがキャブ、ブロアムがEGI)されているものの、ローレルはグレード名称こそSGLから新たに加わったメダリストに変更されているものの、キャブのままとされています。

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このマイナーチェンジでは、サイドモールが2000の6気筒にも装備されるようになったため、外観上の差異はエンブレム程度となりました。内装もグレード名こそ変わったものの、ほぼ従前の通り。メダリストが加わったことで、2000にもルースクッションを採用。こちらも差異がなくなったと思いきや、クッションのボタン止め数(という書き方でいいのかな?)を変えることで、2800の特別感を残しています。

ここでも余談。
前回のコメントでも話題になりましたが、4ドアハードトップ2800メダリストの画像には、このクラスでも珍しいライトグリーンが使われていました。このライトグリーン、モデル途中で設定廃止となったようで、前回ご紹介した末期のカタログでは、イメージカラーだったカッパーブラウンに差し替えられています。

余談さらに。
小学生の時、親しかった友人。お互いの家を行き来するくらいだったのですが、家で何乗っているのという話になりまして。友人の回答はローレル。うちはマークIIなんだ、なんて話になったのですが、よくよく聞いてみたら、当時最新型だったこの型。さらに2ドアハードトップの2800メダリストの5Fだと。その当時でも同じ仕様はあったのかいなと思えるくらいの希少仕様。実車は見ることができず、「珍しいね」で当時は話が収束したのですが、今でも鮮明に覚えている話の一つです。


〇4代目ローレル

ローレルは、今度は4年に満たない1980年(昭和55年)11月、4代目に進化しています。2800に限った話題としては、2ドアハードトップが廃止される一方、EGIへの進化とセダンの4独化(従前のセダンはリジッド)がありました。


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先代比でかなりスッキリした内外装。外観は旧型同様エンブレム以外は2000と共通。インテリアではシートこそ2000メダリストと共通とされたものの、「ハイクオリティオーディオ」と名付けられたテクニクスのオーディオは2800のみ標準(2000はオプション)。また、ドライブコンピューターは2800のみのオプションとなります。


この時にはターボも追加されたものの、当初のグレード設定はセダンがSGL、ハードトップがSGXのみだったこともあって、メダリストでハイパワーを求めるとこの2800を選ばざるを得ませんでした。

しかし、登場後1年を経過した1981年(昭和56年)11月に小改良が行われると、前月に登場したマークIIグランデターボに呼応するかのようなターボメダリストが追加。これで、2800は完全な脇役に回ることになります。

今回取り上げた中で、ローレル2800HTの1982年の年間販売台数だけ確認できたのですが、なんと僅か38台!セダンはもっと少なかった筈ですから、そりゃ設定廃止にもなりますよね。

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小改良で追加された2000ターボメダリスト。
ダークブルー&シルバーのツートンは、ローレルスピリットにも設定されてローレルのイメージカラーの役割を果たします。

翌1982年(昭和57年)9月のマイナーチェンジでは2800が設定から落とされ、平成の時代まで3ナンバーローレルはブランクとなります。


続いてはマークIIです。

〇3代目マークII

2代目の時点では、ローレルよりスカイラインを強く意識していたこともあり、マークIIのover2000は、輸出仕様のみに限られていました。

1976年(昭和51年)12月に登場した3代目では、待望の(?)2600が同じく新たに設定された最上級のグランデと共に登場しています。

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ローレル同様、2000には燃料噴射装置付きの設定があったものの2600はキャブ仕様のみ。ローレルには設定のあったマニュアルの設定はなく、ATのみでした。

グランデ間の差異はエンブレムのみ。オプションはESC等、若干の違いがありましたが、装備もほぼ共通でした。

こちらは4ドアハードトップはなかったものの、セダンにも4独を採用。僅か1か月の違いで一新された3代目ローレルと激しい販売競争を繰り広げることになります。

翌年6月に追加された兄弟車チェイサーには、2600が設定されることはありませんでした。チェイサーと同時に2000EFIは53年規制に適合していますが、2600は51年規制のまま継続生産がされています。

2600の53年規制適合は、クラウンのマイナーチェンジと同時の1978年(昭和53年)2月。53年規制への適合に際して、キャブからEFIへ進化すると共に、クラウン譲りの4速ATが導入されることになります。触媒が酸化触媒から3元触媒に変更されている効果もあって、性能、燃費の両方が大幅に向上しています。

この変更、カタログは2600だけ画像差し替えで対応しています。
2000と異なり、EFIエンブレム等の追加はなかった筈で、51年規制との識別は、外観上は従前の”TTC-C”エンブレムの替わりにリヤガラスに貼られることになった「53年規制適合車」のステッカーのみ。内装ではO/Dスイッチのみが異なります。

ここで、機関系は変更を受けていることもあって、1978年9月のマイナーチェンジでは、内外装の変更のみが行われています。

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クラウンは、1979年(昭和54年)のモデルチェンジの際に、日産の後を追うかの如く2600から2800への拡大が行われていますが、マークIIはセリカXXと同じく、2800への拡大は翌年送りとされています。


〇4代目マークII

3代目の時と同様、マークIIはローレルより一月早く、4代目に進化。
2ドアハードトップの替わりに4ドアハードトップが設定され、2600は2800に拡大されています。兄弟車チェイサーには、新たにグランデと同等の装備となるアバンテが設定されますが、相変わらず2000以上はマークIIのみでした。

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この代では、フロントグリルのエンブレムから排気量が外され”grande”のみとなったため、外観上の差異はリヤのグレードエンブレム”2.8”のみ。
また、画像のグライコ付きコンポは、チェイサーではアバンテで選択可能だったものの、マークIIでは2800のみが選択可能でした。

クラウンよりも200kg以上軽いボディと2800の大トルク&4速ATの組合せは、地味な外観で侮ると足元を掬われかねない、俊足を持つに至ります。当時の雑誌にはAT車としてはソアラ2800GTに続くタイムが出ていましたし、SOHCということで特に街中ならむしろこちらの方が速いくらいだった筈とも。

完全に余談の域ですが、MS123Zでもこの車には中々追い付けなかったという武勇伝を後年聞いたことがあります。

マークIIもローレル同様、翌1981年にはグランデターボが追加。以降、元より多いとは言えなかった2800の販売はさらに減少していきます。1982年のマイナーチェンジでは、新たなる最上級ツインカム24が設定される替わりに、2800は国内仕様からは外れることになります。

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新たに設定されたツインカム24
輸出では、5M-Eに替って5M-GEが搭載されることに。
2世代後のMX83では、5M-GEに替り7M-GEが搭載。これが国内に回帰するのは登場の翌年となる1989年。この間7年間は、5ナンバーのみで展開されることになります。


ここからは概況やら私感やらです。

70年代半ばから80年代初頭というのは、排ガス対策や省エネ対応に追われて、ハイパワーは二の次・三の次だった時代です。

ローレルのところで触れたとおり、このクラスに2600が設定されたのは、時期の幸いがあったと思っています。先ず間違いなく、ローレルへの導入がなければマークIIが後を追うこともなかったでしょう。

もう一つ、両車が地味なサルーン、ハードトップだったという幸いもありました。当時、2代目フェアレディZの280、スカイラインジャパンのターボ、共に当時の運輸省は暴走族への助長となるという理由で認可に難色を示したことが報じられています。反面、この両車の認可が滞ったという話は聞いた記憶がなく。
もっとも、新車当時こそ、主に中年以上がパーソナルカーとして購入されてはいたものの、オーナーの履歴が重なっていくと、段々やんちゃな方が買われるようになっていったという話もありますが(笑)

そんな2600、2800なのですけれど、今とは大いに異なり、小型乗用車(5ナンバー)と普通乗用車(3ナンバー)は歴然と差があった時代。税金や保険の関係で早々簡単には購入に至らない車ではありました。
消費税導入前の物品税は割増で、自動車税は2000の倍以上(自動車税の詳細な推移はこちらに資料アリ)。自賠責と任意保険は車種別の差異がなく、5と3の違いのみで、もちろん3が割増。これだけでも相当な違いですが、その他に有料道路の代金が違うところもあり。
加えて、割高な維持費が敬遠されるという理由から、売却時の査定価格は新車時と逆転したマイナス査定。さらに実走燃費は2000とあまり違わずと言えども、ガソリンが今よりもはるかに割高な時代ともなれば、償却を経費で認められる層でもなければ、手を出そうとすら思えないのも当然ではあったのです。

クラウン、セドリック/グロリアの3ナンバーは、それでも時折見かけることがありましたが、ローレル、マークIIの3ナンバーはバンパー等の一目でわかる差異もなくて、街中・中古車店の展示、共に滅多に見かけない車だったように記憶しています。

3ナンバーは、平成初期の税制改正により急に人気を集めるようになり、中古車価格も強気に転じているのですけれど、その時代には今回ご紹介したクルマたちは、大半が償却が終わっていました。税制改正がもう少し早かったら、また違う展開もあったのでしょうけれども。

それだけに、今も残るこれらのクルマたちは、本当に希少な存在だと言えます。言い方はどうかかもしれませんけれど、苦難の時代を乗り越えた存在であることは間違いないのです。


最後にまたまた余談です。
当時の3ナンバーって、今の輸入車の登録と同じような傾向があって、元々少ない台数もその大半が大都市に集まっていました。

記憶確実なのは、1991年春。
その当時、埼玉の北部に住んでいまして。埼玉は1975年4月に大宮と熊谷に分かれているのですけれど、熊谷の5ナンバーは55・56に続き57が終了間際。一方の3ナンバーは33の”さ”に続いて”す”がようやく終了という具合でした。税制改正が行われて2年経過した時点でも、これだけの台数差があったのです。

そこから約1年後には、33も”た”の5000番台となっていましたから、一気に3ナンバーが増えたとも言えるのですけれど。今では笑っちゃう話ですが、自分で3ナンバーを買った時には、ちょっと誇らしくではあったのです。同時代に、3ナンバーが好調に売れたのもきっと同じような理由だった筈でありまして。

今や3ナンバーと5ナンバーの台数が逆転して幾年月ですから、隔世の感は拭えません。


以上、駆け足気味にご紹介してきました。
低グレードを取り上げることが多かった中、最上級グレードの特集はいかがだったでしょうか。この辺りは、取り上げられることも少ないでしょうから、何かしらのお役に立てれば嬉しく思います。


画像の引用
3代目マークII前期:トヨタ75周年サイトより(閲覧にはAdobe Flashが必要)
3代目マークII以外の画像:FavCars.comより
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Posted at 2020/08/23 07:33:30

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この記事へのコメント

2020年8月23日 8:09
3ナンバーってある時期までもしくはある世代までには特別感は相当なものでした。今から四半世紀前以上、二十歳前からローバースターリングに乗っていたので近所では「高級外車を乗り回すドラ息子」扱いが一部であったようです。親戚の結婚式に行った時も同じような嫌味を言われたことがあります。

タクシー車両の定番、クラウンセダンもスーパーデラックスGパッケージとスーパーサルーンではなにも変わらない(正確にはアルミとカセットステレオの差)にも関わらず、スーパーサルーンは班長しか乗れないとかなんて会社も結構ありました。
コメントへの返答
2020年8月23日 8:26
アラフォー以上なら確実に共有できそうな特別感ですよね。
二十歳前に3ナンバー、ましてや外車ともなれば、書かれている扱いも納得できます。たとえ世間のイメージと実態の価格が乖離していても、”外車”の前に”高級”が付くのもお約束で。乗っている方からすると、大きなお世話に過ぎないのですけれどね。

クラコンとクラウンセダンで差を付けるという話は聞いたことがありますが、Gパケとスーパーサルーンにも同じような格差があったのですね。迎えに来られた方もナンバーで識別するが確実に存在した時代ならではの話ですね。
2020年8月23日 9:16
いつも興味深い話をありがとうございます。

1994年に買った初めてのマイカーがA-BC130ローレル1800GLでした。悪評高いw50年規制の車でしたが普段使いにはさして困るほどではなく、色々活躍してくれました。
私もローレルの後ゴルフⅢGTIを買った時、初めての3ナンバーが誇らしく思えました。
GTIは貼り付けオーバーフェンダーの為、幅だけで3ナンバーだったので口の悪い人には「なんちゃって3ナンバーだね」とも言われました(苦笑)
コメントへの返答
2020年8月23日 10:14
記憶と重ねつつで懐かしんでいただければ幸いです。

50年規制の中でも日産の4気筒L型は、比較的上手くパスしていたのではないでしょうか。動力性能より燃費に影響があったかもで。
税制改正前なら、オーバーフェンダーを外して輸入していたのでしょうね(笑)
あの頃、モールやバンパーで寸法枠を超えた「なんちゃって」も多かったですね。
2020年8月23日 12:37
こんにちは。
なるほど、ローレル2600の設定は、そんな背景があったのですね。確かに、西部警察では3代目2800ローレルのベージュが多数の観客が居るなかで横転させるシーンがありました。
実家近所に、大切にガレージ保管されていた4代目マークⅡHTのグランデ2.8の、貼られた画像のツートンがずーっとあったんです。10年くらい前に軽自動車に乗り換えられたのですが、幼いながらもそれは特別感がありましたね。リヤエンブレムのグランデ2.8っていう、グレード名と排気量の位置関係が好きで、140クラウンが出たときはデザインよりも排気量エンブレムの廃止が嫌いでした(笑)
コメントへの返答
2020年8月23日 17:22
こんにちは
人伝に聞いた話ですし、今となっては確証も容易に得られずではあるのですが、辻褄は合っていてほぼ真実なのかなと。
西部警察のローレルは現地の提供車と思っていたのですが、マルーンからの再塗装ということでこちらも納得した次第です。
画像のツートンは、HTのイメージカラーでしたね。2.8は本当に特別でしたし希少でもありました。グレードエンブレムの件、よくわかります。GTやGXの排気量エンブレムとは逆の位置が重要なんですよね(笑)
150や170クラウンに魅かれていた時は、自分で買うなら排気量エンブレムの後付は必須と思っていました。
2020年8月23日 14:02
E320CDI のリヤ吹き出し口から冷風が出なくなり、前の冷房のみ。この一年でカスタム除く修理メンテのみで50 万以上かかってきており、正直後席冷房まで治せずです。
昨日運転席内ドアハンドルのガッツリメッキ剥がれを発見。17万km14年目を迎えたとは言え、国産でもメッキ剥がれなど経験が無く、長寿がウリのメルセデスも、コレにはちょっとガッカリ。
ひょんな事でオーナーのモチベも下がります。

さてローレル2600我設定された頃は、まさしく排気量アップ競争の頃でしたね。
その頃、最初から5枠一杯だったセドグロ/クラウンの2600新規設定は、幾ら禁止税的障害があっても自然な事。
でも、当時5枠の排気量拡大話があった事は初耳でした。
セドグロバンの2600は長らく謎でしたから。
コレとは別に昭和の終わり頃、輸出障害である全幅の10cm拡大話を当時の雑誌などで見た覚えがあります。結局は3への移行障害を下げることで実現しませんでしたが。

時流と5枠拡大を見据えた時期に2600設定のローレルに比べ、マークⅡの2600設置は時期が遅く、設定の必然性はライバル対応という事でしょうか。

しかしそれほどまで3Noの特別感は、今では考えられない程でした。セリカXX2600のラジオ広告が「おお!コレが三ナンバー!」とのキャッチを子供ながら覚えています。
当時2000ですら庶民には敷居が高かった感覚のある身としては、カローラはじめメーカー都合による3No化には大いに疑問があるのです。


コメントへの返答
2020年8月23日 18:01
リヤ吹き出し口は、フロントからの分岐と思っていたのですが、イザ修理となると確かに簡単には済まなそうですね。
自分の経験からしても、心が折れそうになるのは、意外と大物の修理ではなくて、大物が終わった後の小物のように思います。一息ついた時が危険ですね。

装備の増加に伴う重量増とATが増えたことで、71年にモデルチェンジした両車は、2000では動力性能が物足りないという評価がされていたりしますね。
輸出との共用もあっての2600と推測しています。
小型車枠の話、人伝ではあるのですが、私自身なるほどと腑に落ちた次第です。
70年代後半には、フルライン1690mmの予感はありましたから、全幅を拡げる検討というのはなるほどと思います。

2代目マークIIは、後期でノーズを伸ばすまで、輸出も2300だったと記憶しています。2代目の後半は、不人気故に見切った部分も感じられますから、大幅刷新の3代目まで勝負を避けたのかなと推測しています。

あの頃の3Noの特別感を今に例えると、アル/ヴェルの最上級、いやそれ以上かもしれませんね。
私自身は、130クラウンの時にメーカーが言っていた1745mm上限は今でも一理あると思っていますし、1800mmが国内の扱い易さの上限とも思います。さすがに1850mmで収まるかと思っていたら、それを超える車も出回り始めていて、どこまで大きくなるのか、そろそろ危惧を持ち始めています。
2020年8月23日 19:46
こんばんは。

私が小学生だった80年代までは、その車種の中で大きい方のエンジンを載せていると排気量がリアのグレード名の前に表示されているクルマが多く、クラウンの「2.8」や「3.0」を見ると、子どもながらにスゲーと思ったものです。家のマークⅡ(1.8→もちろん表示無し)より1000CC以上でかいって、一体どんな走りなんだろうと思ったものでした。

リアにわざわざ表示するほど、昔は排気量でクラスを認識していましたから、当時は近所で新車を買った家があると、「新車だね?これ15?16?」「1800です」「18かぁ、へぇー立派なクルマだね」なんて会話を耳にしたものです。

振り返ると、私の近所の家々も、以前は代替のたびに排気量が大きくなる家が多かったです。カローラクラスから、コロナクラス、マークⅡクラスへと、文字通りステップアップして行く家が珍しくありませんでした。
それでも、2000超えの壁は平成一桁の頃までは結構残っていた気がします。昭和のマークⅡ兄弟の90系以降への代替も、排気量据え置きで2000への代替が多かった気がします。

その後、ミニバンのオデッセイや子エスティマの台頭で2000の壁が取っ払らわれましたね。同時に2000CC超は6気筒という認識も消えました。いつの間にか2400CC(2AZ)も贅沢とも思わなくなっていました。

我が家のご近所だと2000年前後でしょうか、平成10年代が全体的に排気量のピークだった気がします。その後、子どもが大きくなってミニバンを手放されたり、高齢になられて大型セダンを軽やコンパクトカーに変えられた家も多く、外車もダウンサイジングターボで小排気量化。今では2000CC以上が贅沢に戻った気がします。

軽自動車が販売台数ランキングの上位を占めるようになって久しいですが、登録車だけを見た上位も最近はダイハツ製の3気筒車が元気ですよね。日産ノートも3気筒。登録車の3気筒など一昔前では珍しい存在でしたが、時代の流れは小排気量。

今人気のライズ・ロッキーもターボ付きながら1000CC。おおよそ四半世紀前に同じような車体サイズで登場した初代RAV4は2000CCでした。私は昔の感覚が抜けきれず、ライズ・ロッキーより、初代RAV4の方が、ずいぶん上等に感じてしまいますが、実際に乗り比べればそうではないんでしょうね。
コメントへの返答
2020年8月23日 21:55
こんばんは

書かれている通り、排気量エンブレム付=上級エンジンを搭載している証でしたね。当時の私にとっても、2000以上は現実感が湧かなかったが近いかもしれません。現実味がないから、レベル感が想像もつかないですね。

そう、ご近所の新車購入は格好の立ち話のネタだったように思います。父もクルマ好きでしたから、そんな話をしていたことを今でも思い出します。クラスと排気量、この組み合わせですよね。

平成に入るまで、ステップアップが当然という認識だったように思います。ご近所もステップダウンはあまり記憶に残っていません。
平成元年の税制改正は、個人的には2000の壁が2500まで拡大されたと受け取っていました。自動車税の他に任意保険の違いもあって、3000はもう一つ壁を超える必要があるくらいの認識でした。90の2500は、81よりも装備が落とされていたこともあって、当初は2500の比率がさらに増えると予想したのですが、これまでにない景気の後退は予想を覆すのに十分な要因となりました。明日は今日より確実に良くなるという前提の崩壊でしたからね。

平成初期の4気筒は、2000よりも1800の方がバランスの良いものが多くて、2000以上は成立しないぐらいの認識だったように思います。この認識を覆すきっかけとなったのは、確かにミニバンですね。90年代以降の新世代4気筒は2000以上でもスムースに廻るのが当然にもなりました。

私的には平成10年代は、セダンからワゴン・ミニバンへの代替が多かった時代でしょうか。その過程で6気筒から4気筒に移るのも抵抗なくだったように思います。

最初はダウンサイジングって懐疑的だったのですけれど、自分で購入し乗ってみるようになって、認識は大いに変わりました。ミッション次第の面もありますが、今は排気量が絶対的な効果を持つとは全く思えません。一般的には、ハイブリッドが増えたことで同じような認識を持たれるようになった方が多いのかもしれませんね。

ここはミニバンが好まれるようになったことと重なるのかもしれませんけれど、クルマ選びの際に、昔より走りが重視されなくなったことを感じます。流れに乗れさえすればいいくらいかもしれませんね。

私的には、ライズ・ロッキーには、ラッシュ・ビーゴが先に重なりますが、これとの比較でも排気量2/3となりますね。ヤリスクロスはまた別の方法で高効率を成立させていて、どちらが主導を取ることになるのか、興味深く見ています。
2020年8月29日 2:34
こんばんわ。

parl-siro さんの教養ブログ、毎回興味深々で拝読させて頂いております!

昭和末期までの33ナンバーは本当に特別な存在、憧れでして、如何にも『高級車』『お金持ちが乗るクルマ』オーラが漂っていました。

税改正で税金が下がったことと、2000cc以下の寸法オーバー車の急増のため、昭和期のような3ナンバーの魅力は今現代ではマッタク無くなってしまいました。

今回のブログを拝読しておりまして、!!と思ったことがありました。昨年の富士スピードウェイでのハチマルミーティングにて、ローレル3代目前期の2800SGLに乗っている方がいらっしゃいまして、エンジンサウンドを聴かせて頂いた際、「最近キャブをオーバーホールして」と仰ってまして、「あれっ、2800ってキャブ??」と疑問に思いましたが、このたび謎が解けました!

昭和40年代前半から長年ミドルクラスを担ってきましたローレルもマークⅡも今や姿を消してしまい寂しい限りです。
コメントへの返答
2020年8月29日 20:52
こんばんは

私的には備忘録も兼ねていまして、お役に立てればありがたく存じます。

当時の33ナンバーは特別でしたね。新車はともかく中古車なら格安なお値段ではあったのですが、維持費だけで踏み止まらせるに十分なものがありました。そこを乗り越えているからこそのオーラですよね。

現在は、3と5を分ける意味合いの方が疑問を感じるくらいになってしまいました。この先はさらに5が減りそうでもありますし。

当時のインジェクション仕様は、ポストツインキャブの意味合いもあったので、2000が先行していて、2600や2800は後追いとなるんですよね。三元触媒とのセットで考えられるようになったのは、53年規制以降ですからね。

ハイオーナーカーからスタートした二台も、この国が豊かになったことで皆に買い求められ、やがてミドルクラスと言われるようになりました。この国の姿を映す鏡的存在の一つだったと言えるかもしれませんね。
2020年8月30日 0:58
和製マスタング
かっこいい
コメントへの返答
2020年8月30日 7:19
3代目辺りまではどちらもアメ車の和製翻訳ですね。
カッコイイに賛同いたします。
2020年9月6日 23:12
じっくり読ませていただきました。小型車枠2600cc未満、初耳で衝撃的な内容でしたが、確かにそれまでは頻繁に小型車枠が見直されてきていたのであってもおかしくない変更でしたね。
メーカーにとっては高い税金の壁で売れないものが、少々の投資(排気量拡大は比較的簡単)で販売価格が上げられるのであれば積極的に対応したくなるのは理解できました。

それにしても参考URL拝見しましたが、税金の上がり方がとんでもないですね。これ、当時の貨幣価値と較べると更に痛税感が強くなりそうです。有名なサニー1000に対するカローラ1100の件、自動車税が年間3000円アップしますが、初任給が2万円程度の時代の話なので結構馬鹿にならない金額アップだったのにそれがヒットするなんて今だとちょっと考えられない感覚ではありました。
コメントへの返答
2020年9月7日 7:58
初めて聞いた時には、私自身驚いた内容です。この少し前には、コロナ・ブルーバード級まで2000ccを搭載するグレードが出始めていましたから、排気量拡大をしないと上が詰まる危惧があったであろうことは推測できます。クラウン/セド・グロは、未対策の時点でも2000ccでは走りが物足りないという評も出始めていましたし。

そもそも小型乗用車枠は、国産車を保護育成する目的もありましたからね。ボディサイズの制約も同じ理由です。今の貨幣価値に換算すると、当時の3ナンバーは自動車税だけで15万近くに達するはずですから、そうそう簡単には選べなかったのです。
カローラの3000円アップは、サニー+1速でいくらか戻ってくるという解釈を見た記憶があります。上昇志向の盛んだった時代、あのクラスも1000を超えようという動きはカローラに限らず国内外であって、3000円はその価値に見合うと判断されたが大きいのでしょうね。

プロフィール

「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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1989年式マークII3.0グランデG感想文 
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2021/08/05 19:34:14

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